第四百八十六話「戦禍!」
ホーラント王国東の国境と、プロイス王国カーザース辺境伯領カーザーンの同時攻撃を企図し、実行直前まで進めていたテュレンネ大元帥はカーザース軍の卑怯な手段により後退を余儀なくされた。
ホーラント王国東の国境に展開中だったコンッデ公の軍と合流したテュレンネ大元帥とコンッデ公は、このままではホーラント軍とカーザース軍の挟撃に遭いかねない地点を捨てて撤退した……、かに思われた。しかしまだ完全に撤退したわけではなく、テュレンネ大元帥とコンッデ公は次なる作戦を話し合っていた。
「テュレンネ大元帥の部隊が半分以下になったのは困ったものだ……。次の作戦はいかがいたす?」
「そうですね……」
コンッデ公の言葉に若干イラッとしたテュレンネだったがそこはぐっと我慢した。五千の兵が二千数百にまで減ったのは事実だ。例えそれがカーザース辺境伯の汚い手で嵌められたにしろ、自分達が戦っている間何もせずただ森の中で布陣していただけの無能な友軍に足を引っ張られていようとも、五千の自軍が二千数百に減っていることは覆しようがない。
そもそもカーザーン攻撃のために率いていった五千の兵が半減しただけであり、まるでテュレンネの兵が半分以下になったかのような言い方をされるのは心外だ。他にもまだテュレンネの兵は数多くおり、そもそもホーラント南西で対峙しているのもテュレンネの兵が主力になっている。
カーザーン攻撃のために抽出した一部の部隊が半減しただけであり、むしろここにいる兵もコンッデ公の子飼いの兵以外はテュレンネの兵と言っても差し支えないはずだ。何しろフラシア軍の総指揮を任されているのは大元帥たるこの私なのだから!とテュレンネは考えていた。
「敵は我が軍に間者を送り込みこちらの情報を得ています。こちらの作戦は敵に筒抜けであり、先の戦闘で損害を受けた我が軍は一先ず態勢を立て直すために後退するしかない……、と敵は考えているでしょう」
「ふむ?」
テュレンネの言葉にコンッデ公が片眉を上げる。これは何か秘策でもあるのかと続きを促した。
「そこで私は千の手勢を引き連れて先に後退し、援軍の用意をしてきましょう。後詰めが集まっているメッツへ援軍を迎えに行ったということにしておきましょうか」
「『行ったということにしておく』?」
テュレンネの言葉にコンッデ公は問い返す。テュレンネの言葉の真意がわからない。ホーラント王国の南端より少し南に大都市のメッツという都市がある。昔から長らくプロイス王国などヘルマン人系の都市であったが、近年のフラシア、プロイス国境問題でフラシア王国が占領して奪い取ってからはフラシア王国の大都市の一つとして栄えていた。
メッツはこの戦争において重要な拠点の一つとして物資の集積、後詰めの部隊の駐留などが行なわれており、援軍を呼びに行くのなら妥当な選択肢の一つにも思える。
もちろんそれよりももっと北東、現在のテュレンネやコンッデ達がいる場所に近いレイン川流域にも大都市は存在する。それらも直接的な補給拠点や重要拠点として運用されているが、そちらはそちらで防衛戦力なども置いておかなければならない。ホーラント王国とも近く、プロイス王国からも攻撃される可能性がある地域であるためにあまり戦力は引き抜けない。
それを考えればかなり遠くなるが後方支援拠点となっているメッツにテュレンネが下がり、援軍を連れてくるというのは真っ当だ。並の凡将や愚将ならばそうするだろう。しかしテュレンネは違う。テュレンネはそんな凡人が考えるような凡手は打たない。
「今度は、完全に信用出来る千の兵だけを連れて、誰にも行き先を教えずにカーザーンの南にあるプロイス王国の都市、ハノーヴァーを攻撃しましょう」
「なるほど……」
テュレンネの作戦はこうだ。表向きはメッツまで援軍を頼みに下がると言って、絶対裏切り者や間者が入っていない信用出来る千の兵だけ連れてこの部隊から離れる。こちらの部隊はコンッデ公に任せ予定通りこのまま後退を続け、先を急ぐと出て行ったテュレンネと千の部隊は一度偽装工作で南下してから進路を東へと変更する。
敵に見つからないようにヴェルゼル川西岸にあるロッペ侯爵領、ヴァルテック侯爵領の飛び地を迂回して渡河し、その後方にあるブラウスヴェイグ=ルーネブルグ公領の領都ハノーヴァーを攻撃する。
たった千で仮にも公領の領都を攻め落とせるのかと誰しもが考える。しかし軍事の天才たるテュレンネの作戦は根本からして違うのだ。何も千の兵でハノーヴァーを攻め落とそうなどとは考えていない。テュレンネの作戦に共通することは『敵の継戦能力を奪い、少ない労力で勝ちを得ること』を至上命題としている。
フラシア王国との国境方面には他の貴族であるロッペ侯爵家やヴァルテック侯爵家の飛び地があり、しかもこれまでの外交関係でフラシア王国との親交を深めてきたブラウスヴェイグ=ルーネブルグ公爵は、まさか自分達がいきなりフラシア王国に攻撃されるなど想像もしていないはずだ。
そもそもテュレンネの狙いはハノーヴァーの占領ではなく、前線を支える後方基地の撹乱・破壊にある。
ハノーヴァーの農地が荒され、食料倉庫などが焼き払われた場合、当然前線に送る食料が不足する。そうなれば戦争どころではなくなり、プロイス王国側は兵が維持できなくなるだろう。わざわざ前線で兵同士で殺し合いなどさせずとも、一方的に農地を荒し、農民を殺し、略奪と放火を行なうだけで済む。その方が自軍の損害も軽い。
騎士道がどうとか、人道がどうとか、つまらないことを言ってくる者は多数いる。しかしテュレンネはこれまで結果を残すことでそういう者達を黙らせてきた。戦争において大事なことは勝つことであり、勝つための最善を尽くしている自分が批難される謂れはないとテュレンネは考えていた。
千の兵でハノーヴァーを落として占領することは出来ないが、周辺の農地を荒し、農民を殺し、略奪と放火を繰り返していけばいい。敵の軍と正面から戦うことはせず、敵の警戒が厳しくなれば近隣の村まで襲ってやろう。そうして敵の継戦能力が弱れば、それだけフラシア王国の勝ちが近づくということだ。
「奇襲の第一撃はハノーヴァー……、そしてハノーヴァー周辺から離脱した後はハノーヴァー南西、ヴェルゼル川東岸にあるハーメレンを攻撃する。奴らの農作物を全て奪い尽くし、焼き払い、戦争どころではなくしてやればプロイス王国はこれ以上動けないでしょう」
「うむ!見事だ。テュレンネ大元帥」
テュレンネの作戦にコンッデ公も満足気に頷く。これならば必ず成功するだろう。そしてハノーヴァーに大きな傷を受けたプロイス王国はすぐに戦争から手を引くに違いない。汚い手を使ってテュレンネとその配下の兵に損害を与えたプロイス王国はその報いを受けることになる。
テュレンネとコンッデ公は慎重に作戦を話し合い、実働部隊の千の兵にも詳細は告げずに準備を進めて実行に移したのだった。
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本隊から分かれたテュレンネと千の部隊はロッペ侯爵領、ヴァルテック侯爵領の飛び地の北を迂回してヴェルゼル川を渡った。平和ボケしているロッペ侯爵領は国境の監視や警備などしていないだろう。実際ここまでテュレンネ達はプロイス側の者に発見されることなく行動出来ている。
西側から見れば、ロッペ侯爵領があり、その東側に隣接してヴァルテック侯爵家の飛び地がある。そしてヴェルゼル川を挟んで東岸にハーメレンがある。ハーメレンから北東に進めば最初の目標のハノーヴァーだ。
テュレンネ達はあまりロッペ侯爵領やハーメレンに近づかないようにかなり北側でヴェルゼル川を渡った。そこからさらに北上を続けてハノーヴァーの北へと回る。北側からハノーヴァーを攻撃し、南へ駆け抜けてからそのまま南西のハーメレンへと攻撃に向かうつもりだった。
「良いか。我々はこれからハノーヴァーへ奇襲攻撃に向かう。ハノーヴァーへの攻撃が成功したらそのまま南西に向かってハーメレンも攻撃する。ハーメレンは陣を張って占領する。略奪!暴行!放火!全て自由だ!早い者勝ちだから仲間内で喧嘩はするなよ!」
「「「「「おおおおーーーっ!」」」」」
「最高だぜテュレンネ様よぉ!」
「ひゃっはーっ!」
渡河が済んでからようやくテュレンネは兵達に目的を告げた。今の時間と今後の行動を考えれば、ハノーヴァーに奇襲した後、ハーメレンを襲う頃には夜になるだろう。最低でも一晩はハーメレンで過ごさなければならない。
テュレンネ達は追っ手の心配はしていない。ハノーヴァーでの奇襲が成功すれば、敵はハノーヴァーの復旧や警戒で手一杯になるだろう。領都の防衛を放棄してまでテュレンネ達の部隊を無理に追って来るとは思えない。
千の部隊を追撃しようと思ったらちょっとやそっとの兵では足りないのだ。そんな兵をいきなり用意することは出来ない。さらに追撃に出たつもりで出し抜かれてまた敵が戻ってきてハノーヴァーが襲われてはならない。さらに時間も遅くなる。暗くなり始める頃にわざわざ危険を冒して、防衛を放棄してまで追撃はない。
ハノーヴァーから離脱出来ればこちらのものだ。あとはハノーヴァーより小規模なハーメレンに乗り込み、同じく奇襲によって混乱を引き起こし、主要な施設と警備隊を蹴散らせば数日間占領することくらいは難しくない。その間に食料を奪い、女を襲い、酒に溺れ、金品を持ち去れば良い。
テュレンネも何日ハーメレンに居座るつもりかは考えていない。今日の襲撃の後は最低一晩は過ごすことになるだろう。だがその後の動きはプロイス王国、ブラウスヴェイグ=ルーネブルグ公爵の動き次第となる。敵の動きが鈍ければさらに周辺を荒してやっても良い。逆に敵の動きが早ければ早々に逃げ出す。
部下達も手馴れたものでこういった都市部の略奪や村に火を放つことには長けている。テュレンネ子飼いの部隊でこの『お楽しみ』が出来ない者などいないのだ。
「……よし。敵は気付いていないな……。一気にハノーヴァーに雪崩れ込め!火の準備は良いな?」
「「「「「おう!」」」」」
「突撃!」
まるで警戒の欠片もなかったハノーヴァーは……、テュレンネ率いる千の兵に奇襲を受けて大損害を蒙った。ハノーヴァーの防衛部隊は逃げ惑う人々に行動を制限されまともに動けない。それに比べて人を馬で踏み潰しながら我が物顔で町を駆け抜けるテュレンネの部隊に為す術もなく、あっという間にあちこちに火を放たれてしまった。
店や倉庫などを集中的に狙われ、逃げ惑う人々と、攻撃をしてくるテュレンネの部隊によって邪魔されて消火も進まず火は燃え広がり、嵐のようにテュレンネの部隊が北から南に駆け抜けていけば、それらの通った後には破壊と炎と死体が溢れていた。
テュレンネ達がこれまでの経験上理解していた通り、ハノーヴァーの守備隊はこれ以上の被害を受けないように身を固めるのに精一杯で追撃部隊は一切出てこなかった。無能なブラウスヴェイグ=ルーネブルグ公爵では即座に重要な判断が出来ず、ただ縮こまってハノーヴァーの防衛を固めることしか出来なかったのだ。
「よ~し!よくやった!今度は寝床を確保しに行くぞ!」
「「「「「おお~~っ!」」」」」
僅かな損害でハノーヴァーを火の海にしたテュレンネ部隊は、そのまま南西へと進みハーメレンへと襲い掛かった。手順はハノーヴァーと変わらない。いきなりハーメレンの町に雪崩れ込み、道すがら人も兵も斬り、倉庫や店らしき物があれば手に持った松明を投げ込む。
あちこちで火の手が上がり、民衆は逃げ惑い、守備隊は町を守ろうとするが民衆が邪魔になって思うように動けない。この町では最低でも今晩一晩は待機だ。守備隊が残っているのに居座るなんて危険なことが出来るはずもない。民衆に囲まれて身動きが出来ない守備隊を優先的に切り倒していく。
「第一・第二隊はこのまま残敵を掃討しろ!残りは今夜の寝床と食料の確保だ!」
「ぐへへっ!」
「待ってました!」
「ヒャッハーッ!」
テュレンネの許可が下りた瞬間……、ハーメレンでは地獄の光景が広がった。今まではただ火を放たれ、馬に踏まれるか剣や槍や弓で殺されるだけだった。しかしここからは違う。ここからが本当に凄惨な地獄の始まりだった。
「いやぁ!」
「ぐへっ!待て待て~!」
「きゃぁ~!」
「逃がさねぇぞ!」
あちこちで響く悲鳴。すでにハーメレンの守備隊は壊滅しており、一部残った戦える者も組織だって行動することは出来ず各個撃破されていた。テュレンネ部隊は馬を降り、家や店に押し入っては食料と女を奪っていく。男は殺し、女は連れ去り暴行する。ハーメレンの住民達がこつこつと蓄えてきた食糧を奪い、食い尽くす。
「くっくっくっ……。はっはっはっ!は~っはっはっはっ!これだ!見ろ!この私の指揮の冴えを!見ろ!この私の作戦の完璧さを!は~っはっはっ!」
カーザーン北の森ではカーザース辺境伯の汚い手によって一時撤退を余儀なくされた。しかしあれこそが汚い手を使った上での偶然だったのだ。テュレンネの指揮に、作戦に、失敗などあるはずもない。
この作戦によってハノーヴァーもハーメレンも相当な損害を蒙ったはずだ。これではこの近辺のプロイス貴族達は当分動けまい。もしかしたらもうプロイス王国は戦意を喪失して講和を申し出てくるかもしれない。
「また功績を増やしてしまったようだ。私は私の才能が恐ろしい。そして私は何と退屈で不幸な人生だろうか。何しろ私に対抗出来るような好敵手が存在しないのだからな!ふははははっ!」
夜になっても真っ赤に染まったままのハーメレンの空に、いつまでもテュレンネの狂った笑いが木霊していた。




