第四百五十七話「出産!」
一度居間で寛いでから状況を整理する。エレオノーレやラインゲン家の面々が来ることは事前に知らせてあった。俺はきちんと報連相をするからな。うちの方は受け入れ態勢も出来ていたので皆がやってきたことに問題はない。
「あかちゃん?」
「ええ、そうですよ。もうすぐ赤ちゃんが産まれるんですよ」
「あかちゃん!はやくうまれてね!あかちゃん!」
母のお腹をポンポンなでなでしながらエレオノーレが優しい笑顔になっていた。あんなに小さくてもやっぱり女の子なんだろうか。子供を慈しむ気持ちに大人も子供も関係ないんだろうけど、何だか女性の顔のように見えて驚いてしまった。
「それにしても……、これほど大きくなるものなのですか?」
俺も母の隣に移動してマジマジとそのお腹を見詰める。何というか……、思ったよりも大きい。確かに地球で見たことがある妊婦さんもお腹はぽっこりしていたけどこんなに大きかったかな?
地球でも昔は妊婦や産後の人は肥えさせようとしていたみたいだけど、最近ではあまり肥えすぎない方が良いと言われている……、ような気がする?いや、本当に俺の身近な人で出産した人がいないからあまり基本的なことすらわからない。
身近な人って言うのがどこまで含まれるのかはわからないけど、従兄弟とか親しい友人の家で子供が産まれることはあっても、例えば俺がある程度大きくなってから弟妹が出来たとか、嫁を貰って子供が出来たとか、そういう同居している家族での出産というのは経験がない。だから経験のある人なら当たり前のことがわからない。
最近の日本だと、確かにぽっこりお腹が出ていて妊婦さんだとわかるんだけど、そんなによく肥えている人は減ってきたように思う。もちろん肥えている人もいるけど、割合が下がったというか、周囲があまり無理に肥えさせようとしなくなったというか……。
母も体全体が肥えているわけじゃないけどお腹は随分大きい。ここまで大きくなるものなのだろうか?
「多分……、というかそうだと確信はしているのだけれど、双子なのよ」
「えっ!?双子っ!?」
母の衝撃の告白に驚く。それでなくとも医療の整っていない環境でこれだけの高齢出産だというのに、さらに双子?あまり大変な出産になるようだと母子ともに危険なんじゃ……。
「そんな顔をしなくとも双子の出産は初めてだけど大丈夫よぉ」
「お母様……」
母は笑っているけど本当に大丈夫だろうか?……というかこの世界で双子は大丈夫なのか?地球でも時代や国や地域によっては多胎児は忌むべきものとされていた所もある。こちらの世界ではどうなのか……。でもラインゲン夫婦がいる場でも言っているから大丈夫ということか?
少しカールとマリアンネの方を見てみたけど特に反応していなかった。それどころか先ほどマリアンネが妙なことを言ったせいか二人がちょっとイチャイチャしている。中年夫婦のイチャイチャは見ていてちょっとあれだけど……。この国的には双子でも問題なさそうだ。
「フローラちゃんも触ってみて?元気に蹴っているわよ」
「…………」
母に勧められるままにお腹に手を置く。でもそんな都合良くタイミングが合うこともないだろう。母親はずっと一緒だから良く蹴られていると思うんだろうけど、それをたまたま触った時に当たるなんて……。
「ひゃぁっ!」
「驚いた?思ったよりも強く蹴っているでしょう?」
「そっ、そうですね……」
まだドキドキしている。本当にドンッ!というような感覚が手に返ってきた。偶然タイミングが良かったのか、本当に母が言うように良く蹴られるのか。それは俺にはわからないけど、今確かに俺が手を置いた時に蹴られた。
「動きから二人いるのがわかるのよ」
「そういうものですか……」
俺にはそんな経験はないからわからない。でも母がそう言うのなら、二人分の動きがわかるんだろう。高齢出産で双子なんてとても大変だと思う。でも母子ともに無事に産まれて欲しい。そう願わずにはいられない。
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いくら出産予定日が近いとはいっても今日、明日にも産まれるというわけじゃない。確かに多少早まれば今日にも産まれてもおかしくはないんだろうけど、それを気にしていたら産まれるまでずっと家で待機していなければならなくなる。
なので母が産気づいたら連絡を貰うことにして、ちゃんと行き先も伝えて伝令がすぐに来る状態にしながら近場の視察を行なっている。流石に遠出しては伝令が届く前に大変なことになる可能性もある。行けるのは精々カーザーン周辺、カーンブルクでもカーザーンに近い辺りくらいが限度だろう。
今日はカーザーン南に建設中の運河の視察に来ている。運河もあと半年で完成予定だ。実質的にはもうほぼ完成していて、いざとなれば無理やりこのままでも使えなくはない。ただやっぱり作るからには妥協せずちゃんと作りたいというわけで、あと半年は辛抱という所だ。
運河の途中の方が両端の川よりも標高が高い……、水位が高い?まぁどちらでもいいけど、とにかく途中の方が高くなっているから、いくら閘門を利用するといっても水の流出は避けられない。それを補うための溜池や水車で組み上げて上流へ運ぶ水路も完成している。カーザーンの近くの橋も出来ているけどかなり立派だ。
この辺りは橋も最優先で架けなければならなかったから先に架けられているけど、運河の途中の橋はまだ完成していないらしい。工期の予定もまだ半年もあるんだからそれはそうだろうけど……。あまり遠くまで視察に行くと何かあった際に戻ってこれなくなるので今日はここまでにしておく。
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今日はカーンブルクの方へ向かう。エレオノーレとクンも一緒に行きたいというので一緒だ。
「さぁ着きましたよエレオノーレ様」
「これがフローラのおうちー?おっきー!」
「これほどの宮殿をまだお持ちでしたか……」
エレオノーレの反応はシャルロッテンブルク宮殿を見た時とあまり変わらない。本人も王宮などで住んでいるし、まだ幼いこともあって表現も拙いからだろう。
クンはシャルロッテンブルク宮殿を見た時はエレオノーレと同じようにはしゃいでいたけど、今回は少し大人しい。流石にもう何度も見ていれば慣れたのかな?
「大カーン様は……、これほどの宮殿をいくつお持ちなのでしょうか?」
「う~ん?これと同程度の物で完成しているものは、キーン別邸とフローレン別邸でしょうか?建設中となればロウディンとケーニグスベルクにも建設中ですが……」
「――ッ!?六つも……、これほどの大宮殿をお持ちなんですか!?大カーン様凄すぎます!」
クンは大袈裟だな……。このくらいの屋敷なら各地の領主達も持っているだろう。俺の場合は飛び地であちこちに領地があるから、それぞれの場所での滞在場所として屋敷が必要になってしまうだけだ。俺としては無駄なような気もするけど、皆が統治者には統治者なりの生活をしなければならない義務があると言われたら従うしかない。
領主がただ贅沢をしたいと身の丈に合わない贅沢をするのは良くないだろう。でも高位貴族がその身分よりも遥かにみすぼらしい格好をするというのもまた許されない。人に知られない所でなら良いだろう。家の中でジャージ姿でゴロゴロしてたっていい。でも公式の場では相応に振る舞わなければならない。
領主があばら家に住み、みすぼらしい格好をしていてはその領地全てが侮られることになる。それは交渉などでも不利となり、領地領民全てに迷惑をかけることになる。身の丈に合わない贅沢は駄目でも、ただ何でも質素に、慎ましく暮らしていれば良いというものでもない。
ワールスザワやユークレイナ方面にも俺の屋敷を建てる方が良いと言われている。ワールスザワはケーニグスベルクからそれほど離れていないからどうかと思うけど、ユークレイナ地方にはあった方が良いかもしれない。向こうにも町を建設中だし、そのうちどこかに俺の屋敷や拠点も建てた方が良いだろうか。
「きれー!フローラ!あれすごい!」
「ああ、エレオノーレ様は本当にシャンデリアがお好きですね」
シャルロッテンブルク宮殿にもシャンデリアはあった。エレオノーレは向こうのシャンデリアにも大喜びしていたけど、こちらのシャンデリアにもまた違った趣があって綺麗だ。向こうのは宮殿の大きさに合わせて巨大なものだったけど、こちらは生活する屋敷のためのものだから大きさは向こうほどはない。
ただ職人達が凝りに凝って作り上げた初期作品の最高傑作だと自分達でも言っていた通り、とても綺麗で美しい。向こうが派手で豪華で威圧する感じだとすれば、こちらは優雅で気品のある美しさだ。
エレオノーレも小さくても女の子なんだな。綺麗な物や可愛い物が大好きだということはここ最近一緒に暮らしていてよくわかった。クンはあまり宝石とかには興味がないのか価値を見出していないようだけど、豪華な建物や内装には一応それなりに反応している。ただクンの場合は権力の象徴として見ているのかなという気がしないでもない。
「さぁさぁ、こんな所に居ては暑いでしょう?アイスクリームを食べましょう」
「あいす!食べるー!」
暑い季節だし涼しい食べ物が良いだろう。カーザース邸でアイスやカキ氷を食べると母も欲しがって困る。母にはあまり体が冷えるような物を食べさせてはいけないと言われているからな。なのでこちらに来て俺達だけでこっそり食べようと思ったわけだ。
エレオノーレはおやつを食べている時は大人しい。おやつで気を引いているうちに俺は仕事を片付けなければならない。
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カーン騎士爵・カーザース辺境伯領に帰ってきてから一週間ほどが経過している。その間出来るだけ近くの視察に出掛けたり、こちらで済ませておかなければならない仕事を片付けてきた。残っている仕事と言えば遠出しなければならないような仕事ばかりだ。まぁ毎日届く仕事は別としてな。
もうそろそろ母の出産予定日が近い。産科医が言うにはいつ産気づいてもおかしくない状態だそうだ。まさかこんなタイミングで遠出をするわけにもいかず、どうしたものかと思いながら書類仕事を片付けていると……。
「フローラ様!マリア様が産気づいたとのことです」
「――!わかりました。すぐに向かいます」
俺を呼びに来たカタリーナに先導されてお産のための部屋に向かう。俺の提案もあってこの時のためにお産用の部屋を用意してあった。感染症なども抑えるために部屋は清潔にしてあったし、お酒から蒸留したアルコールで消毒もしてある。
俺は医療にはそんなに詳しくないから現代人の一般論的なものしかわからないけど、それでも出来る限りの備えはしてきたはずだ。
「父上!ゲオルクお兄様!お母様の様子は?」
俺が部屋の前に行くと外にはもう父と兄が居た。
「まだ始まっていない」
「え?そうなのですか?」
俺には詳しい出産の手順はわからない。それにこちらの世界の常識と向こうの世界の常識が同じではないことは何度も味わってきた。俺にもっと専門的な知識があればあれこれ指示も出来るんだろうけど、中途半端な知識しかない俺が何か言うよりは、こちらの専門家に任せておく方がまだマシだろう。
「旦那様は中へ」
「うむ」
少し経ってから助産婦さんが父を呼びに来た。貴族の出産というのは取り違えやすり替えをさせないために立会うらしい。普通の貴族でもそうなのかは知らないけど、地球でも王族などは他の貴族達立会いの下で公開出産だったとも聞く。
うちの場合は王族でもないし、他人の貴族まで立ち合わせて公開出産をする必要はないけど、それでも父は立ち会うらしい。まぁ取り違え、すり替えを疑っていなくても、地球でも旦那が出産に立ち会う場合もある。俺が勧めたアルコール消毒を行なってから父も部屋の中へと入って行った。
残された俺と兄はただ二人でソワソワしながら待つ。どうすればいいのかわからず、ただ不安でソワソワとすることしか出来ない。
万が一出血が酷かったり、何かあれば俺も呼ぶようには言ってある。産科医は俺の回復魔法も知っているし、保守的な医者じゃない。俺がやろうとしている医療改革にも賛同してくれている医者だし腕も確かだ。
だけど……、不安で仕方がない。ちゃんと産まれてくれるのか……。母も無事に済むのか……。待っている間中不吉な考えがよぎっては頭を振って振り払う。どうか無事に産まれてきますように。母子共に無事でありますように……。
『オギャーッ』『オギャーッ』
「――っ!」
「産まれたっ!?」
どれほど扉の前で待っていたのだろうか。時間の感覚なんてなくて、ただひたすら祈るような気持ちで待っていた。そしてようやく……、赤ん坊の元気な産声が聞こえてきた。
「お産まれになりましたよ!男の子と女の子の双子です!」
「はっ……、ははっ」
「お母様は?お母様も無事ですか?」
「はい!母子ともに問題ありません」
そう言われて、自分こそアルコール消毒も忘れて部屋へと入ってしまった。ベッドの上には一度も見たことないほどに汗びっしょりの母と、まだ処置をされている赤ん坊が二人……。
「フローラちゃん……、心配なかったでしょう?皆無事よ」
「よかった……」
母のその言葉を聞いて、俺はその場にヘナヘナと崩れ落ちたのだった。




