第四十四話「顔は生まれつき!」
アレクサンドラはリンガーブルク伯爵家の長女として生まれた。たとえ今は落ちぶれていようともリンガーブルク家に誇りを持っている。そう。その顔がリンガーブルク家の特徴であるきつい顔立ちであろうともだ。
アレクサンドラは幼少の頃に自分が人より怖い顔つきをしていると知った。近所で同世代くらいの子供が集まるグループがあった。そのグループではアレクサンドラ達よりも少し年上の世代も一緒にいて、年上の子がグループのリーダー的存在だった。
アレクサンドラ達の世代が成長してそのグループに入るようになって間もない頃、アレクサンドラは年上のリーダー格の子に少し注意したことがある。
現代日本風に言えば近所の同世代くらいの子供達の集まりの中で年上の子が年上なのを笠に着て好き放題していたというようなものだ。とはいえ別に悪質ないじめなどをしていたわけではなく、ただおままごとなどの時に自分がしたい役は自分が絶対にして、やりたくない役は他の年下の子に命令してやらせる、という程度のことにすぎない。
だからアレクサンドラも別に本気で怒ったわけではないのだ。ただ少し順番で、持ち回りで他の子にもやりたい役をやらせてあげたらどうかと提案した程度のつもりだった。
それなのにアレクサンドラに注意されたリーダー格の子は泣き出してしまったのだ。理由は簡単だ。アレクサンドラが怖かったから……。
それ以来年上の子達もアレクサンドラをリーダーとして扱うようになってご近所デビュー間もなくアレクサンドラはグループのリーダー的存在になったのだった。
その時アレクサンドラは気付いた。自分は別に性格がきついわけでもなければ主張が強い方でもない。前のリーダー格の子にも恐々、怒らせないように提案した程度のつもりだった。それなのに年上の相手ですらアレクサンドラの迫力に泣き出し他の子達もアレクサンドラに従うようになった。
きっとこの顔が怖いからだ。鏡の前で自分の顔を見るたびにアレクサンドラは溜息が出る。
本当は可愛い格好をするのが好きだ。可愛い物を集めるのが好きだ。人と揉めるのは苦手で強く主張することも出来ない。人に頼られたら何とかしてあげたいとは思うが実際に何とかしてあげるだけの器量も力もない。
それでも周囲は自分にそういう役を求める。近所の子達のグループでは事ある毎に頼られ、他のグループと揉めると自分が担ぎ出されて怖そうな相手のリーダーと対峙しなければならなかった。
頼られたら何とか頑張ってそれらを乗り越えてきただけだった。それがいつの間にか噂になり周囲からはアレクサンドラは怖い人だと言われるようになっていた。
そして歳を重ねる毎にさらに周囲の評価は変わっていく。子供の頃は本人の評価が自分の立ち位置になる。しかし歳を取ってくるにつれて本人の能力に関わらず家の立ち位置が自分の立ち位置になってくる。お金持ちの家の子はお金持ちとして、権力者の家の子は権力者として、貧乏な家の子は貧乏人として……。
子供の頃はあれほどアレクサンドラを頼りにして集まってきていた子達も歳を取ってきてリンガーブルク家のことを親から聞くようになると掌を返したように離れて行った。あれほど皆のために頑張ってきたのに……。落ち目のリンガーブルク家と言われて罵られることすらあった。
それでもアレクサンドラはリンガーブルク家に誇りを持っている。蔑んでくる人も、家を没落させた曽祖父も、誰も恨むまい。どんなことがあっても自分だけはリンガーブルク家の矜持を忘れず胸を張って生きれば良い。そう思って今日もアレクサンドラはカーザース辺境伯家の家臣団一の名家として勉強に励んでいたのだった。
=======
今日は今年十歳になる貴族の子供達の社交界デビューの日だ。姿見の前で昔からリンガーブルク家に伝わる社交界デビュー用のドレスに袖を通す。
伝来のドレスと言えば聞こえは良いが実際にはドレスを新調する余裕がなくお古のドレスを直して代々着ているに過ぎない。それでもアレクサンドラは今日このドレスを着て行くことに誇りを感じている。代々のリンガーブルク家の子女達が着てきたこのドレスを着れることが誇りなのだ。
とはいえ社交界の流行はそうすぐに大きく変わるものではない。生地が傷んでいたり多少デザインが型遅れなことを除けば結局他のご令嬢達もドレスを新調してもそうデザインが変わるものではなく、皆髪型もドレスも良く似たものになっている。
そしてこちらも先祖伝来、何よりある戦で功績を挙げたことによりカーザース辺境伯家から贈られた褒美の馬車に乗り込む。その馬車は多少古くなっているとはいえ他のどんな馬車よりも豪華で高級だった。その高級な馬車で社交場の会場に乗り入れると周囲から視線が集まり早速噂話が始まる。
「(あんな凄い馬車に乗っているなんてどこの家だ?)」
「(もしかして今年社交界デビューされるというカーザース辺境伯家のご令嬢だろうか?)」
「(他の地域から特別に呼ばれたゲストかもしれないぞ)」
様々な憶測が飛び交う中アレクサンドラは用意された昇降台を使って馬車から降りる。
「「「おおぉ~~~っ」」」
男達からざわめきが起こる。遠目に見ている分には少しきつそうな顔には見えるがアレクサンドラはとても美人に見えた。否!確かにアレクサンドラは美人顔をしている。ただ少し……、目の前で見ると性格がきついのかと思ってしまうほどきつい顔をしているだけだ。
それも遠目から見れば少しつり目がちな美人というだけに見えるので男達のテンションは俄然上がった。早速声をかけようと男達が近寄ろうとしたがすぐに女達が群がって声をかけはじめる。
「御機嫌よう。私はアルコ子爵家のアデーレ・フォン・アルコです」
「あっ!ずるい!私は……」
「ちょっと!次は私の番よ!御機嫌よう!」
次々とやってくる少女達にアレクサンドラはタジタジだった。しかし周囲から見ている者にはアレクサンドラが圧されてタジタジや困惑しているようには見えていない。堂々と自分に群がる者達の自己紹介を受けて尊大に頷いているように見えていた。
「御機嫌よう皆さん。私はリンガーブルク伯爵家のアレクサンドラ・フォン・リンガーブルクです」
「まぁ!伯爵家!」
「素敵だわぁ~!」
アレクサンドラが自己紹介するとキャイキャイと言い出した取り巻き気取り達は早速アレクサンドラを担ぎ上げて我が物顔で会場をのし歩き始めたのだった。
=======
アデーレと名乗った小さな鼻が少し上を向いているアルコ子爵家の娘に引っ張りまわされてアレクサンドラはあちこちを引きずり回されていた。アレクサンドラの見立てではどうもアデーレという少女は他人の権威を笠に着て自分が威張り散らすタイプではないかと思った。
アレクサンドラに群がる他の者達も多かれ少なかれそういうところはある。何もアデーレだけが特別そうというわけではない。
そしてどうせ今伯爵家という名前に群がってきている者達もリンガーブルク伯爵家の状況を知れば掌を返したように離れていくだろう。この会場には子爵家の家格上位以上の者しか呼ばれていない。子爵家の家格が低い者以下は別の会場に集まっていることだろう。その中で伯爵家で、しかもあれほどの馬車に乗ってくるとなれば相当家格が高いと周囲には思われているはずだ。
実際家格だけで言えば一度上がった家格が下げられていないのでリンガーブルク家はカーザース家臣団の中で最も上ということになっている。ただ現在は家が傾いておりお取り潰しにこそなっていないが没落しているのは間違いない。そんな家の状況を知って離れていった友人達は数知れない。
どうせ今回もいつものように皆自分の下を去っていくだろう。それはわかっているがここで自分からリンガーブルク家の品位を落とすようなことをすることはない。アレクサンドラはどんなことがあろうともリンガーブルク家の誇りだけは失くさないように心がけているのだ。
そんな時やってきた馬車に周囲から嘲笑が起こった。気になったアレクサンドラも今入って来た馬車を見てみる。紋章もついていない質素な馬車にあまり上等な服とは言えない格好の御者、そして降りて来たのは老メイド一人だけ。普通の家ならば今日は家の力を示すために馬車も召し使いも全て最上級のものを揃えてくる。
そんな中で一人だけこの場に似つかわしくないほどに質素な馬車と召し使い達を連れてやってくる者とはどんな者だろうか。アレクサンドラを含めて全ての者の視線を集めた馬車の主がとうとう姿を現した。
「お嬢様、どうぞ」
「ありがとう」
降りて来た少女を見て……、アレクサンドラは心を奪われた。質素な馬車だとかみすぼらしい御者だとかそんなことは関係ない。所作の一つ一つに気品が感じられてそこだけまるで輝いているかのようにすら見える。
まるで御伽噺のお姫様のような美しい顔立ちに流したままの長い金髪。見たこともない斬新なデザインの真っ赤なドレス。誰も彼もが息を飲み呼吸も忘れてその美少女を見送る。受付にすら止められることなく当たり前のように会場に入って行く少女の後姿をアレクサンドラはうっとりと見詰めていたのだった。
=======
カーザース辺境伯直々の挨拶を聞いてからパーティーが始まった。アレクサンドラは早速先ほどの少女と話をしようと会場中を探す。
(見つけたわ!)
「貴女……、随分質素な馬車で来ていたわね?どこの家の方かしら?」
アレクサンドラが先ほどの美少女の所へ向かっていると回りにゾロゾロと先ほどの取り巻き達が集まってきていた。少し気にはなったがそれよりも少女と話したいと思ったアレクサンドラは急いで少女のもとへと向かう。そして出て来た第一声はそれだった。
(あぁ!私の馬鹿!言葉を間違えてしまいましたわ!どうしましょう……)
もっと普通に話しかけるつもりだったのについいつもの癖で何だか偉そうな感じに声をかけてしまった。一瞬ポカンとした美少女は柔らかく微笑みながら答えてくれた。
「え?私ですか?私はカーン騎士爵家のフロト……」
「まぁ!騎士爵家ですって?それもカーン家?聞いたこともありませんわね!いいですか?ここは家格の高い方達の集う格式の高いパーティー会場なのです。騎士爵家が来る場所ではありません。貴女会場を間違えられたのではありませんか?」
アレクサンドラはカーザース家臣団全ての家の名前と紋章を覚えている。カーン騎士爵家などという家は聞いたことがない。そしてここは子爵家の中でも上位以上の家しか呼ばれていない会場だ。もしかして初めてのことで場所を間違えてしまったのではないだろうか。そう思うとアレクサンドラは早く会場を移るように言わなくてはと焦ってしまっていた。
「私はリンガーブルク伯爵家の長女アレクサンドラ・フォン・リンガーブルクです。リンガーブルク伯爵家は最も古くからカーザース辺境伯家に仕え、最も家格が高く、最も功績の多い、カーザース辺境伯家内においてカーザース辺境伯家に次ぐ二番目の名家です」
そして始めてしまういつものやつだ。アレクサンドラは少しでもリンガーブルク家のことを知ってもらおうと事ある毎にあちこちでこうしてリンガーブルク家について話している。これはもう癖のようなもので急いでもう一つの会場へ行くように言わなくてはならないとわかっているのにどうしても口が止まらない。
「騎士爵家なんてお呼びじゃないのよ!さっさと消えなさい!」
アレクサンドラがいつものお家自慢をしているとアデーレがフロトにぶどうジュースを頭から浴びせてしまった。それにはさすがのアレクサンドラも口が止まる。
「ちょっと貴女!何をしているの!」
気がついた時にはアレクサンドラはアデーレの頬を叩いていた。自分でもアデーレを叩くつもりなどなかったのに無意識のうちに手が出てしまっていたのだ。
「まぁ、折角のドレスが台無しになってしまったわね。私の予備のドレスを貸して差し上げるから急いで着替えて向こうの会場へ向かいなさい。今ならまだ急げば間に合うわ」
ようやく言いたかったことを言えたアレクサンドラに向かって周囲は首を傾げる。
「……え?」
「「「…………え?」」」
「「「「「………………え?」」」」」
フロトという少女が小首を傾げているのが可愛らしい。アレクサンドラはそちらを見るのに必死で気付いていなかった。叩かれた頬を押さえたアデーレが物凄い形相でアレクサンドラを睨んでいたことを……。




