第四百八十四話「反攻作戦!」
ホーラント王国の軍はほとんど国境の防衛に出払っている。残っている治安維持部隊も民衆蜂起に備えて身動きが取れない。民衆は武力蜂起するほどに不満が溜まっている。これ以上ない絶好の好機!……と思えるだろう。
今なら海を渡ってきたブリッシュ・エール兵五千で簡単にアムスタダム王城を占領し、ホラント=ナッサム家やその配下を全て始末することが出来る。確かにそれをすること自体は簡単だ。でもそれは悪手でしかない。いや、最悪の一手と言っても過言じゃないだろう。
確かに今武力でアムスタダムを制圧し、ホラント=ナッサム家とその子飼いの者達を一掃するのは容易い。でもそんなことをしたらどうなる?ただ俺が次の王として認められてホーラント王国が纏まるか?そんなわけないだろう。
まず今俺はウィレム三世王として譲位を受けた。でもホーラント人からしてもホーラント王国に忠誠を誓う者からしても俺は余所者だ。突然現れて王位を譲り受けただけの赤の他人だ。この国のために何かしたこともない。そんな者を王として敬えるか?敬えるわけがないだろう。
もし俺が今武力で王城を占拠しホラント=ナッサム家を排除すればホーラント王国を割っての内戦に発展する。それは間違いない。
もちろん全員が敵にはならないだろう。ホーラント人の中にはホラント=ナッサム家の支配に嫌気が差していた人も多い。その状況が変わるのならと俺を支持する者も多少はいる。でもそれは所詮一部だけだ。
俺が何の根回しもなくホラント=ナッサム家を討てば、ホラント=ナッサム家の配下やそれを支持していた者達は俺を簒奪者として攻撃してくる。そして大半のホーラント人も、縁も所縁もない俺を支持しない。積極的に攻撃はしてこなくとも俺への支持は得られないだろう。
武力蜂起するほどホラント=ナッサム家に不満が溜まっている民衆ですら俺につかない。元々のホラント=ナッサム系の者達は敵になる。それでは例え今王城を占領出来たとしても何の意味もない。ホーラント王国を纏めるために内戦になってしまい、フラシア王国と戦っている場合ではなくなってしまう。
フラシア王国もそんなホーラント王国の内輪揉め、ゴタゴタを見逃すはずもなく、恐らくホラント=ナッサム系にもこちらにも近づいてきて交渉を持ちかけてくるだろう。俺達をお互いに潰し合わせて疲弊させてからフラシア王国が攻め込んでくれば、フラシア王国は労せずしてホーラント王国を手に入れることが出来る。
だから今一見好機に見えてもここで俺が武力によるホラント=ナッサム家の排除を行なうのは悪手だ。俺がまずすべきことは……。
第一にフラシア王国を退けること。これにより民衆は現王の力を知り支持する者が増えるだろう。ブリッシュ・エール王国でカーザー王が救国の英雄王などと言われているように、国難に対して成果を挙げた王というのは迎え入れられやすい。しかもホーラント王国のために身を粉にして働き、敵を討ったとあればなおのことだ。
そして第二に各所への根回しを行なうこと。これはラモールもあちこちへ働きかけてくれているみたいだけど、まずは俺が力を示し、軍や内政で実質的に実務についている者達を俺の味方になるように引き入れなければならない。これも突然やってきた余所者にいきなり従うはずがないだろう。だからまずはこちらの能力と、こちらに味方した場合の見返り、そして味方しても勝てるということを示してやらなければならない。
こうして民衆の支持を得て、実務に携わる者達を取り込み、ようやく本丸に攻め込むことが出来る。即ちホラント=ナッサム家の不正を暴き、民衆に広く知らせ、相応の罰に処することだ。そうして段階を踏んで初めて無事にホーラント王国を手中に収めることが出来る。
「そのためにもまずは戦争に勝つことが先だな」
「はっ!」
「カーザー王様にかかればフラシア王国など一捻りでしょう」
ラモールは慎重に頷いたけどゴトーはフラシア王国を侮って笑っていた。これは良くないんじゃないかなぁ……。
「ゴトー、自信を持つことは良いが相手を侮るな」
「は……、申し訳ありません……」
返事は素直なんだけどなぁ……。なぁんか敵を侮っているというか甘く見過ぎてるんじゃないのか?相手は仮にも大国と言われるフラシア王国だ。昔はプロイス王国単独では勝てないと言われていたほどの強国だぞ。いくらホーラント、プロイス、ブリッシュ・エール各王国の連合だったとしても侮って良い相手じゃない。
それに加えて同盟を申し込みに行ったカスティーラ王国、アゴラ王国、サヴォエ公国が参加してくれるかどうかも大きな問題だ。さすがにこれだけの国から全ての国境を同時に攻められたら、大国フラシア王国と言えども持ち堪えることは出来ないだろう。それでも講和させることが精一杯で完全降伏なんてさせることは不可能だろう。
これだけやってようやくどうにか抑えられるかという相手なのに、まるで余裕で勝てるかのように驕り高ぶって大失敗なんてことになったら目も当てられない。絶対に、確実に、何があっても勝てるように慎重にも慎重を期して万全に臨む必要がある。それでも針の穴を通すような、ギリギリの、薄氷の上を渡るような勝利になるだろう。
「ともかく今わた……、余がすぐに動かせる兵がブリッシュ・エール軍五千。それからカーザース卿に伝えて連携出来る兵がカーン・カーザース軍五千。合わせて一万というところだが……」
確かに俺は禅譲を受けてホーラント王に即位した。でも今俺がいきなり命令を下してもホーラント軍は中々言うことを聞いてくれないだろう。ホラント=ナッサム家の子飼いの上官達をどうにかしないことには俺が自由に動かすというのは難しい。ウィレム二世はまだ自分が実権を握れると思っているから、俺にそんな自由な裁量は与えないだろう。
じゃあ今の上官達を排除しましょうと言えば結局さっきの武力でのホラント=ナッサム家排除になるわけで、そんなことをしている場合じゃないのはさっき言った通りだ。ならばホーラント軍の掌握や指揮権は諦めて、すぐに俺の言うことを聞いて自由に動かせる兵を頼りにするしかない。
ブリッシュ・エール軍は俺の直轄だからいつでも自由に出来る。また本来ならカーン軍も俺の直轄であり自由に指揮出来るはずだけど……、今は一応カーン・カーザース連合軍として父に指揮権を預けている。
両軍合わせて一万として運用出来れば一番簡単でわかりやすいけど、前にも言った通りブリッシュ・エール軍の力を借りて旧プロイス領を取り返しても功績があやふやになってしまう。連携して行動してお互いにフォローはし合うけど、両軍を混ぜることなく別々に戦果を挙げなければ意味がない。
両軍同時に指揮は出来ないから今は父にカーン軍を預けてきたけど……、多分父ではカーン軍は使いこなせないだろう。正直この時代より遥かに進んだドクトリンを取り入れているカーン軍は、この時代の軍人には使いこなせない。折角の砲兵や鉄砲隊に突撃を命令でもされたら大変だ。
「全軍で洪水線で防衛している南西国境までは向かおう。その後余はカーン・カーザース軍に戻ってカーン軍の指揮を執る。ブリッシュ・エール軍の指揮はラモールとゴトーに任せたい」
「「はっ!必ずやご期待に副えてご覧に入れます!」」
本来ラモールは海軍の将だ。陸戦に引っ張り出すのは筋が悪いとは思うけど……、他に任せられる者がいない。シュバルツは海軍を率いてヘルマン海からフラシア王国沿岸部を攻撃する。無理に上陸や占領はまだしない。あくまで沿岸部を破壊するのが目的だ。
ブリッシュ・エール軍とホーラント軍はゴトーとラモールに任せるしかない。カンベエやイグナーツがいればこちらの指揮を任せたいところだけど、ユークレイナ方面にいる人間を今すぐここに呼び出す術はない。何より何でもかんでも全て頼りにしている一部の人間だけに任せていてはカーン家の膨張に対応出来なくなる。
「……誰か、優秀な人材はいるか?」
「はい。是非カーザー王様に会わせたい者達がおります。入れ!」
「「はっ!」」
どうやら最初から俺に誰か紹介するつもりだったらしい。ゴトーが外に待機している者に声をかけると二人の男が入って来た。服装から見るにブリッシュ・エール陸軍と海軍の将官が一人ずつのようだ。
「こちらがエドワード・ルシェル海将、そしてこちらがジョン・マールボロス陸将です」
「お初にお目にかかりますカーザー王様」
「お目通りが叶い感激しております」
紹介された者達とは会ったことがない。陸海軍の将軍に任命されているというのに俺とは面識がなく、しかも結構若い。三十代……、後半くらいか?四十代にはなってないかなと思うくらいだ。
カーン家の者は若者が多い。カーン家自体が最近出来たばかりであり、そこに所属する者も十代から入っていたような者が多く、十代二十代で結構な地位にまで昇っている者も多い。それに比べたら三十代中、後半ではそれほど若くないように思われるかもしれないけど、実際三十代で将軍を任されていればかなり有能だろう。
「今回の戦争のために抜擢した選りすぐりの俊英達です」
「なるほど……。ならばゴトーの人選を信じるとしよう。エドワード海将、ジョン陸将、期待しているぞ」
「はっ!ありがとうございます!」
「必ずやフラシア王国を打ち倒してみせましょう!」
何か……、キラキラした少年のような目で見られていて罪悪感が半端じゃない……。彼らは俺が仮面を被っているからその素顔を知らない。もしこの仮面の中身がまだ十代の小娘だと知ったら……、彼らのこの伝説の英雄王カーザー王に対する尊敬の眼差しも変わってしまうことだろう。何だか騙しているようで申し訳ない気持ちになる。
それはともかくこの二人は今回の戦争で前線指揮官としてゴトーが抜擢したらしい。元々ゴトーに任せるつもりだったんだ。そのゴトーが選んだ人選にケチをつけるつもりはない。俺はこの二人を知らないから有能か無能かもわからないし、それはこの戦争で明らかになるだろう。彼らが無能ならば遠くないうちに更迭されることになる。
「よし。それでは準備が出来次第、アムスタダムの住民達に大々的に宣伝しながら出陣するとしようか」
「「「「はっ!」」」」
こうして俺達は準備が出来次第、大々的にホーラント国民にアピールしながら王都アムスタダムを出陣した。ホーラント国民は俺達のことをかなり好意的に受け止めてくれている。それはそうだろう。もう国が滅ぶと思っていた所で突然の禅譲と援軍の出現だ。それに期待しない者はいない。
エドワード海将はもちろん海軍の将軍なのでアムスタダムから船に乗って海に出ている。陸路を行く五千の兵は俺が指揮する部隊と、ゴトーが指揮する部隊、陸将のジョンが指揮する部隊に分かれて進軍していた。ラモールも海軍の将なわけだけど、今回ラモールはホーラント軍との渡りをつけるために陸軍と一緒に行動している。
「ここが洪水線の最前線か」
「はい」
俺達がやってきた砦の先は水浸しになっていた。砦に到着した俺達はホーラント軍の守将の挨拶もそこそこに敵がいるという方面の視察にやってきた。城壁から見た限りでは向こう一面が水浸しになっているのがよくわかる。
ホーラント王国は低地でありこれまで干拓によって土地を拡げてきた。干拓地は周囲の川や海よりも低く、一度堤防や水門が決壊すれば水浸しになってしまう。もちろん一箇所が決壊したからといって、辺り一帯全てが水浸しにならないようにあちこちを区画で区切ってある。でも今回はそれが効かないように人為的に操作して洪水を起こしている。
その深さは絶妙であり、底の浅いボートですらあちこちに引っかかってしまってうまく進めない。かといって歩いて渡るには底がぬかるみ思うように進めない。チンタラ歩いていたら当然砦から矢で射られる。最初の洪水は偶然だったらしいけど、その有用性に気付いたホーラント側が計画的にあちこちを沈めたお陰で今はほとんど膠着状態らしい。
「敵の足止めには良いがこちらも動けないな」
「……砦から銃撃、砲撃してはいかがでしょうか?」
確かにゴトーの言う通りこの砦から銃撃、砲撃すれば一方的に攻撃出来るだろう。でも銃撃、砲撃を受ければ敵は後退する。こちらの攻撃が届かない距離まで下がられたら攻撃しようがない。敵を食い止めることに関しては効果的だけど、こちらが攻める時にも足枷になってしまうのは困ったものだ。
かといって今から水を抜いて攻撃に移るのも難しい。ぬかるんだ地面が乾くまでには時間がかかる。それに向こうも馬鹿じゃないから、こちらが水を引けばすぐに変化に気付いてこちらの動きを察知するだろう。攻撃準備をしているとバレるだろうし、向こうから先に仕掛けてくる可能性もある。それでは折角の洪水線が有効活用されていない。
「砦の防衛はこのままここのホーラント軍に任せ、砲兵だけ城壁側に配置するか……。あとは……、歩兵と鉄砲隊を迂回させて敵の背後から攻撃する。洪水線側へ敵を追い詰めれば砦からの砲撃も届くだろう」
「なるほど……。そしてカーン・カーザース連合軍は西の端の一点をこの砦から迂回に出たブリッシュ・エール軍に任せ、残りは同時に南下してゆくというわけですね」
「うむ」
さすがゴトーは頭の回転が速い。カーン・カーザース領からホーラント王国東の国境まではすでに確保している。後は南下していき、旧プロイス領を奪還したい。その動きに連動して一番西側の一点をこの砦に連れてきたブリッシュ・エール軍に任せる。
そのブリッシュ・エール軍は洪水線を迂回して、今この砦と対峙しているフラシア軍の背後に回り込む。背後から攻撃を受けたフラシア軍は背後からの攻撃と洪水線に挟まれて身動きが取れなくなるだろう。つまり強制的に背水の陣にしてやるというわけだ。
敵が迂回した友軍と洪水線に挟まれて身動きが取れなくなれば、この砦からの砲撃で洪水線に押し付けられている敵に損害を与えられる。やりすぎてその背後にいる友軍にまで攻撃しないように注意は必要だけど、それは指揮官達がうまくやるだろう。まさか味方まで砲撃はするまい。
「それではこの作戦で行きましょう」
「うむ」
他の将達も集めて慎重に作戦会議を行い、誰がどこの配置か、どの部隊を指揮してどう動くか打ち合わせが行なわれた。俺一人で勝手に決めたわけじゃない。実際に軍を動かしている者達が実際の段取りをしているから素人の俺が余計なことを言う必要はない。
「よし……。それではこの作戦で行くぞ。余はカーザース卿に作戦を知らせてくる。そのままカーン軍の指揮に移るからこちらは任せる」
「「「はっ!ご武運を!」」」
ラモールやゴトーやジョン陸将に見送られて俺はカーン・カーザース軍へと作戦を伝えるべく洪水線最前線の砦から出発したのだった。




