第五話「勉強ばっかり!」
早いもので俺ももう五歳になった。子供の成長というのは本当に早いものだ。家庭教師がついて二年も経てば皆のことも大体わかってくる。俺の家庭教師についている人達は皆一癖も二癖もある人達ばかりだった。
まず歴史と政策について教えてくれているジークムントは引退した元法服貴族だ。地球とのニュアンスにどの程度違いがあるのか詳しくはわからないけど、プロイス王国では法服貴族とは一言で言えば領地を持たない貴族とでも思えば良い。
官僚として王宮に仕えて実務に携わる者達の中には爵位を持たない者もいる。官僚や政務官だからといって必ずしも貴族が選ばれるとは限らず爵位を持っているわけじゃない。そんな官僚達に領地は与えられないけど身分として貴族位を与えられた者達が法服貴族だ。
まぁジークムントが法服貴族だとか、プロイス王国においての法服貴族がどういうものだというのはこの際いいだろう。それよりも問題なのはジークムントが実際に内政に関わっていたバリバリの元官僚だということだ。
そりゃ父は辺境伯というプロイス王国でも屈指の権力者なんだからそういう人達にも顔が利くのかもしれないけど、たかが三歳の娘の家庭教師に初っ端からそんな人を連れてくるか?普通?
普通なら小学校、中学校、高校、大学と徐々にステップアップしていくものだ。どこの世界に三歳児にいきなり修士課程を教えようとする者がいるっていうんだ?ジークムントの教えは単に教育の範囲に留まらず超実践的というか完全なる実務向けの内容まで含まれている。内政に関わる者にでもなるのでなければ用がないような知識も盛りだくさんだ。
そして何故『歴史』と『内政』がセットになっているのか。これは少し考えれば誰にでもわかることだ。
例えば異世界転移や転生ものの小説で主人公が未発達な社会において資本主義や民主主義を広めて絶賛されてすぐに採用されるというもの。実際にはこんなことはあり得ない。現代地球の先進国に住む者は資本主義や民主主義という政治や経済の形が最も優れていると思いがちだ。だけどそうじゃない。
まずそもそも、その世界の、その時代の、その国の、内政や経済政策がその国なりのものになっているのには理由がある。ある日突然絶対王政や帝国主義が出てくるわけじゃない。自国がそれまで歩んできた積み重ねと周辺国との関係性から必要に応じてその時なりの統治方法や経済政策へと移り変わっていったんだ。
物凄く極端に簡単に言えば通貨も存在しない原始時代にいきなり資本主義だ何だと言っても誰も理解も賛同もしない。そんなの当たり前じゃないかと思うかもしれないけどそうは思わない者が大多数だ。
資本主義を浸透させようと思えばまずは最低限でも通貨が浸透している世界でなければならない。ライトノベルでも通貨は浸透しているじゃないかと思うか?違うだろう?ただ通貨が浸透しているだけでも足りない。信用というものが成り立つ社会でなければ駄目なんだ。
信用が成り立たないからこそ通貨は貴金属で作られている。つまり金貨や銀貨を使っているような社会というのは結局の所物々交換と変わらない。通貨自体に相応の価値があるから交換に応じているだけでありそれは物々交換と同じだ。
証券、株、紙幣といったそのもの自体には物質的価値はないにも関わらずその価値が担保されて保障されている社会でなければ資本主義は発達しない。じゃあ通貨を貨幣から紙幣に換えれば良いじゃないかというような簡単な話じゃない。経済を発達させようと思えばそれを利用する国民一人一人に教養がなければならないからだ。
お金の計算が出来なくても本人が一晩宿に泊まって銀貨一枚なら納得したとしよう。それならば宿の経営者と泊まる客の間で取引が成立して宿に泊まれる。
でも宿一晩五千円ですと言われてお金の計算も出来ない者が一万円差し出してお釣りをもらえなければどうなるか。お金の価値も滅茶苦茶になればお金に対する信用もなくなる。一部の権力者や商人だけでなく一般市民に至るまで大半の者が計算出来なければ紙幣を流通させることは出来ない。
お釣りを貰い損ねた者が悪いで済む話でも、お釣りをちょろまかした宿が悪いという話でもない。この例の本質はお金の価値が貨幣なら物質的に保障されているのに紙幣ではただの信用でしかなく、その信用をどうやって担保し運用するかという問題だ。
そして現代地球の先進国と言われるような国々ですら未だにお釣りの誤魔化しなんてことが起こる。高い教育水準と他者への信用がある日本人なら正確にお釣りがもらえて当たり前。合わなかったとしても間違えたのかなと思うだけだ。だけど途上国どころか欧米等の先進国ですら店員がお釣りをちょろまかすなんて当たり前に起こり得る。
何故ならば教育が不十分でお釣りの計算すら出来ない者が多数いるからだ。ちょっとちょろまかされたって計算が出来なければ合っているかどうかもわからない。現代地球の先進各国ですらそんな状況なのにまともに教育もされていない設定の遅れた異世界でそんなものが成立しようはずもない。
統治体制だって同じだ。急に王様を名乗る者が出てきて絶対王政を敷くなんて出来るわけがない。また現代の民主主義国家の国民が専制政治が悪いと思い込んで他国に対しても民主主義を強要しているだけで民主主義が何の欠点もない最高の統治方法というわけじゃない。
民主主義だって国民の高い教育水準がなければまともに機能もしない。民衆は簡単に扇動されて向かう先を誘導されてしまう。自分は騙されないと思っていても所謂劇場型と言われる政治宣伝に簡単に踊らされて支持したりしなかったりコロコロ変えるのが良い例だろう。
また選挙で選ばれる議員も選ぶ国民も政治も行政も出来ない。結局の所はプロである官僚達が考えて決定しているのであって何十年と政治家をしている議員であっても実際の行政のことなど何一つ理解していないただのド素人に過ぎない。
中近東や中南米、アフリカなどの途上国に共産主義などの独裁国家が多数あるのもその国なりの事情あってのことだ。多数の民族などがいがみ合っている国において力ずくで従える以外に国として纏める方法がないということが多数ある。
それらは何もその国や国民が未開の土人だからというわけじゃない。その国にはそうせざるを得ないだけの歴史の流れと事情があるからそうなっている。自称先進国とやらが民主主義を押し付けたイラクやアフガニスタンやアラブの春が悉く失敗したのは当然だったというわけだ。
帝国主義だって日本では諸悪の根源のように思われているけどそうじゃない。周辺国との競争の中でそうしなければ生き残れない世界だったからこそ自然とそうなっていったんだ。そしてそうなれない国の一部は食われることになった。食われないためには自分が食う側になるしかない。望むと望まぬとに関わらず外圧や周辺国のせいでそういう時代の流れになっていっただけのことだ。
つまり歴史とはその時々においてその国や周辺国がどういう事態に対してどういう対策をとったかの積み重ねが国の歴史というわけだ。だから歴史は先人達の教えと現在そうなっている理由を理解する上で重要なものであり歴史と経済と政治は切り離せない密接な関係がある、ということをジークムントの授業を受けているうちに理解するようになった。
軍略・兵法を教えてくれているレオンも同じだ。もともとはプロイス王国でも屈指の軍略家で数々の戦功を立てた人物らしいけど世渡りと政治は下手だったらしい。政争に利用された挙句に政争に破れて都落ちした所を父に拾われてカーザース辺境伯領へとやってきたそうだ。
兵法でも歴史を習う。ただしレオンに習う歴史は戦争の歴史だ。どのような戦術が発達しどのように対策されて廃れていったのか。地球でも画期的な兵器や戦術が生まれては消えていくのと同じだ。
礼儀作法・マナーのオリーヴィアはその筋では有名な家庭教師だったらしい。王族や高位貴族の娘に礼儀作法を教える有名なやり手の家庭教師。高齢のために引退していたそうだけどどうやってか父が連れて来たようだ。これがまた教えが厳しいこと厳しいこと。
俺なんてこれまで現代日本でまともに礼儀作法も習わずに生きてきたもんだからオリーヴィアには怒られっぱなしだ。二年近く経った今でも全然なってないと怒られる。
普通辺境伯なんて高位の貴族の一人娘なんだから俺はオリーヴィアのような家庭教師の授業を週の大半受けるものだと思う。そのはずなのに何故か俺の礼儀作法の授業は週に一回あるかないか程度だ。
基本的に魔法、政治、兵法を週二日ずつ、残りの一日を礼儀作法、ただしこの礼儀作法の時間に何週かに一度料理の授業を受けるので礼儀作法の授業が減ることがある。
貴族のご令嬢なんだから礼儀作法に加えて歌や踊りや楽器を習ったりするのは当然かもしれない。高位貴族なら料理は料理人に作らせるのが当たり前だから料理を習うのかどうかは微妙かもしれないけど……。
ただ俺が習っている料理は王族や貴族が食べる豪華な料理じゃない。俺が習っているのは野営した時に食う簡素で実践的な料理だ。どの野草が食えるとか、どの肉はどうすれば食えるとか、ちょっと俺が思ってるのと違う。普通はもっと見た目が豪華で華やかな料理を作れるように習うんじゃないのか?これじゃ一般庶民の料理ですらない。俺が習っているのは戦場で緊急時に食うためのような料理だ。
ちなみにどの授業でも授業の前後や休憩中に魔法の練習をさせられている。魔力が切れるまで魔法の練習をして魔力の回復中に授業を受けているみたいな感じだ。
俺の魔力は初めて魔法を使った三歳当時から比べて圧倒的に増えていると思う。実際に数値でわかるわけじゃないからどれくらい増えているかは感覚でしかわからないけど昔なら魔力切れを起こしていたはずの量を使ってもまだ残っているというのがはっきりわかる。
魔力は体力や筋力と同じだと思う。使えば使うほど発達していく。筋肉を鍛えればどんどん筋肉が増していくように魔力も使っていくほどに超回復のようなもので少しずつ増している気がする。そして魔力は周囲のどこにでも存在する。
最初の頃にクリストフがしていたのは目に魔力を集めて周囲の魔力を見る魔法だった。まぁ俺から言わせれば魔法というほどのこともない。ただ魔力を集めて凝視するかのように集中すれば魔法を使うまでもなく出来る。クリストフはその魔法で俺の魔力残量を確認しながら気絶しないように調整しつつ魔力を使わせたり、休憩の間に座学を教えたりしていたというわけだ。
俺もそれとなく目に魔力を集中するのを真似てみた所周囲の魔力が見えるようになった。その結果わかったことは魔力は空気中も地面にもありとあらゆる動植物にも水にも含まれているということだった。魔力の増加や回復に手っ取り早いのは魔力を含んだ物を食べて吸収する方法だ。
生まれたての赤ん坊はほとんど魔力を持っていない。親から譲り受けた分の魔力だけだ。生まれてから魔力の含まれた物を飲食して体に取り込むことによって徐々に魔力が増えていく。ただしそれも無制限に増え続けるわけじゃない。
人間の体が食物を食べることで無制限に成長し続けるわけじゃないように魔力も成長する限度がある。尤も縦には成長する範囲は決まっているけど横に太る分にはかなり上限はないように思えるけど……。それはともかく魔力にも成長の限度があって大人はほとんど魔力が増えることがない。だからこの世界では魔力は増えないものだと思われてきた。
そもそも流石に俺みたいに三歳児が魔法を使うなんてことはまずなくて、仮に赤ん坊や幼児が意識しないまま魔法を使っていたとしても限界量がどうだとか成長がどうだとかは検証しない。だからこの世界での通説が当たり前のこととして受け入れられていた。
でも俺は前世の記憶と知識があるからはっきりとした意思の元で検証を行なった結果魔力量は成長するということを突き止めた。ただし普通に経口摂取で魔力を含んだ物を食べて吸収するだけでは成長量も知れている。
いくら魔力を含んだ物質を食べていると言っても食べ物にはほんの僅かしか魔力なんて含まれていない。さらにその僅かな魔力もほとんどは吸収せずにそのまま排出してしまうので体内に吸収されて残る魔力なんて微々たるものだ。
まぁそれは当然のことであって、食べたら食べただけ魔力が成長するのならこれまでに他の人物に発見されていただろうし人間の魔力量がとんでもないことになっているはずだ。ではどうすれば効率的に魔力量を増やせるのか。
まず最初に誰でも思い浮かぶのが摂取する食物を魔力量の多い物にするということ。もちろんこれも有効であってたくさん摂取すればほとんどを排出しても結果的には吸収量が増える。そしてその吸収だけど意識して吸収量を増やせることがわかった。
ただ無意識に食事をして無意識に排泄していればそれほどでもないけど意識的に魔力を吸収するように体内の魔力を動かしていれば普通に排泄するよりも何倍も何十倍もの効率で魔力を吸収出来た。さらにこれは呼吸でも同じことが言える。
空気中に含まれている魔力を呼吸と一緒に吸い込んで吸収することで魔力の吸収量を増やす。普通の人間が意識せず呼吸していてもほんの僅かに魔力を吸収している。だから休憩すると魔力が回復するというわけだ。もちろん休憩中に腹の中の物を消化吸収しているから回復しているという分が圧倒的多数であって呼吸での吸収量は極僅かでしかない。
でもその呼吸による吸収量を増やせるのならば一呼吸による吸収量は微々たるものであったとしても毎日の積み重ねは馬鹿には出来ない。それから俺が瞑想と呼んでいる方法でも魔力を増やせる。
地球でイメージするような瞑想をして意識を集中して周囲の魔力と自分が一体になるかのように魔力を体中に巡らせる。すると何故か周囲の魔力が体内に取り込まれて増えているような感じがする。どこからどうやって吸収しているのかはわからない。皮膚呼吸の分なのか、本当に魔力だけが何らかの理屈によって俺の体の内外を駆け巡って混ざり合っているのか、その辺りは未解明だ。
ともかく筋トレのように魔力を使うことで魔力を受け入れられる容量を増やし、周囲の魔力を吸収して体内に貯えることで魔力量が増える。それは俺がこの二年ほどで実感した実験結果だ。そのお陰で俺は五歳児にしてはあり得ないほどに魔力が多くなったと思う。
魔力総量がどこまで増えるのかはわからない。個人の資質によって限界が決まっているのか。それとも成長期の間は無制限に魔力総量が増えるのか。とにかく俺はこれ以上魔力が増えないという所までとことん魔力量を増やそうと努力を続けたのだった。