第五十一話「追放!」
昨日ついに完成した金髪縦ロールのウィッグを忍ばせながら俺はアレクサンドラがやって来るのを今か今かと待ち構えていた。とは言っても俺は色々と忙しいのでこうしてアレクサンドラが来る前や帰った後はきちんと仕事はしている。ただ早く来ないかなぁと思って楽しみに待っているだけだ。
さて……、そんなわけで遊んでばかりもいられないのでアレクサンドラが来るまでいつも通り仕事をこなす。まず牧場や農場の売り上げを確認する。最近では王都の牧場も売り上げは上々のようでイニシャルコストの回収もとっくに終わって今では多大な利益を上げている。カーザーンの方の農場や牧場はそれよりもさらに規模が違うので売り上げも上々だ。
他にも古代コンクリートやU字溝の販売代金も入ってきている。一番たくさん使っているのは結局俺の開拓村ではあるんだけどクルーク商会を通じて他にも売られているので何故かその利益も俺に払われている。
ウィッグやトリートメントの売り上げの一部も俺に支払われることになっているしクルーク商会は、というかヴィクトーリアは大丈夫なんだろうか?少しアイデアを出したりしただけの俺にこんなにホイホイお金を払っていたら経営が大変じゃないかと思う。
俺だってお金に困っているし貰えるものは貰っておきたい。相手がくれるというのに受け取らないのも失礼にあたるだろう。だけどそんなことばかりしていてヴィクトーリアは大丈夫なのだろうかと心配になってしまう。
まぁそれはさておきそうして確保した予算を使ってなんとか開拓を進めているけど中々思うように進まない。というか先に地下埋設工事を進めたから地上部分はあまり進んでいる気がしない。何ヶ月も経っているのに地上部分はまだチラホラと建てかけのものがあるだけだと今まで何をしていたんだとお叱りを受ける可能性もある。
それから今度まとまった長い期間を取って北にあるという海まで行ってみたい。最終的には海に港町を作って開拓村と繋げて海産物の流通ルートを開拓したいと思っている。そのためのルートや港町を建設する候補地なんかを選定したい。北の山を越える方が良いのか、北東の川沿いに下る方が良いのか。
川を利用すれば船を使った輸送で大規模輸送が出来る可能性がある。ただあまり北東方向に俺の開拓地を拡げて良いのかわからない。最初に父に示された範囲が不明瞭だからだ。それに北東の川までは結構距離があるので川を利用した所で結局川から開拓村まではそれなりの距離を陸路ということになる。
また川が海に流れ込んでいるとはいっても先がどういうルートでどれほど距離があるのかもはっきりしていない。そんな状況で地図上だけで判断出来るはずもなく、いつか実際に調査に行きたいというわけだ。
「んっ!ん~~~っ!」
机にかじりついて書類仕事をしていたから少し体を伸ばす。両手を組んで上に伸ばすと背筋も伸びて気持ち良い。ただ少し胸の先っぽが服に擦れてむず痒いというか痛痒いというか……。成長期のせいだから余計にだろうけど何だか変な感覚がして落ち着かない。
今度はクルーク商会に下着でも頼んでみるかな……。この世界でも、そして近世ヨーロッパですら下着は未発達だった。それに丸出しが悪いこととも思っていなかったというのもある。下は立ったままでも用を足せるようにフープスカートだったことからわかる通りそもそもはいてないのがデフォルトだ。そして上も特に見られたからといって羞恥を感じる社会ではなかった。
女性が胸元を開けておくのがトレンドだった時代もあり某国女王様は他国の使者の前で胸がモロに露出していたのに気にも留めていなかったと使者の書に記されていたほどだ。
そんな社会で果たして下着なんてものに需要があるだろうか。一切何も穿かない身に付けないということはないにしてもそれほど凝った物も求められずあまり発達しないのも頷けるだろう。
俺は現代日本人の感覚があるから下着は重要だと思ってしまうし、あれやこれが丸出しだと恥ずかしいと思ってしまう。だけどこの世界にはあまりそういうものはない。
俺は第二次性徴のためか胸が膨らんできていて少しの刺激でも少し痛く感じたりする。下着もないし仮にあっても現代ほど適したものもないだろう。自由に調整が利く方法としてさらしという方法もあるかもしれないけどさらしはさらしで締め付けたりしてあまり良くなさそうな気はする。
結局どうすれば良いかイマイチわからない。そういう知識がなくこちらの世界に来てしまったから判断のしようもない。むしろ前世男の俺がそんなことに異常に詳しければその方がおかしいだろう。ともかく生活には支障はないから暫くは様子を見ながら回りの大人達に相談していくしかないな……。
それにしても……、アレクサンドラ遅いな?いつもならとっくに来ている時間を過ぎている。
アレクサンドラだって毎日暇なわけじゃないから毎日来ているわけじゃない。ただ貴族らしく予定はきちんと立てているからいつ来るとかいつは来れないとか連絡はきちんとしている。昨日の帰り際に今日も来ると言っていたから今日は来るはずだ。
万が一急用や予定の変更があった場合はきちんと連絡してくる。いくら俺達が友達になったとは言っても親しき仲にも礼儀あり、きちんとその辺りの連絡は怠ることなくしてくる。それなのに今日は連絡もなければいつもの時間を過ぎてもやってこない。どうしたのかな……。
こちらから出向いてみるか?でもそれで入れ違いになったら馬鹿みたいだし……。もう少し待ってみるか?もう少しして来なければ使いを出してみるとか?でもそれだと何だか催促しているようであまり良くない気もする。
う~ん……、う~ん……。どうしたらいいんだ?
「アレクサンドラ遅いですね。どうしたのでしょう?」
こんな時はとりあえずヘルムートとイザベラに相談だ。
「私が使いとして様子を見てまいりましょうか?」
ヘルムートの答えは俺の考えと同じだ。でも少し来るのが遅いからといってわざわざ使いをやってまで確認するというのはどうなんだろう。
向こうから連絡してくる分にはもちろん良いと思う。だけどこちらから先に人をやって確認するべきなんだろうか?向こうにも都合というものがあるだろう。何かあったり予定が変われば普通は向こうから連絡してくるものだ。相手から連絡があるまで待つべきか?
「……いえ、もう少し待ちましょうか。それでも来ないようならばまた考えましょう」
結局問題を先送りした俺はもう少し様子を見て待つことにしたのだった。
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遅い……。さすがにあり得ない……。
いつもならもうアレクサンドラが帰るほどの時間だというのに本人が来ないどころか連絡すらない。これはもしかして何かあったんじゃ?色々と悪いことが頭をよぎる。
「ヘルムート、イザベラ、リンガーブルク邸に向かいますよ」
「はい」
「準備は出来ております」
俺がリンガーブルク邸に行くとわかっていた二人はすでに準備してくれていたようだ。急いで森の小屋を出た俺は森の外に停めてある馬車に乗り込んでリンガーブルク邸へと向かった。
北西の端にカーザース邸があってその前に貴族街が広がっているので北の農場から貴族街まではすぐ近くだ。リンガーブルク邸はその中でも一等地に建っているから北の端から町の中に入ったら少々距離はあるけどそれでもそんなにかからない。あっという間に到着したリンガーブルク邸の前にはたくさんの人が集まっていた。
「これは何事ですか。通してもらいましょうか」
御者をしているヘルムートがリンガーブルク邸を塞ぐように立っている武装した者達に声をかける。
「貴様らは何者だ!ここは今封鎖中だ!関係ない者は立ち去れ!」
封鎖中?こいつらこそ何者だ?カーザースの領主軍じゃない。武装しているけど領主軍じゃないということはどこかの貴族の私兵達か?でも何でリンガーブルク家を包囲封鎖している?
「こちらにはカーン騎士爵家のご当主様が乗っておられる。リンガーブルク伯爵家に用があってまいりました。通していただきましょうか」
言葉は丁寧だけどヘルムートの声が怖い……。有無を言わせない迫力を感じる。顔は見えていないけど声だけでヘルムートの圧力がはっきり感じられるくらいだ。
「うっ!ご当主殿が?しょ、少々待たれよ」
どうやらヘルムートの圧力に屈したらしい。こちらが貴族だとわかったためか見張りの兵では判断出来ないとわかって上役に知らせに向かったようだ。その後暫くして俺達はようやくリンガーブルク家の門を潜ったのだった。
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玄関前に馬車を停めて降りた俺は出迎えもないまま玄関に入った。そこには驚いた顔のリンガーブルク家のメイドさんがいた。俺も何度もこの屋敷に来ているからメイドさん達も俺の顔くらいは覚えてくれている。何か言いかけたメイドさんは結局俺を止めることなく通してくれた。
奥の部屋から怒鳴り声が聞こえている。俺は迷うことなくそこへ向かった。そこはかつて俺もニコラウスに通されて話をした応接室のような部屋だ。
「これは一体何事ですか?」
「フロトっ!?」
俺が扉を開けて中に入ると疲れ切った顔のアレクサンドラが驚いた顔で俺を見た。部屋の中にはニコラウスにガブリエラに……、リンガーブルク家の面々が揃っている。その向かいにふてぶてしそうにどっしりと座っているのが脂ぎったデブのおっさんと小さな鼻がツンと上を向いた少女……。
ん?この少女には見覚えがあるな……。確か……、俺達の社交界デビューのパーティーの時に俺にぶどうジュースをぶっかけてくれた少女だ。そのあとアレクサンドラにひっぱたかれて……。
……もしかして?
俺はもう今回の件が何となく見えてきた気がする。でも話を聞くまでは勝手に決め付けるのは良くない。
「あぁ~ん?何だ貴様は?今わしがリンガーブルク家と話しておるのだ。ガキはすっこんでおれ」
脂ぎったおっさんがドスを利かせた声で俺を脅してくる。普通の子供ならこんなチンピラみたいなおっさんにこう言われたら縮み上がるのかもしれない。隣で生意気そうな鼻が上を向いた少女がクスクスと笑っている。
「騎士爵家の娘なんてお呼びじゃないのよ!さっさと消えなさい。アルコ子爵家を怒らせたんだからあなたの家も無事ではすまないと覚悟しておくのね。まずは私の頬をひっぱたいてくれた野蛮なリンガーブルク家から潰してあげるわ」
「そうだ!わしの可愛い娘を殴ったそうだな!?えぇ?この落とし前はどうつけてくれるんだ?没落して破産寸前の伯爵家が!どうなるかわかっておるのだろうな!」
あ~……。やっぱりというか何というか……。予想通りの展開すぎてまぁ……。この二人の家はアルコ子爵家と言うらしい。家格的には伯爵家の方が上だけどリンガーブルク家は傾いているから自分達の方が立場が上だと思っているんだろう。それで脅せば何でも要求が通せるとでも思ってやってきたに違いない。
あのパーティーからかなり経っているのに今頃やってきたのは根回しと証拠隠滅というか周囲の人々の記憶が薄れるのを待って、自分に有利な証言をしてくれる偽の証人を用意していたんだろう。絶対に自分が勝てると思ってから動いてきたに違いない。
娘の方は娘の方で親の権力を笠に着て我侭放題。親は親でチンピラのようにあちこちに因縁をつけてはこうして脅して色々と悪さをしているんだろうな……。
「アレクサンドラがその娘をひっぱたいたのは間違いありませんがそれはその娘が私にわざとジュースを頭からひっかけたのでそれを止めるためにしてくれたことです。アレクサンドラに非はありません」
「あぁん?だからどうした!騎士爵家の娘ごときに何をしたからどうだというのだ!そもそもそんなことは関係ない。わしの娘をリンガーブルクの娘が叩いた。それだけが問題なのだ!」
駄目か。そもそも話の通じる相手じゃないというわけだ。
「わざわざ私を呼びたててこれは何事だ?」
「ちっ、……」
あっ、あっぶねぇ……。後ろから急に現れた父に『父上』とか言う所だった。どうして父がこんな所に現れたのかは知らないけど言葉からするとアルコ子爵が呼んだのか?
「これはこれはカーザース辺境伯様。わざわざお越しいただいて申し訳ありません。実はですね……」
やっぱりというか何というか。アルコ子爵は父にアレクサンドラと俺の悪行をあることないこと話していた。そして自分の家は被害者だからどうにかして欲しいと訴える。アルコ子爵家というのは親娘揃って他人の権威を笠に着るタイプのようだ。
ここで父にあることないこと吹き込んで味方につけて自分達に有利な裁定をしてもらい相手に堂々と要求を飲ませる。一度要求を飲ませればあとは父がいない場所でも何度でも今回のことをネタに強請り続ければ良い。そうやって今までのし上がってきたんだろう。
「……なるほど。その話は本当か?」
父が俺とリンガーブルク家の面々を見ながら問う。
「いえ、違います。かなり嘘が盛られています。正確には……」
リンガーブルク家の面々は強張った顔のまま話せないようなので俺が代わりにその時にあったことを詳細に話した。俺は何一つ嘘偽りは述べていない。
「ふむ……。それではあの時奥の個室を使った緊急事態というのは……」
「はい。あの時にカーザース卿とお会いしたのはその時に濡れたドレスを拭くために個室をお借りした後です」
「……アルコ子爵、どうやら話が食い違うようだが?」
父がアルコ子爵をギロリと睨む。怖い……。毎日あの目で睨まれて剣を叩き込まれているせいかあの目を見るとつい体が反射的にすぐに動けるように身構えてしまう。
「だから何だというのです!確かに多少お互いの話に食い違いはあるでしょう!ですが私の娘は子爵家の娘!騎士爵家の娘が逆らって良いはずがありません!それでは王国の法を犯すことになりましょう!」
「……アルコ子爵、それはつまりプロイス王国の法に従い明確に記された身分制度を尊重せよということだな?」
「そうです!その通りです!騎士爵家が子爵家に逆らって良いはずはない!そんなことが許されては王国の制度そのものが崩壊してしまいますぞ!」
アルコ子爵は得意満面にそう言い切った。あなたそれ地雷ですよ?
「……くっ!」
そしてアレクサンドラは下を向いて声を漏らしているけど……、あれって笑いを堪えてませんか?
「くぅ……。ふぅ……、ふぅ……。フロト様?それではアルコ子爵様にも名乗られた方がよろしいのではありませんか?」
俯いているけどニヤニヤしているのがわかるアレクサンドラは俺にそう提案してきた。アルコ子爵親娘はアレクサンドラが笑っているとは思っていないようで完全に自分達の勝利を信じていやらしい笑みを浮かべている。
「はぁ……、仕方がありませんね。それではアルコ卿。私はカーン騎士爵家の当主、近衛師団所属のフロト・フォン・カーンです。どうぞよろしく」
「あはははっ!あんたが騎士?冗談も休み休み言いなさいよ!」
「…………はぁ?貴様が騎士ぃ~?ぶはははっ!何の冗談だ!つまらんことをぬかすな!カーザース辺境伯様、このような者達の戯言など聞く必要もなかったようですぞ!」
「カーン卿は騎士爵とはいえ貴族。アルコ子爵の娘は子爵家の娘とは言っても爵位を持たぬ身。アルコ子爵が先ほど言った通りプロイス王国の法に従えば騎士爵の方が貴様の娘よりも上ということになるが……。その相手に故意にジュースをひっかけて侮辱したことに関して何か申し開きがあるか?」
父上格好良い!ビシッと決まってる。
「はっ?この娘が騎士だと?本当に?騎士爵の娘じゃなくてこの娘が騎士?」
アルコ子爵の娘は驚いて固まってしまった。どうやら俺みたいな奴が騎士というのは信じられないらしい。
「なっ、何を……、このような小娘が騎士?そのようなことが……。いや!例えそうであったとしてもカーザース家の中でならばカーザース辺境伯様のお加減一つで全てが決まりましょう!」
おお……、アルコ子爵はまだ諦めないのか。諦めが悪いというか墓穴を掘るのが好きというか……。
「カーン卿は国王陛下の直臣。位の差はあれど私とは対等の立場だ。私がカーン家に関してとやかく言う資格はない。そして貴様は陪臣だ。騎士爵家とはいえ直臣に対する敬意というものを払わなければならないはずだが?」
「じっ、直臣っ!?そんな……、そんな馬鹿な……」
アルコ子爵は崩れ落ちた。娘の方はまだよくわかっていないらしく父親の様子を見てオロオロしているだけでどうして良いかわからないらしい。
「(やったわね!フロト!)」
コソッとアレクサンドラが耳元でそう言った。アレクサンドラは頭も良いから父と俺が来ればこうなることがわかっていたのだろう。
「カーン卿、私の家臣が失礼した。謝罪する」
「いえ、お気になさらないでください。公正なるご判断感謝いたします」
父が俺に頭を下げるなんて珍しいこともあるものだ。でもないか。俺が騎士爵としてカーザース家から独立してからはお互い貴族としてならばこうして礼を持って接してくれている。家ではただの親娘だけどね。
「とはいえ我が領内で問題を起こしたことをただ黙って見過ごすわけにもまいりませんな」
「え?」
父の顔つきが急に変化した。それはそうか。いくらアルコ子爵家が悪かったとしてもアルコ子爵にだけ罰を与えればカーザース家臣団から反発があるだろう。それも相手が大身の貴族家ならまだしも直臣とはいえ騎士爵家相手に舐められたとあっては家内の不満が溜まる。俺に対してもそれなりに報いを受けさせなければ丸く収まらないだろう。
「カーン騎士爵家には今後我が領内への立ち入りを一切禁止する。通過も通行も禁止し例外はただ一つ国王陛下の書状を携えている時のみとする。よろしいですな?」
「はい……」
逆らいようもない。こうして俺はカーザース辺境伯領を追放されることになったのだった。




