第四百七十八話「今、何て?」
「はぁっ!?本気でそんなことを言ってきているのですかっ!?」
「お前の所にも同様の書状が来ているのではないか?」
俺の言葉に父はサラッとそう答えた。あれから数日が経ち、一応カーン軍二千、カーザース軍三千は出陣の準備が出来ている。まだまだ万全とは言い難いけどここは早さが大切だ。兵は拙速を尊ぶという言葉がある通り、敵が立て直してくる前にこちらが有利な場所まで歩を進めておく方が良い。
無闇に拡大したり侵攻していくのは愚かだけど、慎重になりすぎて進むべき時に進まないのはもっと愚かだ。敵が立ち直る前にホーラント王国までのルートは確保しておかないと、ホーラント王国と分断されたまま戦うのはデメリットが大きい。
それなのに……、プロイス王国はフラシア王国からまだ宣戦布告を受けていないからなどという理由でごたついているようだ。王様達は俺達の報告が嘘だとは思っていないと言っているけど、会議ではフラシア王国から未だに宣戦布告がない以上はプロイス王国から仕掛けるのは時期尚早とか言っている輩がいるらしい。
これから調査するからどうとか、状況がわかるまでこうとか、何やらゴネてプロイス王国の動きを封じているようだ。あからさまにフラシア王国の息がかかった者なんだろうけど、戦争を避けたい者は他にもいるようで、そういう者達が同調するから中々話が進まないという。
とりあえず王家や一部の協力的な貴族だけで動いてはどうかという話になっているようだけど、それでも王家がこちらに送ってくるのは半年後に千の歩兵だけらしい。ふざけているとしか思えない。千ぽっちの歩兵に何が出来るというのか。プロイス王国の装備の千程度では占領した町一つ守れないんじゃないか?
「それは手柄の横取りのためにとりあえず援軍を送ったという邪魔者でしょう。そんなものなら来ない方がマシです」
もし誰一人どこからも援軍がない中で俺達が戦果を挙げればそれは丸々俺達の手柄になる。でも例え一人でも他所からの援軍が入っていれば、その手柄の何分の一かでも援軍のものだと言い張られてしまう。どれほどクソの役にも立たないカカシだったとしてもだ。
だから戦争があると形だけでも援軍を送って、手柄があれば援軍を送ったのは自分だと声を大にして言い張るなんてことが起こる。普通なら友軍の援軍は無下には出来ないから勝ちそうな所に適当に援軍を送るだけで、お零れの手柄が手に入るというわけだ。
今度の王家から千の援軍が来るといのもそういうことだろう。真面目に戦う気なんてなくて、誰も何の援軍もしていないというのは国としても体裁が悪いし、何より俺達が戦果を挙げて手柄を独り占めしたら面倒なことになる。
だから一応王家からも援軍を出しましたよ、手柄は王家にもありますよとアピールしているに過ぎない。でなければたった千の援軍しか出せませんなんてことはないだろう。
プロイス王国におけるカーン家の各爵位、各領地の全ての力を振り絞れば数万くらいの兵は出せる。領内経済や領の防衛、戦費などを一切気にしなければ十万でも召集は可能だろう。ただしそんなことをすれば戦費は嵩み、領内経済はガタガタになり、国境防衛もままならず領内はがら空きになる。それでも国が滅ぶよりはと全力を出せばそれくらいは可能だ。
ましてや王家やクレーフ公爵家、グライフ公爵家などの有力家がフラシア王国との戦争のために行動すれば数万くらいは軽く動員出来る。それは全力を振り絞ってのことではなく、国内の治安維持や国境警備を残したままでの動員可能な兵としてだ。
それなのに……、送ってくるのが半年後にたったの千……。舐めているとしか思えない。とりあえず勝った際に自分達も援軍を出していましたと手柄を横取りするための足手まといの援軍としか思えない。
「落ち着け。そもそもそうは言っても王家直々の援軍を断れまい」
「――っ!それは……、そうですが……」
俺の怒りに対して父は冷静だった。長年高位貴族として生きてきた父にとってはこんなことは今までにも何度も経験してきたことなんだろう。少しの兵を援軍と称して送り込んできては、手柄だけ掠め取っていくような輩に何度も煮え湯を飲まされたに違いない。ましてや今回の相手は王家そのものだ。王家が出してくれた援軍にケチなどつけられるはずもない。
「ふっ……、ふふふっ!ええっ!わかりました!それでは半年後にやってくる王家の援軍千を頼りにしましょう。半年後にまだ戦争が続いていればですが!」
「フローラ……、お前は……」
ああ、簡単なことだった。どうして気付かなかったのか。プロイス王国が半年後に千の援軍を送ってくるというのなら、半年以内に戦争を終わらせてやればいい。
俺達の目的は何もフラシア王国全土を占領することじゃない。元々は仕掛けられた戦争を受けて立つだけだ。本当なら敵を追い払って賠償金でも取れればそれだけでも十分とすら言える。さらに俺の目的はヴェルゼル川流域、レイン川流域をフラシア王国から返還させることだ。
もっと南方もプロイス王国からフラシア王国に割譲された領土があるけど、俺にとってはあまり価値のない土地だし、昔と違って今は別にもうプロイス王国を救おうとか発展させようという気はない。プロイス王国が取り返したければ自力で勝手にやれば良い話だ。俺に利益がないのなら俺には関係ない。
フラシア王国の崩壊とか、全土併合とか、そんな大それた目標じゃないんだ。まずはヴェルゼル、レイン両流域を取り返し、その上でフラシア王国に負けを認めさせて領土返還、賠償金支払い、戦争終結をさせればいい。簡単なことじゃないか。フラシア全土に攻め込む必要はないんだからな。
半年以内に俺の目標の地点を全て攻め落とし、フラシア王国に戦争を諦めさせる。講和に応じなければフラシア王国王都パリスでも、王の離宮とされているヴェルサイレス宮殿でも攻め落としてやればいい。ギロチンか講和かフラシア王に選ばせてやろう。
くくくっ!俺に喧嘩を売ってきたフラシア王国も、ふざけた真似ばかりしているプロイス王国の高位貴族共も、全員思い知らせてやる!
「フローラ……、悪い顔になっているぞ」
「あら?何のことでしょう?父上?」
危ない危ない……。あまりに腹立たしいからつい本性が漏れてしまっていたようだ。俺は普段あまり怒らない方だとは思うけどここまでコケにされたら怒る。当たり前だ。俺が舐められるということは巡り巡ってうちの領民達にまで不利益が降りかかることになる。それを笑って見ていられるほど俺は愚かでも人でなしでもない。
「お前ならば本当に半年以内に終わらせてしまうのだろうが……、それもいかんぞ。王家が直々に援軍を出すと言っているのだ。それを受ける前に戦争を終わらせるなどあってはならない」
あ~……。まぁ忖度というか、斟酌というか……。一言で言えば接待だな。豊臣秀吉も接待プレイが得意で、わざと敵を追い詰めておきながら止めを刺さずに上司を呼んで、楽な最後の手柄だけ上司に取らせてご機嫌取りをしていたともいう。組織で生きていくためにはそういうことも必要だろう。
俺だってそれはわかる。例え千ぽっちであろうとも、王家が直々に援軍を出すと言っているんだ。それを無視してさっさと戦争を終わらせてしまいました、というのは通らない。そんなことをすれば普通王家の面目を潰したとして、表向きは別の理由にしろ、どんな処分を受けるかわかったもんじゃないだろう。
でもそれはそれだ。回避する方法はいくらでもある。つまり戦争の最後の決着を王家につけさせてやればいい。それだけで一応手柄だと誇れるだろう。カーン家は実利だけ得ればいい。名誉も功績も何もいらない。まぁ領土を得ようと思ったら功績は必要だからいらないというのはちょっと言葉の綾だけど。
「もちろんわかっております。王家の援軍が来るまでは『戦争は終わらせません』よ。ですが……、我々が必要な領土は先に全て奪還しておきます。残りについては王家が勝手にどうとでもなされば良いでしょう」
「……我々が必要な領土、とは何のことだ?」
ふむ……。ここは誤魔化すよりも正直に話した方が良いか……。どの道今の状況ではカーン家だけではレイン川流域まで確保することは出来ない。絶対にカーザース家の協力が必要だ。それならば正直に話して協力してもらった方がいいだろう。
「今後の発展などやフラシア王国やホーラント王国への影響を考えれば、ヴェルゼル、レイン両川の流域は絶対に当家で押さえておく必要があります。戦後の論功行賞でそれらの地域を当家か、あるいは当家と非常に親しい家に領有してもらうためにはそれらの地域を我々の力だけで取り返し、占領しておかなければなりません」
「ふむ……。何故その地域に拘る?」
他の質問や言いたいことを全て差し置いてその一言か……。つまり父は……。
「今後の発展には水運と、ヘルマン海への出入り口が欠かせません。ヴェルゼル、レイン両川はそれを満たしております。もちろんレイン川下流はホーラント王国に注いでおりますが、レイン川は今後重要な地域になることは間違いありません。敵がその重要性に気付く前に当家か、当家と親しい家が押さえておかなければならないのです」
「フラシア王国には止めを刺さず、それらの地をカーザース・カーン連合軍だけで奪い返し維持する。そして半年後に王家の援軍が来てからフラシア王国に止めだけ刺させる。そういうことだな?そして戦後の褒美でそのままその地を治めようと」
「はい。概ねその通りです」
父は黙ったまま顔に手をあてて考えている。普通に考えたら国家反逆罪ともとられかねない言葉だ。別に俺が国に反逆したり、反乱を企てているわけじゃないじゃないかと思う所だけど、国の方針に逆らったり、言う事を聞かないだけでも十分反逆罪にされる恐れがある。
プロイス王国に忠誠を誓っている父ならば俺の言葉を聞いただけで怒り出してもおかしくはない。そのはずなのに父は怒るどころか何やら思案している。普通なら俺を王家に突き出すか、聞かなかったことにしてやるから考えを改めろと宥めるか、そういう対応が普通だと思うけど……。
「ふむ……。どちらにしろフローラの言う通り急ぐ必要はある。まずは準備が整い次第ホーラント王国までの森を制圧しよう。それで良いな?」
「はい」
父は俺の言葉に何も言わずにそう言った。もしかしてとは思っていたけど……、父ももうとっくの昔にプロイス王国に愛想が尽きていたんじゃないのか?いや、プロイス王国そのものは良いとしても、他の上位貴族達の愚かっぷりにはもう処置なしだと思っていたに違いない。
今のままのプロイス王国では駄目だ。父もそう思っている。だからそれを変える必要がある。他の貴族達の権限を弱め、中央集権、絶対王政の政体を作り強い国家を築き上げなければこの先の時代に生き残れない。
カーン家、カーザース家がプロイス王国で手柄を挙げて力をつけ、他の貴族家を弱めていけば、少なくともカーン・カーザース家が味方している限りは王家の力は相対的に強くなる。もちろんそれを支えているカーン・カーザース家の力はもっと強いかもしれないけど……。
それでも今のままのバラバラなプロイス王国よりはまだマシだと……、父もそう考えているんだろう。だからこそ俺を宥めるよりも、まずは他の貴族達をどうにかすることを優先する。
俺と父の目指す先は似て非なるものだ。いつか致命的に決裂したら……、カーン家とカーザース家も対立することになるかもしれない。でも今は同じ先を目指している。願わくばその道が決別しないことを願うだけだ。
父とのこの話し合いがあってから数日後、カーン・カーザース連合軍五千は出陣し西へと歩を進めた。
先行して森の索敵を行なっていたから敵がいないことはわかっている。まさに無人の森を西へと突き進み、ホーラント王国東の国境へと無事に辿り着いた。途中で陣の跡を見つけたからホーラント王国東の国境まで迫っていた敵軍が居たのは間違いない。その敵も一緒に南西へと撤退していったようだ。今はホーラント王国への攻勢も落ち着いているらしい。
「…………今、何と言った?」
ホーラント王国までのルートを全て確保したカーン・カーザース連合軍は、主に南側の、まだ敵地である方面を警戒している。そして俺は再び男装してホーラント王国王都アムスタダムまで戻ってきたわけだけど……。
「はい。ですのでカーザー王様にはホラント=ナッサム家ウィレム二世の養子に入っていただき、ウィレム三世として王位を継いでいただきます」
にんまりと……、仮面から見えている口元が完全に悪人の顔になっているゴトーがそんなことを言った。ラモールも目を瞑って静かに頷いている。俺が離れていた一週間ほどの間にホーラント王国で一体何があったのか……。
色々と言いたいことはあるけど、仮面のカーザー王の役を演じている俺は下手なことも言えずただ黙って頷くことしか出来なかった。




