第四百七十一話「やっぱり来てた!」
アムスタダムを出航した俺達はいつものデル海峡を通るルートではなく大陸沿いに東へと進む。デル海峡を通るためには大陸から北に向かって突き出しているデル王国の半島を越えていかなければならない。半島を越えるように動くと遠回りで時間がかかる上に一番近い港がキーンということになる。キーンに着いてから陸路でフローレンへ向かうのは手間だ。
だから今回は下流はフラシア王国領内を流れているヴェルゼル川を上ることにする。半島を北に回って行くより早く着く上に、フローレンに直接行けるから時間は圧倒的に短縮可能だ。ただしフラシア王国領内を通らなければならないことと、狭い川で敵に見つかれば船の利点や機動力が十分に活かされないまま戦わなければならないことになる。
危険も考慮して小回りも利く小型快速のキャラベル船一隻で戻っているけど戦力としては心許ない。もし予想通りに、ホーラントの洪水線を回避して東に回りこもうとしているフラシア軍が、カーン・カーザース領に牽制の一撃を見舞うつもりならこれだけの戦力では止めることは出来ないだろう。
「ふむ……。船は河口付近で待機しろ。私だけ上陸して森にいる部隊に状況を確認してくる」
「はっ!」
フローレンは元々フラシア王国との国境警備や侵攻時の拠点になるように計画されたものだ。もちろん他にもヴェルゼル川を利用した水運の拠点としても機能するように考えているけど、フラシアの監視についても力を入れて整備してきた。
ブリッシュ島に上陸してきたフラシア軍の残党であるエンゲルベルト達を配置する前から、フローレンではヘクセンナハトの麓まで続くフラシア王国の領内や、ヴェルゼル川の西岸側の監視や偵察は行ってきた。こちらの森の各所に施設を作り様々な対応も行なっている。
もし俺の予想通りにフラシア軍がこちらに迫っているのなら、元々のフローレンの警備部隊やエンゲルベルトの部隊が気付いているはずだ。不用意に船で川に入ってしまっては敵に見つかってしまう恐れが高い。キャラベル船は河口付近に待機させて川へは入れず、俺だけ陸を走って情報収集した方が良い。
「…………着替えるか」
船を降りる準備をしようとして、ふと自分の格好を見て立ち止まる。外套に仮面で滅茶苦茶怪しい。こんな奴が森の中をウロウロしていたら敵だけじゃなくて味方にまで攻撃されかねない。
まぁ俺のこの格好を知っている者もいるけど、全員が全員俺のこの姿を知っているわけじゃないし、誰かに見られた時に不審者だと思われる可能性が高そうだ。
「よし。これなら良いでしょう」
いきなり森の中で仮面に外套の男と出会ったら不審者だと思われてしまう。そこで女装……、あっ、違うな。俺は女なんだからこれで普通なんだっけ。とにかく女性の格好に着替えた。
……森の中でドレスを着た女性がいたらそれはそれで不審か。まぁいい。他に手段はない。それにフローレンなどに行く可能性を考えれば、もともとフローラの格好で視察もしていたんだからこちらの方が良いだろう。
何よりフローレンまで行くかどうかはわからない。この森の各所には監視所や待機所があちこちにある。フローレンまで行って話を聞かなくても、監視所などにいる兵士に話を聞いても状況はわかるだろう。とりあえず一番近い施設へ向かおう。
~~~~~~~
ヴェルゼル川の河口付近でキャラベル船を降りた俺は一人で森を駆けた。船は河口付近で暫く待機するように伝えている。この河口付近はヴェルゼル川の東岸もフラシア領になっているけど、普段は人なんてほとんどいない。名目上だけヘクセンナハトを監視する施設があり、そこに数名のフラシア兵がいるくらいのものだ。
それでももしかしたら誰かに見つかるかもしれないと思って細心の注意を払いつつ、急いで監視所に向かった。監視所に居た兵士は俺のことを見ても驚くこともなく、手早く俺の欲しい情報を教えてくれた。こちらにいる兵士は古株も多いから俺がフローラの格好でも、フロトの格好でも問題ない者が多い。そういう意味ではとても楽だ。さすがは地元と言うべきか。
「なるほど……。やはりフラシア軍はこちらに奇襲するつもりですか」
「はい。それは間違いありません」
フローレンの駐留部隊やエンゲルベルトの部隊はすでにフラシア軍の動きを掴んでいた。敵がまったくいないこんな森の奥深くでも、日頃からきちんと巡回と監視網の構築を怠らなかったお陰だろう。兵士達が真面目に仕事をしてくれていたことをうれしく、また頼もしく思う。
監視所の兵士に聞いた情報を整理する。どうやら予想通りフラシア軍はホーラント王国の洪水線に苦しめられ、それを迂回するために東側まで回ってホーラント王国の背後から攻撃しようと画策しているらしい。
その際にこのホーラント王国の東に広がる森に進出してきているわけだけど、ここはホーラント王国とプロイス王国に挟まれた狭い土地だ。まぁ狭くはないんだけど、間に挟まれた回廊とでも言うべき土地だ。当然こんな立地でホーラント王国の東側から攻撃しようと思ったら、自分達の背後、さらに東のプロイス王国が気になるだろう。
もし自分達がホーラント王国を東から攻めている時に、さらに東のプロイス王国に背後から攻撃されたら……、一気に自軍が総崩れになる可能性もある。ならば……、先に不意打ちでプロイス王国にダメージを与えて、相手の動きを封じて遅らせている間にホーラント王国を攻め落としてしまう。考え自体はわからなくはない。
実際すでに東に進んでいたフラシア軍は二手に別れて、一方はホーラント王国の東側へ回り、もう一方はこちらへと向かってきている。エンゲルベルトの配下の者が敵軍に潜り込んでいるらしいから、目標がカーザーンであることは確定しているようだ。
北の自国領に渡るような顔をして軍を通過させ、北方でヴェルゼル川を渡ってから森を抜けてカーザーンを北から奇襲する……。狙いはわかるけどフラシア王国はどうやらプロイス王国の情報をまるで集めていないらしい。カーザース辺境伯領の北側はカーン騎士爵領として割譲されていて、俺があちこちに町や街道を建設していると知らないんだろう。でなければこの動きはおかしい。
相手のことを調べもしていないのに、昔の感覚のまま相手の配置を予想だけで攻撃するなんて相手の指揮官は無能者か?俺なら絶対に徹底的に相手の状況を調べて、あらゆる情報を集めて対策してから攻撃を行う。偶発的な戦闘ならともかく、今回のフラシアのように自分から攻めようと思っているのならなおさらだ。それがまったく見られない。思いつきで作戦を考えているのか?
それとももしかして何か俺の気付いていない遠大な計画が……?
……わからないな。俺一人でこれ以上情報もなく考えても思いつかない。それにアムスタダムで別れた者達も、こちらの部隊の者も誰もわからないようだ。フラシア側に何か物凄い作戦があるのだとしても俺達にはわからない以上は、とりあえずわかっていることに対処するしかない。
「わかりました。私は一度フローレンの指揮所に向かってエンゲルベルト達と今後について話し合います。貴方達は引き続き監視と警戒をお願いします」
「はっ!お任せください!」
良い返事をしてくれた兵士達を労ってから俺は再び森を駆け抜けたのだった。
~~~~~~~
フローレンに着いた俺は早速エンゲルベルトや駐留部隊の指揮官達を集めて情報交換を行なった。こちらでも基本的には監視所で聞いたのと同じ情報ばかりだったけど、さすがに指揮所だけあって最新の情報が集まってきている。
「敵部隊は現在北東へ進出中です」
「敵はまだ自国領内を進んでいるにすぎません……。やはり今後のことを考えれば最初の一発は向こうに撃たせなければなりませんね」
「はっ」
こちらは内偵で敵がカーザーンを攻撃するつもりで動いてきていると把握している。でもその証拠は何もない。だからまずは相手に先に攻撃されたという事実がなければならない。相手が自国内を移動しているだけなのに、怪しい動きがあるからとこちらが先に越境して攻撃してはこちらに非があることになってしまう。
「このまま行くと……、フラシア軍はヘクセンナハトへ通じる自領内を渡るのでは?」
「いえ、現在入っている情報ではその手前での渡河を計画しているようです。予想される渡河地点は……、この辺りかと」
エンゲルベルトが地図を示しながらそう言った。
「そこは確か……」
「はい。小さな村が出来つつあります」
やっぱりか……。俺が計画して建てさせている町や村じゃなくて、各地にも街道沿いに宿場町や休憩所が連なる村や集落が出来ている所がある。予想地点の近くにも巡回している兵士達の休憩所があり、そこを中心に村になりつつあると聞いていた。
確かに敵に最初の一発を撃たせる必要がある。こちらから先に仕掛けたとあってはプロイス王国内の他の貴族達に俺達が責められることになる。だからこそフラシア王国から侵攻してきたのだという事実は必要だ。だけど先に攻撃させてはこの村は壊滅してしまう。兵士には情報は渡せても村人に敵が近づいている情報を漏らすわけにはいかない。
「敵に最初の一発を撃たせて、なおかつ村や村人に損害がないように……、作戦を考えましょう……」
「ふっ……。フローラ様は甘すぎますな」
エンゲルベルトや他にこの場に集まっている指揮官達がそんなことを言う。一瞬その言葉が信じられなくて皆の方を見てみたら……、何やら優しい笑顔をしていた。どうやら俺の早とちりだったようだ。
皆は村人なんてどれほど犠牲になっても作戦行動が最優先だと言っているのかと思った。だから村人を第一に考える俺が甘いと言ったのだと……。でもそうじゃなかった。皆も気持ちは同じなんだ。
「そんなフローラ様だからこそ多少無茶な注文でも全ての者がフローラ様の願いを叶えようと頑張るのでしょうな。我ら元ノルン公国やフラシア王国の敗残兵ですら心酔してしまうほどに……」
「エンゲルベルト……」
面と向かってそこまで言われたらこそばゆいというか恥ずかしいというか、ちょっと持ち上げすぎという気もするけど悪い気はしない。
「それでは考えましょうか。こちらに非がなく、相手に最初の一発を撃たせ、なおかつ村人に被害を出さない作戦を」
「「「はっ!」」」
うちには大勢の優秀な指揮官と、命令を忠実に守る練度の高い兵がいる。きっと何とかなる。いや、してみせるんだ。
~~~~~~~
情報収集しつつ対策を考えるけど中々これだというものが決まらない。戦場に絶対なんてないというのは確かだけど、可能な限り大丈夫だと言えるようなものでなければ……。
「伝令!伝令!」
「何かありましたか?」
急ぎの伝令が駆け込んで来たから何事かと聞いてみる。それは思わぬ知らせだった。
「はっ!フラシア軍に動きあり!二手に別れ一方はさらに北へと移動を開始しました!」
「……なるほど」
どうやら敵は村の存在に気付いたらしい。その上で真正面から渡河して村人を逃がしてしまったら自分達の奇襲がバレてしまう。だから迂回して先にヴェルゼル川を渡る部隊と、派手に敵前で渡河作戦を実行する陽動部隊に分けたのだろう。
「これは……、好機ですね」
「はい。恐らく敵は緊密な連絡手段は持っていないでしょう。二手に別れてくれるのならこちらとしては各個撃破しやすい」
指揮官達が言うように、この時代の軍隊なんてそれほど細かい連絡手段は持ち合わせていない。現代のように無線や電話でピッ、とはいかないからだ。だから大凡の時間だけ指定して、その時間に合わせてお互いが行動する程度の打ち合わせしか出来ていないだろう。
なら北へ回った部隊を先に始末しても南に残る陽動部隊には伝わらない。北に分かれた部隊にはヴェルゼル川を渡河させて、西へ逃げ帰れない状況で各個撃破していく。伝令も出させずに全滅させなければならない至難の業だけどやるしかないだろう。
「北へ向かった部隊を始末するのは銃も砲も使えません。敵部隊の渡河が終われば河口付近に待機しているキャラベル船をヴェルゼル川に入れさせて川を封鎖しましょう。フローレンから船が出れば南にいる敵にも見られてしまうので一隻でどうにかしなければなりませんが……」
敵を渡河させた後でヴェルゼル川にキャラベル船を入れて封鎖する。銃や砲を使わずに敵部隊を倒さなければ、あまり派手な戦闘音を響かせると南に残っている陽動部隊に戦闘を察知されてしまう。俺とジャンジカの特殊部隊でサイレントキリングしなければならない。
「南の陽動部隊が渡河してきてからエンゲルベルト達に叩いてもらいますが……、村人に被害を出さずに、向こうに先に渡河させてから始末出来ますか?森の中なので銃や砲は十分に威力を発揮出来ないと思いますが……」
見晴らしの良い所で、銃や砲の威力を知らずに正面から突撃してきてくれる相手だったら簡単に勝てるだろう。でも鬱蒼と生い茂る森の中で、川を渡ってくる敵を相手に、数の上では不利なフローレンの部隊だけで果たして村人も兵士も犠牲を出さずに勝てるだろうか?
「お任せください。北の別働隊への対処に向かわれるフローラ様は銃も砲も使えぬ状況で戦わなければなりませんが、我々は効果は下がるとはいえ銃も砲も、そして何よりもフローレンの艦隊も使えます。敵の渡河が始まれば艦隊も出して敵を分断いたしましょう」
「そうですね……。それでは……、任せましたよ」
「「「はっ!お任せください!」」」
確かに南の戦闘では銃も砲も船も使える。それに北の始末に向かう俺達が早く決着をつければ南での戦闘に間に合うかもしれない。速攻で北の敵部隊を潰してから俺は南へ向かおう。どの道南での戦闘が始まれば戦闘音が鳴り響くことになる。そうなれば北での戦闘でも銃、砲の使用は解禁だ。
今後について話し合った俺はジャンジカとその麾下の特殊部隊を連れて、北へと向かった敵の別働隊を叩きに向かったのだった。




