第四百三十五話「我らの愚かなる大カーン!」
ユーリーは失礼のないようにポルスキー王国式の衣装を身に纏っていた。これまで懇意にしていて、クイップチャック草原の諸侯として封じられていたポルスキー王国が、自分達から隣国に戦争を仕掛け、しかも返り討ちに遭い国が滅んでしまったという。
ポーロヴェッツの有力部族の長として権勢を揮ったのも今は昔。最早この部族はポーロヴェッツ内では立場が悪く、ポルスキー王国やルーシャ諸国の後ろ盾がなければ部族も維持出来ないほどになっていた。
今日会う相手はそのポルスキー王国を滅ぼし飲み込んだ相手であり、今日の会談でその後ろ盾を得られるかどうかが部族の命運を決めることになる。もし後ろ盾を得られなければ、今まではポルスキー王国の威光で攻めてきていなかった者達が、いつ襲い掛かってくるようになるかもわからない。
「何もユーリー様が自ら赴かれなくとも……」
「いや、今日の会談は重要だ。この会談は絶対に失敗出来ない。私が自ら赴く」
側近達は交渉がどうということよりも、得体の知れない相手の所に自らの族長を、ほとんど護衛もつけずに送り出すことを心配していた。しかしユーリーはこの交渉が失敗すれば自分達の部族が滅ぶと理解していた。だから自分の身可愛さに他人に任せて交渉失敗などということだけは断じて許容出来なかった。
例え失敗したら自分が殺されるとしても、そもそもこの交渉が失敗した時点で部族の未来はない。それならば危険を承知で自ら赴こうと覚悟を決めている。
相手がポルスキー王国ではないことはわかっている。だからポルスキー王国式の装いが正しくないというのも承知の上だ。しかしユーリーは他に西の国々の貴人と会うのに相応しい衣装は持ち合わせていない。言葉も自分達の言葉以外にはポルスキー王国の言葉しかわからない。
どんな相手かはわからないが、今日やってくる相手の兵士達は少し前から随分ピリピリしていた。相手の王がやってくるといっていたが、王自らわざわざこのような場所に来るとは思っていない。それでも兵士達の様子からすると相当立場の上の者が来るのは間違いないだろう。
ウマニの町で相手が来るのを待っていると、先遣隊としてやってきて今まで交渉していた者の手の者が呼びに来た。ついにポルスキー王国を滅ぼし飲み込んだ相手と顔を合わせることになる。一体どんな化物が出てくるか。ユーリーは不安を押し殺して族長として相応しいように振る舞いその相手と相対した。
「お待たせして申し訳ありません。私はポーロヴェッツの部族の一つを預かるユーリーと申します」
建物に入りその相手の前に立つとユーリーはポルスキー王国の言葉でそう告げた。しかし……、その相手を見て冷や汗が止まらない。
厚手の外套を羽織り、顔には仮面を被っている。その素顔はわからないがそこにいるだけで圧倒的存在感が伝わってくる。そこに座っているのはただのお飾りではない。その気迫は歴戦の戦士を思わせる。常に先陣を切ってきたユーリーをしても気圧されてしまう。
「うむ……。私はカーン侯国国主、フロト・フォン・カーンだ」
重苦しく、まるでその発する言葉そのものに圧があるかの如き圧迫を受ける。しかしそれどころではない。今何と言ったのか……。
「ホッ、ホン・カーン!?」
目の前に座る化物はホン・カーンと名乗った。まず……、ホン……、ホン族とは、かつてこのクイップチャック草原より遥か東の世界の果てから、西の国々まで、その広大な草原地帯全てを支配し、世界を牛耳っていたといわれる騎馬民族の名前だ。
ポーロヴェッツも、他の遊牧民も騎馬民族も、全てはホン族の後裔であるとされている。そのホン族であると名乗ったのだ。さらに『カーン』とは君主や部族長が名乗る君主号だ。ユーリーも部族長なのでユーリー・カンもしくはユーリー・カーンということになる。
しかし……、このフロトという化物はホン族の君主であると名乗った。フロト・ホン・カーン……。ホン族を継ぐ王だというのか。
この者は明らかに西の国々の出身だとわかるような雰囲気を纏っている。見えている範囲の肌の色や髪の色、しゃべり方、言葉、どれもホン族やそれに連なる自分達とは違う。だが……、ホン族は確かに西の国々にまで侵出していた。だからそこでホン族の血を受け継ぐ者がいてもおかしくはない。
ポルスキー王国を滅ぼし、自分達を救いに来てくれたのが本当にホン族の王だというのならばそれほどうれしいことはない。自分達をホン族の後裔として認め、苦境に立たされている自分達を救うためにわざわざこのような地にまで出向いてくれた。それが本当ならばとても素晴らしいことだろう。
だが本人がそう名乗ったからといって全て無条件に信じるほどユーリーも愚かではない。名乗るだけならば誰でも出来る。ユーリーだってクイップチャックの王、ユーリー・クイップチャック・カーンと名乗るのは簡単だ。ただそれを自分だけが名乗っても誰にも認められていなければ意味がない。
このフロト・ホン・カーンが大軍を指揮していることは間違いないだろう。本当にポルスキー王国を滅ぼしたのか。本当にこの者が彼の国の支配者なのか。それはユーリーにはわからない。もしかしたら影武者とか、ただの一将軍という立場なのかもしれない。
唯一つはっきりしていることは、このフロトが今大量の兵を率いているということだけだ。
先にやってきた先遣隊と言っていた部隊だけでもとんでもない数の兵と見たこともない兵器。それから大量の食い物を持ってきていた。それなのにこのフロトがやってきた時に、さらにそれよりも多くの兵や食料を持ってきた。馬に乗った兵、騎兵も大量に引き連れてきている。
少なくとも……、今までルーシャ諸国でこれほどの兵や騎兵を引き連れて来た者はいない。ルーシャ諸国より強大な力を持っているのは確実だろう。そして……、あのモンスターが大量に住み着いている街道を通り抜けて来たことからその力の一端が窺える。
あの街道を通ってくるのは命懸けであり、普通の者ならば遠回りして他の道からやってくる。どうしても最短最速で通らなければならない者だけが命を懸けて通るのがあの街道だ。そんな所をこれだけの軍を率いて悠々と渡ってきた。それだけでもこの軍の実力が本物であるとわかる。
「フロト殿……、フロト殿は我々にクイップチャックを案内せよと申されていると聞いている。我々にクイップチャックを案内させて……、どうされるおつもりか?」
再び跪いたユーリーはゴクリと喉を鳴らしながらその真意を問う。その答え次第では……、自分達の敵になるかもしれない。いくらホン族の後裔を名乗っていようとも……、王を名乗ろうとも……。
「ポーロヴェッツを……、いや、全ての遊牧騎馬民族を纏め上げ、全ての草原を我らの国とする」
「なっ!?」
ゆっくりと、まるでユーリーに語って聞かせるかのように、その壮大な、実現不可能と思えるような馬鹿げたことを、しかし大真面目にそう答えた。
そんなことが出来るわけがない。かつてのホン族は全ての草原を支配していたという。しかし今や遊牧民達は散り散りとなり、国らしきものを持つ者もいない。ユーリー達のように半分定住しているような者達はそれとなく支配している地域を持つが、それ以外の者達は相変わらず草原を彷徨う生活だ。
そんな者達を全て一つに纏め上げ、ここから東や南に広がる広大な草原を全て支配することなど出来るはずがない。そう……、それこそホン族の王が再び遊牧騎馬民族を纏め上げでもしない限りは……。
この者は、フロト・ホン・カーンは自分にならばそれが出来ると言っている。実に馬鹿げたことだ。草原も知らない西の国々の者の誇大妄想だ。
しかし……、そう思っていながら……、ユーリーは心の底から奮い立つものを隠し切れなかった。その言葉を聞いてから湧き上がってくるこの感情が何なのか。それは……、自分達遊牧騎馬民族の長年の夢を、かつての栄光を、この王が取り戻すと言っていることへの期待だ。
そんなことが出来るわけがない。そう思っている自分がいるのは本当なのに……、しかし、それを期待せずにはいられない。本当にこの大カーンを名乗る愚かな王が、遊牧騎馬民族の夢を、栄光を、楽園を、作り出してくれるのならば……、見てみたい。その夢を、その国を、その世界を!
「我ら部族一同は大カーン様に従います。どうかその末席に我らをお加えください」
ユーリーは自然と、この草原も知らぬ愚かな王に頭を下げていた。この大カーンを詐称する愚かな王が失敗してもユーリー達に損はない。だから一先ず従ったフリをしておくのは当初の予定通りだ。
しかし、もし本当に……、遊牧騎馬民族全てを纏め上げることが出来たならば……、出来るかもしれない。この世界を支配するかつてのホン族をも上回る大帝国が……。ユーリーはそれが現実になればと、この愚かな王に懸けてみたいと、そう思っていた。
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ユーリー達の案内により愚かなる大カーンの部隊はウマニより南へ向かっていた。ほぼ真っ直ぐ南へ下るとブラック海北岸の辺りにユーリー達の部族が暮らす支配地がある。ユーリー達の部族はブラック海沿岸で定住に近い生活を送る者と、その北側の草原地帯を遊牧する者に別れていた。まずはその勢力圏である地域へと案内したのだ。
ここへ案内してくるまでにわかったことだが、やはりこの大カーン様はポルスキー王国出身ではないらしい。ユーリーと会談した時はポルスキーの言葉で話していたが、その配下の者達と話している時はユーリーにはわからない言葉で話している。
それにユーリーと話す時でもポルスキーの言葉があまり得意ではないのか、少し訛っているような時があった。ユーリーも自分がきちんとポルスキーの言葉を話せているとは思っていないが、お互いに自分達の言葉ではない第三国の言葉で話しているので多少の齟齬が出るのは止むを得ない。
「ここが我らの定住地です。本日はこちらでお休みください大カーン」
ユーリーの部族の老若男女全てを合わせたよりも遥かに多い兵士を連れた大カーンの部隊が村に到着する。部族の者達は驚いた顔をしていたがユーリーが一緒だとわかると騒ぎは収まった。
「良い場所だな」
「ありがとうございます」
辺りを見回しながら大カーンがそう言う。その後少し近くを見て回りたいと言い出し、数名の護衛とユーリー達を連れて馬で辺りを駆け回った。
この大カーンはホン族の王を名乗るだけあって馬の扱いに長けている。これまでのポルスキー王国の者達のように馬に乗せてもらっているだけの者達とは違う。自分達遊牧騎馬民族に引けを取らないほどに馬を自在に乗りこなしていた。
やがて少し小高い丘からユーリーの部族の村を見下ろしながら大カーンが驚くべき言葉を口にした。
「ここに都市を築く。その名は……、オデッソスだ」
「「「――っ!?」」」
ユーリーの配下の者達が驚きの表情を浮かべる。ユーリー達の村を奪いそこに都市を築こうというのかと気色ばんだ。しかしユーリーは違う意味で震えを感じた。ここからブラック海沿いに南西方向に行けばブルガルー帝国の領域となる。この地はブルガルー帝国との国境に近い重要拠点、要衝なのだ。
この愚かなる大カーンは一目でそれを見抜き、この地の重要性を理解し、そしてこの地を守るために大都市を築こうと言う。何という慧眼、何という決断力、そして何という財力なのか。
丘の上から見ていると大カーンが引き連れてきた兵士達が早くも巨大な何かを作り始めている。ユーリーが頭を垂れて従うと決めた以上はもうここは大カーンのものなのだ。だからユーリー達に何か言う必要などない。
まさに王の中の王。カーンの中のカーン。このお方ならばもしや……、本当に全ての遊牧騎馬民族を糾合してしまうかもしれない。ユーリーはそんな予感に体が打ち震えていた。
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ユーリーとのコミュニケーションがポルスキー語というのは色々と面倒だ。ユーリーも何だか訛っているし、俺自身もポルスキー語は出来なくはないけど完璧ではないかもしれない。ポルスキーと戦争になったり分割したり、ミカロユスやジャンジカと接している間に多少は覚えたけど、母国語ほど自在に全てを表現出来るわけじゃないからな。
ユーリーがクイップチャック草原を自分達に案内させる目的は何か?というようなことを聞いてきた。だから今現在分裂しているポーロヴェッツを、いや、他の遊牧騎馬民族も、いつか全てと交流を持ち、この地に国を建てたいと答えた。
彼らは国を持たない者達だ。だからここに俺達が国を建てると言っても、案外その生活さえ保障すれば素直に言うことを聞いてくれるかもしれない。出来れば彼らも国民の一員になって欲しいとは言っておいたけど、ユーリーは何か変な顔をしていた。やっぱり国を持たない彼らには国という概念は中々うまく伝わらないのだろうか。
その後案内を了承してくれたユーリーに従ってウマニからほぼ南へと進んで行った。そこはブラック海の沿岸にある小さな村のような場所だった。彼らが半分定住している地だけあって立地がとても良い。辺りを見たいと言うとユーリー達が何人かついてきた。まぁさすがに余所者に勝手にウロウロされるのは気持ちの良いものじゃないだろう。
そんなわけでユーリー達も連れて辺りを見て回り、丘の上から村とブラック海を見下ろす。ここはブルガルー帝国の国境からも近い。折角これほど良い立地の場所をブルガルー帝国に奪われては面白くない。俺ならここに都市を築き防衛するだろう。それにブラック海沿岸であるこの地は色々と発展する余地がある。
「私ならここに都市を築きたいものだ。その名は……、そうだな……、オデッソスとでもしようか」
俺がそう言うとユーリーが連れていた者達は何か驚いた顔をしていた。でもユーリーは胸に手を置いて頭を下げただけだった。どういう意味だろうか。まだ彼らとうまくコミュニケーションが取れない。
もし彼らが俺の支配下に入ることを受け入れてくれるのなら……、いつか本当にここに都市を築きたいものだ。




