第四百三十八話「ドニプロ西岸の戦い!」
暗い簡易な遊牧民の家の中で族長達は重苦しい雰囲気に包まれていた。
「グザの部族が西の国々の侵攻に敗れたらしい」
「ユーリーの部族がポーロヴェッツを裏切り先導しているようだ」
ポーロヴェッツの十一の部族のうち、残るほとんどの部族の代表が集まって話し合いが行なわれていた。しかし具体的に何か良い話し合いが進んでいるわけではない。
「裏切り者のユーリーの部族に死を!」
「容易く敗れたグザの部族はポーロヴェッツの恥さらしだ!」
一見代表達が集まって何か話し合いが行なわれているようでありながら、その実、この場の話し合いに何の中身もない。誰が悪い、何が悪いと言っていても何ら解決するものではなく、それをどう解決するか話し合うべき場で何も解決策が提案されていなかった。
「そんなことを言い合っていてどうする?今回侵攻してきている西の国々の兵は精強なようだ。僅かこれだけの期間でグザの部族が敗れたのは想定外……。どうやって対応するか考えなければならないだろう。今度の事態には全ポーロヴェッツの協力が不可欠だ」
「若造が何を偉そうに!」
「そうだ!お前に何がわかる!」
折角意味のある話し合いをしようと言い出した者に対して、他の族長達が責め立てた。若いからどうだとか、そんなことがこの場に関係あるのか。ただ年を重ねていれば良いというものではなく、この状況をどうにかするために各部族が集まって話し合いをしているのではないのか。
そうは思うがもう言っても無駄だと思ってその若い族長は黙った。
今回の敵は今までの敵とは違う。ポーロヴェッツの力を結集して対抗しなければ、バラバラに戦ってはグザの部族の二の舞になるだろう。しかしその協力すべき者達がこのようではどうしようもない。
「静まれ皆の者。まずはこの事態に対し、全ポーロヴェッツは協力し事に当たる必要がある」
「おお!さすがはコンチャーク殿だ」
「うむうむ!その通りだ!」
ポーロヴェッツの部族長の中でも最有力であるコンチャークがそう言うと他の部族長、バスチーやコチャンがすぐに賛同して持ち上げた。それに続いて他の部族長達もコンチャークを褒めそやす。
(先にそう言っていたのは俺だろうに……)
先ほど自分が同じように言った時は散々偉そうに『お前に何がわかる』などと言っていた癖に、コンチャークが言うと賛同する。まだ若い部族長バチュマンは腹立たしく思いながらも、ここで自分が余計なことを言っても話し合いが長引くだけだと思って黙っていることにした。
「西の国々の侵攻に対し、我らは力を合わせて立ち向かう。ポーロヴェッツの全軍を集めるのだ」
「「「おおっ!」」」
ようやく肝心な話が進みそうだ。バチュマンは色々と思う所はあったが、それでもポーロヴェッツを守るために黙って従うことにした。しかし……。
「バスチーはルーシャ諸国と顔が利くのだったな……。バスチーはドニプロ川の西の平原で敵を迎え撃て。場合によっては北へ向かってルーシャ諸国との橋渡しをしてもらおう」
「おう!」
コンチャークが勝手に作戦を決め始めた。バチュマンは慌てたが他の部族長達は何も口を挟まず、むしろそれに従っていく。コンチャークが勝手に一人で話し合いもせず作戦を決めるのならこんな部族長会議など意味がない。何故勝手にコンチャークが他の部族まで全て指揮するというのか。バチュマンは口を挟みたかったがその暇はなかった。
「コチャンはドニプロ川の東、腐った海の前で敵を迎え撃て」
「ははっ!」
何故誰も何も言わないのか。ドニプロ川の前で待ち受け、川を渡ってくる敵を襲うというのはまだわかる。しかしバスチーの配置は川の向こう側だ。もし敵に追われたならば、川の折れ曲がった場所に追い詰められかねない。あまりに配置が悪すぎる。それならドニプロ川以西を諦めて川沿いに防衛線を張る方がマシだろう。
「そしてバチュマンよ。お前はクリメア半島側に渡り、敵を引き付けながら後退するコチャンの支援をするのだ。敵がコチャンにおびき寄せられ東に進んだならば、クリメア半島から出て敵の背後から襲い、コチャンと協力して敵を挟み撃ちにせよ」
「なっ!?」
お前は馬鹿かとバチュマンは叫びそうになった。コンチャークの作戦はあまりに無謀すぎる。渡河してくる敵を川を盾にして防ぐというのならわかるが、何故クリメア半島の付け根にあたる狭い地域で敵をおびき寄せて挟み撃ちにする必要があるのか。それならコチャンの部族と協力してバチュマンの部族と二つでドニプロ川を守る方が現実的だ。
このような狭い地域では遊牧騎馬民族であるポーロヴェッツの特性が活かせない。しかも前提として敵がクリメア半島に侵攻せずに東に下がるコチャンを追うという前提で話しているが、もし敵がクリメア半島に侵攻してきたら、狭い半島に入り込んでいるバチュマンの部族はどうしろというのか。
クリメア半島自体もそれなりに広さはあるが、半島の付け根は非常に狭く、南にはこの辺りでは珍しい山々が連なる。南の山脈へ追い込まれてしまったら騎馬の有利が活かせない。
そもそもで言えばドニプロ川の西へ置かれるバスチーもまるで捨て石のようだ。もし敗れた場合に渡れる場所が限られているドニプロ川に遮られて、バスチーの部族はほとんど渡河出来ずに敵に追い込まれてしまうだろう。これではまるで……、コンチャークは他の部族を捨て石にしているのではないかとすら思える。
敵もドニプロ川西岸にいるバスチーの部族を倒すまではドニプロ川を渡ってこれない。そして別の渡河場所である南にはコチャンを置き、さらにクリメア半島に敵を誘い込むためにバチュマンの部族を置いているのではないか?
クリメア半島に逃げ込んだ敵を放置すれば、西の国々もいつ背後を襲われるかわからない。だからクリメア半島に入り込んだバチュマンの部族を殲滅するまで西の国々は動かないだろう。
コンチャークの作戦は北方ではバスチーを川の西岸に置き捨て石とし、南方ではクリメア半島のバチュマンを使って敵をおびき寄せて、コチャンの部隊がそれ以上東へ向かってこないように足止めさせる作戦にしか思えない。そしてその間にコンチャーク達はさらに東へ逃げるつもりではないのか?
まったくもってこの作戦の意味も戦略も見出せない。三部族を捨て石にして他の部族が逃げる時間を稼いでいるようにしか思えなかった。しかし誰もそのことを指摘しない。捨て石にされたバスチーですらコンチャークの作戦に賛同している。
(馬鹿の集まりか……。この戦……、負けるな……)
これまでクイップチャックの草原を支配してきた誇り高き騎馬民族のポーロヴェッツも、いつの間にかルーシャ諸国と馴れ合うようになってしまった。最早かつての誇り高きポーロヴェッツはどこにもなく、西の国々が諦めるまで草原を逃げれば良いとしか考えていない。
しかし……、だからといってバチュマンがポーロヴェッツを裏切ったり、侵攻してきた西の国々に従うことはない。例え自分が最後の一人になろうとも、誇り高きバチュマンの部族は最後まで戦う。
これ以上この部族長会議で何か言っても無駄だと悟ったバチュマンは、コンチャークの作戦に口を挟むよりも……、最後の戦いに向けて静かに闘志を燃やしていたのだった。
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ウマニから南下せずに東進していた別働隊は途中で南東方向に進路を変えて湖の近くで布陣していた。もう少し進めばドニプロ川に出る位置であり、フローラ達が布陣しているムイコライウから北東の位置だ。
フローラ達はこのままドニプロ川の河口付近を渡り東へ進む予定となっている。その時に無防備な背後をドニプロ川西岸にいる敵に攻撃されては堪らない。そこでドニプロ川西岸を完全に制圧するために、別働隊はフローラ達本隊の北側を守るように侵出してきたのだ。
「ポーロヴェッツの部族が連携しているのならもうドニプロ川西岸に敵が残ってるとは思えませんがね」
「普通に考えたらそうだが、兵を伏せて渡河中の我が軍の背後を突いてくる可能性はある。そのため川の西岸を確保するのが我々の役目だ」
別働隊の指揮官は陸軍大将であるイグナーツが直々に執っていた。今のところ本隊にはフローラがいるので、フローラが王都に帰るまでは向こうの指揮はフローラが執る。今は重要な作戦の最中なので別働隊にも信頼出来て権限もあるイグナーツが配置されていた。
イグナーツ達が話していたように、もしポーロヴェッツの各部族が協力しているのならば、ユーリーやグザの部族の件を聞いてドニプロ川東岸まで退却しているはずだろう。この先は川が逆くの字に曲がっている袋小路であり、西岸に部隊を残していても逃げ場もない。
イグナーツが言うように、渡河中の敵の背後を襲うために少数の部隊を伏せている可能性はあるが、まさか大人数の部族などいるわけがない。そう思っていたのだが……。
「報告します!北東より接近してくる騎兵を確認しました!ポーロヴェッツの攻撃部隊です!」
「何?背水の陣で臨むというのか?」
イグナーツは怪訝に思った。ドニプロ川を渡れる所は限られている。しかも折り畳み式の天幕のような家を持ち運び、家畜達を連れているポーロヴェッツの部族がそう簡単に全員渡れるような場所はない。ドニプロ川西岸に残っているだけでも自殺行為だ。
それなのに……、いや、それどころか隠れているのならともかく向こうから先に仕掛けてくるなど、一体何を考えているのかさっぱりわからない。敵の考えが読めないのは不気味だ。何かこちらの想像もつかない作戦を持っているのかもしれない。余計な被害を食らわないように慎重な対応が求められる。
「とはいえ……、我らのすることは変わらない……、か……。砲兵、鉄砲隊は迎撃の準備を!竜騎兵はいつでも出られるように備えておけ!敵を迎撃後に追撃する!ドニプロ川を渡らせるな!」
「はっ!」
イグナーツ達別働隊は戦闘準備に取りかかったのだった。
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ドニプロ川西岸に配置されたバスチーは作戦通りに、クリメア半島近くを渡河しようとしているであろう敵の背後を突こうとしていた。グザの部族の所からならばドニプロ川の河口付近、クリメア半島近くを渡河するはずだ。その渡河中の敵の背後を突くことが出来れば一方的に攻撃が出来る。
「バスチー部族長!やはり先ほど見たのは敵の斥候じゃないですか?」
「だったらどうだというのだ!敵の伝令が到着する前にこちらが敵に攻撃すればいい!我らの戦いとはこの馬の足の速さよ!」
川から少し離れた場所を南西に進んでいたバスチーの部族は途中で一度敵らしき者と遭遇した。しかし敵は戦うことなく逃げ出したことから、恐らくこの辺りを調べていた斥候か何かだろうと判断した。自分達の奇襲が敵に知れれば渡河を中止して迎え撃たれるかもしれない。そうなればグザの部族を倒した敵と真正面から戦わなければならなくなる。
確かにそれは危険が高いが、敵の斥候や伝令が本隊に届く前に一気に敵に接近し奇襲出来れば作戦は成功だ。ここで下手に躊躇って本隊に情報が届いて迎え撃たれる方がまずい。バスチーはそう判断してとにかく最速で敵本隊を目指すことにした。しかし……。
「なっ、なんだあれは?」
「馬鹿な……。何故ここに敵がいる!?」
広い草原ではなく、川や湖に挟まれた隘路に入った先で……、見たこともない軍隊が待ち受けていた。敵はもっと南西にいるはずだ。こんな場所にいるはずなどない。いるはずがない敵がいる。
「部族長!どうしますか!?」
「ええい……、先ほどの斥候はこの部隊の斥候か……。南西の部隊の斥候にしては遠すぎるとは思ったが……」
遠すぎると思ったのならば何か考えろよ、と部下は思ったが言えるわけがない。部下達も含めて誰もこんな場所に敵の別働隊がいるとは予想もしていなかったのだ。
あまりに情報不足。敵の数も、どこの国の敵なのかすら把握していない。恐らくこの辺りにいるであろうという予想のみで軍事行動をしているのだ。
コンチャークは敵がこちらの動きを把握する前に素早く動くことこそが肝心だと言っていた。敵についての情報を集めている間にこちらが侵攻されてしまう。だから敵が落ち着いてこちらの情報を得る前に速度を持って攻撃することがポーロヴェッツの戦いであると……。
それに賛同した。誰もが……、全ての部族長が……、あの時会議で納得し賞賛したではないか。だからこの作戦は正しいはずだ。作戦通りにすれば勝てるはずだ。それなのに……。
「作戦は変わらない!敵の態勢が整う前に矢をぶち込んでやれ!」
「「「おおおーーーっ!」」」
バスチーは嫌な予感に囚われていた……。しかし今更やめるわけにはいかない。どちらにしろ敵の伝令が届いてから今までそれほど時間はなかったはずだ。敵の態勢が整う前に第一射を射掛け離脱する。いつもと変わらない。やることは同じだ。バスチーは自分にそう言い聞かせていた。
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「敵、突っ込んできます!」
「構え……、てぇーーーっ!」
パパパパーーーンッ!
ドドドドーーーンッ!
轟音が鳴り響き、煙が辺りを覆う。無煙火薬といえどもこれだけ一斉射すれば相応に煙は出る。あくまで他の火薬に比べて煙が少ないというだけで、まったく煙が出ないというものではない。
煙が晴れる前に、次々に砲弾の雨が敵に降り注ぐ。騎馬の機動力で接近しようとしていた敵は、接近する前にドライゼ銃の一斉射に次々倒れる。しかし銃で撃たれた者はまだ良い。当たり所が良ければ即死するほどではなく、地面に倒れるだけで済むかもしれない。
悲惨なのは榴弾や榴散弾に巻き込まれた者達だろう。砲弾自体が弾けて飛び散る榴弾や、空中で砲弾の中に込められた子弾を撒き散らす榴散弾に巻き込まれた者は、無数の弾や破片を浴びせられ、全身をズタズタにされて転がり落ちる。
「恐ろしい兵器だ……」
イグナーツはブルリと震えた。自軍が使う分には良い。しかしもし敵に使われたならば……、これほど恐ろしい兵器はない。そしてこれらは全てフローラ様、いや、フロト様が考案されたという。考えるだけではなく、実際にそれを作り上げるというのがどれほど容易ではないのかイグナーツにもわかる。
また……、こんな恐ろしい兵器を使えと命令するのはどれほど神経をすり減らすだろうか。イグナーツはフロトに命令されてやらせているという言い訳がたつ。しかし全ての頂点に立つフロト様は全ての責任を自ら背負って命令されておられる。その心労はいかほどであろうか。イグナーツの比ではないことだけは間違いない。
「敵が反転していきます!」
「逃がすな!竜騎兵に追わせろ!それからまだ敵がいるはずだ!北上する部隊と北東に向かう部隊に分かれて残りの敵を探せ!」
イグナーツはすぐさま追撃に入った。ドニプロ川西岸のこの位置から北上していけば、やがて曲がって向きを変えたドニプロ川にぶつかることになる。全ての敵を逃がさないように川のくの字の部分へと追い込むように部隊を動かす。
ルーシャ諸国に顔が利くバスチーはドニプロ川沿いに北西にルーシャ諸国へ助けを求める者と、ドニプロ川のくの字の部分を渡河する者に分けて逃げることにした。しかしどちらも実ることはなく、急いで北上してきた別働隊に退路を遮断されルーシャ方面へは逃げられず、渡河も間に合わずほとんどの者は捕まった。
バスチーの部族はそのほとんどが捕えられ、これ以上の犠牲は無意味だと悟ったバスチーはイグナーツ達別働隊に降伏し服従を誓ったのだった。




