第四百六十九話「フローレンの音楽隊!」
「それではヴェルゼル川渡河作戦の概要を説明する」
「「「はっ!」」」
ヴェルゼル川のかなり下流、カーザース辺境伯領の北の森の対岸へとやってきたテュレンネは麾下の将軍達を集めて作戦の説明を始めた。
そろそろヴェルゼル川を渡ろうと思って森を出て川の様子を確認した所、対岸にはプロイス王国のものと思われる小さな村が出来つつあった。まだチラホラ家が建っているだけで大きな村ではない。いつの間にこのような場所に人が住み着いたのかわからないが、まだ開拓の真っ最中なのだろう。
テュレンネは敵前での渡河作戦と言ったが、歴戦の名将であるテュレンネが何の策もなくただ単純に敵前で無防備な渡河作戦を実行するはずがない。敵に逃げられて万が一にもカーザーンへ通報されては北の森からの奇襲が失敗してしまう。そのためにあえて敵前での渡河作戦を実行するのだ。
「ここよりさらに北方へ進めば、ヴェルゼル川の対岸も魔族の山へと通じる道は我が国の領土となっている。そこで本隊は秘密裏に北方から対岸へと渡河。対岸の我が国の領土へと入り、そのまま森に隠れて南下する。敵前渡河部隊は陽動として村のやや南側から堂々と渡河作戦を実施するのだ」
「なるほど……」
テュレンネの作戦は見事なものだった。目の前の村の者がカーザーンへ通報しようと思ったら南へと逃げなければならない。もし正面や北側から攻撃すれば村人は南へと逃れるだろう。万が一にも村人を取り逃がしてカーザーンに通報されては北からカーザーンを奇襲する作戦が失敗してしまう。
そこでまずは北方のフラシア王国領内を利用して対岸へと部隊を送り込む。その部隊は森に潜み、密かに村に近づき北と東へと展開して村を半包囲するのだ。そして敵の村の南側から派手に渡河部隊が現れればどうなるか……。
村人は慌てふためき、まずは東や北へ逃れようとするだろう。罷り間違っても敵が迫っている南へ真っ直ぐ向かうはずはない。あえて見える位置から陽動を行い、南へ敵を逃がさず、先行して森に潜み包囲している味方の方へと追い立てる。
プロイス王国の村は西はヴェルゼル川に塞がれ、南はフラシア軍が渡河してくる。北と東には先行して潜んでいる本隊がいるとなれば抵抗する暇も、伝令を出す暇もなく全滅するだろう。
「村人はどうしますか?」
「全員殺して村は略奪してから焼き払え」
「「「はっ!」」」
テュレンネのやり方は徹底している。これまでの戦争でも幾度となく略奪を行い敵の妨害を行なってきた。敵の領地奥深くまで侵入して領地を荒し略奪を行い、村を焼き払い敵の継戦能力を奪う。テュレンネの功績の多くはそうして積み上げてきたものだ。
現代地球人が聞けば非道だとか汚いと言うかもしれない。この時代の人間が聞いても戦争の慣例に反すると反発する者もいるだろう。しかし勝てば全ては許される。どのような手段を用いようとも勝てば良いのだ。それにそれらを禁止する何かの決まりがあるわけではない。あくまで慣例は慣例、慣習は慣習だ。
いわゆる騎士の戦いならば、町や都市を攻撃する際にはまず降伏勧告の使者を送り、防衛、篭城側も使者と言葉を交わし、決裂すれば包囲戦が始まる。それに比べて民衆の暴動や傭兵はそういった戦場の慣例に倣わない。不意打ちで兵士でもない住民を襲い、略奪し、村に火をつける。
だから騎士達は傭兵を野蛮な者達と蔑み、民衆は傭兵を恐れる。それでも国は兵を集めるために傭兵に頼らざるを得ず、自らの領内や国内では略奪を禁止しているが、戦場が相手の領土内であれば凄惨な略奪や放火が行なわれ国土が荒れるのだ。
テュレンネもやり口は傭兵達と同じであり、どうすれば相手の戦意を挫き、戦争で勝てるのかを熟知している。騎士道だ何だと言う者には後ろ指を差されることもあるが、全て結果を残すことで黙らせてきた。そもそも何か条約や決まりがあるわけでもない。
相手の領内での戦争ならば傭兵達に略奪を認めているのはどこの国や領主でも同じだ。それをテュレンネが行なったからと言って誰に何を言われる筋合いもない。相手が現地徴発出来ないように全ての食料や物資を奪い、拠点として利用出来ないように全てを焼き払う。住民を殺すことで長期的な継戦能力を奪い勝利を手繰り寄せる。テュレンネは何も間違ってはいない。
「まずはあの村を壊滅させ、然る後に南下してカーザーンを北から攻める!カーザーンは落とす必要はない!奇襲をもって一撃を加え、町を破壊し住民を殺し全てを焼き払え!今後一年は復旧出来ないように破壊してやれば良い!勝つのは我らフラシア王国陸軍だ!」
「「「おうっ!」」」
テュレンネの檄に将軍達が応える。この後すぐに部隊配置が決定され素早く動き出した。主力となる本隊はさらに北方へと進みフラシア領内にてヴェルゼル川を渡り、村の包囲が終わると同時に南側から敵前渡河作戦が決行される。練度の高いテュレンネの軍は滞ることなく全ての準備を終えたのだった。
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プロイス王国、カーン騎士爵領、ヴェルゼル川沿いにあるフローレンの町の北方には小さな村のようなものが出来つつあった。そこは領主フロト・フォン・カーンが開拓を決定して作った村ではなく、様々な要因により自発的に人が住み着き切り拓かれて出来上がってきた村だ。
例えば……、カーンブルクとキーンを繋ぐ立派な街道の途中には街道沿いに村のようなものが出来ている箇所がある。それらは領主が計画したものではなく、街道を通る商人や旅人を相手に休憩所や宿などを開いた者が次第に集まり、宿場町や休憩所が密集した地域となって勝手に発展しているものだ。
馬車の修理、馬の休憩や交換、山を越える前に休んで行く者や長旅の疲れを癒したい者など、ある程度の距離を移動した者が求めるものがある。それを提供することで商売として成立している。そのように領主が計画して作らせなくとも、人がそれぞれ勝手に住み着き開拓し、需要が満たされていく。そして需要がなくなれば淘汰されるのもまた自然なことだ。
そんな中にあってフローレンの北の村はある特殊な需要によって生まれたという経緯がある。
元々フローレンは西のフラシア王国との国境を監視するという目的もあって造られた町だった。他にもヴェルゼル川の流通を確保したいとか、様々な目的はあったがその中の一つは間違いなくフラシア王国の監視という任務だ。
その監視任務の中で、フローレンからヴェルゼル川沿いに北上して監視する兵士達が休憩したり、ある程度長期的に留まって監視出来る場所の需要が高まった。軍事施設ならば機密性も高く大々的にわかりやすく作るわけにもいかないが、ただの休憩所なら普通の村のように開拓しても良いだろうということで作られているのがこのフローレン北の村だった。
本当はこの森の各地には軍用の秘密基地とでも言うような施設があちこちに隠されているが、この場所に村があっても不自然ではないだろうということで村の開拓が認められ、現在では小さな村規模にまで発展している。最初はただ兵士達が川を見ながら休む場所だったものが、いつの間にかこのような村になっていた。
「ユリアーナ!何をしているの!早く片付けてしまいなさい!」
「はーい」
フローレン北の村に住む少女、ユリアーナは母に言われて洗濯物の取り込みを急ぐ。ユリアーナはまだ幼いとも言える年齢だがこの時代では家の手伝いをして働くのは当たり前の年齢だ。
この村はまだ出来たばかり、いや、作っている最中とすら言えるもので決して裕福ではない。しかしユリアーナの一家が引っ越してくる前に暮らしていた村に比べればずっと良い生活が出来ている。
重い税もなければ厳しい取り立てもない。困ったことがあれば巡回にやってくる兵士に言えば相当の便宜を図ってもらえる。村作りの手伝いすらしてくれるのだ。前の村のように食う物に困る事もない。平和で、平穏で、温かな村だ。ユリアーナはここに引っ越してすぐにこの村が好きになった。
ユリアーナは自分の首にかけてある首飾りに触れる。堅い木の実に穴を空けて紐を通した首飾りだ。この村に来た時に歓迎の証として村の人達にもらった大切な宝物。それにそっと触れると何だか温かい気持ちになってくる。
「ユリアーナ!早くしなさい!」
「はーい!」
再び母に急かされて、ユリアーナは慌てて洗濯物を取り込み始めた。その時……。
「きゃーーーーっ!」
「――っ!?」
村から誰かの悲鳴が響き渡り、全員が慌てて外へ出てみれば……、そこには村の南側のヴェルゼル川を渡ろうとしている武装した兵士のような者達の姿が見えていた。
いつも見慣れているこの国の兵士とは明らかに違う。装備も鎧も旗も何もかも違うのだ。軍事に詳しい者でなくとも紋章官でなくともわかる。あれは隣国フラシア王国が川を越えて攻めて来たに違いない。
「おい!女子供は森へ逃げろ!男は領主様へ伝えに行くんだ!」
「村にいる領主様の兵隊さんは……」
「馬鹿野郎!見ればわかるだろう!数が違いすぎる!とにかく皆逃げるんだ!」
村はあっという間に大混乱に陥った。まさかこんな田舎の森の中にこれほど多くの敵兵がやってくるなど考えたこともない。南のフローレンならば大きな港もあり多くの兵士が駐留している。そこならフラシア王国の攻撃にも耐えられるかもしれないが、こんな小さな作りかけの村で敵の大軍など防げるわけがない。
「ユリアーナ!早くきなさい!逃げるのよ!」
「あっ……、あぁ……」
母が声をかけながらユリアーナの方へと走ってくるが、恐怖で竦んでしまっているユリアーナは動けない。母が無理やりユリアーナの手を掴んで引っ張ると物干し台に首飾りが引っかかってしまった。
「んんっ!」
「ユリアーナ!何をしているの!?そんなもの外しなさい!」
すぐに異変に気付いた母は手を引くのをやめたが首飾りは物干し台に絡まりすぐに外れそうにはなかった。早く逃げなければフラシア軍がやってきてしまう。
「だめ!これは皆が……」
「――っ!」
ブチッ!と……。母はその手から血を流しながら無理やりユリアーナの首飾りを引き千切った。母からすればそんな首飾りよりユリアーナの命の方が大切だ。そして今それを切る刃物は持ち合わせていない。首から外そうにも絡まって短くなっているために外せない。
普通ならそんな簡単に引き千切れないようなものだったかもしれない。しかし母は娘の命を守るためにその手が傷つくことも厭わず強引に引き千切った。ユリアーナの目の前で飛び散る首飾りと母の血……。
「お母さん!?」
「さぁ!ユリアーナ!逃げるのよ!」
「「あっ!」」
しかし……、もう逃げるには遅すぎた。川を渡ってきた一部の兵士達がすでに村に入り込んでいた。さらに続々と川を渡ってきている。村のはずれに住んでいたユリアーナとその母の目の前に……、槍を持ったフラシア兵が近づいてくる。
「へへっ!こいつぁ上玉だ。ついてるぜ!」
「うちの軍はテュレンネ様が直々に許可をくださっているからな。ひひっ!」
「これだからテュレンネ様の部隊はやめられねぇぜ」
下卑た顔でユリアーナ達に迫ってくるフラシア兵達……。もう駄目かと思ったその時……。
「私の大切な領民達に汚い手で触るのはご遠慮願いましょう」
「あ……?あで……?何かズレて……?びゅー」
今にもユリアーナ達を掴もうとしていた兵士は頭が真っ二つになって倒れた。その後ろに居た兵士達が何か反応するよりも早く、その声の主は動いていた。ユリアーナには何が起こったのかわからない。ただ一つわかることは目の前で美しい天使様が舞っているということだけだ。
金髪の天使様が舞う度に赤い飛沫が上がり美しく辺りを彩る。本来ならば恐ろしい場面だったのかもしれない。しかしユリアーナにはそれはとても神秘的で美しい光景のように思えた。
「大丈夫ですか?」
「あっ……、あぁ……」
母は腰が抜けて動けなくなっている。ただその金髪の天使を見上げて震えていた。だからユリアーナが答える。
「ありがとうございます天使様!でも……、皆がくれた首飾りが……」
ユリアーナが視線を下げると、千切れた木の実の首飾りが散乱していた。まだ辛うじて首飾りだったのだろうとわかるが、すでにそれはもう首飾りではなくなっている。
「あぁ……」
それを見た天使様はかがんで、飛び散った木の実を丁寧に拾い集めてくれた。そしてユリアーナに手渡す。
「ここではこういう贈り物をするのでしたね……。これはまた紐を通せば良いですし、大切に持っておきなさい。それまでは代わりにこれを……」
「あっ……」
天使様は自らがかけていた透明な石の首飾りをユリアーナにかけてくれた。柔らかく微笑んでユリアーナの頭を撫でてくれる。
「ありがとう天使様!」
金髪の天使様はただ静かに笑ってユリアーナに応えると振り返った。
「総員、作戦通りに動け!」
「「「はっ!」」」
いつの間に現れたのか、天使様の軍勢がぞろぞろと現れ悪いフラシア軍を攻撃し始める。そこから先の光景はユリアーナにはよくわからなかった。ただ一つわかることは天使様の軍勢が悪のフラシア軍を追い払ってくれたということだけだ。
ダンッ!ダンッ!ダンッ!と太鼓が鳴り響くとドドドンッ!と黒い筒が火を噴き大きな音が一斉に鳴る。ボェーーーッ!と金色に輝く笛が鳴るとヒヒーンッ!と馬が飛び出して悪い兵隊を蹴散らしていた。ファーッ!ファーッ!と別の笛が鳴るとパパパパンッ!と小さな筒が高い音を響かせる。
ドンッ!と鳴るとヒヒンッ!ワンッ!ニャーッ!コケーッ!と……
まるでユリアーナにはそうやって様々な動物達が鳴いているように聞こえたのだった。
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「そうして天使様の軍勢が楽器を吹き鳴らし、動物達が声を上げると悪い兵士達は散り散りになって逃げ出し、村には平和が戻りましたとさ」
「おばあちゃんそのお話ばっかり!ぼく違うお話も聞きたいよ!」
「え~?わたしはもっと聞きたい!おばあちゃんもう一回聞かせて!」
お話をしていた祖母に孫達が色々と注文をつける。揺り椅子に座っている祖母はただ柔らかく微笑んでいるだけだった。
「それにそんなのどうせ子供向けの作り話でしょ?ぼくはもうそんな話にむちゅうになるような年じゃないもん!」
男の子はそういって祖母から離れていった。そこへ残っていた女の子がこそっと祖母に話しかける。
「うそじゃないよね?天使様は本当にいるよね?」
「ええ、そうね……。きっと今もどこかで誰かを助けておられるわ」
そう言ってそっと祖母が触れた胸元には透明な石と木の実が通された首飾りがかけられていた。




