第四百三十一話「カーン侯国周辺情勢!」
エレオノーレとの感動的な別れも済ませて……、俺達は今カーン侯国のケーニグスベルクに到着していた。
「本当にフロトと一緒だとあちこち移動してばかりね」
「それはどうもすみません……」
ミコトの言葉に俺も何と言って良いかわからない。俺だってこんなにしょっちゅうあっちこっち移動ばかりの生活なんてしたくない。どこか一箇所に落ち着いてじっくり内政でもしたい所だ。だけど俺がそう望んでも王様はあっちへ行け、こっちであれをしろと命令してくる。配下の貴族である以上は王様の命令には従うしかない。
ブリッシュ・エール王国を得たのは俺の個人的希望のためだ。だからブリッシュ・エールについて文句を言うつもりはない。俺の予定ではカーン・カーザースの西の領土をフラシア王国から取り返し、ヴェルゼル川やレイン川からヘルマン海に出られるようにしようと思っている。
ヴェルゼル川やレイン川からヘルマン海に出られるようになれば、カーン騎士爵領とブリッシュ・エールの距離はぐっと近くなる。デル海峡を回って行くよりも安全で短時間で済むようになるはずだ。
それはいい。その辺りは俺が自ら行ったことだし、将来的な展望もあってのことだった。問題なのはカーン騎士団国、カーン侯国を与えられたことだ。プロイス王国の西の端と東の端の両側に領地を持たせるなんてただの嫌がらせとしか思えない。俺の行動を制限するためにあえて遠くの領地でも持たせたのかと疑ってしまいたくなる。
しかもカーン侯国をこれからさらに南東方面へ伸ばして、モスコーフ公国やオース公国、ハンガリア王国と対峙しろというんだからな……。もっと平和でただ内政に力を入れていれば良いような地域というのなら大した負担にもならないだろうけど、西も東も最前線でとにかく敵に備えておかなければならない。いつ戦争になるかというような場所ばかりだ。
「とりあえず屋敷に行こうか」
「そうだね」
ケーニグスベルクの新市街はまだまだ建設中だ。シャルロッテンブルクの建設現場より拠点から近いから物資輸送などでは有利ではある。こちらは人口も多いから労働者も十分にいる。だけど熟練の職人が少ない。元々の職人はいるけど、うちの建築は特殊な技術が必要だ。うちの職人は各所に散っているけどベテランの職人が足りない。
シャルロッテンブルクの建設は一段落した。もちろんこれからまだまだ住民達の家や店舗は作っていかなければならない。港が機能し始めれば倉庫も必要になるだろう。でもそれはベテランの腕利きは大量には必要ない。最低限の技能を修得している者は必要だけど、あとは新人教育でもしながら人材を育てる機会にしても問題はない。
宮殿や砦を作っていたようなベテランの職人や、上下水などの地下埋設物の工事や道路敷設を行なっている職人には他の場所に移動してもらいたい。ブリッシュ・エールもそうだし、カーン侯国もそうだし、とにかく手の空いた者から次々にやってもらいたい仕事が山積みだ。
ケーニグスベルクの屋敷はカンザ商会時代に用意していたもので、俺が領主として住むために用意されたものとは違う。俺達が最低限満足出来る程度の屋敷ではあるけど……、領主としては対外的にもあまり人に言えないような小さく質素なものだ。
まぁここに領主であるフロト・フォン・カーンが住んでいるなんてうちの組織の者以外は知らない。新市街にちゃんとカーン家の屋敷が出来るまではここでひっそりと暮らしておくしかないだろう。
「フロト様、お風呂の用意が出来ております。まずは旅の疲れと汚れを落とされてはいかがでしょうか?」
「カタリーナ……、そうですね。それでは……」
確かに船でやってきたばかりで、潮風のせいで体もベタベタしている気がするし、一度お風呂に入って綺麗になってからゆっくり……。
「フロト殿、書類と手紙が届いておりますぞ。それから諜報部から報告があるそうです」
「「…………」」
これからお風呂にでも入ろうかと思っていたけど、カンベエが扉を開けてそんなことを言ってきた。こいつは本当にノックしない奴だな……。たまにする時もあるけど、何か狙ってるのかな?って思うくらい肝心な時に限ってしない。
まぁ俺が部屋の中だからと油断せず、だらしない格好をしたり、服を脱いだりしていなければ良いだけの話ではある。でも自室で寛いでいる時までいつ人が入ってくるかわからないのはストレスだ。本当に主人のことを考えているのならば、主人にストレスを与えないように振る舞うのも部下の務めだと思うけどな……。
「わかった……。まずは報告から聞こう」
今はすでに学園が始まってから二週間以上が経っている。学園の試験までに戻ろうと思ったらあと二ヶ月半も時間がない。お風呂に入ることも大事だけど時間を無駄にしている暇もないということだ。皆と泡泡で遊ぶのは夜までお預けだな。
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「う~ん……」
諜報部の報告を聞いて首を傾げる。これから俺の主敵はオース公国、ハンガリア王国、モスコーフ公国辺りになりそうだ。だから当然情報は集めている。王様にオース公国がハンガリア王国の王位継承争いに参加していたのが決着したと聞いてから、ようやく今日うちの諜報部が俺に情報を持ってきた。
まぁ第一報としてハンガリア王国の内戦が終わったらしいという情報は王都にいる時にすでに届いていたけど、その詳細がようやく届いたというところだ。ただその情報の信憑性は疑わしいのではないかと思ってしまう。
まず……、オース公国は元々それなりに大国であり、周囲への影響力や政治力、外交力、それから戦力的に考えてもハンガリア王国の内紛に介入すれば最終的に勝つだろうとは思われていた。だからオース公家からハンガリア王が選ばれたのは何も不思議ではない。
問題なのはその解決方法であって、内戦で武力衝突も一部ではあったようだけど、俺達、いや、俺が考えるほど過激な戦闘はなかったようだ。
俺が王家断絶から後継者選びの内戦が起こったなんて聞けば泥沼の戦争を想像してしまう。だけど実際にはそれほど大きな軍事衝突もなく、ほとんどは威嚇や政治的な発言力を増すための派兵ばかりだったらしい。まぁ中にはそれなりに大きな会戦もあったようだけど、それは数えるほどだったようだ。
実際にはほとんど布陣して対峙するだけとか、少し争って勝てないと思ったらすぐ降伏するような戦いが中心で、うちが今までやってきたような大規模部隊同士による本格的な戦闘はあまりなかったらしい。
内戦が早期に終わったのはこの辺りも理由だそうで、オース公国軍が大挙してやってきたらほとんどの領主や貴族達はちょっと戦ってすぐ降伏したからだという。あとはオース公国の計略もうまくいっていたようで、他の王を支持する貴族達を懐柔したり、脅したり、様々な手を使って敵を切り崩し味方に加えていったらしい。
確かに内戦によってハンガリア王国の国内は荒廃して疲弊したみたいだけど、兵の損失や大規模な戦闘はあまりなく、兵の消耗という意味ではオース公国はあまり損害がなかったらしい。
もちろん長期間大量の兵を動かすとそれだけでお金はかかる。食料も消費するしお金もかかるからな。そもそも常備軍があまりなく、戦争になると傭兵を雇って戦わせるような国も多い。傭兵を雇うということは雇っている期間が長いほどお金が減っていくということだ。
農民達は畑は荒されるわ、戦争に駆り出されるわ、今後作物の収穫が減ってハンガリア王国はかなりの食糧不足に見舞われて国力を落とすことが予想されている。オース公国も似たようなもので、国内が荒されなかったのはよかったとしても、農民達を駆り出したために次以降の農業生産高は激減すると予想されている。
俺が懸念したようなオース公国の軍事力が高いとか、軍事的天才がいるとか、そういうことはないという。むしろ旧態依然としたオース公国軍は弱く、カーン侯国と戦争しても相手にならないと報告された。
でも果たしてそれは本当なのだろうか?
仮にも向こうは長年大国としてやってきたオース公国だ。カーン侯国なんてここ数年の間にポッと出た新興国に過ぎない。人口も国力も向こうの方が上だろう。カーン家の全所領を合わせて戦うというのならうちの方が人口が多いとしても、カーン侯国単独ではオース公国の方が国土も人口も上だと思う。
それなのにその相手が大した相手じゃないって、諜報部はちょっと楽観しすぎじゃないのか?
軍部の者に聞いてもカーン家とオース公国では勝負にもならないと相手を舐めたようなことを言う者ばかりだ。皆ここの所連戦連勝だから少し思い上がって驕ってるんじゃないだろうか。でなければ仮にも大国一国を相手にカーン侯国だけで勝てるなど豪語しないだろう。
皆が自信過剰になって敵を舐めるのは良くない。ちょっと皆の気持ちの引き締めと軍備増強を急いだ方が良いだろう。それでなくともうちは下手したら挟撃される恐れがあるような領地なんだ。その上相手を舐めて油断して負けるなんてあってはならない。
まぁそれは後でまた考えるとして、それよりもまずは一刻も早くブラック海沿岸に出なければならないということだ。
オース公国、ハンガリア王国の内戦が長引いてくれるのならモスコーフ公国だけを気にしておけば良いと思っていた。でもハンガリア王国の内戦が終わってオース公国が自由になったのならあまりゆっくりしている暇はない。
しかももっと疲弊してくれるかと思ったのに、大した会戦もなくそれほど兵も損耗せず、たったこんな短期間で終わったというのが予想外すぎる。この程度の疲弊ではオース公国はすぐに次の動きを見せる可能性が高い。その前になんとしてもこちらはこちらで戦略目標をクリアしておかなければ……。
ブラック海の北沿岸から東に向かってクイップチャック草原というステップ気候の牧草地帯が広がっているらしい。この辺りには遊牧民などがそれぞれ部族単位で暮らしており、特定の国家というようなものはないようだ。
ブラック海北の沿岸が遊牧民。その遊牧民に押されるように内陸の北側に押し込められているのがルーシャ諸国。そしてそのルーシャ諸国から発祥してもっと北へと勢力を伸ばしているのがモスコーフ公国だ。
ブラック海の西沿岸にはブルガルー帝国という国があり、そこから西や北西に進めばハンガリア王国となる。またハンガリア王国やブルガルー帝国から南下していくとバルカンス半島の南端となり、南からはオスマニー帝国が虎視眈々とバルカンス半島を狙っている。
俺達の目標はオース公国をブルガルー帝国やオスマニー帝国にぶつけさせ防波堤としつつ、ハンガリア王国やブルガルー帝国の北東の無政府地帯を占領して領有する。ポルスキー王国から南東に進むこの区間にはまともな国家は存在しない。そのまま無政府地帯を抜けてブラック海沿岸、クイップチャック草原を手に入れる。
クイップチャック草原北側のルーシャ諸国は草原の覇者である遊牧民達に押されている。俺達がクイップチャック草原を手に入れて遊牧民を従えても大した敵とは成り得ないだろう。問題は俺達がクイップチャック草原を制圧出来るかどうかだ。
クイップチャック草原より南や東には広大なステップが広がっていて、遊牧民、騎馬民族が支配している領域らしい。ただし彼らは大きな集団というか国家のようなものはあまり持たず、部族単位で遊牧を繰り返したりしている。
占領しようにもほとんど人もいなければ建物も町もないような草原をどうやって制圧するのか。もちろん多少は町もあるだろうし、なければうちが建てれば良い。でも投資に見合うリターンがなければ無駄な投資をしているわけにもいかない。
それから本当に俺達で遊牧騎馬民族に勝てるのか?というのが問題だ。大体地球でもこちらの世界でも騎馬民族の機動力と攻撃力は侮れない。高い機動力を活かして接近と後退を繰り返し攻撃してくる弓騎兵は厄介な相手だ。地球でも歴史上最大の帝国を築き上げたのも騎馬民族だしな。
単純な戦闘はもちろん、騎馬を用いた侵攻速度も圧倒的機動力であり、一度攻められたらあっという間に奥地まで入り込まれてしまう。万里の長城なんていう馬鹿げた建造物を作って防衛していたのも、騎兵が入り込めないようにするためのものだ。
北東のルーシャ諸国と、南西のハンガリア王国、ブルガルー帝国の間の無政府地帯を占領するのは難しくない。細長い領地になってしまうのは困るけどそれは覚悟の上だとして……、クイップチャック草原の遊牧民達に俺達は勝てるのか……。どうやって服従させれば良いのか……。
砦に篭り要塞砲を使い、銃を並べて戦うことに関してはカーン家はこの世界で一番進んでいると自負している。でもそれが果たして機動力を売りにしている騎馬民族相手に通用するのか……。
長篠の戦いでは織田の鉄砲隊が武田の騎馬隊を破ったと言われるけど、果たしてここで俺がその戦いを再現出来るのかということだ。色々と条件も違うし、そもそも織田は武田よりも圧倒的に多い戦力を用意していた。あれは勝って当然の戦いだったとも言える。
それに比べてこちらは織田と違い防衛側ではなく侵攻側となる。しかも敵はどこかに篭る必要もない。遊牧民だから不利となれば移動すれば済む話だ。こちらが防衛に備えて準備万端で待ち構えられるわけじゃない。
「対弓騎兵戦の作戦を練りましょう」
「はぁ……」
カンベエがピンとこないという顔をしている。どうやらカンベエも敵を侮っているようだ。俺達は今まで高機動な弓騎兵と戦ったことがない。敵を侮っているとこちらが手痛いしっぺ返しを食らう可能性が高い。
「ルーシャ諸国と連絡を取りましょう。クイップチャック草原の遊牧民達と戦ったことのある者や、何ならこちらに味方してくれる遊牧民の部族を見つけるのも良いでしょう。とにかく騎馬民族、弓騎兵との戦いに備える必要があります」
「……はっ。フローラ殿がそう言われるのならば……」
何か引っかかる言い方だけど……、とにかくこれからの戦いは今まで通りと思って油断するわけにはいかない。最大限の警戒と準備を怠らずに気を引き締めていこう。




