第四十三話「リンガーブルク邸へ!」
俺は少し気になっていたことがあったので父の部屋を訪ねた。父に直接確認したいことがある。
あの社交界デビューだった日に父もアレクサンドラも初対面のような反応だった。リンガーブルク伯爵家はカーザース辺境伯家の家臣団一の名家で家格が最も高いと聞いている。父もそのこと自体は否定しなかった。それなのに自分の一番の家臣の家の娘を見たことがないなどということがあるだろうか?
まぁ俺は父の家臣や配下の者とほとんど会ったことはない。だからあまり説得力はないけど普通に考えたらお互いの家に行き来があって家族とも顔を合わせたことがあるくらいはあって然るべきじゃないだろうか?
実際この家にも父の家臣の貴族や武将達がよくやってくる。俺が家の中で出歩くエリアにはそういう者達は入ってこないから俺はそういう人達と顔を合わせたことはない。だけど兄は父と一緒にそういった者達と顔を合わせることも多々あるようだ。
また逆に父が誰々の家に行ってくるというような話を聞いたこともある。父から相手を訪ねて行くことだって当然あるだろう。そんな時に相手の家族の誰かと顔を合わせたり挨拶したりしないだろうか?
急ぎで重要な話があるのに相手の家族が出てきて関係ない世間話を始めたら困るけど偶々顔を合わせて挨拶するくらいなら普通にあり得そうなものだ。それなのに一番の家臣であるはずのリンガーブルク伯爵家の娘を一度も見たことがないという確率はどれほどのものだろう。
俺はまるで他人にその存在すら隠されているかのように誰とも会わないけど……。いや、まさかな……。もしかして俺は世間的にはあまり公表されていない子供とか?でも王様とかヴィクトーリアとかは会う前から俺のことを知ってるようだったしそんなこともないか……。少し考えすぎだったようだ。
それはともかく父にそのことについて確認しようと思って今日はわざわざ父の執務室を訪ねたわけだ。
「父上、リンガーブルク伯爵家はカーザース辺境伯家の家臣団一の最も家格が高い名家だと伺っておりますがご息女のアレクサンドラ様とはお会いしたのはあの日が初めてだったのでしょうか?」
「……そうだ。確かにリンガーブルク家は古くからカーザース家に仕える名家で家格も高い。しかし二代前、現当主の祖父にあたる当時の当主が事業に失敗してから家が傾き、辛うじて潰れることは免れたが今は細々とやっているだけで私は現当主と直接顔を合わせることも滅多にない。現在では当家一の家臣というわけではない」
なっ、なんだって~!
どうやら現当主はアレクサンドラの父らしい。アレクサンドラから見て曽祖父にあたる人が事業に失敗してから莫大な借金を背負うことになり、何とかそれらは長い時間をかけて返済しているから家は潰れていないけどとても余裕はなく細々とやっているだけらしい。
「そうですか……」
「リンガーブルク家がどうかしたのか?」
急に俺がリンガーブルク家について聞きに来たから不思議に思ったのだろう。父に追及されたからアレクサンドラのことについて正直に話した。
「なるほど。リンガーブルク家の娘とな……。フローラの交友関係についてとやかく言うつもりはないがリンガーブルク家がカーザース家一の家臣だと言われたのならばそれは現在では間違いだ。過去にそういう家であったことは否定しないがな」
「わかりました。わざわざお時間をいただきありがとうございました」
話は終わったとばかりに退室を促されたので挨拶して部屋を出る。どうやらアレクサンドラも色々と大変なようだ。俺も人の心配している場合じゃないし手助けのしようもない話だけど、折角友達になれた相手の家が大変だと聞かされたら何だか気分も落ち込んでくる。
もしかして……、社交界デビューの日にアレクサンドラの取り巻きをしていた者達も最初はアレクサンドラの悪役傲慢お嬢様風の顔とリンガーブルク伯爵家という名前で取り巻きをしていたけど、家に帰ってからリンガーブルク家の現状を聞いて掌を返したのかもしれない。でなければ今の重要な時期にわざわざ騎士爵家であるフロト・フォン・カーンを訪ねて来るのは少し妙だ。
何だろう。何かこう……、胸がもやっとする。その正体がわからないまま俺は暫くモヤモヤしたまま過ごしたのだった。
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今日も今日とて森で開拓の日々だ。アレクサンドラとリンガーブルク家のことも気になるけどそればかりに時間を割いてもいられない。
まず古代コンクリートは成功した。強度や耐久性がどれくらいあるのかはわからない。現代コンクリートの耐久性は五十年から百年と言われている。それに比べて古代コンクリートは数百年、数千年もっているという現実がある。
尤も現代コンクリートが五十年、百年というのは崩れず安全に使える安全マージンを十分に考慮してのことだろう。古代コンクリートは現在まで残っているとはいってもあちこち崩れたり風化したりしている。それでもよければ現代コンクリートも数百年くらいは残ったままになる可能性もある。
なので耐久性は実際にそれだけの年数を経ないと確かめようもない。ただ一つわかることは試しに作ってみたモデルは十分実用に耐えそうな出来栄えだということだけだ。
コンクリートは水が染み込んでしまう。そこで掘った部分に型枠を作り古代コンクリートを流し込む。ある程度コンクリートが固まるとその上から煉瓦を敷き詰めて実際に水が流れる道を作る。そりゃ煉瓦にも水は多少染み込むだろうし繋ぎ目に隙間はある。だけどコンクリートに直に水を流すよりは良いだろう。
ただこれだとコストと時間がかなりかかることになる。何とかコストダウンと時間短縮出来ないだろうか。例えばU字溝のようなものを町の工場で作ってこちらでは穴を掘って設置するだけというのはどうだろう。それなら結構時間短縮になりそうだ。
ただ問題は重量だろう。U字溝ならなるべく軽く作っているし大きさもそれほどない上に現代なら重機でも運搬機械でも何でもある。それに比べて煉瓦で型を作って持ってくるとなると重すぎて運搬が難しいかもしれない。それに自重で運んでいる間に勝手に割れてしまう可能性もある。これは職人達と相談だな。
何とか崩れず持ち運び出来るサイズに収めて工場で作って持ってきて設置するだけなら工期短縮に役立つ。何もU字全てを作ってくることはない。面にして持ってくれば縦横四方向に持ってきた煉瓦の面を並べて設置するだけで良くなるんじゃないだろうか。何とか職人達と相談して良い方法を考えたい。
それから上水の貯水ポイントに上から入れる入り口と水の流れを止められる水門のような機能をつけたい。簡単に言えばマンホールにしてメンテナンスや詰まった際の人手が入れるように。それから作業時に水が流れないように水門で水を止めたり、川が増水時に上水井戸の方に水が吹き上がってこないように調整出来るようにしたい。
下水は浄化槽として沈殿させる他に砂利や砂を入れて濾過するシステムも考えなければならない。こちらも俺は専門家じゃないからいくらか試作品を作って試行錯誤するしかないな。下水はまだ先だから今のうちから試作しておく方が良いだろう。
やらなければならないことも考えることも作る物もとにかく多すぎる。しかもお金ばかりかかって大変だ。農場は拡大してテンサイとアブラナとゴマの栽培が盛んになっている。牧場、養鶏場も家畜の数も増えてかなりの規模だけどこれだけじゃお金が回らなくなる可能性も考えておいた方が良いだろう。
王都の牧場も動き始めているようだけどまだ利益が上がってくるまでにはなっていない。これから徐々に収入は増えてくるかもしれないけどイニシャルコストを回収するだけでもそれなりにかかるだろうからまだまだあてには出来ない。
忙しすぎて目が回る!お金もない!何だこれは?俺は高位貴族の辺境伯家の可愛い一人娘だったんじゃないのか?何でまだ十歳になって間もなしにこんなに苦労しているんだ?
でも……、いいんだ……。そう、俺はこの世界にきてようやくまともにキャッキャウフフ出来た。アレクサンドラとの会話はとても楽しいものだった。まだお互い少し距離はあるけどこの世界に来て初めて友達とああやって話すことが出来た。俺はそれだけでもこの世界に生まれてきてよかったと思える。
「フローラ様、いえ、フロト様、お手紙が届いております」
お?もしかしてアレクサンドラか?まぁ俺をフロトとして手紙を送ってくる相手なんてアレクサンドラくらいしかいない。王家関係の手紙ならイザベラの家じゃなくてカーザース家に届くはずだからこうしてイザベラが持ってくるはずもないだろう。
「アレクサンドラからですか?」
半分そう確信しつつも一応確認しながら楽しみに受け取ろうとしたらイザベラの顔が曇った。
「いえ……、それが……」
珍しく歯切れの悪いイザベラから手紙を受け取って差出人の名前を確認する。
「ニコラウス・フォン・リンガーブルク……」
その名前だけは知っている。先日父に聞いたリンガーブルク伯爵家の現当主、アレクサンドラの父の名前だ。何故アレクサンドラからじゃなくてその父ニコラウスから手紙が来る?俺はニコラウスとは面識もない。
悩んでいても俺にわかるはずはないので早速手紙を読んでみる。アレクサンドラの冗長な言い回しは父親の教育の賜物なのかいかにもお上品な貴族らしいもって回った言い回しで長々と書かれているけど要約すれば簡単だ。
『お前が何者でどういうつもりで娘に近づいたのかわからない。娘を除いて一度顔を合わせてやるから来い。』
という内容だ。そこまではっきりとは書いていないけどこの手紙の文面には行間にそういうニュアンスが含まれている。
まぁ父親としては遥か格下の騎士爵家の者と娘がお近づきになっていると聞かされたら気にもなるだろう。それにあの時の御者の雰囲気からしてアレクサンドラをこんな森の中に入れさせたことも快く思わなかったに違いない。
アレクサンドラからの手紙かと思って浮かれていた気持ちが一瞬で冷や水を浴びせられたように冷えていく。とはいえ父親なら当然の心配だろうしこう言われて出向かないわけにもいかない。今後アレクサンドラと会うつもりならば両親に悪い印象を持たれるわけにはいかないだろう。
アレクサンドラに手紙を返した時のようにニコラウスにも相手に合わせて貴族らしい冗長な文章で返事を書いた。また返事が来るだろうからあと一回か二回は手紙のやり取りをしてからリンガーブルク邸に訪ねていくことになるだろう。
面倒な手紙のやり取りも俺を快く思っていないであろう両親に会うのもあまり気が進まないけどアレクサンドラとの友情とキャッキャウフフのためには我慢して乗り越えるしかない。
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ニコラウスからの手紙を受け取ってから暫く手紙のやり取りをして今日がリンガーブルク邸へと訪ねて行く予定の日だ。どうやら今日はアレクサンドラはいないらしい。手紙にわざわざアレクサンドラのいない日に来るようにと念を押されていたからな。
今日はこの時のためにわざわざクルーク商会に馬車を用意してもらった。紋章もなく質素な馬車と御者をセットでだ。俺はいつもクルーク商会に馬車やら何やらと頼んでいる。向こうも商売だから良いのかもしれないけどこれはそろそろ俺も本格的に自前の馬車や御者を用意した方が良いのだろうか。ただ馬車は買ったからはい終わりとはいかない。
車のように毎年税金がかかるわけじゃないけど維持費が桁違いだ。馬車そのものもしょっちゅうメンテナンスする必要があるし車輪や車軸が壊れることもあるから交換もしなければならない。耐久性で言えば車とは比較にならないほど脆く壊れやすいので部品交換やメンテナンスだけでも馬鹿にならない。
それよりももっとお金がかかるのが馬車を曳く馬にかかるお金だ。馬は生き物だから世話も大変だし餌代も高い。馬だけレンタルして馬車は自前という手もなくはないけどそれなら今と変わらない。
御者はまぁ……、最悪ヘルムートに任せれば馬車自体は動かせるから新しく御者を雇うのは余裕が出来てからでも良いだろう。それでも全てひっくるめて考えれば莫大なコストがかかり今のカーン騎士爵家ではおいそれと買えるようなものではない。
今日はリンガーブルク伯爵に正式に呼ばれて会う場だから俺も騎士爵の正装をしている。いつものようなラフな格好やドレスで行くわけにはいかない。
何とか良い雰囲気で会談を行ないたいけど手紙の端々にあった雰囲気からしてあまり良い話にはならないだろう。憂鬱な気分になりそうな自分を何とか奮い立たせてリンガーブルク邸までやってきた。
建物や敷地は貴族街の中でも大きいけど建物は古い。やはり父が言っていたように事業に失敗してからあまりお金がないのだろうか。建物も大事に使っているのか綺麗に手入れはされているけど古い建物であることは隠しようもない。
門を潜って玄関の前まで馬車で進む。これだけの豪邸は他にあまりないからやっぱり大きな家であることは間違いないんだろう。比べては悪いけどヘルムートのロイス家は建物が道路にすぐに面していると言えるほど近い位置に建っていた。馬車ごと玄関口まで入れるというのはそれだけでも大きくて立派だ。
玄関口で馬車を降りると先日の御者が待っていた。ただ俺を見た瞬間ギョッとしていた。今日は男装しているから一瞬俺が前と同一人物だと思わなかったのかもしれない。
御者に案内されて家の中に入る。手入れはされていて綺麗だけどやっぱり古さは隠せない。調度品の趣味や流行も古いからここらにある物は先祖伝来の物なのだろう。流行に乗って次々に新しい物を買っているのならもっと今流行の物が置かれているはずだ。
歴史を感じさせる広い屋敷の中を歩いてある部屋へと案内された。御者がノックして部屋の主に声をかける。どうやらこの先にアレクサンドラの父ニコラウス・フォン・リンガーブルクがいるらしい。
気を引き締めなおした俺は礼儀作法に気をつけながら部屋へと入って行ったのだった。




