第四百九十八話「何かが起こっている!」
「それで?話というのは?」
少しだけ落ち着いてからテュレンネはコンッデ公に問いかけた。しかしコンッデ公はやや考え込んでからテュレンネに言葉を返した。
「いや……、まずはテュレンネ大元帥の話を聞こう。こちらの話は少々衝撃的なものだ。話すのは後にした方が良いと思う」
「ほう?」
コンッデ公の言葉にテュレンネは片眉を上げる。しかしそれ以上は追及しない。テュレンネにとってはどちらが先でも後でもどうでも良い話だ。今テュレンネの勘には何の危険も感知されていない。例えばここでコンッデ公が兵を伏せていてテュレンネを殺すつもりというような事態にはならないはずだ。
それならば別にどちらの話が先でも後でも同じであり、コンッデ公がテュレンネの話を先に聞きたがっているのは、自分が仕掛けた罠をどうやって逃れたか聞きたいからだろうと納得した。
「それでは私から話そう。まぁ先ほども言ったが大した話ではないんだよ……。私は計画通りにハノーヴァーへの奇襲を成功させ、さらにその余勢を駆ってハーメレンの占拠に成功。ハーメレンで補給しつつ一晩過ごすはずだった」
「ふむ……。ふむ……。ん?『だった』?」
テュレンネの話を聞きながら作戦は順調に進んでいたようだと思っていたコンッデ公は、テュレンネの最後の言葉に首を傾げる。
もし計画通りに進んでいたのなら、警戒の厳しいロッペ侯爵領を北に迂回して後方へと浸透し、敵に見つかることなくまずはハノーヴァーへ奇襲を行なったはずだ。これにより敵はハノーヴァーに損害を受け、防衛に専念するために追撃部隊はすぐには出せない。
そしてそのままハーメレンまで向かってハーメレンにも奇襲を仕掛ける。ヴェルゼル川を盾にして西方面に対しては防衛しているハーメレンも、自分達の領都がある北東方向に対してはそれほど警戒していないだろう。その隙を突いて攻撃すればハーメレンもすぐに占領出来るはずだ。いや、実際にそこまでは出来たとテュレンネも言っている。では何が問題なのか。
「ああ。我々はハノーヴァー、ハーメレンに大損害を与え、ブラウスヴェイグ=ルーネブルグ公爵軍がすぐに動けない状況を作った。また西への伝令を出させずロッペ侯爵領、ヴァルテック侯爵領に奇襲の情報も伝わっていないはずだった……。しかし……、ハーメレンを占領していた我々は謎の勢力によって夜襲を受けて壊滅。私は少数の部下を率いて辛うじて逃れてきた」
「馬鹿な……。ブラウスヴェイグ=ルーネブルグ軍に先制攻撃で損害を与え、ハーメレンで西に対して警戒していれば相当持ち堪えられたはずだ……。それが何故そのようなことに……」
コンッデ公は驚愕に目を見開いていた。それを見てテュレンネは白々しいと内心では思っていた。しかしそれを表に出すほどテュレンネは愚かではない。
今回のテュレンネの動きを知っていた者がいるとすればそれはコンッデ公しかいない。そのコンッデ公がプロイス軍のどこかと繋がっており、テュレンネに手柄だけ挙げさせて情報を流したプロイス軍にテュレンネを討たせようとしたならば全ては辻褄が合う。
実際に作戦は成功しブラウスヴェイグ=ルーネブルグ公爵領には損害を与えている。そのことからコンッデ公が内通しているプロイス軍も一枚岩ではないのだろう。公爵領に損害が出た方が都合が良い他のプロイス貴族もたくさんいる。
コンッデ公はテュレンネに奇襲だけ成功させ、それをプロイス軍の誰かに教えて始末させることで、テュレンネが挙げた功績は全て自分の物にし、邪魔なテュレンネを始末することが出来る。
そしてプロイス軍の内通者もブラウスヴェイグ=ルーネブルグ公爵領に損害が出ることで利益があり、さらにテュレンネを討ち取ることで功績を得ることが出来る。
両者の利益は一致しており協力するのも頷ける。そしてだからこそその相手も探りやすいというものだ。プロイス軍の中でブラウスヴェイグ=ルーネブルグ公爵領に被害が出た方が都合が良い者を探れば良い。そうすれば向こうの相手が誰だかわかる。それがわかればテュレンネの打てる手も増えるというものだ。
そう……。コンッデ公に復讐し、思い知らせてやるために打てる手が……。
本当はテュレンネはハーメレンでの戦いは一切見ていない。直感がすぐに逃げろと伝えてきた瞬間にハーメレンを捨てて逃げ出した。だから本当に夜襲を受けたのか、占領していた部隊が全滅したのかは知らない。しかしそれを見る前に逃げ出したなどと言うはずがない。コンッデ公にはいかにもその場で見ていたかのようにそれらしい作り話を聞かせていた。
「ふぅむ……。そこまで対応されているとなると……、これは本格的に内通者を炙り出さなければならんな……」
「コンッデ公はまだどこかから情報が漏れているとお考えか?」
コンッデ公の呟きにテュレンネが問いかける。真面目な顔をしてコンッデ公はテュレンネを真っ直ぐに見た。
「うむ……。信じ難いことではあるが……、ここまで完全に対応されているとなると……、誰かが情報を流していると見るべきでしょうな……」
何を白々しいことを……、とテュレンネは思ったがそれは表には出さない。いかにも深刻そうだという顔をして頷く。
「前回のことで内通者の炙り出しを徹底し、さらに今回の作戦は徹底的に秘匿したというのに……。敵はこちらの予想より遥かに深い所まで情報を得られるようだ」
それはそうだろう。何しろ情報を流しているのは全ての作戦を一緒に話し合っている目の前の人物なのだ。これだけ詳しい情報を知る者は他に誰もいない。犯人は明らかだというのに未だにとぼけているのが大したものだ。
「それで、コンッデ公のお話というのは?」
もうこれ以上この話で内通者について話し合っていても進展はない。これ以上とぼけているコンッデ公と話していても怒りが湧き上がってくるか、笑いそうになるか、どちらかだろう。だからもうこの話題は良いだろうと次の話題を促す。
「……こちらはさらに悪い知らせだ。実は……、ホーラント王国南西に展開していた本隊との連絡が取れなくなった。恐らく……」
「――ッ!?」
コンッデ公の言葉にテュレンネは立ち上がっていた。
「馬鹿なっ!?ホーラント王国南西に展開していたのは主力軍二万数千だ!それが伝令を出す暇もなく全滅したとでも言うのか!?そもそもあそこはホーラント王国が苦し紛れに水浸しにして対峙していただけだろう!それが何故伝令を出す暇もなく全滅するというのだ!?」
テュレンネが別行動をする前までに聞いていた情報はその通りだ。そもそもホーラント王国がフラシア王国の侵攻を食い止めるために洪水を起こしてこちらの進軍を食い止めていたからこそ、テュレンネとコンッデ公は別働隊を率いてホーラント王国東側から挟撃しようとしていたのだ。
それなのに……、その圧倒的劣勢で自国の国土を洪水で水浸しにしてでも足止めをするのが精一杯だったホーラント王国戦線で、フラシア軍の主力が全滅するなど考えられない。一体何が起こればそんなことになるというのか。
「だが事実だ。一切連絡が取れない上に敗残兵が戻ってこないので何があったのか詳しいことはわからないが……、ホーラント王国南西部の占領地は次々にホーラント王国に奪還され、すでに大きく前進されている。こちらの主力軍とは連絡が取れず、ホーラント王国が失地の奪還に成功しているということは……、主力軍はもう機能していないだろう」
「…………」
あまりの言葉に……、テュレンネは何か言おうとして、やはり何も言えずに黙って椅子に崩れ落ちるように座った。
ホーラント王国南西部に展開していたフラシア軍主力部隊は、それだけでホーラント王国を制圧出来るような精鋭部隊だった。もしあの洪水による足止めがなければ今頃はホーラント王国の北東の端まで進撃し、全てを蹂躙していたことだろう。その精鋭主力部隊が伝令も出す暇もなく全滅したなど考えられない。
一体何が起こればそんな事態になるというのか……。それはもうコンッデ公が敵に内通しているとかそんな話ではない。例え内通していようが、全ての動きや作戦を知らされていようが、二万数千の精鋭が誰一人戻ってこないなどあり得ない事態なのだ。あまりに非常識すぎる。テュレンネの頭がそれを理解することを拒否する。
「馬鹿な……。一体……、一体何が起こればそのような事態になるというのだ!ホーラント王国が全軍を率いて反撃に打って出て、仮に、万が一我が軍が敗れたのだとしても!誰一人戻らないなどあり得ない!こんなことが……」
声を荒げたテュレンネは……、しかし最後まで言うことは出来ずに力をなくしてダランと椅子にもたれかかった。
「気持ちはわかる。連絡が途絶えてからずっと調査中だがすでにホーラント軍によって主力軍がいた方面へは出られないようになっている。最早こちらからは何の情報も得られない状況だ」
何かが起きている。この戦場で……。あり得ない何かが起こっている。常識では考えられない。誰かが情報を流しているとか、内通者がいるとか、そんな生易しいことではないのだ。
よくよく考えてみれば、ハーメレンに侵攻したテュレンネの部隊千が誰一人戻ってこないのもおかしい。いくら奇襲を受けたとしても、こちらの動きが知らされていたとしても、何故誰一人戻ることもなく千もの部隊が消えているのか。その説明が出来ない。
普通ならば……、いくらかは敗残兵が脱出して連絡してくるはずだ。生き残っても原隊に戻ってくるとは限らない。確かに敗残兵はそのまま行方を眩ませる者も多い。しかし全員ではない。中には貴族などもいるのだ。傭兵ならそのまま逃げ出す者もいるが、家に戻るために報告に戻ってくる貴族は多い。
「何かいる……」
「ん?」
テュレンネの呟きに、コンッデ公はこの部屋に何かいるのかと思って辺りを見回してから首を傾げた。
「この戦場には……、我々には得体の知れない何かが……、異質な存在がいる!でなければ……、でなければあり得ない!ここまでの事態が全ておかしい!こんな……、こんなことが!あるはずがない!」
「ふむ……」
テュレンネの言葉に、コンッデ公も少しだけ顎を触ってから頷いた。確かにそうだ。今回の戦争はあまりに何かがおかしい。戦争に百戦百勝はあり得ない。損害を蒙ることもあるだろう。思わぬ失敗をすることもあるだろう。敵が思った以上に強力であることもある。しかし今回は何かがおかしい。
ホーラント王国に侵攻し、南西地域を順調に占領していた頃は何もなかった。当然の結果が起こるだけだった。フラシア王国とホーラント王国の国力差、戦力差、それから奇襲によるホーラント王国の防衛線の突破。これらによって一気に南西地域を駆け抜け、ホーラント王国の王都も目前という所まで攻め込んだ。これは当然の結果だ。
優秀なフラシア王国の軍人、参謀、将軍達が意見を出し、事前に何度も演習を行い、誰もがこうなると確信し、そして実際にそうなった。それは何もおかしなことではない。
ホーラント軍が洪水を起こし、南西方面の戦線が停滞してからだ。それから何もかもおかしくなった。南西方面からの侵攻が不可能になり、東に迂回して挟撃しようと行動を開始してから……、あまりに何もかもがおかしくなった。
「…………」
コンッデ公は考える。テュレンネ大元帥が別行動を取るたびにおかしなことが起こる。そもそもホーラント王国の東に迂回して南西と東の両側から挟撃すればそれでよかったのではないか?何故わざわざプロイス王国を攻撃する必要があった?
そのために別働隊はさらに軍を分けることになり、ホーラント王国への攻撃も遅れることになった。さらにテュレンネの別働隊はプロイス王国で半分以下になったと言われ、さらにブラウスヴェイグ=ルーネブルグ公爵領攻撃に出向いた千の兵もいなくなったという。これは何かおかしいのではないか?
最初からプロイス王国に攻撃せず、別働隊全軍でホーラント王国をすぐに攻撃していれば……、今頃ホーラント王国は落ちていたかもしれない。それを思うとテュレンネの行動は何かおかしい。
しかもテュレンネが離れている間に南西の主力部隊が恐らく壊滅したのだ。何故テュレンネが不在の時にあちこちでそんな大損害を受けることばかり起こるのか。いや、本当に大損害を受けているのか?その兵達はどこかへ、そう……、プロイス王国やホーラント王国に渡ったのではないのか?
もし……、テュレンネ大元帥がフラシア王国を裏切り、ホーラント王国やプロイス王国にフラシア王国の作戦を流し、さらに子飼いの部隊を向こうにつけているのだとすれば……、全て説明がつく。
南西に展開していた主力軍のうちのかなりの部分はテュレンネの子飼いの部隊だ。その部隊が裏切り、突然残りのフラシア軍に背後から攻撃を仕掛ければ……、誰も伝令を出す暇もなく全滅もしくは大量の捕虜を出すことも頷ける。
テュレンネは丁度その間こちらの軍を不在にしていた。もし……、テュレンネがブラウスヴェイグ=ルーネブルグ公爵領を攻撃に行くと嘘をついて、南西方面の子飼いの部隊を指揮し、フラシア軍を攻撃していたのだとすれば……、このままテュレンネを無条件に信じておくのは危険だ。
しかし……、とコンッデ公は思う。テュレンネは仮にもフラシア軍の大元帥にまで上り詰めた男だ。それほどの地位と名誉を得たにも関わらず何故わざわざフラシア軍を裏切らなければならないのか。それがわからないことには下手なことは言えない。何か手を打つにしてもテュレンネの背後関係を洗う必要がある。コンッデ公はそう考えた。
「うぐぐっ!」
テュレンネは考える。ここまでの不可解な事態は内通者がどうとか、こちらの作戦の失敗とか、そんな単純で簡単な理由では説明がつかない。コンッデ公が敵に情報を流している可能性は高い。それを調べる必要はある。しかしそれだけでは不十分だ。それだけに固執していては敗戦だけではなく、自分まで命を落とすことになる。
この戦場には化物がいる……。テュレンネが今まで出会ったこともないような異質な化物が……。
その化物の正体を掴まないことには、この戦争に勝てないどころか……、やがて致命的な敗戦で死んでしまう。他の誰が死のうが知ったことではない。しかし……、テュレンネは自分が生き残るために今まで使ったことがないほどに脳を酷使してこの状況を打開する策を考えていたのだった。




