第四百八十八話「ハーメレンの笛吹き道化!」
いつもと同じ日常、いつもと同じ毎日。刺激が足りなくて少し退屈だが、それでも幼いながらにも大切で輝いていた日常。その日、ハーメレンに住む少女パウラは母と買い物に行き、帰って来てから母と一緒に料理の準備をしていた。もうすぐ父も帰って来る。二人でおいしい食事を作って父の帰りを待とう。そう思っていた。それがいつもの日常だった。
『きゃーーーっ!』
「「――ッ!?」」
夕食の用意をしていると、遠くの方から女性の悲鳴のようなものが聞こえた。ハーメレンはそこそこ発達した町ではあるが、大都会というほど発展しているわけでもない。ブラウスヴェイグ=ルーネブルグ公領の領都ハノーヴァーから近く、また西に隣接しているヴァルテック侯爵家の飛び地、そのさらに西のロッペ侯爵領へと向かう途中にある。
ヴェルゼル川沿いにあることもあり交通の要衝となっており、領都から近いこともあって周辺の治安はかなり良い。モンスターの討伐も定期的に行なわれており、町にモンスターが入り込んだなんて話もほとんど聞いたことがなかった。そんな平和な町で突如聞こえた悲鳴にパウラはギュッと母の服を掴んだ。
「大丈夫よパウラ。一体何事かしらね?――ッ!?」
そう言いながら母は窓の外を覗き込んだ。そして見えた光景に息を飲む。ついさっきまで、自分達が買い物をしていた時には平穏そのものだったハーメレンの町が真っ赤に燃えている。あちこちから火の手が上がっており、馬の走る音と嘶く声が聞こえている。耳を澄ませてみれば、先ほどの悲鳴だけではなくあちこちから悲鳴や怒号が聞こえていた。
「――っ!――っ!」
声を出しそうになった母はグッと我慢して必死に考える。これはただの火事ではない。きっと盗賊か何かが入り込んだのだろう。
今までハーメレンがこんなことになった覚えなどない。昔の戦争が盛んに行なわれていた頃ならばこんな光景も日常茶飯事だったのかもしれないが、プロイス王国西の国境をフラシア王国に譲ってからは長らくこんなことはなかった。そのために領土を譲ったのではなかったのか。それなのに何故こんなことになっているのか。
色々と考えが浮かんでくるが、ギュッと自分の服を掴む小さな手の存在によって現実に引き戻された。今はそんなことを考えている場合ではない。とにかく娘を、パウラを安全な場所に連れていかなければ……。
しかし今更外へ逃げ出してもすぐに見つかって捕まってしまうだろう。馬の蹄の音がもうそこにまで迫っている。今更外へ逃げ出しても余計に目立つだけで、馬の足から逃げることなんて出来るはずがない。それならどこかに身を潜めた方が良いかもしれない。
だがそう言われてどこへ身を隠すのか考えた時、それに適した場所など普通の民家にあるはずがないことに気付いた。
衣装棚の中に隠す?駄目だ。相手が盗賊なら金目の物がありそうなところは調べられる。目の前に見えている衣装棚などすぐに調べられるだろう。どうすればいい?どこに娘を隠せばいい?極限の状況で母は必死に考えを巡らせた。
「…………パウラ、ここに入っていなさい。絶対に声を出しては駄目よ」
「お母さんっ!怖いよ!お母さん!いやだ!お母さんも一緒に!」
台所の床下に物置がある。別にこれも隠し扉というわけではなく、ただ生活の知恵として腐ったり、味が変わったりしやすい物を冷暗所に保存しておく人間の知恵だ。その物置の奥を空けてパウラを押し込む。その前にさらに物を置いて見た目ではわからないように隠した。
「パウラ、あぁ、愛しているわ。お願いだから声を出さずに静かにしているのよ。何があっても出てきては駄目よ?いいわね?」
「お母さんっ!お母さんっ!」
台所の地下物置は狭い。全ての物を取り出せば大人でも入れるかもしれないが、この周りに保存しておかなければならない食べ物が出されたまま放置されていればすぐにその中に人がいるとバレるだろう。パウラなら少し物置を空けるだけで入れる。さらに母がその扉の上に布を敷き、隠して、自分が人の見える所に居ればそれ以上探されないだろう。
……もちろんそんなことは希望的観測だ。ただ布を置いて扉を隠しただけだから、何かの拍子に布が捲れればそれだけで地下物置があることがバレる。しかも地下物置は普通の家には割りとあるものであり、この家にもあることは想像に難くない。もし盗賊達が食料品を漁ろうとすれば地下物置も探すだろう。
それでも……、もう他に手段はない。考えている時間も悩む暇もないのだ。とにかく娘を隠してから、母は自分はあえて見つかりやすい所に身を屈めることにした。それが母に出来る精一杯のことだった。
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パウラが地下物置に押し込められてから暫くして、バーンッ!と物凄い音が聞こえてきた。誰かが扉を思い切り蹴ったような音だ。そして上から何か言い争っているかのような言葉が聞こえてきていた。しかし……、バタバタと争うような音や複数の男達の声は聞こえているのに……、母の悲鳴は聞こえてこなかった。
母は……、自分が悲鳴を上げたら、パウラがその声に反応して物音を立てたり、物置から出てこようとするかもしれないと思ったのだ。だから多少の抵抗はするが声を上げることもなければ物凄い物音を立てることもしない。
『へへっ!良い女じゃねぇか』
『ここは当たりだぜ』
『さっきのとこはババァしかいなかったからな。楽しませてもらうぜ奥さんよぉ』
『出て行ってください。すぐに警備隊が来ますよ!』
じっと息を潜めているパウラの耳に、僅かに声が聞こえてくる。所々何を言っているのかわからないが、家に男達が乗り込んできていることだけはわかった。
『ぎゃっはっはっ!警備隊なんて来るわけねぇだろうが!』
『前置きはいい!さっさと楽しもうぜ!』
『ああ。俺の息子ももうはちきれそうだ。さっさとやっちまおう!』
『んんっ!んん~~~~っ!』
バタバタと床を踏み鳴らす音と、食事机がガタガタと動く音、そして食器が落ちて割れる音が聞こえてきていた。その後は……、男達の醜い声と、ギシギシと軋む床の音だけがパウラに聞こえてくる。母のくぐもった声は次第に聞こえなくなり、男達の声も段々大人しくなっていた。
『あ~あ……。もう壊れちまったのか?反応がない女を抱いてても面白くねぇんだよな』
『それなら代われよ。俺がまだ使ってやるよ』
『ばっか!いらねぇとは言ってねぇだろ!俺が言いてぇのはよぉ……。新しい刺激が必要だろって話だよ!』
ガンッ!と、いきなり床が何か硬い物で叩かれた。
「ヒグッ!」
あまりの音に驚いたパウラはそう小さく声を漏らす。
『あぁん?何してんだ?』
『おい。そこだ。その布どけてみろ』
『んんっ!んんんっ!』
『お?お?反応が戻ってきたな。へへっ!これだよこれ!』
再びギシギシと軋む床と、コツコツと誰かが歩いてくる。音が近づいてくるのがわかる。パウラはグッと口を押さえた。しかし……、地下物置の扉がギィィィ、という音を立てて開かれる。
「おお?何だこれ?物置?……あっ!ガキだ!こんなとこにガキがいやがるぞ!」
「んんっ!んんんんっ!」
「あっ!痛い!やめて!おかあさん!」
地下物置から引き摺り出されたパウラは、半裸にされて男に組み敷かれている母の姿を見た。周囲には何人もの男達がいてどこにも逃げられない。そもそも掴まれているだけで身動きも取れずどうしようもなかった。
「何でガキがいるってわかったんだ?」
「あぁん?これだからお前らは馬鹿なんだよ。食事の用意を見りゃわかんだろうが?ここには三人分の皿が用意されてた。若い女の嫁さんが三人分用意してるってこたぁガキがいるのなんてすぐにわかんだろ?」
剣で床を叩いたらしい男が得意満面にそう解説していた。
「んんっ!」
「へへっ!そうそう!もっと暴れろ!俺を楽しませろ!」
「お母さん!お母さん!」
娘の前で辱められる母とそれを見せ付けられる娘。そんな地獄が一体どれほど続いていたのか。夜だった周囲が次第にぼんやり明るくなり始めた頃、一晩中嬲られていた母はぐったりしてほとんど反応がなくなっていた。
「ちっ……。壊れたか。まぁいい。それじゃお母さんにお別れを言いな。いいか?それじゃお別れだ」
「――ッ!?」
母の胸に、グサリと男の剣が刺さる。一度カッと目を見開いた母は、弱々しくパウラの方を見るとすぐにその目は光を失った。
「お母さん!お母さ~~~んっ!」
「ああ、うるせぇ……。だまってろ!」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁっ!」
母に向かって叫んだパウラの右腕に男の一人が灯りにしていた松明を押し付ける。パウラはとても子供の声とは思えない絶叫を上げてのた打ち回る。
「こんなガキじゃお楽しみも出来ねぇし……、始末するか」
「あぁ……、あぁぁ……」
剣を持ってジリジリと近づいてくる男。焼け爛れた右腕を抱えながら、パウラはその姿を見上げながら這いずることしか出来ない。
ピーッ!ピーッ!ピーッ!
「……あ?」
「非常用の笛?何かあったのか?」
その時、外から笛の音が聞こえてきた。それはテュレンネの部隊が非常時に吹く笛の音だ。敵襲などがあるとそれを知らせるために簡易的な笛が吹かれる。まさにパウラを斬ろうとしていた男もパウラの相手よりも非常用の笛に警戒が移った。男達は何事かとパウラの家から出て行く。
助かった……。
パウラはそう思うと同時に、今すぐ泣き出したいくらいの右腕の痛みと……、その瞳から光を失っている母を見て叫びたい気持ちになった。もちろん今すぐ叫びはしない。そんなことをすれば折角母が救ってくれたこの命が無駄になってしまう。それでも……。
「お母さん……。……一体何が」
パウラもソロソロと玄関に向かい家の扉から外の様子を伺う。そこで見た光景を生涯忘れることはないだろう。
東から、昇りつつある朝日を背にして、ブカブカの服を着て、ふわふわの外套を羽織り、顔には口元だけが出ているまるで道化のような仮面を被っている人物が、手に横笛を持って歩いてきているのが見えた。
「なんだてめぇ?」
「こいつこんな格好して頭がおかしいんじゃねぇか?」
「やっちまえ!」
無警戒に、何の備えもせず、その道化はただ面白おかしく歩いてくる。男達がその仮面の道化に近づこうとした時、道化は横笛を咥えて吹き始めた。
ヒョロロロ~~~~
聞いたこともない音色。きっと祭りの時に聞けば、その細かな音の変化を出せるその笛の音に酔い痴れたことだろう。まるでこの場にはそぐわないような、これほどの地獄にあって、まるで道化が周囲を笑わせるかのようにおかしな動きをしながら笛を吹く。するとどうしたことか。
まるでネズミのような大きさの白い光が盗賊達を追いかけ始めた。最初は何事かと思っていた男達も、その光に触れた仲間が一瞬で真っ黒こげになったのを見て目の色を変える。
「なっ!?なんだこれ!」
「や、やべぇ!にげろ!にげろぉぉ~~~っ!」
男達は一目散に西へ、ヴェルゼル川の方へと逃げ出す。しかしそのネズミのような光は男達を追い回し、触れた者から黒炭へと変えてしまう。
「うぅ……、あなたは……、お母さんの仇を討ってくれる死神なの?じゃあ……、私の命を持って行っても良いからお母さんの仇を討って!」
扉から這い出したパウラは、その恐ろしい笛吹き道化に願う。自分はもう助からないかもしれない。だけど……、せめて母の仇を討って欲しい。そう願わずにはいられない。
「……」
「――っ!」
笛吹き道化がパウラに手を伸ばしてくる。ギュッと目を瞑ったパウラはこれで母の下へ行けるかもしれないとぼんやり思った。しかし……、笛吹き道化の手がパウラの右腕に触れると先ほど以上に光りパウラの腕の痛みがあっという間になくなった。
「……え?私を……、連れていくんじゃないの?死神さん」
「……」
笛吹き道化は答えない。ただ……、パウラは気づいた。この笛吹き道化は死神などではない。何故ならばパウラに触れたその笛吹き道化の手は、細く、しなやかで、それでいてよく手を使っている母と同じ働き者の手だったから。それは……、間違いなく温かい女性の手だったから……。
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「おばあちゃん!それで?それで?どうなったの?」
「ネズミのような光に追われた盗賊達は自らヴェルゼル川に飛び込み、重い鎧が枷になって皆、みぃんな溺れて死んでしまったんだよ」
老婆は窓の外に見える川を見詰めながらそう告げた。老婆の話を聞いている子供がさらに続きを促す。
「まだ終わりじゃないんでしょ?」
「あぁ、そうさねぇ。笛吹き道化が光のネズミを使って盗賊達を川に落として退治したあと、領主様は笛吹き道化との約束を破ったのさ」
「へぇ!どんな約束なの?」
「盗賊達を追い払う対価を笛吹き道化に払うと約束していた領主様はその報酬を払うのを渋った。それに怒った笛吹き道化が再び笛を吹いた。するとどうだい。盗賊達に襲われて身寄りのなくなった子供達が笛の音に誘われて笛吹き道化と一緒にハーメレンの町から出て行ってしまったのさ」
老婆はそっと古い右手の火傷跡を触る。
「領主様はそれで黙っていたの?」
「いいや。どうにか笛吹き道化から子供達を取り返そうとした領主様は……、やっぱり逆に笛吹き道化にやられて、その領主一族は没落、今では別の領主様がその地を治めているんだよ」
「え~?それじゃ笛吹き道化は悪い奴なの?」
子供からすれば、まだこの話は難しい。確かに支払いを渋った領主は悪いかもしれないが、そんなことで貴族である領主に逆らうと一族郎党皆殺しにされてしまうだろう。だから子供にはまだ正規の支払いがされなかったからと子供達を連れ去ったり、逆に領主をやっつけてしまった笛吹き道化も正義の味方には思えなかった。しかし……。
「さぁ……、どうかねぇ……。でも……、笛吹き道化に連れ去られた子供達は……、笛吹き道化に連れて行かれて幸せだったかもしれないよ」
「え~っ?そんなの何か変だよ」
「そうかい?そうかもしれないねぇ……」
老婆は火傷跡の残る右腕で子供の頭を撫でる。傷跡は残っているが日常生活には支障がなく普通に過ごせる。この火傷が当初どんなものであったのかを知れば、医者達はきっと二度と右腕は動かせない火傷だと言ったことだろう。
「パウラお婆ちゃん!今度はもっと面白い話をしてよ!だって領主様がやっつけられるなんて変だよ!このフローラーとハーメレンの領主様、フローラー選定侯様はとっても良い領主様なんだから!」
「そうだね……。ここには良い領主様がいてくれてとても恵まれているよ。でも……、世の中にはそうじゃない領主様もまだたくさんいるんだよ。そういう悪い領主様を連れ去ってくれる笛吹き道化も……、そんなに悪い奴じゃないさ」
「え~?何それ。変なの~!」
老婆と子供は、窓の外に見えるヴェルゼル川を眺めながら、また新しいお話に花を咲かせ始めたのだった。




