第四十六話「詐欺師と見抜いたり!」
リンガーブルク家当主ニコラウスは頭を抱えていた。アレクサンドラが社交界デビューすると同時にあちこちの有力貴族家と繋がりを持つことでリンガーブルク家の復権を目論んでいたニコラウスのあてはどうやら外れたようだとわかったからだ。
普通ならば社交界デビューでお披露目が終わった子供達は社交場で交友関係を結んだ相手の家を訪ねたり訪ねられたりしながら交流を深めていく。有力な家の子供達ならば今頃はたくさんの招待や訪問の手紙が行き交い毎日忙しくしていることだろう。
それなのにアレクサンドラは多少手紙は出したようだが相手からアレクサンドラに送ってくる手紙は送った手紙への返信以外は皆無だった。毎日娘の手紙をチェックしてどこかから誘いは来ないかと待ち望んでいるのに一向に誘いの手紙が来ない。
ニコラウスは幼少の頃からアレクサンドラをリンガーブルク家の長女として相応しいように育ててきた。手紙の書き方も礼儀作法も立ち居振る舞いも全て最上級の伯爵家の娘に相応しいものを身に付けさせてきたはずだ。
それなのにアレクサンドラに手紙が来ず、送った手紙の返事も全て断られるなどどう考えてもおかしい。アレクサンドラに何か問題があるとしか思えない。ニコラウスはそう考えるようになっていた。
「ええい!どうしてアレクサンドラへの誘いの手紙が来ない!一体どうなっているんだ!カーザース辺境伯家の家臣団で最上位の家格を持つリンガーブルク家の娘に誘いの手紙が来ないなどアレクサンドラに何か問題があるのではないか?」
部屋に控えている御者のカスパルに言うでもなくニコラウスはイライラしながら口走っていた。自分に意見を求められているわけではないとわかっているカスパルは余計な口は開かない。
カスパルはリンガーブルク家に残る数少ない家人だ。本職はあくまで御者ではあるがほとんど人手がいないリンガーブルク家においてカスパルは執事から庭師まで何でもこなしている。男手はほとんどカスパルしかなく他は基本的にメイドが数名いるだけだ。
早く他の家と交流しなければまたしても貴族同士の横の繋がりから弾き出されてしまう。ニコラウスの焦りは日に日に募っていったのだった。
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暫く手紙を出しもしていなかったアレクサンドラが久しぶりに手紙を出したと聞いてもニコラウスはもうあてになどしていなかった。どうせまた今度も断りの手紙が来るだけだろうと期待もしていない。
そう思っていたのに娘が突然ドレスを選び出したり何やら上機嫌で出かける準備を始めているのを見てニコラウスの期待は一気に最高潮に達した。
「どうしたアレクサンドラ。何か良いことでもあったのか?」
娘の様子からどこかへ訪問するか、この家に訪問してくれる相手が現れたのだろうということは察しがついているがわざとらしくそう問い質してみた。すると娘は上機嫌なままペラペラと話してくれた。
自分などとは比べ物にならない素晴らしい詩のような手紙が返って来たのだと。初めて出来た友達の家に遊びに行くのだと。しかしニコラウスが知りたい肝心なことは何も聞き出せない。ニコラウスが知りたいのはそんなことではない。
相手の家格は?爵位は?家名は?金のある家か?力のある家か?その家と付き合うことでリンガーブルク家に利益があるのか?
ニコラウスが知りたいことはそこなのだ。手紙の文章が素敵だとかそんなことはどうでも良い。アレクサンドラがようやく初めて友達が出来たなどアレクサンドラに問題があるからだろう。普通の貴族家の娘ならばもうとっくに友達どころか婚約相手が決まっていてもおかしくはない。それがないのはアレクサンドラが普通ではないからだ。
浮かれて要領を得ないことしか言わない娘から聞き出すことを諦めたニコラウスは後日カスパルを呼び出した。アレクサンドラの訪問に同行して相手の家のことを調べてくるように命令する。
どんな者でも友達がいないよりはいる方が良い?そんなわけはない。リンガーブルク家につりあわない相手と付き合ってもリンガーブルク家の家名が汚れるだけだ。貴族の付き合いとは誰とでも付き合えば良いというものではない。それぞれその家の格に合った相手と交流しなければならないのだ。
『フロト』という名前しかわからない相手がどこの馬の骨なのか。カーザース家臣団一の家格を誇るリンガーブルク家と付き合うに足る家なのか。ニコラウスはその結果を心待ちにしていたのだった。
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数度の手紙のやり取りを経て相手の家に訪ねて行ったアレクサンドラに付いて行った御者のカスパルの報告を聞いてニコラウスは机を叩いた。
「騎士爵だと!それも北の森の中の掘っ立て小屋に住んでいる!?ふざけるな!そんな者の相手をしている場合ではないだろう!アレクサンドラは何を考えているのだ!リンガーブルク家の名を穢すつもりか!?」
カスパルの報告ではアレクサンドラが訪ねて行ったのは森の中にあるボロい掘っ立て小屋だという。相手はカーン騎士爵家というそうでどこかのメイドを引退したのだろう老メイドを雇っているのを見たらしい。
それに帰り際に二人はお互いに名前で呼び合っていたという報告も受けている。騎士爵家の娘如きが伯爵家の、それもただの伯爵家ではなくカーザース辺境伯家内一の家格を誇るリンガーブルク伯爵家の娘を呼び捨てにするなど許されることではない。
「そのフロト・フォン・カーンという者に手紙を出す!アレクサンドラの手紙を届けていたのだ。届け先はわかっているのだろう?」
「はい。手紙の届け先は把握しております」
「よし……、少し待っていろ」
そう言って早速ペンと紙を用意したニコラウスが手紙を書き上げるまでにこのあと三日を要したのだった。
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その後何度かカーン騎士爵家との手紙のやり取りを経てようやく今日フロト・フォン・カーンなる騎士爵家の娘が訪ねてくることになった。
確かにアレクサンドラが言ったように貴族的な優雅な言い回しの手紙を書くことは出来るらしい。ニコラウスが何日も考えてようやく一枚書き上げているというのに向こうからの返信は一日で返ってくる。
しかしそれもフロトという者が直接本人が考えて書いているとは限らない。カーン騎士爵家には老メイドがいるということは確認済みだ。老メイドということはどこかに仕えていたメイドが引退してから別の主に仕えているのだろう。
経験豊富な老メイドともなれば仕える主に代わって代筆することもある。元々それなりの教養があるメイドに長年の経験が加われば貴族の手紙くらい書ける者も中にはいるだろう。カーン家からの手紙はそのメイドが代筆か代わりに考えてアドバイスしている可能性が高い。
そもそも確かに上品で貴族らしい言い回しや文章は書いているが配慮が足りないのだ。立場が上であるニコラウス・フォン・リンガーブルク伯爵が自ら手紙を出しているというのに、例え自分の方が素晴らしい手紙が書けるとしても格上である伯爵本人を上回ってしまうような手紙を書けば顰蹙を買うのは当たり前の話だろう。
だから普通は格下の者は格上の者に配慮して手紙を書かなければならない。相手の手紙が下手ならば自分も相手よりも下手に手紙を書くのだ。ニコラウスはそこらの者には負けないだけの素晴らしい手紙を書けると自負しているが相手が自分よりも立場が上ならば相手の手紙のレベルに合わせて自分の手紙もレベルを落として書いている。
そういう配慮こそが貴族同士での付き合いでは必要なことであり、それらがまったくなくただ自分は良い手紙を書けるとアピールして格上の相手よりも素晴らしい手紙を書くなどもっての他だ。このフロトなる者にはその配慮が足りない。所詮は付け焼刃の教養なのであろうことが窺える。
カスパルが出迎えのために玄関口で待っている。ニコラウスは門から玄関口まで見える窓から外の様子を窺いながらフロトの到着を待つ。そしてやってきたのは一台の質素な馬車だった。リンガーブルク家がカーザース家から賜った一品とは比べるべくもない数物の質素な馬車だ。御者の身なりもあまり上等とは言えない。
しかし降りて来た者の姿を見てニコラウスは少し動揺した。恐らく外ではカスパルも動揺していることだろう。何しろ降りて来た子供は確かにアレクサンドラと同世代の女児だとわかるが騎士の正装で男装しているのだ。これではまるで騎士爵家の娘ではなく本人が騎士爵のようではないか。
降りて来た者を見てそう思ったニコラウスだったがいつまでもそこから外を見ているわけにはいかない。あくまで覗いていたのは秘密でありカスパルがニコラウスの待つ部屋にフロトを案内してくるまでに余裕の振りをして座っておかなければならない。
まさかリンガーブルク伯爵家の当主ともあろう者が相手の様子を探るために窓の外を覗いていましたなどという姿を見せるわけにはいかないのだ。あくまでこちらはどっしりと構えて堂々と待っていた風に装わなければならない。
そうして外が見える窓から慌てて離れてカスパルに案内してくるように言っておいた部屋に急いで駆け込むと息を整えて座って待つ。ゆっくり時間をかけてフロトを案内してきたカスパルがノックして声をかけてきたので尊大に入室を許可した。
「本日はお招きいただきありがとうございます、ニコラウス・フォン・リンガーブルク伯爵様。私はカーン騎士爵家のフロト・フォン・カーンと申します。以後お見知りおきを」
扉の前で挨拶をするフロトを上から下まで隅々まで観察する。これと言って落ち度もないし指摘する所もない。そう。騎士爵としてならば……。
どうにもおかしい。着ている服は騎士爵の正装であり『騎士爵の娘』が着る服装ではない。挨拶もあくまで騎士爵としての礼儀作法に則ったもので女性が行なう挨拶ではない。
「うむ。まずは歓迎しよう。よく私の招きに応じて来てくれた。こちらに来て座りなさい」
「はい。ありがとうございます」
ニコラウスは混乱しながらもいつも通りに振る舞う。それからフロトの後ろに控える者達を見てみる。一人は老メイド。カスパルの報告にあった人物だろう。老メイドとは言っても思ったよりも若い。もっとヨボヨボの年寄りかと想像していたが背中に棒でも入っているのかと思うほどシャンとしたメイドだ。立ち居振る舞いにも隙はなくよほど良い教育を受けていたのではないかと思われる。
そしてもう一人。報告にはなかった若い執事。こちらも若いのにしっかりしている。相当良い教育を受けていたのだろう。何より良い主に仕えていなければ身に付かないような経験の深さが漂っている。そこらのポッと出の騎士爵家に仕えていて良いような執事とは思えない。
何より問題なのがこのフロト・フォン・カーンだろう。その所作には気品すら感じられる。騎士爵の正装を着た男装の麗人ともいうべきスタイルだがその気品は騎士爵などでは断じてあり得ない。相当高位の貴族家のご令嬢のような気配が漂っている。しかし、と思う。そう。ニコラウスはしかし、と思ったのだ。
確かに執事もメイドも本人も中々のものだろう。しかしチグハグすぎるのだ。最初こそは面食らって少々動揺したがすぐにその化けの皮を剥がしてやろうとニヤリと口を歪めたニコラウスが口を開いた。
「失礼だがカーン騎士爵家などという家は聞いたことがないのだがどこの家に仕えておられるのかな?」
これだけでももう相手はボロを出すだろう。何しろカーザース家の家臣団にはカーン騎士爵家などという家はなく、近隣にも存在しない。長年最上位の伯爵家として続いてきたリンガーブルク家の知識の中にそのような家など存在しないのだ。
「はい。我が家は今年ヴィルヘルム国王陛下に叙爵していただいたばかりでまだそれほど知られた家ではないと思います。そして当家が仕えるのは王家のみです」
「ほう?王家の直臣であると?」
この程度の返しは用意しているかとニコラウスは顎を触った。もちろんそんな都合の良いことなどあるはずもない。何故今年叙爵されたばかりならばカーザース家の社交場に招待されるというのか。矛盾や突っ込み所はあるがそれはまだ置いておく。
「それならば父君は一体何の手柄を立てられて今年叙爵されたのかな?」
「いえ、叙爵されて騎士爵を賜りましたのは私自身です。手柄というほどのものではありませんがルートヴィヒ殿下がモンスターに襲われそうになった際に私がモンスターを倒した功績により叙爵されました」
フロトの言葉にニコラウスの眉がピクリと動いた。
「いい加減にしろ!貴様のような子供がモンスターを倒しただと?それもルートヴィヒ殿下を守って?馬鹿も休み休み言いたまえ!十歳の子供が叙爵などされるわけがないだろうが!一体アレクサンドラに近づいて何が狙いだ?貴族の振りをして我が娘に近づいてどうしようというのだ!?金が目的か?それとも他家に頼まれて我が家を潰そうというつもりか?」
ニコラウスはあまりにチグハグなこの一行が自称貴族の詐欺集団だと見抜いた。本物の貴族であれば絶対に犯さないようなミスをいくつもしている。所詮は付け焼刃で教養がある振りをしているだけだからこの程度の初歩的なミスにも気付かないのだ。
手紙の一件もそうだ。ニコラウスより素晴らしい手紙を書いて返してくるのは格下がして良いことではない。何でも素晴らしい手紙を書けば良いわけではなく相手を立てることが貴族の付き合いでは重要なのだ。
それにルートヴィヒを守ったなどあり得るはずがない。ニコラウスですら間近で見たことさえないルートヴィヒとこの小娘一行に何の接点があるというのか。どうやってそんな相手をモンスターから守るというのか。
モンスターを倒したというのもあり得ない。どんなモンスターだったのかはわからないがこんな小娘が倒せるモンスターだったならば護衛達が倒してしまうだろう。そもそもの話からしておかしいのだ。
振る舞いもそうだ。しゃべり方や振る舞いは騎士爵っぽくしているがそれでもどこかのご令嬢のような所作をしている。きっとあちこちで色々な役をしながら詐欺を働いていたのだろう。だから色々な癖が混ざっておかしな矛盾が出ているのだ。こんな子供に騎士爵をやらせようというのが間違いだろう。
「私は何も……、ただアレクサンドラと友人になれればと思い……」
「黙れ!仮に貴様の言う通りだったとして騎士爵風情が我が娘を呼び捨てになどするでないわ!この時期我が娘は忙しいのだ。貴様のような馬の骨にかかずらわっている暇などないのだ!もし貴様が本当に我が娘のことを思っているのならばこれ以上娘と関わるな!娘の人生を!我が家を!滅茶苦茶にしたいのか!?二度と娘と会うことは許さん!」
あまりの茶番にニコラウスは頭に血が昇って怒鳴り声を上げていた。黙って聞いていたフロトは後ろで物凄い形相でニコラウスを睨んでいる執事を抑えながら言葉を漏らした。
「落ち着きなさいヘルムート。……申し訳ありません。ご両親がアレクサンドラの、いえ、アレクサンドラ様の御身をご心配されるのは尤もです。本日はこれでお暇させていただきます」
いやに物分りの良い子供は早々に立ち去った。恐らくニコラウスに怒鳴られて迫力のあまり恐れをなして逃げ出したのだろう。
去って行く紋章のない質素な馬車を再び窓から見送りながらニコラウスは妙な虫がつく前に追い払うことが出来てよかったと胸を撫で下ろしていたのだった。




