第四百四十一話「読み合い!」
ユーリーとグザは信じられない気持ちだった。クリメア半島付け根の隘路での戦い……。あれは一体何だったというのか。まるで自然を味方につけたような、精霊や妖精でも味方につけているのかと思うような不可思議な現象。
もしかしてあれが西の国々で使われているという魔法だろうか。魔法とはかくも凄まじいものだったとは思いもよらなかった。何故あれほど凄まじいのならばポルスキー王国やルーシャ諸国が使ってこなかったのかがわからない。ただ一つわかることはこの大カーンの部隊にはそれが出来るということだ。
『おいユーリー!何だったんだあれは!』
『私にもわかるわけがないだろう……』
『お前は一体何を連れて来たんだ!?』
『……』
隘路を抜けてクリメア半島に入った大カーンの軍は、すぐさまその出入り口で陣を張り会議を始めていた。会議は異国の言葉で行なわれているのでユーリーやグザにはほとんど意味がわからない。たまに通訳がポルスキーの言葉で説明してくれるが、ユーリーもポルスキーの言葉を完全に使いこなしているわけではない。
グザはポルスキーの言葉も知らないのでまったくわからず、ポルスキーの言葉で説明を聞いたユーリーがポーロヴェッツの言葉でグザに説明する。非常に手がかかり、細かい内容がうまく伝わっているとは言い難い。
そもそもグザが服従を誓ったとはいえ、まだカーン軍は全面的に信用しておらず、重要な情報は封鎖している。ポーロヴェッツならどう対応するか意見を聞かれたりするくらいで会議において発言権はない。
「大雑把に言えばクリメア半島は横に広い菱形のようになっている。ここから隘路で我々を攻撃しようとしてきた敵を逃がさず追い詰める必要があるが……、誰か作戦のある者はいるか?」
「「「…………」」」
地元民達の情報を元に推定されるクリメア半島の地図が書き出されている。それがどの程度正確であるのかは置いておくとして、大雑把に言えばクリメア半島はここから先が広がり、頂点までくると今度は萎む形、菱形になっているらしい。そして南部にはこの辺りでは珍しい比較的高い山々が連なっているとのことだった。
敵を南部の山脈地帯に追い詰めるとして、ここから先はそれなりに広がっていく形だ。それを全て制圧して敵を一切見逃さない形にしようと思ったら、カーン軍は薄く広く拡がらなければならない。当然それだけ薄くなれば、半島全てを見落とすことはなくとも敵と戦闘になった時に突破される可能性が高くなる。
「この半島の出入り口だけ封鎖しておけば……」
「東側にある『腐った海』とやらは遠浅の海で、道を知る者ならば突破出来る道があるというぞ。ここだけ塞いでいても意味がないだろう」
「それに封鎖しているだけでは終わりがない。どうやって半島内にいる敵を捉えるかが重要だ」
確かにクリメア半島の入り口は非常に狭い。西側はブラック海であり船がなければ渡れない。しかし東側にある『腐った海』はやや事情が異なる。腐った海はとても浅く、対策さえしておけば強引に渡れなくもないということだった。
深い場所を避けると共に、かんじきのような足が底にはまり込まない工夫をして入れば、いくつか通過出来る道がある。相手がそれを知っているかや、そのような道具の備えがあるかはわからないが、腐った海があるから絶対に渡ってくるはずがないと思い込むのは危険だ。
「どちらにしろ蟻一匹通さないように広がって制圧していくのは不可能だ。ならば……、敵がどこを通り、どこに集まり、どう行動するのかを予測し、確実に捉えるしかない」
「う~む……」
「やはり騎馬民族なのだからこの中央の平地を逃げ回るのでは?」
「そうだな……。そして隙を見てこの付け根を突破出来れば我々だけが半島をいつまでも敵を探し彷徨うことになる。我々の戦力を引き付けておくだけならそれで十分だ」
軍議での意見は大体そう集約されていく。菱形の中央部分の草原を逃げ回り、うまくかわして、付け根の方へと舞い戻り、封鎖部隊がいれば強行突破するなり、腐った海へ迂回するなりして半島から出て行く。敵を完全に制圧するまで半島から出られないカーン軍はいつまでもいなくなった敵軍を探して彷徨い続ける。
敵の狙いがこちらの戦力分散や足止めだとすれば十分有り得る作戦だ。こちらを引き付けるために半島に入った敵は相当な危険が伴う。それでもこれを実行した敵に賞賛を送りたい。
様々な議論が出尽くした後、最奥の上座に座るフロト・フォン・カーンが口を開いた。
「これ以上意見は出ないな……。ならば私の作戦を話そう。それは……」
フロトの作戦を聞いて……、天幕の中が揺れた。
「そっ、そのような作戦を……」
「万が一失敗したらオリヴァー隊の背後が危険では……」
あまりに異質な作戦に将軍も参謀も驚きを隠せない。ユーリーとグザはカーン軍がどんな話し合いをしているのかいまいちわかっていなかったが、その雰囲気が異様なことだけは感じ取っていた。
結局……、フロトが話した作戦をもとにさらに内容が詰められ、実行されることになったのだった。
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バチュマンの部族は最短距離で南へと向かっていた。他の場所には目もくれない。敵はこちらが機動力を活かして中央の草原で逃げ回ると思っていることだろう。だからこそその裏をかく。
大雑把に言えば菱形をしているクリメア半島の南部には山脈が連なっている。しかしそれは南部を全て遮断してしまうようなものではない。ブラック海に面した南西の海岸線沿いに近い場所には山脈が伸びておらず、細長い通路のように半島の南端近くまで通れる道がある。
クリメア半島南端より少し西側にあるヘルソネススという港町は、この西海岸沿いにある道を通って北側と繋がっているのだ。もちろん東へ、山脈のさらに南側の沿岸沿いを進む道もあるが、西海岸沿いの道はそれよりも広く主要街道となっている。バチュマンとその部族はヘルソネススへと一直線に向かっていた。
「まさか我らがこのような狭い場所に自ら進んでいるとは思うまいよ」
「向こうにユーリーがついている以上は必ず中央の草原地帯で敵をかわし、半島の付け根を突破して北へ戻ると判断しているでしょうな」
バチュマンの言葉に副将も得意気に答える。ヘルソネススはクリメア半島の南端に近い位置にあり、古代から重要な港として栄えていた。様々な国や帝国が奪い合い、重要拠点、交通の要衝となっている。
西の国々が中央の平原でバチュマン達を探している間に、バチュマン達は港から船に乗って半島から脱出しようと画策していた。まさか機動力が自慢の騎馬民族が、機動力を捨てて船に乗って脱出するなど思いもしないだろう。
西海岸の街道は比較的広いとはいえ、騎馬民族がその特性を活かすには狭い。しかも自分達から追い詰められるような場所へ向かうなど普通の者には考え付かないはずだ。その思い込みを利用して裏をかき半島から脱出する。残った敵は居もしない自分達を探して草原を彷徨い続けることだろう。
敵の部隊をこれだけ引き付けて無駄足を踏ませれば十分成果を挙げたと言える。あとはヘルソネススから脱出した自分達が再び北の大陸側に上陸して敵の背後でも襲ってやれば良い。どうせ敵にはこちらが誰だかわかるまい。半島を脱出した自分達が後ろにいるなど考えもしないはずだ。
「よし、船の手配をする者以外は町から離れた場所で待機だ。三人ついてこい。後は隠れていろ」
「「「はっ!」」」
無事ヘルソネススに入ったバチュマンは船の手配を完了した。重要な港であるヘルソネススには貿易船がたくさんいる。料金さえ払えば乗せてくれる船もあるだろう。ただ今日頼んで部族全員が乗れるほどの船を確保するのは難しい。たくさん船を頼めば良いというものではなく、行き先が同じものを用意しなければならない。
もちろん最悪の場合は行き先がバラバラになろうとも、一刻も早くクリメア半島から脱出しなければならないかとも考えたが、今の状況ならそこまで急ぐ必要もないだろう。二日後に北に向かう船団にほとんどの者が乗れるとわかった。
敵は今頃草原を無駄に探し回っているに違いない。二日程度ならば十分時間が稼げるだろう。ならば大人しく二日後の船に全員が乗ってクリメア半島を脱出することにした。
「丁度良い船があってよかったですね」
「その代わり荷物や家畜や馬を一部諦めなければならない……。これでは部族長失格だ」
バチュマンは他人に厳しいが自分にはもっと厳しい。守るべき部族の財産を捨てていかなければならないのは遊牧民として敗北と同じだ。
船に全員を乗せようと思ったら荷物や家畜の一部を諦めなければならない。遊牧民にとって家や家畜を捨てていくのは許し難いことだ。それでも今の状況ではこれしかない。このまま半島に留まっていても自分達は全滅させられるだろう。
他の部族が動くはずもない。自分達は捨て石にされたのだ。あるいはバスチーやコチャンですら捨て石だろう。恐らくコンチャークは今頃残った部族を連れて東へ逃亡しているに違いない。
そんな者達のためにバチュマンの部族が犠牲になってやるなど腹立たしい。しかしポーロヴェッツの誇りを持つバチュマンの部族の者は誰一人文句も言わない。命の次に、いや、家族や子孫に残すことを考えれば自らの命よりも大事とすら言えるかもしれない家や家畜を捨ててまで、何故コンチャーク達を助けてやらなければならないのか。
それでも……、ポーロヴェッツの誇りを守るバチュマンの部族は全員が耐え忍んでいた。あとは二日、何事もなく済めば……、そう思っていたのに……。
「部族長!北から大量の騎馬が向かってきています!」
「馬鹿なっ!何故だっ!?」
こんな時に大量の兵が向かってきているなどあの敵以外にあり得ないだろう。だが何故敵がこちらに一目散に向かってきているというのか。普通に考えれば騎馬民族の利点を活かして中央の草原で戦ったり、逃げ回ったりすると思うはずだ。その敵が肝心の騎馬を全てヘルソネススに差し向けてくるなどあり得ない。
報告から騎馬の数を考えれば敵はほぼ全ての騎馬を差し向けてきている。そして輜重隊などの足の遅い者は全て置いてきたはずだ。でなければ身軽な自分達にもう追いついてきているはずがない。敵は迷いなくヘルソネススに全騎兵を投入してきた。何故そんなことが出来るのか……。
一つはたまたまクリメア半島南端に近い重要拠点であるヘルソネススを、早めに占領しようとして送ってきただけで自分達の追撃部隊ではない可能性。もう一つは……、考えたくはないが……、どこかから情報が漏れていて自分達がここにいることが敵にバレている可能性だ。
バチュマンの部族にそのような裏切り者がいるはずはない。だが実際に敵は何の躊躇もなく、重要な騎兵を全てヘルソネススに差し向けてきた。その迷いのなさから考えたら何らかの確信があったからだろう。
「一先ず隠れてやり過ごす。もしかしたら単純にヘルソネススを占領に来ただけかもしれない。奴らが通り過ぎてヘルソネススへ向かえばその隙に北へ脱出するぞ」
「「「はっ!」」」
どちらにしろこちらの詳しい位置は把握されていないはずだ。街道から外れて山脈の麓に近い場所に潜伏しているバチュマン達がすぐに見つかるはずはない。敵はきっと通り過ぎてヘルソネススに向かう。
もしかしたらこちらの動きが読まれていたのかもしれない。だがまさか自分達が山脈の麓に隠れているとは思わないだろう。全力で追ってきたということは船で脱出されないように急いでヘルソネススへ向かうはずだ。その隙に後ろから北へ向けて脱出すればまだ生き残る道はある。
ヘルソネススから船で脱出するという計画は失敗してしまったが、北へ戻って中央の草原へ出れば、誰もが考える通りに騎馬民族の特性を活かして引っ掻き回してやればいい。そのうち脱出の機会も訪れるだろう。とにかく今は何とかこの危機を乗り越えて……。
そう考えていたのも束の間……、街道を南下してきていた敵の騎馬が速度を落として街道を逸れ、自分達のいる山脈の方へと入って来ているのが遠目にも見えた。
「なっ……!奴らはこちらの居場所に気付いて?」
明らかに迷いなく森へと入ってきている。それはつまりこの先に自分達がいると確信しているからだ。まさか本当に内通者が……、そんな考えが頭をよぎる。その時……。
ゴオオォォォッ!
という物凄い音が聞こえ、目を覆うほどの光の柱が立ち上った。それは巨大な炎の柱だ。この日、クリメア半島周辺のブラック海沿岸の多くの者が目撃し、あちこちの歴史書に謎の現象として記録されることになるその立ち上る光は、たった一人の人間がその手から放った炎の柱だった。
「こっ……、こんな……」
バチュマンですら震えが止まらない。クリメア半島付け根で待ち伏せしていた時の攻撃など比べ物にならない。あんなものをこの山に放たれては、全員確実に燃え尽きて死ぬことになる。その手が……、明らかに潜んでいる自分達の方を向いていた。
まだ距離がある。自分達は少しだけ山脈を上った所に潜んでいる。だからこちらからはたまたま相手が見えているだけだ。相手からこちらが見えているはずなどない。はずがないのに……、明らかに先ほど天に向けて火柱を放った手が……、自分達の方を向いていた。
『聞け、バチュマンの部族よ』
「おおっ……」
「何だこれは……」
「まるで耳元で囁いているかのように聞こえるぞ」
「ユーリー……」
バチュマンの部族全員に、まるで囁きかけるように耳元で声が聞こえた。バチュマンにはその声に聞き覚えがあった。十一部族の一つの部族長、ユーリーの声だ。
『見ての通り、今の火柱がお前達を狙っている。狙いがつけられていることは自覚しているだろう。このままでは全員が焼かれて死ぬだけだ。我らが主、フロト・ホン・大カーンの下へ降れ。大カーンは寛大なお方だ。お前達がこれ以上逆らわないのならばこれまでのことは罪に問わないとおっしゃられている。我らは再びホンの名の下に一つになる。大カーンに降れ!』
「「「「「…………」」」」」
ホン族の大カーン……、そんな夢物語のような者がいるはずがない……。しかし……、それが本物であれ偽物であれ、自分達が敗れたことだけははっきりわかった。これ以上争っても本当に皆殺しにされるだけだ。
戦闘では敵わない。策略も見破られた。脱出路もなく、今からでは最早どうすることも出来ない。ならば……、取れる手段は一つだけだった。
「皆……、すまない……。降ろう……。フロト・ホン・大カーンには俺の命一つで許してもらえるように頼む。どうかお前達は生き残ってくれ……」
これ以上の戦闘は最早無意味。それを悟ったバチュマンは森を出て大カーンに降伏を申し出たのだった。




