第四十九話「仲直り!」
娘アレクサンドラと並んで座るフロト・フォン・カーンという少女を見ながらガブリエラは手紙を出す前のことを思い出す。
………………
…………
……
「ニコラウス!今の話もっと詳しく聞かせなさい!」
あまりに身勝手なことをいうニコラウスに滅多に怒らないガブリエラはついに怒り激しく問い詰めた。そして聞き出したのはあまりに理不尽な夫の行動だった。
「あなた……、あなたそれ本気で言っているの?」
いたって真面目な顔で言い切る夫に軽く眩暈を覚えたガブリエラは一瞬怒りも忘れて哀れにすら思った。
「当然だ!私のどこがおかしいというのだ!」
あぁ……、きっとこの人も昔父親辺りに同じような仕打ちを受けたのだろう。だからこれが当たり前だと、そうでなければならないと思いこむようになってしまったのだ。
「あなた……、アレクサンドラはとても良くやっています。それこそ十歳の子供とは思えないほどに立派にリンガーブルク家の娘として頑張っているのです。アレクサンドラに友達が出来ないのも社交界で爪弾きにされているのもアレクサンドラに問題があるからではありません。リンガーブルク家の娘だから最初は近寄って来た者達もアレクサンドラがリンガーブルク家の娘だと知ると立ち去り離れていってしまうのです」
「なっ、何を言っている?だからそれはアレクサンドラがきちんとしていないから……」
妻の言葉にニコラウスはいたって真面目に答えている。娘のせいにしようだとか自分がおかしなことを言っているという考えは微塵もない。
「あなた!誰が落ち目のリンガーブルク家と付き合いたいと思うのですか?あなたも言われましたよね?今が大事な時期だと!その大事な時期に何の価値もない落ち目のリンガーブルク家と関わる時間があればもっとマシな相手との交流を持とうとするのは当然のことでしょう?」
「だから……、例え断られようとも手紙を何通も出し、パーティーに顔を出し、挨拶回りに行き、とにかく顔と名前を売って交流を得なければ……」
「あなたは自分が子供の時はそうして頑張ったと言いましたね?ではそのあなたは友達が出来ましたか?」
「――ッ!?」
その言葉にニコラウスが固まる。いない。そう、いないのだ。ニコラウスには友達と呼べるような相手は誰一人いない。あちこちに手紙を出した。パーティーに出席した。挨拶回りにも出かけた。しかし誰一人ニコラウスと友になる者などいなかったのだ。
「あなたに友人が出来なかったのも、今アレクサンドラに友人が出来ないのも、あなたやアレクサンドラの努力が足りないからではないのです。落ち目のリンガーブルク家と付き合う時間があるのならば他の家と交流して有意義に時間を使いたい。誰しもがそう考えるから誰もリンガーブルク家を相手にしないのです」
「ちっ、ちがっ、違う!それは努力が足りないからだ!結果が伴わなければ何の意味もないんだ!そう!父上はそういったじゃないか!」
ニコラウスは青い顔になってフルフルと頭を抱えながら情けない声で喚き出した。ガブリエラにはもうわかった。最初の予想通りニコラウスも父親に同じように言われて育ったのだ。リンガーブルク家を建て直すためにお前に全てを叩き込んで育てたのに何故誰とも交流出来ていないのだと。それはお前の努力が足りないからだと。結果が伴わなければどれだけ努力したかなど何の意味もないと……。
「あなた……、誰も悪くなどないのよ。あなたにもアレクサンドラにも友人が出来ないのはリンガーブルク家が落ち目だと思われているから。それを覆さない限りはどうしようもないこと。誰のせいでもないのよ」
ガブリエラはそっとニコラウスの頭を抱き寄せる。一瞬ビクリと肩を震わせたニコラウスは恐る恐る顔を上げる。
「しかしそれではリンガーブルク家が……。私がどうにかしなければ……、我が家が、我が家が……」
「でもね、アレクサンドラには友達が出来たのよ。まずはそれを祝ってあげなければいけないわ」
それを聞いてニコラウスは何かを思い出したかのように形相を一変させて声を上げた。
「違う!あいつらは詐欺師だ!仮に本当に騎士爵だったとしても!それでもあいつらはリンガーブルク家を食い物にしようと寄ってきた虫共だ!騎士爵家如きがカーザース家一の名家であるリンガーブルク家と付き合うなど分不相応なのだ!」
「あなたは本当にその子に下心があると思っているの?あなたには騎士爵であなたを利用しようとしているような人ですら近寄ってきたことはあるの?騎士爵家も暇ではないのよ。騎士爵家だって落ち目のリンガーブルク家と付き合っているような暇などないの。身分違いだからといってリンガーブルク家の何を利用しようとしているというの?そんな暇があればもっと役に立つことに時間を使うわよ」
ガブリエラの言葉にニコラウスはストンと表情が抜け落ちた。
「待て……。騎士爵家にすら利用される価値もないというのか?」
「ええ、そうよ。他にもっと有用な手段も相手もいるのにわざわざリンガーブルク家を相手にして時間を使うだけ無駄じゃないの。だからきっとその子はリンガーブルク家を利用しようだなんて思ってもいないわ」
落ち着いたガブリエラの言葉を聞かされて、ニコラウスは憑き物が落ちたように脱力した。大声で感情的に反論されたわけでもない。ただ淡々とあるがままに本当のことを言われた。その方が計り知れないダメージを受ける。
確かにリンガーブルク家にもまったく利用方法も利用価値もないわけではない。ガブリエラもニコラウスもそれはわかっている。しかし労力をかけてリンガーブルク家を利用しようとするよりその労力を別のことに使った方が得られる物が大きいのだ。コストに見合わない。費用対効果が悪い。
「わっ、私はアレクサンドラに何てことを……。私はっ!」
「落ち着いて。今ならまだ間に合うわ。そのフロト・フォン・カーンという子に連絡を取りましょう。その子に謝ってアレクサンドラに会ってもらえばまだ間に合うはずよ」
こうして事の真相と謝罪を述べた手紙をガブリエラがフロトに送ったのだ。それからガブリエラはアレクサンドラにも説明した。ニコラウスがフロトが訪ねてこないように二人の仲を引き裂いたことを。フロトの本心ではなかったことを。そしてもし今もフロトがアレクサンドラのことを想ってくれているのならばすぐにでもやってくるだろうことを。
そして今、手紙を出してからどれほどの時間も経っていないというのに目の前にフロトはやってきた。本当に来てくれるだろうかとソワソワしながら玄関で待っていたアレクサンドラに飛びつき抱き寄せ第一声が謝罪の言葉だった。それを見てガブリエラはフロトが悪い者ではないと確信したのだった。
………………
…………
……
二人仲良くソファに並んで座りながら話しているフロトとアレクサンドラを見てガブリエラは笑みを浮かべる。フロトはとても良い子だ。良すぎるくらいに……。二人を引き裂いたニコラウスに恨み言一つ言わずに全て自分がアレクサンドラを裏切ったのが悪いのだと謝った。そんな子が他にどこにいるというのか。
しかし、と思う。確かにフロトは騎士爵家の者が伯爵家であるリンガーブルク家を利用しようとしているわけではないだろう。だが引っかかるところが多々ある。
性格がこれほどお人好しなのは生まれや育ちは関係ないかもしれない。本人の資質によるものでそれ自体は別に良い。
問題なのは着ている服が上等すぎる。騎士爵の正装を着てはいるがこれほど上等な仕立ての正装を用意出来る騎士爵家など存在しないだろう。それも大人で代々引き継いできたというのならともかく、すぐ大きくなってしまう子供用をわざわざ真新しく仕立てて用意など出来るものではない。
それにいたるところに出てくる所作と気品だ。世襲権のある騎士爵家で代々培ってきた貴族としての教えがあるとしてもこれほどの気品など備えられるはずがない。これらはニコラウスが言ったような付け焼刃でどうこう出来るものではない。相当高度な教育を長年受けていなければ身に付かないものだ。
そして外に停まっている馬車。夫も娘もフロトの方にばかり注目していて気付いていない。外に停まっている馬車は紋章こそないもののその質は最上級のものでありリンガーブルク家がかつてカーザース家に賜った褒美の馬車と何ら遜色がないレベルのものだ。それもリンガーブルク家の物ほど古くない。リンガーブルク家が何代も前の物を大切に伝来しているのに対して外の馬車は同レベルの馬車を最近買ったという風に見える。
連れているメイドと執事のレベルも格が違う。このメイドや執事はそこらの小さな貴族家に仕えている家人達とは一線を画する教養を持っている。
本人の気品と所作。服、馬車、家人達を用意出来る資金。この娘はリンガーブルク家を利用しないだろう。何故ならば利用する必要すらないのだから……。
(これ以上の詮索は野暮……、かしらね)
二人仲良く並んで座りながら終わることなく話し続ける娘とフロトの姿に思わず笑みが零れる。
「フロト・フォン・カーン卿!本当に、本当に済まなかった!」
そしてニコラウスはようやく立ち上がってフロトに頭を下げた。今まで何度も謝ろうとして謝れなかった。カーザース家一の家格を誇るリンガーブルク伯爵家の当主ともあろう者が、いくら爵位持ちとは言っても年端も行かない騎士爵の少女に頭を下げる。それがどれほど覚悟のいることだっただろうか。
「頭を上げてください、リンガーブルク卿。父が娘の心配をするのは当然のことではありませんか」
「違うのです……。私はアレクサンドラのことを思ってカーン卿を遠ざけたのではない。私はリンガーブルク家のことしか考えていなかった。そのために娘に無理を強いていた!」
フロトの言葉にニコラウスは頭を抱えてソファに崩れ落ちた。アレクサンドラもオロオロとフロトと父親を交互に見ている。
「いいえ、違います。当主が家を守ろうとするのは当然のことです。例えその時に少し家族に無理を強いようとも、大変な思いをさせようとも、家を守ることが当主の務めです。家を守ることが延いては家族を守ることになると知っているからです。その時無理や苦労をかけても家がなくなってしまうよりは良い。ですから当主は心を鬼にしてでもまず家を守るのです。リンガーブルク卿は何も間違ってなどいません」
「うっ!うぅっ!カーン卿!」
ニコラウスは涙を流しながらフロトの手を握った。これまでのことを知らない者が見れば良い年をしたおっさんが何をと思うかもしれない。しかしこの場でニコラウスを嘲る者も嫌悪する者もいなかった。
~~~~~~~
どうして楽しい時間はこうもすぐに過ぎ去ってしまうのだろうか。ようやくアレクサンドラと仲直り出来たというのにもう帰らなければならない。
「どうして楽しい時間とはこうも早く過ぎてしまうのでしょうね」
「それは前回私が帰り際に言ったことでしょう?」
俺の言葉にアレクサンドラがぷぅっと頬を膨らませてそんなことを言った。
「ぷっ」
「あはっ!」
「「あははははっ!」」
そして二人で笑い合う。確かに今日はもう帰らなければならない。だけどまた明日でも明後日でも、また会えば良い。これが一生の別れというわけじゃない。名残惜しくはある。だけどだからこそこの瞬間が大事だと思える。次の瞬間のために頑張れる。
「今日は私がおもてなししてもらいましたし次はまた私の家かしら?」
「まぁ!またあの森の中へ?実は黙っていましたけど本当は少し怖かったのですよ?」
俺がおちゃらけるとアレクサンドラも応じてくれた。こんな友達が出来たのは本当に生まれて初めてだ。本当に……、本当に……、良い友達が出来た。
「アレクサンドラ……」
別れを惜しんでギュッと抱き締める。アレクサンドラも抱き締め返してくれた。
「フロト……、また……」
「ええ、またね」
いつまでも名残惜しんではいられない。とうとう馬車に乗り込むとヤレヤレとばかりに馬車が動き出す。いつまでも待たせて済みませんね。
馬車の窓から見てみればアレクサンドラはずっとこちらを見送ってくれていた。俺も扉の窓に張り付いて見えなくなるまで見詰め続ける。
「よかったですね、フロトお嬢様」
「ええ、本当に……」
イザベラの言葉に答えて頷く。きっと御者席でヘルムートも同じことを思ってくれているに違いない。二人にも心配をかけてしまった。でもきっとこれからは大丈夫。こんなにも心が落ち着いて満たされているのだから……。




