第四百八十七話「不穏な空気!」
宿営地で一晩を明かした俺は朝の日課を終えて、朝一番に昨日の会議の結果を聞くために主要指揮官達を集めた。俺達が退席した後で決まった話や作戦の詳細の報告を聞き、一部俺が気に入らなかった部分を修正して決定案とした。
午後からカーザース軍上層部との合同作戦会議を取り付けて、昼からはカーン軍の一部の上層部だけ連れてカーザース軍上層部と打ち合わせを行なう。
「それでは詳細もこれで決定ということでよろしいですな?」
「問題ない」
「こちらも構わない」
司会進行の纏め役が最後に確認を取って両軍とも合意する。作戦自体は変わっていないので細かい内容が正式に決定したという程度のものだ。
カーン・カーザース領からホーラント王国までの長い東西の前線に、カーン軍、カーザース軍、ブリッシュ・エール軍が並んで南下し、前線を押し上げながら奪還地を拡げていく。これは大筋で決まっていた通りでありそこに変更はない。今回正式に決まったのは部隊配置や担当箇所、攻略予定地点の確認などだ。
まず配置だけど、一番西側がブリッシュ・エール軍だということは固定だ。作戦や動きなどから考えて他に配置しようがない。ホーラント王国の砦から出発したブリッシュ・エール軍が東へと寄ってきて、前線の西端の一翼を担うのは最初から確定している。
その次に真ん中を担当するのがカーザース軍三千ということになる。普通中央や先頭に一番強力な戦力を持ってくることが多い。もちろん陣形や状況によって変化するから一概には言えないけど、魚鱗や鏃の陣形を組めば中央先頭に一番の戦力を置くというのはわかるだろう。
今回の場合はカーザース軍に中央を譲っていますよと向こうにアピールしつつ、実はブリッシュ・エール軍とカーン軍で両翼からカーザース軍をいつでも援護出来るようにこの形にしている。
ブリッシュ・エール軍は五千、カーン軍は二千ながらどちらも近代兵器を装備した、この世界では、この時代ではあり得ない強力な軍隊だ。歴戦のカーザース軍は確かにこの時代では強力な軍隊だろうけど、正直に言えば同数から数倍程度の差では俺達の軍とでは勝負にならないと思う。
俺がフラシア王国や、プロイス王国を敵に回した場合に恐れているのはその国力と人口がカーン騎士爵領より圧倒的に多いからだ。戦場で一戦闘を行なうだけなら近代兵器を持つカーン軍の方が勝つ。ただこちらの補給も間に合わないほどの圧倒的物量で攻撃されれば勝ち目はない。数は力であり、小さな戦闘一つ一つに勝っても戦争には勝てない。
まぁそんなわけで三千のカーザース軍が一番危険に陥りやすいと俺は判断している。だから向こうには中央を譲ったと見せ掛けて、俺達が両翼からいつでもフォロー出来る態勢にしているというわけだ。
そして今まで散々言っていた通り一番東側はカーン騎士爵領軍と俺が配置されている。ここに俺が配置されるのも理由があって、ただ中央のカーザース軍をフォロー出来るようにだけではなく、これから南下していくにあたってプロイス王国西部貴族達の協力を取り付けるためにここにいるというわけだ。
俺はこれから南下していくたびに、プロイス王国西部貴族達と面会して対フラシア戦争への協力や援軍派兵、物資買い付けなどの交渉をしていかなければならない。すでに各領主達には書状を送っているけどまともな返事もないし、返事があっても日和見貴族がほとんどだ。
西部貴族達は両国の間で行ったり来たり、都合の良いことを言いながら自分達は戦争に参加する気もないような者が多い。俺がカーン侯爵として出向いても適当に返事を濁されるか、いっそはっきり拒絶してくる者もいるだろう。
それがわかっているのに何故俺が国境付近を南下して各貴族達に面会していくのか。それは戦後のためだ。
正直に言えば別に西部貴族達の援軍なんてあまりあてにしていない。治安維持や巡回程度なら出来るかもしれないけど、それだってどれだけ頼りになるかわからない味方なんてかえって邪魔にしかならない。俺が欲しいのは協力しないのなら協力する気はないという言質が欲しい。不参加なら不参加と書状にサインしてもらうつもりだ。
これで言質を取っておけば、戦後の論功行賞で何も働いていないのに西部国境の領地だけ寄越せとか言ってくる馬鹿貴族達を抑えることが出来る。そうなるように証拠集めをしようというわけだ。どうせ実際に協力してくれるとしたらロッペ侯爵家とヴァルテック侯爵家くらいだろう。この両家からはすでに返事をもらっている。
そんなわけで配置も決まり、役割分担や攻略地点が決定された。ブリッシュ・エール軍にも伝令が出されて正式に作戦が決定される。向こうにも当初の予定通りに進めるだけだと伝えているから混乱はない。
「さぁ、出陣だ。準備を急がせろ」
「はっ!」
作戦が決まればやることは早い。出陣の準備を進めつつ、各軍と日時を示し合わせた通りに行動していこう。
~~~~~~~
翌日明朝から宿営地を引き払って移動を開始する。他の各軍がどうなっているかわからないけどこちらは全て順調だ。特に緊急の伝令もないから他も順調だろうと判断するしかない。
……本当に通信方法を考えた方が良いな。いくら何でも不便すぎる。小さな一戦場での伝令ならまだ何とかなるけど、これだけ広がった戦線で連絡が取れないというのは非常に厄介だ。これがこの時代の常識だと言えばそうなのかもしれないけど、俺にとってはあまりに不安すぎる。
「でもどうやって通信するかだよな……」
例えばだけど、電気を起こすこと自体は難しくない。初歩的な液体の電池ならば基本的な知識と材料があれば出来る。実際俺はアインスの研究所で電池を作らせたことがある。ただしアインス達は電池の有用性には気付かなかった。
それはそうだろう。俺は遠い未来に家電製品が溢れた世界で生きていた。だから電池、いや、電気が使えるようになればどれほど便利になるか知っている。でもこの世界では電気が取り出せたからといって何の使い道もない。アインスが明らかに動力と成り得る蒸気機関に夢中になって、使い道のわからない液体電池に興味を示さないのは当然のことだ。
俺だって実際に成功するかどうか試作で作らせただけでそれ以来電池の開発や改良は行なっていない。ただ成功して電池が出来たというだけで終わった実験だった。だから液体電池を作って電気を発生させることは難しくない。
じゃあそれで通信出来るか?と言えばノーだ。液体電池から取り出せる電圧は弱く、しかも試作段階では完全に安定はしていなかった。電話のように通信しようと思ったら電話線を張らなければならない。しかもその電話線に安定して電圧をかける必要がある。
単純に今の弱い液体電池で電気を発生させても信号が弱すぎる。増幅させる必要もあるし、どういう信号でどういう意味の通信をするかというのが難しい。電話というか通信の初期には様々な方法が考えられたわけで、現在のように電気信号を音声に変換して直接声を拾って届けるなんて今の技術で出来るわけがない。
しかも通信線を張り巡らせたとして、それが誰かに悪戯されないとも限らない。現代人はリスクと得る物を考えてわざわざ危険を冒して電話線や電線を切ったりしないだろう。絶対ないとは言わないけど数は少ない。
それに比べてこの世界で、この状況で、ある日突然森の中に通信線を通したとして、周囲の人間が何もしないだろうか?悪戯目的ではなくとも、不気味に思って撤去しようとするかもしれない。野生動物やモンスターが跋扈する世界だからそういう物に通信線を切られることもあるだろう。
町中に整備して、法律で通信線に触れることを禁止して罰則を設け、徹底的に周知してようやく使えるかどうかという所だ。とてもじゃないけど出先の戦場で使えるようなものにはならない。
戦場で使うのなら無線通信が理想的だけど無線通信を開発するのも難しい。最近ようやく軍楽隊で戦場での情報伝達が出来るようになった程度だ。まだまだ先は長いだろうな……。
「そろそろロッペ侯爵領に到着いたします!」
「そうか。ご苦労」
「はっ!」
知らせを受けて辺りを見回す。ここまで南下して来る間にいくつか小領主や各地の貴族達と会ってきたけど予想通り何の成果も協力も得られなかった。協力しないのなら協力しないという書状にサインしろと言っていくつか纏めてきている。
もちろん言葉通りに『この戦争に協力する気がないならする気がないと明言して署名しろ』と言っても誰もしないだろう。口先では適当に『プロイス貴族としての務めはうんたら』と言いながら、あれこれ言い訳しつつ実際には何もしないという奴がほとんどだ。
だからはっきり『協力する気がないならその旨を明記して署名を』といわずに、相手に合わせてあの手この手で向こうに気取らせず言質と署名を確保していく。協力もせず後でおいしい所だけ持って行こうとしたら、この何気なくサインした署名が後々自分達が非協力的だったという証拠になるとは夢にも思っていないだろう。
「確か……、ジーモンとエンマが出迎えてくれるんだったな……」
今丁度学園は休みの最中でありジーモンとエンマは今回も二人仲良くジーモンの実家に帰っている。だから今からロッペ侯爵領に行けば二人がいるわけで、連絡したら二人で出迎えてくれると連絡があった。
ロッペ侯爵家の上層部は現在警戒に出ているそうだ。ヴァルテック侯爵家はこちらにあるのは飛び地であり本領の方の警戒をしている。両家はカーン家からの通報を受けてすぐに対フラシアの警戒網を敷いてくれている。
本来ならロッペ侯爵家の当主辺りが出迎えてくれるはずだろうけど、今回はジーモンが当主代理で出迎えてくれることになっている。やっぱり戦時だからか?でも戦時だからこそ当主が友軍の当主を迎えて直接話すべきだと思うけど……。まさか何かあったのか?
「私はフローラに着替えてロッペ侯爵領へ向かいます。護衛は……」
「竜騎兵百と魔法部隊五十。それから私達も同行しますわ」
俺がこれからの行動について言おうとしたらアレクサンドラに遮られてそう言われてしまった。これはお嫁さんとしてじゃなくて副丞相としての意見だろう。だから聞かないというわけにはいかない。
「百五十の護衛にミコトとルイーザまでなんて必要でしょうか?大仰すぎる気が……」
「いえ、ロッペ侯爵家が当主でなく代理を出してくるなど普通ではありません。本来ならばもっと多く連れて行くべきですが……」
ここにいるカーン軍は二千に満たない。斥候や通過して来た地点の確保などに分かれた兵がいるために当初の二千からさらに一部減っている。そこから俺がさらに精鋭竜騎兵百騎と魔法部隊五十名も連れて行くなんて戦力を抽出しすぎなように思う。
それでもアレクサンドラの言う通り、ロッペ侯爵が挨拶にも出て来ず、ジーモンを代理として寄越してくるというのが何か気になる。
ロッペ侯爵家が攻撃を受けているということはないだろう。それならもっと援軍要請とか、今は危ないから護衛をたくさん連れてこいとか何らかの注意があるはずだ。何らかの事態が起こっているけどロッペ侯爵領そのものにはそれほど危険はない状態ということだろう。でもずっと大丈夫とも限らないしいざという時のために兵を連れている方がいいか。
「わかりました……。それではそのように……、すぐにロッペ侯爵領へ向かいましょう」
俺の指示を受けてすぐに同行する部隊が選ばれる。こうして俺はお嫁さんと百五十の護衛を連れてロッペ侯爵領へと向かったのだった。
~~~~~~~
一応警戒して移動してきたけど、ロッペ侯爵領の領都デトモルドにやってくるまで特に何の問題もなかった。領民達も慌てた様子は見られないし何か差し迫った危険があるようには見えない。
「ようこそおいでくださいました、フローラ・シャルロッテ・フォン・カーザース様」
「ごきげんようカーザース様」
「ああ、頭を上げてください。ジーモン。ヴァルテック様もどうか」
案内されてジーモン達と面会するとすぐに頭を下げられてしまった。俺としては一応学園の同級生という体で良いと思っていたのに、ロッペ家やヴァルテック家の者がいる前でジーモンとエンマが明らかに俺に向かって頭を下げている。これでは周囲に上下関係を示したも同然だ。というかそのつもりでやったんだろう。
「色々と積もるお話もあると思いますが、取り急ぎ重要なお話があります。まずはこちらへ」
すぐに真剣な表情になったジーモンに案内されて応接室へと通された。お茶だけ出されるとすぐに人払いされて俺達だけになる。こちらはお嫁さん達がいるから大人数なのに向こうはジーモンとエンマだけだ。
それから……、こんな時にどうでも良いかもしれないけどエンマがまた随分綺麗になっていた。昔は母親似でちょっとぽっちゃりさんで、しかも滅茶苦茶意地の悪そうなというか、実際に滅茶苦茶意地の悪い性格が顔にも出ていた。棘があるというか何というか。
それが今ではほっそりしてきたし、表情も柔らかくなって薄っすら微笑んでいる。その顔は幸せ一杯という感じで見ていてご馳走様と言いたくなるほどだ。人間変われば変わるものだとつくづく思い知らされる。
「誰もいなくなったから少しだけ話し方を崩させてもらいますね。まずはどうして僕が代理でこの場にいるのか。父達がここに来られない理由から説明します」
「はい。もっと学園の時のようにお友達として話していただいて構いませんよ」
そう言うと二人は少しだけ困ったような苦笑を浮かべてから話し始めた。その情報にこちらが驚く。
どうやらカーン家が事前に送っていた兵と一緒にロッペ家もこの近辺の警戒に当たっていたらしい。最初はただのカーン家式の巡回の仕方などを交流の一環として教えていたからだ。そのうちフラシア・ホーラント戦争が始まってしまったから、そのことを伝えるとそのままフラシア王国側の動きを警戒するために巡回が強化されることになった。
つい最近までは特に問題もなく、一応警戒しているけどフラシア側の動きはないなと思っていたようだ。そしてカーン家からの要請に従って兵の準備を進めていたらしい。
いくら侯爵家や公爵家といっても、平時にいきなり動員出来る兵力には限りがある。千名単位の部隊なんてそう簡単に動かせない。もちろん治安維持を全て捨てて普段巡回している兵や国境を監視している兵を集めれば可能だろうけど、そんなことをすれば各地の治安や国境が不安定になるのはわかるだろう。
そんなわけで、大軍を動員するためには相応に準備や時間が必要になる。その準備を進めながら今まで通り領地の巡回警備を行っていると、領地の北側を通る多数の武装集団を発見したらしい。
もしその集団がロッペ侯爵領に襲い掛かってきてはまずい。そこで巡回をさらに強化すると共に、その集団の動きを追っていたようだ。ロッペ侯爵家は中々戦上手らしい。自分の領地だけ守るのではなく敵の追跡までしてくれていたのはありがたい。
その武装集団は、まぁ当たり前というか予想通りというかフラシア王国軍だったようで、千人ほどにもなる大軍だったらしい。さすがにまだ準備が整っていなかったロッペ侯爵軍ではその千人に攻撃するのは難しく、しかも敵はロッペ侯爵家を襲わずヴェルゼル川を越えて北へと向かって行ったらしい。
その後も追跡は続けているそうだけど、ここへ情報が届くまでにはどうしてもタイムラグがある。だから現在の居場所や敵の目標はわからないけど……、これは恐らく……。
「あえて国境に近く警戒の厳しいロッペ侯爵領を迂回して、後方で安全だと思って暢気にしているハノーヴァーを攻撃しに向かった……、ということでしょうね」
「はい。父上達もそのように判断しています。ですが敵がまた戻ってくるかもしれないため父上達は当家領の端で敵の動きに対応しているのです」
この場にロッペ侯爵本人がいないのはそのためらしい。確かに良い判断だ。通り過ぎていったからと引き返してきて領都でのうのうとしているようでは無能すぎる。自領を通り過ぎてもまだ敵を追跡してその動きを追っているとは……、あとで近隣の領主に何を言われるかわからないだろうに大した判断力だと言わざるを得ない。
「ヴェルゼル川を越えて北へ向かったということは……、ハノーヴァーを北から急襲、そのまま離脱して……、ハーメレンで一夜を明かすつもりでしょうか」
千の兵ではいくら何でもハノーヴァーを占領することは出来ないだろう。ただ急襲すれば相応に被害を与えることは出来る。そしてハノーヴァーの部隊は敵部隊を追撃出来ない。千もの敵を追おうと思ったらかなりの戦力が必要だ。急にそれだけの戦力を用意出来るはずもない。
「これは……、少し急いだ方がよさそうですね」
嫌な予感がする。ハノーヴァーやハーメレンはブラウスヴェイグ=ルーネブルグ公爵の領地だ。現ブラウスヴェイグ=ルーネブルグ公エルンストは、書状の返事から見ても有能とは思えない。他人の領地が被害を受けても知ったことじゃないと言うのは簡単だけど、無能な領主のせいで罪もない領民達が苦しむのは許せない。
ロッペ侯爵代理のジーモンと話し合ったあと、俺達はすぐにデトモルドを出発したのだった。




