第四百九十七話「暗躍!」
ドスドスとやってきたエルンスト・フォン・ブラウスヴェイグ=ルーネブルグ公爵を見てその場の空気が固まった。応募者達は公爵を恐れてかやや隠れているくらいだ。何人かこの場を立ち去ろうとしている者もいる。
「『どういうこと』とはどういうことでしょうか?」
俺はわけがわからないという感じで肩を竦めて両手を上げる。それを見て馬鹿にされたと思ったのか公爵がさらに怒り出した。
「どういうことだと?貴様!我が領民をかどわかし連れ去ろうとしているではないか!これはプロイス王国の法に反する!犯罪行為だぞ!」
まぁ確かに無理やり連れ去ったり、騙して連れていけば犯罪だな。それはプロイス王国でも現代日本でも変わらない。それはその通りだけど……。
「随分人聞きの悪いことをおっしゃられる……。私は正当な手順と手続きに則って移民と労働者を募集しているだけです。これはプロイス王国の法で保障された正当なる権利ですよ?公爵閣下が領民達に労役を課せるのと同じように、私がこのような募集を行なうこともまた保障された権利です。まさか公爵閣下ともあろうお方が御存知ないとは言われませんよね?」
この手の貴族はいちいちプロイス王国の法典なんて読んでないだろうけど……。それでも領主の知識を補い政策を決めるブレーン達はいるはずだろう。そういう連中が知らないなんてことはあり得ない。
「…………」
「……ふむ。……ふむ」
やはりと言うべきか、一緒に来た文官らしき者が公爵に耳打ちしている。本当にそういうものがあるかどうか説明しているんだろう。もちろん俺は全てのプロイス王国の法典を読んでいるから把握している。各地方の領主達が勝手に定めている法まで全て網羅しているわけじゃないけど、プロイス貴族として最低限知らなければならないことは記憶しているからな。
「…………なるほどな。カーン侯爵!確かに貴様が移民募集や労働者募集をする権利はある!しかし今は戦時であり領主たる私が徴用している者を貴様が連れて行くことは出来ない!そうだな?ふふんっ!まさか……、その程度のことも知らぬわけではあるまい?」
おー、おー……。隣の内政官か何かの担当官か、そいつに教えてもらった反論を得意げにまぁ……。
「ほう?今、戦時徴用とおっしゃられましたね?それはおかしいですねぇ……。私はきちんと確認しましたが彼らは平時の労役として駆り出されておりましたよ?正式な書類も確認しております。そしてただの労役であるならばその間の移民や出稼ぎも可能なはずです。もし……、戦時徴用であるにも関わらず通常の労役として動員したのであれば……、それは法に触れますね?どういうことでしょうか?公爵閣下?」
「う?ぬ?」
「…………」
また後ろの文官に何かを吹き込まれている。口は災いの元だったな、公爵。
戦時徴用は国家に認められた正当な権利であってそれも否定しない。ただし労役と戦時徴用は別のものであり明確に分けられている。両者を混用することは犯罪だ。
戦時徴用は労役よりもさらに強い権限があり国民、領民に完全に強制することが出来る。そのためそう簡単に乱用して良いものではなく、しかも他の権利や権限と混用することも許されない。
だいたいただの労役として駆り出されたのに戦場のど真ん中で要塞を建てろと言われたら、それは労役の範疇を遥かに超えているだろう?それを強制しようと思ったら戦時徴用で命令しなければならない。労役だと偽って戦時徴用と同じ仕事をさせることは罪となる。
そして平時の労役であるならば、例えば公爵がハノーヴァーの住民に町の再建を労役として課したとしよう。住民達はその命令が不服なら移住でも移民でもして構わない。出稼ぎだと言って出て行っても罪には問われない。まぁこれは本来そういう法があるわけじゃないんだけど、あることのためにそれが抜け道として残っている。
ハノーヴァーの住民に労役を課したとして、ある行商が戸籍や住所はハノーヴァーにあるけど現時点で王都ベルンに行商に出ていたとしたらどうだろうか?領主の労役を拒否したから犯罪だ!罰を与えてやる!と言われても行商にはどうしようもないだろう。これは何も行商に限らず出稼ぎ労働者達だって同じ話だ。
だから労役で召集しようとして戸籍にある者を呼び出しても応じなかったからといっても、その時に町にいない者に関してはそれを理由に罪に問うことは出来ない。
これは移住や移民も含まれる。今日引っ越そうと思っていたのに、労役を課されるからといって引っ越しを邪魔されては生活に支障をきたすだろう。だから引っ越す者もきちんと手続きを踏めば労役の召集から逃れることが出来る。
今俺がやってるのはまさにこれだ。これを悪用すれば労役から何の罰も受けずに逃れることが出来る。
さっきの例でハノーヴァーの住民に労役が課されてそれが気に入らなければ、その日のうちにハーメレンまで引っ越すことにして出て行けば堂々と労役を逃れられる。ただし個人でこれをするのは難しい。ハーメレンまで逃れても今度はハーメレンで労役を課されるかもしれない。その度に引っ越して逃げるというのは現実的じゃない。
それに引っ越した先で周囲と馴染めないとやっていけないのがこの村社会の時代だ。ただ労役から逃れたいからというだけで頻繁にあちこちに引っ越してまともにやっていけるとは思えない。だからこそこの抜け道は大きな問題にならずにそのままにされている。
実際にこれらの抜け道は行商や出稼ぎ労働者など、戸籍のある場所と普段いる場所が違う者のためのものであり、それを利用して労役を逃れようなんて者は滅多にいない。たまにいても極少数でありそれほど問題にならなかったというわけだ。俺はそれを大々的に逆手に取って利用しようとしているわけだけどな。
そして公爵が言ったように、もし公爵が戦時徴用を行なっていたのならこれは通じなかった。戦時徴用ならば強制力を持ってそういう者達も召集することが出来る。行商や出稼ぎに出ていても戻ってこいと命令されるし、今日引っ越しするんですと言っても徴用が終わるまでは駄目だと言われる。
だからこそ戦時徴用と労役はきちんとわけられているべきであり、労役の要請しかしていないのに徴用と同じ強制力を持たせることは出来ない。
それを今文官から聞かされているんだろう。次第に公爵の顔が真っ赤に染まり始めた。
「何か手はないのか!?」
「……」
文官は首を振る。それはそうだろう。こちらはきちんと対策を考えて行動している。向こうが今突然思いつくような対抗手段があればとっくにそれも対策済みだ。
「カーン侯爵ぅ~~~~っ!許さん!許さんぞ!散々この私をコケにしおって!この若造が!」
ドカドカと俺に公爵が近づいてくる。頭に血が昇って完全にハノーヴァーでのことを忘れているらしい。とりあえず向こうから先に手を出してくれるまでは待っておこう。
「このぉっ!」
公爵が腰の剣を抜いて振りかぶる。何か微笑ましいな。動きも何もかもなっちゃいない。これならまだ子供のチャンバラごっこの方が威力がありそうだ。
「許さない?許さないのはこちらの方だ」
「ぐあっ!ぎゃぁっ!痛い痛い!はっ、はなせ!はなしてくれぇ!」
俺に向かって振り下ろしてきた腕を掴む。それなりの力を込めて握ったら剣を落とした公爵が泣き出した。本当に情けない……。これが大の大人で貴族なのか?
「この戦時協力協定に従って移民と出稼ぎ労働者を要請する。エルンスト公爵、貴方に断る権限はない。あぁ……、それから私に斬り掛かってきたことだが、これだけ証人がいるんだ。然るべき場所で然るべき処分を受けてもらう」
「うむ。私も確かに見た。その際はこのヘルマン・フォン・ロッペもロッペ侯爵の名にかけて証言しよう」
他にもこの場にいる領民達や三軍の将兵達。それに公爵の文官達もいる。言い逃れは不可能だ。
「ひぃっ!ひぃっ!わっ、わかったからはなしてくれぇっ!」
「――ッ!」
しょわわ~~~っと……、公爵の股間が濡れてきた。それに気付いた俺は慌てて手を放して距離を取る。この公爵……、わかっててやってるんじゃないだろうな?あれをされると俺はもう公爵に近づく気がしなくなる。
殺すだけなら遠距離から何かぶつけるなり、魔法を打ち込むなりすればいいけど、まさかここで堂々と俺が公爵を殺すわけにもいかない。殺すつもりがないこちらとしてはあのお漏らしをされたらお手上げだ。最強の防衛手段だよ……。
「え~……、そういうわけで移民、出稼ぎ労働者希望の諸君、ブラウスヴェイグ=ルーネブルグ公爵から正式に許可が下りたことは見ていたと思う。これで何の心配もないことはわかっただろう。存分に移民、労働者募集に応募してくれ」
ワッと集まっていた領民達から声が上がった。公爵が来て心配していた者達もいたんだろう。でもこれで心配ないとわかってさらに応募者が殺到することになった。結果的には公爵が自爆してくれたお陰でより良い形になったと思う。
~~~~~~~
出立前にちょっと視察に行くだけのつもりが大事になってしまったものだ。ともかくこれで移民、労働者募集はうまくいったわけだけど……、これで終わりというわけじゃない。
「西方の前線に展開しているカーン軍から食料や物資をハノーヴァーとハーメレンに輸送しろ」
「はっ」
俺の指示を受けて担当者達が計画を練る。大雑把に指示するだけで細かい実務をしてくれるから楽なものだ。
「よろしいのですの?」
でも一人、アレクサンドラが心配そうに聞いてきた。公爵と戦時協力協定を結んだように、本来ならこのブラウスヴェイグ=ルーネブルグ領の方から俺達前線に向かって資金や物資の支援をしてもらうものだろう。それなのに何故俺が前線の物資をわざわざ後方であるこちらに持ってこさせるのか。
「ああ。良いんだ。ハノーヴァーとハーメレンの住民達にカーン・カーザース・ロッペ・ヴァルテック各家からの支援だと大々的に宣伝して配ってやるといい。それから職人や労働者も手配して町の復旧作業を手伝ってやれ」
「はっ!」
さっきの命令に加えて職人や労働者の手配が加わったからさらに彼らの仕事が増えてしまった。せめて最初に言ってあげればよかったかな……。
「いくらまだ余裕があるとは言ってもカーン軍も物資や労働力は足りておりませんよ?」
副丞相であるアレクサンドラの懸念もわかる。でもこれはとても大事なことだ。そう……、とてもとても大事な……。
「戦争というのは何も前線で兵士が槍で突き合うだけが戦争じゃない。戦争は終わった後の展望がなければしてはいけない。そしてまだ前の戦争が続いていると思っている時にはもう次の戦争は始まっている。今後の展望、次の戦争に備えた行動をしなければならない。わかるか?」
じっとアレクサンドラを見詰める。アレクサンドラは少しだけ腕を組んで顎に片手を当てて考えていた。
「ハノーヴァーとハーメレンの住民を手懐けて……、はっ!?まさか……、奪うおつもりですの?ハノーヴァーとハーメレンを?」
うん。まぁ惜しい。
「もらうのはハノーヴァーとハーメレンだけじゃない。ブラウスヴェイグ=ルーネブルグ公爵領全てをいただく。そのためには今から布石を打っておく必要がある。戦争が終わってから論功行賞で争うようでは遅い。戦後の争いは、次の戦争はもう始まっている」
「「「…………」」」
あるぇ?外したかな?ちょっと格好付けて言ったのに……、何か静まり返ってしまった。俺もしかして恥ずかしい奴?痛い奴?あれか?厨二病か?厨二病と思われたのか?
「さすがですわね……。私ではそこまで考え付きませんでしたわ……」
「さすがはカーン侯爵閣下です!」
お?お?何か急に持ち上げられた?でもそれって完全に滑って静まり返ってしまったからフォローしてくれてるだけなんじゃ?俺ってやっぱり痛い奴だったのか!いやぁ~~~っ!恥ずかしいぃ~~~っ!
「んんっ!あ~……、まぁそういうわけだから、今から色々と仕掛けておくぞ。ブラウスヴェイグ=ルーネブルグ公爵領を頂くための布石をな」
「「「はいっ!」」」
うん……。まぁ……、痛い奴だと思われてしまったものはもう仕方がない。それに公爵領を頂くことに変わりはない。エルンスト・フォン・ブラウスヴェイグ=ルーネブルグ公爵……、あいつは駄目だ。ああいう貴族がのさばっている限りはプロイス王国に未来はない。この戦争にかこつけて……、エルンスト公爵にも消えてもらおう。
別に俺が直接殺そうとは思っていないけど……、あの短慮で短気な公爵のことだ……。最後は武力で俺に突っかかってきて討ち死にとかになりそうな気がしないでもないなぁ……。




