第四百三十六話「服従か死か!」
翌朝からすぐに出立することになった。攻略目標がどうとか、侵攻がどうとか、大カーンの部隊が何やら言い合っているようだが所々しか話がわからない。基本的に彼らが話す言葉はユーリー達には通じず、時々ポルスキーの言葉で教えてくれる情報だけしか伝わらない。
そのポルスキーの言葉でも完全にうまく話せているとは言い難く、部族の者は結局ほとんどわかっていないだろう。何とかある程度わかるのはユーリーや一部のポルスキーの言葉に詳しい者だけだ。それをまた部族の言葉で皆に説明していくのだからうまく伝わるはずがない。
それでもある程度は話が纏まり出立していく。向かう先はブラック海を東に進んだ先だ。ユーリー達の村、大カーンがオデッソスと名付けてくださったこの地から東に向かうと川がある。その川の近くに別の部族がいることは確認済みだ。
遊牧民と言えどもよほどの理由がなければ大体毎年似たような場所をウロウロしている。勢力圏とか勢力範囲とも言えるそれらは部族ごとに決まっており、不用意に他の部族の領域に入り込めば争いになる。だから自分達の勢力圏内をウロウロと遊牧しているのだ。
これから向かう先はグザという族長が治める部族の勢力圏となっている。グザは血気盛んで人に従うような性格ではない。いくらユーリーが間を取り持とうとしても恐らく戦闘になる。ユーリーは大カーンにそう説明した。
「問題ない。戦闘になれば我が兵の力を見せることになるだろう」
「……わかりました」
恐ろしい。本当に恐ろしい。まるで何でもないかのように淡々とそう答える。この愚かなる大カーンを自らの王と決めた。決めはしたが……、まるで底が知れない化物のようなこの王がユーリーは恐ろしい。実際に会ったならば他の部族の長達も誰もがひれ伏すだろう。
問題は会う前に戦闘になることだ。他の部族で説得に応じてくれそうな者はいない。恐らく今向かっているグザの部族とも戦闘になるだろう。その時……、ユーリーは目撃することになるに違いない。この恐ろしい王の持つ力の一端を……。
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ポーロヴェッツの一部族の長、グザの下にユーリーからの使者が来ていた。
「我らに服従せよだと!ふざけるな!使者を殺して送りつけてやれ!」
「なっ!使者を害するなど……、ひぃっ!待て!やめてくれ!うぎゃーーっ!」
先触れとして送られた使者をグザは殺して送り返すことにした。交渉に失敗すれば使者が殺されることはザラにある。それは彼らにとってはお互い様のことだ。
しかし……、使者の死体を送り返してきた者が慌てて戻って来てグザに報告を上げてきた。
「大変だ族長!見たこともない大軍がこちらに押し寄せている!ユーリーの部族も一緒だ!奴ら、ルーシャかポルスキーの軍を連れて来たに違いない!」
「なんだと?どの程度の数だ?」
完全に慌てて取り乱している者の言葉を受けてもまだグザは冷静だった。これまでもルーシャ諸国や、滅多にないがポルスキー王国の軍がやってきたこともある。それでもポーロヴェッツの部族はその全てを退けてきたのだ。それどころか過去何度となくルーシャ諸国へと攻め込んでいる。西の国々の軍など騎馬民族である自分達の敵ではない。
「数なんてわからない!見渡す限りの大軍だ!騎兵もいたぞ!それにユーリーの部族もついている!このままじゃ……」
ザワザワと部族の者達が騒がしくなる。しかしグザは慌てなかった。
「落ち着け!馬に乗せられているだけの西の国々の兵など恐るるに足らず!今すぐ兵を集めろ!それと念のために女子供はボフ川へ逃がせ!」
グザはすぐに戦闘の準備に取り掛かった。使者を送り返してきた者の話ではまだ敵がやってくるまで暫くは時間がある。家を畳み女子供などの戦えない者は後方へ逃がす。機動力を売りにしているポーロヴェッツの民が、非戦闘員である女子供を抱えていては十分に戦えない。
敵を別方向へ誘導しつつ、いつもの戦い方で敵を翻弄して追い払ってやればいい。こちらの戦い方はユーリーを通して向こうにも知れ渡っているだろうが、知られているからと防ぎようがない。今まで幾度となくルーシャ諸国やポルスキー王国を追い払ってきたのだ。そして一度も有効な対策などされたこともない。
「まずはこちらから打って出る!第一射を射掛け、敵の北側を通り抜け反転、東へ逃がしている女子供を悟られないように北東方向へ離脱する!」
「「「「「おうっ!」」」」」
グザの作戦は合理的だった。南は海、東は逃がした女子供が向かっている。先に攻撃を仕掛け、敵をおびき寄せつつ、北東方向へ撤退しながら広い草原地帯へと出る。敵が追ってくれば適当に距離を稼いでから再び反転攻勢。いつも通りに弓にて一撃を加えて再び離脱する。これを繰り返すのがポーロヴェッツの伝統的戦い方だ。
「イイイヤアアアアァァァァーーーーッ!」
「ヒャッハーーー!」
「ハァッ!ハァッ!」
馬を駆る男達が西にいるユーリー達に向かう。しかし……、使者の死体を送り返した者達は不思議に思っていた。
「族長!おかしい!俺達が使者を送り返した後から今までの時間を考えたらもう敵はこの辺りに来ているはずだ!」
「あぁ?向こうは西の国の大軍を連れてるんだろう?ユーリーの部族だけならともかく、そんな奴らを連れてるから足が遅いだけだろう?」
誰も深くは考えなかった。西の国の兵は動きが遅い。自分達が急いでこちらに向かってきたからその分だけこちらが進みすぎただけだろう。確かにもう会敵していてもおかしくないかもしれないが、敵の機動が遅ければそれだけ出会うのも西になるだろう。
何よりどこで出会おうがこちらは会敵と同時に接近しつつ弓を射掛け、あとは反転離脱するだけのことだ。どこで出会うかなど大した問題ではない。誰もがそう思っていた。
「居た!奴らだ!」
「確かに大した数だが……、こちらに攻撃してくる手段がなけりゃ意味がねぇ!てめぇら!いつもどおりにやれ!」
目の前には広く展開している異国の兵が大勢居た。しかし今まで見て来たような敵とは格好が違う。全身を鎧に包んでいた敵と違いとても軽装に見える。どちらにしろこちらの矢で射抜けば同じではあるが、何やら変な筒状の物をこちらに向けている。
「なんだありゃ?まだまだ距離が遠すぎるが何かするつもりか?それに……、敵にも騎兵がいるんじゃなかったか?どこだ?」
グザに……、ふと嫌な予感が走った。何か……、とても寒気がするような……、何とも言えない嫌な予感……。
それが戦闘の、いや、一方的な虐殺の始まりだった。
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ユーリーは目の前の出来事が理解出来なかった。グザの部族に送った使者は殺されて帰って来た。交渉が失敗すれば使者は殺されて帰って来る。大カーンにそれを告げに行った時、ユーリーは心底恐怖した。グザの拒絶を知った時、大カーンは怒りを顕わにしたのだ。その時の怒りはユーリーに恐怖を刻むのに十分だった。
それからすぐさま大カーンの軍は動き始めた。ユーリー達の常識ならば敵が仕掛けてくる前にこちらも前進して敵の準備が整う前に攻撃を開始しようとするだろう。この場合敵の準備が間に合うか、仕掛ける自分達の方が先着出来るかが勝負の分かれ目だ、……と普通なら考える。
しかし大カーンの部隊は動くことなく、むしろその場に布陣して迎え撃つ形をとった。これは下策でしかない。弓騎兵の機動力を活かして接近、一撃離脱を繰り返すポーロヴェッツの部族に対して、機動力の劣る歩兵が待ち構えていても一方的に攻撃されるだけだ。大カーンに何度そう上奏しても聞いてくれない。
この戦いは大カーンの負けかもしれない。一度ポーロヴェッツの戦い方を目の当たりにすれば大カーンも今後の戦い方を改めてくれるだろう。そう思って敗戦を覚悟したユーリーは、しかし目の前の光景が理解出来なかった。
パンッ!パンッ!パパパパパーンッ!
次々に乾いた高い音が鳴り響き辺りに煙が吐き出される。その音が鳴る度に、まだ弓の射程の遥か先にいるはずのグザの部族の戦士達が倒れていく。
ドーンッ!ドンッ!ドンッ!ドンッ!ドドドドンッ!
腹に響くほど恐ろしい音が鳴り響く度に、地面が爆ぜ、グザの部族の戦士達が馬もろとも吹き飛ばされる。グザの部族はこちらに近づくことすら出来はしない。その射程、その威力、どれも見たことがないほど恐ろしいものだった。
「これが……、フロト・ホン・大カーンの……、力なのか……」
ユーリーには目の前の出来事が理解出来ない。これは一体何なのか。これが西の国々に伝わる魔法という力なのか。
恐ろしい……。あまりに恐ろしい。グザの部族の戦士達が一方的に屠られていく。そしてとうとうグザの部族はこちらへの攻撃を諦めて引き返し始めた。確かに敵はこちらに近づいてこれないだろう。だがこちらも逃げる敵を倒す手段はない。このままでは草原を延々と追いかけていかなければならなくなる。
「大カーン……、このままでは……」
「問題ない」
問題ないと言った後に他の配下の者達に何かの指示を出した。ユーリーには言葉がわからないので何を言ったのかはわからなかった。しかし……、何を言ったのかはすぐにわかった。何故か後方に下げていた騎兵が自分達の前に展開していた歩兵の側面から飛び出していったのだ。
「今から追ってもこの距離では……」
そもそも馬の扱いは遊牧騎馬民族である自分達の方が優れている。それをこれほど距離があるのに今更西の国々の騎兵で追いかけて追いつけるはずが……。
「なっ!?はっ、速い!?」
飛び出していった騎兵達の乗る馬は自分達の馬よりも大きい。大きいから愚鈍だろうと思っていたが、その足は圧倒的に自分達の馬よりも速かった。
「しかし追いついたところで……」
そう……、追いついたところでグザの部族の弓の餌食になる。彼らは弓を持たずに行った。それでは近づく前に弓を射掛けられておめおめと逃げ帰ってくるだろう。そう思っていたのに……。
「またあの音がっ!?」
遠くの方でパンッ!パンッ!と先ほど目の前で繰り広げられていた音が聞こえてきていた。まさかとは思うが……、今出て行った騎兵もあれと同じ攻撃が出来るというのか……。
「これは……、この軍は……」
ユーリーは震えが抑えられなかった。自分達よりも遠くから圧倒的威力で攻撃出来る歩兵。そして自分達よりも速い馬を巧みに操り、歩兵達と同じ遠距離攻撃を使う騎兵。勝てるわけがない。そして逃げることすら出来ない。
本気だ。本気だったのだ。この大カーンは……、本気で草原を全て支配しようとしている。そしてそれが出来るだけの兵を持っているのだ。
この後、僅かな時間でグザの部族は降伏した。こちらに向かってきていた戦士だけではない。大カーンが予想した通り、東に逃げようとしていた女子供などの部族も全て捕捉し捕えたとの知らせが届いた。千里先まで見通し、全てに備え、圧倒的兵力で敵を粉砕する。まさに……、化物。ユーリーは自らの王を畏怖と尊敬の念で見詰めたのだった。
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幸運にもあれほどの攻撃を受けても死んでいなかったグザは捕えられた。回りにいた戦士達が偶然盾になって敵の攻撃の直撃を免れたからだ。しかし倒れた馬の下敷きになり、動けない所を敵に捕えられた。相手にユーリーがいることから自分の顔や身分はバレているだろう。そこで大人しく引っ立てられたグザはユーリーと相対した。
「ユーリー!貴様ついにポーロヴェッツを裏切ったか!」
「何を言う。我らは裏切ってなどいない。しかし……、我らを裏切り者扱いして散々な目に遭わせてくれたのは誰だったか?」
ユーリーの言葉にグザは歯を噛み締める。ルーシャ諸国やポルスキー王国に尻を振り、定住生活を送るユーリー達は裏切り者だ。ポーロヴェッツの部族の大半はそう看做してユーリーの部族を冷遇し、爪弾きにし、攻撃までしてきた。その仕返しだというのならこれから自分達がどんな目に遭わされるかわからない。
しかもユーリーはどうやら長ではないようだ。ユーリーより奥に偉そうに座っている外套を羽織り仮面を被った者が一番上だろうと何となくわかった。
グザには彼らの話している言葉はわからないが、座っている位置や周りの反応。何やら指示を出しているらしいことから誰が長かは見ていればわかる。ユーリーがその異国の長の下についたというのは何となくわかった。
「――――、フロト・ホン・カーン」
「――っ!?!?」
何やらわけのわからない言葉で話していたその仮面の者は最後にそう名乗った。それが名乗りであることはグザにもわかる。ホン族の王であると名乗ったのだ。そんなわけがない。ホン族はもうどこにもおらず、その後裔があちこちに散り散りになっているだけだ。
しかし……、確かにこの異国の騎兵達は見事なものだった。遊牧騎馬民族を自認しているグザの部族の戦士達よりも巧みに馬を操り、あっという間に追い付いて来たかと思うと弓も届かない距離からあの不思議な攻撃をしてきたのだ。
揺れる馬の上から攻撃するというのは非常に難しい。ポーロヴェッツの弓騎兵達は長い訓練と実戦を積み、ようやくその技術を身に付け戦士となる。それよりも遥かに遠距離からあの攻撃を当ててきた異国の騎兵達は一体どれほどの鍛錬を積んできたのか。その実力はグザも認めるより他にない。
「グザよ。我らが大カーンに従え」
「ふん!誰が……」
ユーリーにそう言われてもグザは首を縦に振らなかった。例え自分がここで敗れて死すともグザの部族は終わりではない。この場は逃れ、またいつか舞い戻り復讐を果たす。それがグザの部族だ。
「グザよ。東へ逃れた女子供は全て捕まったぞ。草原へ逃れようとした戦士も全てだ」
「なっ!?何を馬鹿な……」
ユーリーにそう言われてグザは取り乱した。東に女子供を逃がしたのがバレるのはまずい。どうせハッタリだろうが、下手に動揺してはそれが本当だとユーリーに悟られてしまう。しかし……。
「信じられないか?ならばその目で確かめろ」
そう言われて、捲くられた天幕の外側には……。
「馬鹿なっ!馬鹿な馬鹿な!どっ、どうやって……」
自分達と戦闘していたのがついさっきだ。それなのに何故もう女子供達が捕まっているというのか。それではまるで……、自分達と戦うと同時にすでに……、女子供達を捕まえる部隊が送られていた?
「我らが大カーンは全てお見通しだった。グザよ。お前達と戦う前からすでに東に我らが大カーンの部隊が向かっていたのだ」
「そんな……」
グザはがくりと項垂れた。女子供が、部族の未来があるからこそここで自分が敗れ討ち取られても部族の先を信じることが出来た。しかしその未来がもうないのだとすれば……、グザの心はそこで折れた。
「答えよグザ。我らが大カーンに従うか否か。服従か死か」
「…………従う」
こうしてグザの部族は服従することを選んだ。グザの部族の戦士は多数が死傷したが、大カーンの軍には一兵の損害も与えられなかったのだった。




