第四百四十八話「同志!」
『西の国々』に入ってからクンは驚きの連続だった。たくさん建ち並ぶ建物に、見たこともないほど多くの人が歩き回っている。もちろん見たこともないと言っても、ポーロヴェッツの部族が全て集まればもっといるだろう。軍事行動で他の部族と合同で集まっているのは見たことがある。その時の人よりは少ないのかもしれない。
しかしこの人達は一時的に各地から集まってきたわけではないのだ。ずっとここに生活している民であり、これだけの人数で一つの集まりなのだ。各部族の戦士が集合しているのとではわけが違う。
「だんだん大きな町になってきたな」
「これでもまだ一番大きいわけではないのですか?」
クンにとってはこれでも信じられない光景なのに、大カーンが言うにはこの町でもまだまだ小さい方だと言う。何もかもが驚きに満ちていて、全てのことがクンの心を刺激する。次の町では一体どんなことが待ち受けているだろうか。そう思うとドキドキが止まらず、馬車の窓に張り付いて近づいてくる町を見詰めてしまう。
「町を見るのは楽しいか?」
「はいっ!あっ……、いえ……」
同じ馬車に乗っている大カーンにそう言われて、咄嗟に『はい』と答えてしまってから『しまった』とばかりに否定する。
「何も遠慮することはないぞ。知らないということは恥ではない。知ろうとしないことや、知ってもそれを認めないことが恥なのだ。興味を持ち、それを知り、理解しようとすることは素晴らしい。クンがこの外の景色に興味があるのならば、それを隠すことの方が悪いことだ。知りたいと思えば何でも聞けば良い」
「はぃ……」
大カーンにそう言われて……、クンは父、ユーリーとのやり取りを思い出して恥じ入った。自分は本当に何もわかっていない子供だった。父、ユーリーにああ言われるのも納得だ。今となっては自分の無知と視野の狭さが恥ずかしい。
父、ユーリーは今まで何度もこのような『町』を見て、『西の国々』の力を実感してきたのだ。町というのは何も大きな建物があって人がいっぱいいるというだけではない。もちろん人口の少ないポーロヴェッツの部族にとっては相手の人口が多いというだけでも脅威ではあるが、単純にただそれだけの話ではなかった。
これだけの『町』を築き、大勢の人が住み、整備された『街道』があり、その人々を養うだけの食べ物が町に溢れ返っている。今までクンが見て来た町はどこにでも露店と言われるものがあり、様々な種類の食べ物がたくさん売られていた。
ポーロヴェッツでは売り買いという概念はほとんどない。部族の食べ物は部族全員で分けて食べる。もちろん各家の財産である家畜もいるが、狩りも男達が集まって向かい、獲れた獲物も皆で分ける。女達は家畜の世話をしながら共同で食事を作り、部族の皆で分けて食べる。
ここで使われている『通貨』とか売買というものには馴染みは薄いが、その理屈や考え自体は理解出来る。ユーリーの部族でも家畜を差し出す代わりに何かと交換してもらったりすることもあるからだ。
『西の国々』では『通貨』さえ払えばいくらでも何でも食べられる。毎日露店には多くの食べ物が並び、好きな時に好きな物が食べられる。これだけ多くの人を養っていける。それは『西の国々』が豊かで強いことを表している。
父、ユーリーは西の国々の力を知り、このままただ無策に敵対するのではなく、その知恵を取り入れポーロヴェッツにも広めようと考えていたのだ。これからもポーロヴェッツが生き残っていくには、相手の凄い所は凄いと認め、自分達も取り入れ改める必要がある所は改める。そうして初めてポーロヴェッツは生き残っていけるのだ。
そして父、ユーリーはただ西の国々と交流を持つだけではなく……、ユーリーの部族が仕える主を見つけた。この大カーンならばきっとユーリーの部族を、豊かで、安全な暮らしに導いてくれる。父、ユーリーはそう信じたからこそこの大カーンに力を貸すことにしたのだ。
父、ユーリーがただポーロヴェッツの最有力部族の座に囚われて、ポーロヴェッツを裏切るようなことをしていたわけではない。ポーロヴェッツを栄えさせたい、守りたいからこそ、戦うべき相手をきちんと見極め、従うべき相手を選んだ……。
自分は何と世間知らずで子供だったのだろうか。それを教えてくれた頬の痛みを、ただそっとそこに手を重ねて、クンはいつまでも馬車の外を眺めていたのだった。
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「これが……、大カーンの住まう地ですか……」
クンは目の前に広がる光景が理解出来なかった。広大な……、広大な町に、信じられないような大きな建物。ポーロヴェッツでは部族長であろうとも、一部族員であろうともほとんど同じような折り畳みの家に住んでいる。多少大きさや布地が違うとしても、基本的には大差はない。
しかしここはどうだ。『旧ポルスキー王都』と呼ばれる町は広すぎてクンには最早理解出来ない。その上、大カーンがやってきた建物は巨大すぎてその全貌もわからないくらいだ。石で造られた巨大なその建物にクンは完全に圧倒されていた。
「ここは私が征服した旧ポルスキー王国の王都と王城だ。私自身はまだここに訪れたのは二回目だ」
「これほどの町を……、征服……」
これほど人で溢れ返っている町、いや、王都とやらを征服してしまう……。それがどれほどの力であるのかクンにも何となくわかる。具体的にどれだけの兵がいて……、ということはわからなくとも、ここまでやってくる途中にあった町も、この王都も、全てを征服してしまうのは簡単なことではない。
大カーンがそれほどの力を持っているのなら……、確かにポーロヴェッツの統一も、いや、クイップチャック草原の支配も、東の果てまで続くホンの大帝国を築くことも出来る。このお方こそがホンの大カーンであるということが今更ながらに実感出来た。
ただこの王都にも長期間滞在するわけではなく、通り過ぎるために一時的に寄っただけだという。この先にまだもっと凄まじい町があるのかと思いながら、クンは段々と自分がドキドキワクワクして止まらないことに気付いていた。
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大カーンと一緒に行動するようになって、ようやく最初の目的地に到着したらしい。暫くこの町で留まってから、また次の目的地に向かうと言っていた。
ケーニグスベルクと言っていたその町は、旧ポルスキー王都よりも小さいと思ったが、町の活気自体はこちらの方が圧倒的だった。
クンもここに来るまでにたくさんの町を見て来たからわかる。もちろん町が大きいことはそれだけでも大したことではある。だけどただ大きければ何でも良いというものでもない。大きくても寂れた町もあれば、小さくても活気に満ちた町もある。
このケーニグスベルクという町は、旧ポルスキー王都と比べれば確かに少し小さいかもしれない。それでも十分な大きさがあり、何よりも旧ポルスキー王都よりも活気が溢れている。
「少し港へ視察に行く。クンにも船を見せてやろう」
「ありがとうございます」
頭を下げながらも、クンとてブラック海の沿岸に住む者だから船くらいは見たことがあると内心では思っていた。その港に着くまでは……。
「こっ……、これが……、大カーンの船?」
ケーニグスベルクの港にズラリと並ぶのは……、ユーリーの部族の村から見えるブラック海を航行している船などとは比べ物にならない巨大なものだった。こんな大きな物が浮いていることが信じられない。そもそもこんな大きな船がどうやって動くというのか。
ブラック海を航行している船はたくさんの櫂が出ており、全て人の手で漕いで進んでいる。それくらいはクンでも知っていることだ。しかしここに並べられている船には櫂を出す穴もなければ、突き出している櫂もない。こんなものがどうやって動くというのか。
大カーンの巨大船だけではなく、ほどほどに小さい船や数人が乗り込むだけの小船もある。ブラック海で見るような櫂船と同じような大きさの船もある。ただ……、やはりほとんどの船には櫂がない。数人乗りの小船には櫂が置かれているのに大きいものほど櫂もなくどうやって動かすというのか。
「櫂もなく……、どうやって動く?」
「ああ……、それは……、口で説明するよりも実際に乗った時の方がわかりやすいだろう。今度我が領地に帰る時に乗って行くことになる。その時に説明してやろう」
「はい!必ずですよ!」
大カーンの言葉にクンは年甲斐もなくはしゃいでしまった。それは自覚しているが止めることは出来ない。凄い。世界は凄い。自分の知らないことがたくさんある。もっと知りたい。大カーンのお傍にいればもっと見られる。大カーンと共に世界の果てまで全てを見るのだ。
クンの頭の中はもうそのことだけで一杯になっていた。
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このケーニグスベルクで大カーンが住まう家はわけがわからないものだった。王城と言われていた建物よりずっと小さい。外見上はみすぼらしいとすら言える。もちろん他の家に比べれば立派な方だろうが、とてもではないが世界の王が住まう家とは思えない。しかしこの家はただ小さいみすぼらしい家というわけではない。
まず蛇口というもの……。上の部分を捻ると水が出てくる。意味がわからない。これが西の国々の魔法なのか?それにしてはこれまでの家ではこんなものは見たことがない。この家だけがこんなものがある。
それから水洗便所というもの……。これも設備の操作を行なうと水が流れる。用を足した後に水を流すと出した物が流れてしまう。意味がわからない。
そしてお風呂……。大きな浴槽というものにお湯を張り、お湯に浸かったり、体や頭を泡で洗う。石鹸というものを使うと泡が出て良い香りがする。何故こんな大きな浴槽にお湯を一杯張るのか。とてももったいない。意味がわからない。
「さぁクン、お風呂に入りましょ!」
『あの……』
大カーンの女がクンの手を引っ張る。あまり言葉はわからない。大カーンはもうポーロヴェッツの言葉を覚えて会話も出来るというのに、クンは未だに大カーン達の言葉……、プロイス語?というのを覚えていない。ポルスキーの言葉と似ている部分もあるからそれを足がかりにしているが、途切れ途切れに知っている単語がわかる程度だ。
ただお風呂という言葉は知っているし、お風呂場に向かって手を引かれているのでお風呂に入ろうと言われているのはわかる。
大カーンの女達は皆クンにも優しい。何を言っているのかわからないことが多いが、それでも色々としてくれていることから自分のために良くしてくれていることはわかる。
ガラガラッ!と面白い音がする扉を開けると……。
「あっ」
「……え?」
今まで見たことがない女性が服を脱ぐ場所に立っていた。外套こそ脱いでいるが、その下に着ている衣服や手に持っている仮面からそれが誰であるのか想像がつく。しかしそれが信じられない。
「クっ、クン……」
「大カーン様……、ですか?」
クンと呼ばれて、ようやくそれが大カーンであると理解するしかないのだと認めた。美しく長い金髪に青い瞳の……、とても……、とても美しい女性……。
ポーロヴェッツと西の国々とでは女性の美しさの基準は違う。それでも……、ポーロヴェッツの女性から見ても、そこに立つ女性は匂い立つほどに美しい。
「ちょっとクン!入り口で立ち止まらないで早く入りなさいよね!」
「皆さん?」
後ろから大カーンの女達に押されて服を脱ぐ場所に押し込められる。そして……。
「フロト……、ううん。フローラ!お風呂入るんでしょ?皆で入りましょ!」
「さぁさぁ!」
「フローラ、早く!」
「ちょっ!やっ?えっ?」
大カーンは女達によってあっという間に服を脱がされてしまった。その体はあまりに美しく、クンはうっとりと見惚れてしまった。
「クンも!早く!脱ぎなさい!」
『えっ?あのっ!?あーっ!』
クンも次々に服を脱がされる。服を脱ぎ終わると全員でお風呂場に突入する。皆でお湯を浴びて体を洗って浴槽に浸かる。
『はぁ……』
クンもこのお風呂は嫌いではない。最初は何故こんな無駄なことをと思ったが、今ではこうしてお風呂に浸かるのも悪くないと思っている。ただ……、周りにいる女達のプカプカと浮かんでる塊さえなければ……。
特に……、頭がぐるぐる巻きの女と、大カーン……。そのお湯に浮かぶ塊は何なのかと問い質したい。そう思って他の女達を見てみれば……、黒目黒髪の、少しポーロヴェッツの民と似ている女は……、ツルンペターンだった。クンも自分の体を見る。ツルン、ペターンだ。
『顔だけではなく……、同志!』
「はぁ?クン、あんた今何か失礼なこと考えたんじゃないでしょうね?」
何かを感じ取ったらしい黒目黒髪の女は、しかしお湯に浸かりまったりしたのか、それ以上は追及してこなかったのだった。




