第四百九十三話「影武者!」
ハーメレン奪還作戦の時、カーン軍はかなり細かく分かれて行動していた。それはフロト・フォン・カーンが知らせてくる笛の合図を他の軍の者達は聞き分けられないからだ。
カーン軍全体ではないが、一部にはフロトの発案により笛での会話が教え込まれていた。フロトが言うには、一部の地域では口笛で会話出来るような地域も存在し、それを参考にカーン領で新しく開発された笛による会話が試されていたのだ。
もちろんまだ日常会話のように何でも全て通じるというほど汎用性が高いものではなく、現段階ではある程度の決まった合図があるだけというようなものでしかない。軍楽隊による全体への合図よりは少し踏み込んで細かい内容を伝えることが出来る程度だ。
それでも今回はその笛の音を頼りに町中に入り込んでいる敵兵を始末していかなければならない。他の軍ではその笛の音の指示が理解出来ないので、各軍の分かれた部隊にそれぞれカーン軍の笛が理解出来る者がついていき、笛の指示を伝えて敵を始末することになっていた。
笛の音の意味がわかる者が分散して残りの二軍の部隊に付いて行ったためにカーン軍はほとんどバラけた状態であり、一部の本隊を除いて一班に一人いる程度になっていた。
本隊にはフロトのお嫁さん達が集中的に集まっていたが、全体の指揮も執らなければならないために本隊はやや後方であり、敵に発見されて乱戦になるまでは後方待機が続いていた。途中で敵の笛がピーピーと鳴り、こちらが発見されてしまったことがフロトの笛で知らされた。
敵に見つかったのならばもう隠れている意味はない。全力を持って残った敵を排除するのみだと本隊も前進を開始した。そしてほとんど全ての敵を排除した頃、フロトのお嫁さん達は路上でフラフラしているフロトを発見した。
慌てて駆け寄りその様子を見てみれば、真っ直ぐ立っていられないほどにフラフラになっており、鼻血を垂らしていた。笛を取り上げて道化のような仮面を外してみれば、目も虚ろで真っ赤に充血しておりかなり危険な状態に見えた。
作戦はほぼ成功し、残りはまだ潜んでいるかもしれない残党狩りに移っている。無理やりにでもフロトを止めようとしたお嫁さん達だったが、そんなことをする必要もなくフロトは気を失った。誰にも見られないようにフロトに再び仮面をしてからこっそり匿ったお嫁さん達は顔を突き合わせていた。
「まったく!フロトはどんな無茶をしたのよ!」
「このようなことになるのなら……、お任せするのではありませんでしたわ……」
「フロト……、大丈夫だよね?」
ハーメレンの中でもそこそこ立派で被害の少なかった建物を本陣として接収したカーン軍は秘密裏にフロトを運び込み手当てしていた。ロッペ侯爵はもちろん、ブラウスヴェイグ=ルーネブルグ公爵には絶対に今のフロトの状態を知られるわけにはいかない。
カーン軍だけでその治療と介護を行なっているが、こういうことに一番長けているフロト本人がこのような状態ではどうしようもない。原因も治療法もわからず、実質的にはただ安静にして寝かせているだけの状態だ。それをお嫁さん達が取り囲み見守っているだけだった。
「フローラ様がお目覚めになられるまではこのことは残る二軍に知られるわけにはまいりません。……影武者を立てましょう」
「「「「影武者?」」」」」
カタリーナの提案でフロト不在を誤魔化すために影武者がたてられることになった。体型的に一番近いとすればアレクサンドラかルイーザということになる。クラウディアは背が高過ぎる。そしてクラウディアとミコトはある部分が小さい。フロトはブカブカの服を着て誤魔化しているが、それでも膨らみ方の違いというものが出てしまう。ある程度体格が似ている者である必要がある。
「ですがまったく会話しないというのも無理でしょう?私達では声がまるで違いますわ」
「フロトの魔法の真似が出来たらいいんだけど……」
確かに普段から仮面に外套で姿を隠しているから影武者は用意しやすい。しかし声だけはどうしようもない。フロトは魔法で声を変えている。振動がどうとか、音の伝わりがどうとか魔法の説明をしていたがミコトでも意味がわからなかった。
魔法は使う本人が効果を理解していなければうまく使えない。使う本人の知識と理解力、そしてその効果を発現するために必要なことを想像出来てこそ効果を発揮するものだ。現実に存在する火や水を想像して魔法を使うことも出来るが、化学反応や現象を理解して発動させる方がより効率的に、効果的に魔法を使うことが出来る。
フロトの魔法は軽く説明されてもミコトですら理解不能なことが多く、本人が理解出来ていないことは魔法として成立させることは出来ない。ただ声色を変えたいと願ったからと変えられるものではなく、空気の振動の波長によって音の高低を変えて声を変えるという理屈がわからなければ魔法の使いようもない。
「えっと……、いつもフロトの声はこんな感じかな?」
「えっ!?ルイーザ!?」
「貴女フロトの魔法が使えますの!?」
急に、いつも声を変えている時のフロトの声が聞こえて全員が驚く。
「うん。私は昔フロトに魔法を教えてもらってた時に色々とこういうことも教わってたんだ。だからフロトが使ってる魔法も何となくわかるものがあるよ。この魔法もそう」
フロトとルイーザがカーザース領で、二人っきりで勉強をしていた頃、フロトはルイーザに魔法の知識だけではなく簡単な科学知識なども教えていた。そのお陰でルイーザはこの世界ではあり得ないほどに科学知識に精通している。フロトが科学知識に基づいて使っている魔法の一部はルイーザには理解出来ていた。
「ちょっと!どういうことよ!どうして私にはそれを教えてくれてなかったの!ルイーザだけずるいじゃない!」
すぐにミコトが怒って声を上げたが……。
「フロトはミコトにも教えようとしてたって言ってたよ?でもミコトはちょっとわからないことがあるとすぐに『私は実践派だからいいのよ!』って言って放置してたって……」
「…………」
「「「…………」」」
痛い沈黙が訪れる。ミコトももちろん勉強していないわけではない。フロトに教えられた科学知識もそれなりに理解している。しかし理解出来ないことにぶち当たり躓くと先ほどルイーザが言ったようなことを言って投げ出してしまうことが多々あった。
覚えたい魔法などがあり、そのために必要な知識であれば一生懸命勉強して理解しようとするが、何の役に立つかわからない科学知識についてはあまり熱心に勉強してこなかった。ルイーザとの差はそこであり、魔力量や魔法の技量ではミコトが上でも、こういった知識や魔法の効率に関してはルイーザの方が秀でている。
「それでは影武者は決定しましたね」
「任せたわよルイーザ!」
「え?あっ……」
ようやく……、自分が何をしなければならないか気付いたルイーザは一瞬で青褪めた。
「まっ、待って……。無理だよ……。私にフロトの代わりなんて……」
「他に手段はありませんわ」
「多少の失敗ならフロトが起きてからどうにかなるから!まずはこの危機を乗り切るんだ!」
「ひぃ~~っ!」
ジリジリと迫ってくる他のお嫁さん達に、後ずさるルイーザだったが、早々に捕まってフロトの影武者に仕立て上げられたのだった。
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作戦終了後、残党狩りもほぼ終わり、現在は各軍による巡回と被害を受けた町の復旧作業が行なわれていた。接収した公館で三軍の将が集まり話し合いの場がもたれていた。
「まずはハーメレン奪還が無事成功して何よりでしたな。カーン卿の働きと手腕は見事なものでした。町にもあれ以上被害を出さずに片付けられたのは全てカーン卿のお陰です」
「…………」
ヘルマンがフロトに話しかけてもフロトはぼへ~っとしていた。もちろん仮面のために顔は見えないがまるで他人事のようにぼーっとしているというのはわかる。
「カーン卿?」
「(フロトッ!)」
「あっ!はい!ありがとうございます!」
隣に座る細身の、まるで女性のような騎士に肘打ちされたフロトはようやく慌てて返事をした。
「……カーン卿、大丈夫ですか?」
「はい!大丈夫です!」
何やら様子のおかしいフロトにヘルマンは首を傾げるが、本人が大丈夫だと言っているのならそれ以上何か言うほどでもない。少し気になったが会議を続ける。
「それでは今回の功績はカーン卿とカーン軍が七割、我が軍が二割、ブラウスヴェイグ=ルーネブルグ軍が一割ということでよろしいな?」
「なっ!?わっ、我が軍は二百もの兵を連れてきたのだぞ!それに多くの敵兵を討ち取った!我が軍が一割などと……」
ヘルマンの言葉に公爵自身や公爵軍幹部達が慌てる。しかしジロリとヘルマンに睨まれて黙り込んだ。
「数がいれば良いというものでもないでしょう。カーン卿の支援がなければブラウスヴェイグ=ルーネブルグ軍ではハーメレンも取り返せず、敵も逃がしていたことでしょう。ほとんど損害なくこれだけの戦果を挙げられただけでも御の字のはず。その上他人の手柄まで奪おうとでも?」
「うぅ……」
公爵軍は立場が弱い。実際に何百もの兵が常駐しているハノーヴァーもハーメレンも、まともに相手に損害を与えることも出来ずに大損害を蒙っているのだ。もしカーン軍、ロッペ軍の支援がなければ未だに町を取り返すどころか、まともに手を打つことも出来ていなかっただろう。
「それともまたカーン卿にお灸を据えてもらいたいとでも?」
「ひぃっ!」
ヘルマンがそう言いながらチラリとフロトの方を見る。すでに公爵は悲鳴を上げているが、ここでもう一押しフロトが脅しでもかければ今回の論功行賞は決定的となっただろう。しかし……。
「そうですねぇ……。フロトなら何か怖いことでも言って脅すでしょうね」
「……は?」
「あっ……」
ロッペ領の森の中で会ってから、ハノーヴァーへ出向き、ハーメレン奪還作戦を実行するまで、たったこれだけの付き合いでもヘルマンはフロトという人物がどういう人物かわかった。いや、わかったはずだった。わかったつもりになっていた。
これまでの行動力、決断力、そして頭の回転の速さ……。智勇に富み、権謀術数に長け、優れた指揮能力と用兵術を持つ稀代の名将。
そうだった。この作戦が実行されて成功を収めるまでは……、間違いなくそうだった。百年に一人の英雄、そんな人物と共に戦っている。そう思っていた。
しかし……、何だか今はイマイチ締まらない。のほほんとしているというか、緩いというか……。
全てわかった気になっていた。だが人のことなど全てわかった気になることの方がおこがましいのだ。何十年と連れ添った夫婦ですら相手のことなど本当の意味で全てを理解しているわけではない。ましてや一晩二晩一緒に作戦を行なっただけで相手のことなど全てわかろうはずもない。
「ふっ……。カーン卿は大変な指揮を執られてお疲れのようだ。ブラウスヴェイグ=ルーネブルグ公、今夜、いや、もう朝か。一先ず今は休むことにしましょう。我々も徹夜明けで疲れている。一度冷静になって話し合った方がよかろう。それで良いですかな?カーン卿」
「あっ、はい……」
「うっ、うむっ!それではこれで失礼する!」
ブラウスヴェイグ=ルーネブルグ公爵は逃げるように会議室を出て行った。もちろん勝手にハノーヴァーへ逃げ帰らないようにロッペ軍に監視させているので、このまま黙って逃げ帰るということは出来ない。実際この後逃げ出そうとしていた公爵が捕まるという事件が起こるがそれはまだ先の話だ。
「お疲れのところを長々と引き止めてしまって申し訳ない。カーン卿もゆっくり休まれるがよかろう」
「はい。ありがとうございます。それでは失礼します」
ペコペコと頭を下げたフロトが出て行き、会議はお開きとなった。残っていた他の将達も散っていく中でヘルマンはフロト・フォン・カーンについて考える。
確かにその卓越した能力は目を見張るものがある。しかしヘルマンがこれまでほとんど会ったこともなかったフロト・フォン・カーンを信用し信頼しているのは……、その人柄のためだ。
昔は仲の良かったジーモンとエンマがある時を境に随分と二人の関係が変わってしまった。その原因がバイエン公爵家とその娘であることをヘルマンは薄々気付いていた。しかし気付いたからといってどうにもすることなど出来ない。バイエン公爵家に逆らうことなど出来るはずもなければそんなことをしている暇もない。
幼い頃はヴァルテック侯爵家の飛び地に遊びに来ていたエンマとジーモンはよく一緒に遊んでいた。この二人は将来結婚するだろうとヘルマンも思っていたのに……、バイエン家のご令嬢のためにそれはなくなったと思った。エンマも随分意地の悪い顔に育ち、言動も高慢で鼻持ちならないお嬢様へと育ってしまっていた。
ロッペ家とヴァルテック家は飛び地とはいえ隣接する親しい間柄にあり、双方の両親とも二人の結婚を真剣に考えていたというのに……、もう完全に、絶対にどうしようもないほどにジーモンとエンマの仲は壊れてしまったと思っていた。しかし……、その二人の仲が突然直ったのだ。
また昔のように、いや、昔よりも遥かに仲睦まじくなった二人はもう絶対に結婚する。それは両家の親が反対しても、家を捨てて飛び出してでも結婚するつもりだろう。二人の仲を見ていればそれくらいはわかる。
何故突然そんなことになったのか。二人が何故和解して再び良い仲になれたのか。ジーモンからそれを聞いた時、ヘルマンはそれを成した人物、フローラ・シャルロッテ・フォン・カーザース、フロト・フォン・カーンという人物に感謝した。そして大きな興味を持った。
それからはジーモンにフローラ、フロトの話を聞き、時にはエンマからも話を聞いた。二人がフローラの話をしている時、その表情はとても穏やかで感謝しているのがわかった。また調べれば調べるほどフローラ、フロトのとんでもない業績、偉業が次々に出て来る。
ただカーザース家の娘だから、あっという間に侯爵にまで出世したカーン家の当主だからではない。フローラ、フロトの成したこと。関わった人達の評価、評判、そういったもの全てを含めてヘルマンはフロトを信用することにした。その人柄に惹かれたのだ。
「あれだけしっかりしているとジーモンと同級生だということを忘れてしまいそうになるが……、これだけのことをすれば疲れもするだろう。あるいは……、案外あれが本来の姿なのかもしれんな……。今はゆっくり休まれよ」
ふっと、親が子供を慈しむような顔になったヘルマンも最後に席を立ち、会議室は誰もいない静かな姿へと戻ったのだった。




