第四十八話「どこの家も母は強し!」
開拓は順調に進んでいる。上下水道を東から西に流す。メイン通りは南北だ。
カーザーンの西に流れている川はカーザーンを迂回するように最終的に南東方向まで流れていきやがて大きな川に合流する。その大きな川は北東方向に曲がりながら北の海にまで流れ出ている。カーザーンの北側に山地があるから北東方向へ迂回するように流れて海へと繋がっているわけだ。
そこで俺は開拓村の水源を西の川からとって東へ排水して北東へと流れている川に合流させることにした。下水は浄化槽と濾過装置を通すから流量も多い北東の川に流してもそれほど問題はないだろう。
メイン通りは南北に走らせて南へ伸びる道がそのままカーザーンへ繋がるように伸ばすつもりだ。カーザーンから北へ進むと俺の開拓村のメイン通りへと繋がる。これなら人の流れも作りやすい。
今度北東の川を下るか、北の山地を越えて海まで行ってみようか。北へ抜ければ海があるということにはなっているけど俺は今生ではまだ海は一度も見たことがない。開拓村から海まで道を繋げて港町も作れば海産物も手に入れやすくなるだろう。
「…………様!……ロトお嬢様!フロトお嬢様!」
「どうしたのですか?ヘルムート。少し落ち着きなさい」
俺が森の中を視察しているとヘルムートが大きな声を上げながらやってきた。
「フロトお嬢様!こんなに顔色が悪いではないですか!最近働きすぎです!きちんと眠っておられますか?今日は帰って休みましょう!」
「何を言っているのですか?私はきちんと休んでいますしこんなに元気です……よ……?」
ヘルムートに向かって力瘤を作ろうとしたら足元がふらついた。あぶないあぶない。足元の悪い森の中だから足を滑らせたようだ。
「フロトお嬢様!ふらついておられるではないですか!急いで戻りましょう!」
「少し滑っただけです……。このくらい……、何でもありません……。それよりも……開拓しましょう……」
そうだ。俺は開拓しなければ……。他にもしなければならない仕事が山ほどある。少し足が滑ったくらいで……、大袈裟に……、休んでなんて…………。
「フロトお嬢様!お嬢様ぁっ!」
「……ぅ、アレク……サン……ドラ」
~~~~~~~
ニコラウスはイラついていた。折角リンガーブルク家にたかってきていた小うるさい虫を追い払えたというのに相変わらずアレクサンドラはどこかに呼ばれることもなければ誰かを呼ぶこともない。
「ええい!どうしてアレクサンドラはこうも役立たずなのだ!アレクサンドラが他の貴族家とうまく交流出来ていればリンガーブルク家の勢いは戻るというのに!」
自分は完璧にアレクサンドラに教育を施したはずだ。それなのにアレクサンドラがその教育の成果をうまく発揮出来ないからこんなことになっているに違いない。イライラする気持ちを抑えきれずにドンッと机に拳を叩きつける。
「あなた?どうしたのです?今の音は?」
たまたま部屋の前を通りかかった妻のガブリエラが音に驚いてニコラウスの部屋へと入って来た。
「何でもない!」
「……そうですか?」
イライラする気持ちのまま妻に八つ当たり気味に怒鳴るとガブリエラは申し訳なさそうな顔をして部屋から出て行こうとした。
「いや、ちょっと待て!アレクサンドラはどうした?最近どうしている?」
「……え?あなた……、本気で言っているのですか?」
妻が信じられないものでも見るような目で自分を見てくる。
「わからないから聞いているのだろう!」
イライラするままに怒鳴ると妻は哀れなものを見るような目に変わって首を振った。
「アレクサンドラは一週間以上も前から食事も碌に取らずに寝込んでいるではありませんか。あなた……、自分の娘の大事も気付いていなかったのですか?」
「寝込んでいるだと!?こんな大事な時期にっ!?なんって……、なんって娘なんだ!一体今がどれほど大切な時期だと思っているんだ!多少無理をしてでも手紙を出し、訪ねていかなねればならない時期だろう!一週間少し前?丁度私があの小うるさい詐欺師どもを追い払ってやった頃じゃないか!私があれだけ苦労して労力をかけて邪魔な虫を追い払ってやったというのになんて呆れた娘だ!」
ニコラウスは乱暴に椅子に身を投げ出すように座って頭を掻き毟った。どうしてこうもうまくいかないのか。自分はこんなにリンガーブルク家のために奔走しているというのに家族ですらその自分に協力してくれない。それどころか足を引っ張るような真似ばかりされてイライラが募る。
「ちょっと……、あなた?今のはどういうことですか?」
頭を掻き毟ったまま俯いているニコラウスは妻の表情が激変していることに気づかない。
「どうもこうもない!アレクサンドラの馬鹿娘はようやく訪ねて行ったと思ったら森の中の掘っ立て小屋に住んでいる自称騎士爵だという詐欺師達と会っていたんだ!だから私は詐欺師共に娘に近寄らないように言って追い払ってやったというのにアレクサンドラときたらその後は体調を崩して寝込んでいるだと!私の苦労も知らずにのうのうと眠っているのか!私がアレクサンドラの頃くらいには毎日リンガーブルク家のために奔走していたというのに!」
当然ニコラウスにも社交界デビューの年はあった。ニコラウスは何度断られてもあちこちに手紙を出し、あちこちのパーティーに顔を出し、あちこちに顔と名前を売っていた。全てはリンガーブルク家のために。例え自分が痛かろうが苦しかろうが全て我慢して笑顔を振りまいて社交場に出かけた。
それなのにアレクサンドラは少し体調が悪いからと一週間以上も寝て過ごしている?そんなことが許せるはずがない。それはただ本人が軟弱なだけだ。自分のように心身ともに鍛えていれば多少の体調不良などいくらでも捻じ伏せることが出来る。
「ニコラウス!今の話もっと詳しく聞かせなさい!」
突然目の前の机がダンッ!と音を立てたのに驚いて顔を上げたニコラウスが見たのは、未だ嘗て見たことがないほど鬼の形相をしたガブリエラの顔だった。
~~~~~~~
何か誰かがコソコソと話している声が聞こえる……。うっすらと目を開けるとそこは見慣れた天蓋だった。
「……疲れ…………静養……」
「……わかっ……」
視線を動かすとベッドの近くには父とカーザース家の主治医が立っていた。ぼんやり視線を動かすと扉の近くにはイザベラが立っている。俺の寝室だからかヘルムートはいない。恐らく扉の外で立っているのだろう。
「おや?目が覚めましたかな?」
主治医が俺に気付いて話しかけてきた。昔からカーザース家の主治医をしていてカタリーナも診てもらったヨハンという医者だ。
「ここは……」
「ああ、無理に動かず安静にしておいてください。どうやら最近あまり休まれておられなかったのではないですかな?暫く安静にして療養してください」
どうやら……、俺は倒れたらしい。ヨハンは再び俺と父に無理をせずゆっくり静養するようにと言って出て行った。
「申し訳ありません……」
「何に謝っている?」
俺が反射的に言葉を口にすると父がそんなことを言った。何に対して謝ったのだろうか。
「自らの体調も管理、把握出来ずご迷惑をおかけしました……」
とりあえず謝るとしたらそこではないかと思って謝ってみた。俺が倒れたせいできっと父の仕事にも影響が出ただろう。予定外のことが起こると全ての予定が台無しになる。父ほど忙しい人間ならばその予定が狂えば大変なしわ寄せがくるだろう。
それがただ俺が自分の体調も管理出来ず自業自得で倒れたのが原因だとすればそれは父に迷惑をかけたことに謝るべきじゃないかな。
「…………」
「――ッ!」
俺が謝ると父が寝転がっている俺に手を向けたから思わず目を瞑って息を飲んだ。というか知らず知らずのうちに歯を食いしばっていた。自然と殴られる際の行動が出てしまう自分の体にびっくりだ。勝手に殴られた際のダメージを軽減したり耐えられる姿勢を取ってしまう自分の反射に少し笑ってしまいそうになる。
「……え?」
しかし思ったのとは違う衝撃が俺を襲った。迷惑をかけた父にビンタでもされるかと思ったのに父の手は俺の頬を叩かず頭の上にポンと置かれた。
「まだ十歳になったばかりの娘の体のことも考えずに広大な領地を管理させ無理をさせてしまった。すまん……」
「父上……、父上のせいではありません。私が自分の体調管理も出来ない愚か者だったのです」
父は多分俺が領地開拓のために頑張りすぎて倒れたと思ってくれたのだろう。父がこうして俺に謝ってくれたことは生まれて初めてのことだ。それは素直にうれしい。だけど心苦しくもある。俺はそんな父が考えているような立派な人間でもなければ一生懸命頑張ったわけでもない。
俺はただアレクサンドラとのことが辛くて……、ただ何かをしていないとアレクサンドラのことを思い出しそうで自分で勝手に無茶をして倒れただけの馬鹿者だ。
だけど……、何故だろう。少しだけ俺の目から涙が零れた。大きくてゴツゴツした温かい父の手が俺の心を和らげてくれる。ただこうして頭に手を乗せてくれるだけで心が救われる。
自分で馬鹿な無理をして倒れたのは愚かなことだったと思うけど……、こうして少しは父と触れ合えて案外よかったのかもしれない。少なくとも俺はこうして心配してもらえるくらい家族に愛されている。
「もう少し休みなさい」
「はい……。ありがとう父上……」
「…………」
その後俺はいつの間にかまた眠りに落ちていたようだった。
=======
一日ぐっすり休んだら体調もほぼ治ったと思う。まだ無理するなとは言われているけど寝てばかりもいられない。掘っ立て小屋に行くのはどうしようかと思いながら書類仕事くらいならカーザース邸の執務室でも出来るのでそちらで軽く書類仕事をしているとイザベラが青い顔でやってきた。その手には……。
「申し訳ありませんフローラお嬢様……」
「どうしてイザベラが謝るのですか?」
イザベラはそっと手紙を俺に差し出した。俺がまた手紙を読んでショックを受けないかと心配してくれているのだろう。イザベラの家に俺宛の手紙が届くということはほぼリンガーブルク家関係しかないだろう。アレクサンドラのことが吹っ切れているわけではない俺は正直あまりその手紙を見たいとは思わない。
だけどだからってイザベラが悪いはずもない。ここで俺が手紙を読まなければイザベラは自分が悪いと思ってしまうだろう。だから俺は笑顔でそれを読まなければいけない。そうしないと俺のせいでイザベラまで辛い思いをさせてしまう。
若干引き攣っているかもしれないけど笑顔で手紙を受け取り差出人を見る。
「ガブリエラ・フォン・リンガーブルク?」
そこに書かれていた名前は俺が二つ予想したどちらとも違っていた。名前から察するにアレクサンドラの母親か姉妹だろうか。少なくともニコラウスからの脅迫文やアレクサンドラからの恨み言の類ではないとわかってほっとした。
まぁアレクサンドラはとても良い娘だ。あんな酷い仕打ちをした俺にですら恨み言の一つも言わないだろう。むしろ罵倒されて恨み言の一つや二つ言われた方がまだ落ち着く。自分の罪を罵られることで少しでも償った気になれるからだろう。だけどアレクサンドラはそんなことはしない。それがわかっているからこそ余計に心が重いのだ。
考えていても仕方が無いので封を切って手紙を読む……。
「…………」
そうか……。
「イザベラ、騎士爵の正装を用意してください。すぐに出かけます」
「……え?はっ、はい。かしこまりました」
イザベラが急いで出て行ったのを見送ってから俺は書類を片付けてゆっくり立ち上がった。イザベラが俺の身支度の準備をしている間にゆっくり到着すれば良い。だけど心は急いでいるのかついつい早歩きになってしまうのを止めることは出来なかった。
=======
クルーク商会に馬車を借りに行っている時間ももったいないので俺は適当に家にあった馬車に駆け乗ってすぐにリンガーブルク邸へと急いだ。玄関口での出迎えの挨拶もそこそこに急いで中へと入る。そこに居たのは……。
「アレクサンドラ!ごめんなさい!本当にごめんなさい!」
「いいえ!いいえ!フロト!私の方こそごめんなさい!」
俺を待ってくれていたアレクサンドラに飛びつくように抱き合いお互いに謝罪の言葉を口にする。だけどアレクサンドラが謝ることなど何もない。ガブリエラの手紙のお陰で色々とわかった。
ニコラウスがアレクサンドラとリンガーブルク家のことを心配して俺達を遠ざけた。その結果アレクサンドラは寝込んでしまったそうだ。俺が、アレクサンドラを裏切ってしまったから。
「友達だと言ったのに……、本当にごめんなさい」
だから俺が謝らなければ……。ガブリエラの手紙にはアレクサンドラが元気になるには俺と和解するしかないと書いてあった。そしてニコラウスも今は俺とアレクサンドラが交流することに反対ではないと……。どうやらガブリエラが説得してくれたようだ。
結局俺はガブリエラに救われてこうしてアレクサンドラと再会することが出来た。俺一人では未だにアレクサンドラと会うことは出来なかっただろう。
「うちの人が迷惑をかけてごめんなさいね」
「貴女が……、ガブリエラさんですか?とんでもありません。私の方こそご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。私がアレクサンドラを裏切ったためにこのようなことになってしまって……」
俺がガブリエラと思しき人に謝ろうとすると途中で言葉を遮られた。
「いいえ!違うのよ!悪いのはぜ~んぶこの人なの!手紙にもそう書いておいたでしょう?」
怖い笑顔のガブリエラがニコラウスの耳をぎゅーっと引っ張る。
「ニコラウス卿はアレクサンドラとリンガーブルク家のことを心配されたのです。それは当然のことでしょう。ですがそこで私がアレクサンドラを裏切らず違う道を選んでいればよかったのです。私がアレクサンドラを裏切ってしまったからこのようなことに……、ニコラウス卿、ガブリエラさん、本当に申し訳ありませんでした」
アレクサンドラから離れた俺は二人に向かって頭を下げた。
「本当にこの子は……、そういう所もアレクサンドラと似ているのかしらね?……これからもアレクサンドラをよろしくね?」
「はい!それはお任せください!」
俺は騎士の礼でガブリエラに答えた。
「ふふっ」
「あはっ!」
そして笑みの零れたアレクサンドラと一緒に笑い合う。あぁ、よかった。こうしてまたアレクサンドラと一緒に笑い合える日がくるなんて……。その日はそのままリンガーブルク邸で皆でお茶会を開いたのだった。




