第四百二十七話「非常識!」
先頭を歩くのは棒を持った者だった。その左右には横に長い幕を持つ者。その後ろに旗を持つ者が続いていた。さらに通常の旗とは違う短く小さい旗を持ちクルクルと回している者達がいた。
その後ろには太鼓を担ぎ叩く者、キラキラと金色に輝く金属製の筒を口に咥えている者、いくつもの木や金属の板が並んだ物を担ぎ叩いている者などが現れた。その者達がそれぞれ持っている物を奏でると様々な音が混ざり合い、素晴らしい音楽が聞こえてくる。
今まで音楽というのは精々教会で鳴らされる物か、祭りなどで太鼓を叩いたり、音の少ない笛を奏でるようなものばかりだった。それが今目の前で奏でられているのは、時に勇壮で壮大に、時に静かに、それでいて力強く、聞いているだけで心が勇み奮い立つような、何とも言えない高揚感を齎すものだった。
その見たこともない楽器らしきものを奏でながら進む者達の後ろには騎兵が続く。その騎兵達も最初に通路の両側に整然と並んでいた兵士達と同じような奇妙な槍とも杖とも言えないものを担いでいる。ただしその長さは歩兵達よりも短い。その戦闘教義や運用方法の想像がつかない。
本来騎兵は歩兵よりも長い武器を使う。考えればわかることだが歩兵が振り回す剣と同じ長さでは馬上からは届かない。だから長剣というのは騎兵が馬上で振り回すために長く出来ている。槍もそうだ。馬よりも前に穂先が出ていなければ意味がない。それに地上で自力で振り回すわけではないので重さも多少は融通が利く。だから長く重い槍を前に向かって構えて突撃するのだ。
それなのにこの騎兵達は歩兵よりも短い槍を持っている。そんな短い槍で馬上でどうやって地上の敵を攻撃するというのか。戦争から長らく離れている者達ですらそれがおかしいことに気付く。そんな当たり前のことをカーン侯爵は理解していないのか。そう馬鹿にする者も一部にはいた。しかし……。
ここまでこれだけ常識はずれのことばかり見せてくれるカーン侯爵が果たしてそこまで愚かなのだろうか?普通に馬上槍を調べたり注文したりすればもっと長い物を使うのが常識だと誰でも知ることになるだろう。これだけの兵や指揮官がいるのならば、絶対にこのカーン軍にもそれを注意する者が居たはずだ。それなのにあえてあのような槍を持たせている理由は何なのか。
勘が鋭く頭が切れる貴族達ほどこの異様なカーン軍騎兵達に恐怖した。必ず何か秘密があるはずだ。でなければ普通の槍を持たせれば良い。わざわざあのような装備を選択しているということは何かある。何かあるはずなのにその何かがわからない。それがあまりに不気味で恐ろしい。
またこの騎兵隊はあれほどの音の中に居ても一糸乱れぬ行軍を行なっている。普通の馬ならば音に驚いたり、音に興奮してあのように整然と進めないだろう。その練度は一体どれほどなのか。もしかしたらあの音を鳴らしての行軍は馬に戦場の騒音に慣らさせるためのものかとすら思ってしまう。
騎兵の後ろには歩兵が並ぶ。その歩兵達も皆あの奇妙な槍を持っている。槍として使うには短い。それに穂先が真っ直ぐに付いておらず、杖の先の横から括りつけられていた。何故あのような形にしているのかわからない。
歩兵達の後ろにはまた音楽を奏でる者達が並び、最後に再び旗を持つ者達や短い旗をクルクルと回している者達が続いていた。
「ほお!美しいものだ。カーン卿、あれは何かね?」
最上段からその行進を眺めているヴィルヘルム国王陛下が隣に控えるカーン侯爵に尋ねる。
「はい。楽器を持ち音楽を奏でているのはカーン軍楽隊。そして今奏でられているのはカーン行進曲です」
「ふむ……。見事なものだ」
国王陛下が目を細めてカーン軍の行進を見詰める。その動きは一糸乱れず、ただ真っ直ぐ進んでくるだけではなく、左右の両側から出て来た部隊が中央で合流し、方向転換してこちらへと進んでくる。さらに目の前まで来ると再び左右に分かれてグルリと辺りを回る。
行進など子供だましのまやかしだ、と言う者も中にはいた。しかしほとんどの者はそんな馬鹿者の言うことなど聞かない。これだけ一糸乱れぬ行進が出来るということはそれだけ練度が高いということだ。この兵達の練度と士気の高さは尋常ではない。もしこれほどの精兵と戦うことになれば相当の被害を覚悟しなければならないだろう。
最後に目の前に行進してきた兵達が整然と並ぶとカーン行進曲とやらも最高潮に達する。最初から両側に並んでいた兵士達も一斉にバッ!と掲げていた槍を持ち上げ、全員同時に向きをこちらに変え、そして槍を下ろしまた掲げる。
その姿に心を昂ぶらせる者、恐れる者、今後の対応を考え直す者など反応は様々だった。ただ一つ言えることはこれだけの軍を持つ侯爵をただの成り上がり者と蔑むだけの馬鹿はほとんどいなくなった。
「それではこれより式典を行います」
宰相が式典を引き継ぐ。その場でまた再び国王陛下の挨拶が行なわれたり、まるで国事かと思うほど厳かに、重厚な式典が執り行われる。
たかが侯爵家の町開き一つが、国王陛下の下で重大な国事であるかのように執り行われる。それがどれほど異常なことであるのか。カーン侯爵とは一体何者なのか。参列した貴族達はますますわけがわからなくなる。
そして大宮殿の外での式典が終わり、ようやく大宮殿の中へと入る。後ろにずっと兵がズラリと並んだ中での式典は他の貴族達にとって恐怖だった。いつカーン侯爵が『この貴族達を捕えろ!』と言うかもわからないのだ。ようやく兵士達の圧力から逃れて宮殿内へと入れると思ったが、最初の一歩を踏み入れて再び固まる。
「おい!前で止まるな!早く入れ!」
「……」
「……どうした?」
前の貴族が急に止まるから後ろの貴族が怒った。しかし前の貴族は反応しない。様子がおかしいことに気付いて前の貴族を見てみれば、その貴族は前に指を指したまま固まっていた。つられてそちらに視線を動かしてみれば……。
「なっ!?」
「これはっ!」
もう何度目の驚きかわからない。今日だけでもう一生分の驚きを体験したような気がする。もう多少のことがあっても驚かない。そう思うのにまた驚いてしまう。
大宮殿の中に入るとまず巨大な玄関口の上にこれまた巨大な宝石でも浮かんでいるのかと思うような、何やらキラキラした物が吊るされていた。そこから美しい光が辺りを照らし出している。床一面にとても細かく美しく編まれた絨毯が敷かれており、壁一面、いや、天井にまで美しい絵画が描かれている。
あちこちには見たこともないような皿、壷、絵画などが飾られ、宝石でも散りばめているのかと思えるほどにどこもかしこも光り輝いていた。
国王陛下やカーン侯爵達が進んでいるので慌ててその後を追いかける。そして通る通路は……、全て金で出来ているのかと思うような金箔で出来た廊下に、どこで手に入るのかと思うような巨大すぎる大鏡が張られた廊下、それらを通り抜けて辿り着いたのは巨大な……、巨大な謁見の間だった。
中央を進み、数段高い玉座に国王陛下が上る。その左右には宰相ディートリヒと、そして何故かカーン侯爵が立つ。他の貴族達はつい王城の謁見の間のように左右に分かれて玉座の下で跪いた。
「うむ……。素晴らしい。ここを余の居城にしたいくらいだ!素晴らしいぞカーン卿。これならば安心して我が娘も嫁がせられる」
「「「「「――っ!?」」」」」
国王陛下がさらっと投げ込んだ発言に貴族達の頭が一気に大混乱に陥る。娘を嫁がせると言ったのか。娘とはエレオノーレ王女殿下しかいない。ならばカーン侯爵にエレオノーレ王女が嫁ぐということか。カーン侯爵が王族を、王女を妻に迎える。それは将来的に公爵になることが約束されているということだろう。
エレオノーレ王女をいただこうと狙っていた貴族は多い。王女殿下を娶ることが出来れば、女系の継承も認められているプロイス王国では、可能性は限りなく低いとしても、将来的に自分の家系から王が出るかもしれないことを意味する。王族の外戚となり、将来的に王の実家になる可能性も僅かでもあるとなれば、それは誰もがエレオノーレを狙うだろう。
当然そんな貴族達の中でいきなりこんなポッと出のカーン侯爵などに王女殿下を奪われるなど、有力貴族家が黙っていない。
だが……、カーン侯爵はエレオノーレ王女殿下のためにこれだけの大宮殿を用意したのだ。王都のすぐ傍にこれだけの大宮殿を建て、軍事施設である大要塞を築くことを許されているのも王女殿下を迎え、守るためだろう。
ならば……、もしカーン侯爵と王女殿下の結婚に反対だというのなら、自らの家の方が相応しいというのなら……、当然用意しなければならない。この町を、この大宮殿を、そしてあの崖の上の大要塞を超えるものを……。でなければカーン侯爵より自分の方が王女殿下を娶るに相応しいなどと言えない。
しかし……、誰がこのような馬鹿げたものを用意出来るというのか。それぞれの町や王都、領都が栄えるまでに一体どれほどの時間がかかったと思っているのか。いきなり町が出来上がってそこに人が住み始めたのではない。何十年、何百年とかけて人々が定着し、人口が増え、徐々に拡張されて今の発展があるのだ。そんなものを今いきなり用意しろと言われて出来るわけがない。
全ての式典を終え、圧倒的な差を見せ付けられ、国王陛下に王女殿下との婚約も実質的に公表され、意気消沈したまま貴族達は大宮殿を出る。普通ならこのあと宴でもあるかと思う所だが、何故か大宮殿から出されてしまった。それを不思議に思う余裕もない貴族達は言われるままに動き、大宮殿の外に並ぶ馬車に乗せられた。
自分達の乗ってきた馬車ではない。カーン侯爵が用意したものだ。これだけの貴族を乗せて、満足させるだけの品質の馬車をこれだけ並べている。もう驚きすぎて乾いた笑いしか出ない。自分達がこの程度の馬車を一台買うのにどれだけの苦労があることか。それを何十台、何百台と用意するのだ。その財力がどれほど桁違いなのかもう考えるのも疲れる。
「皆様、こちらがシャルロッテンブルク自慢の港と、その船です。それでは最後にささやかながら宴を用意しました。是非カーン侯爵家の料理をお楽しみください」
「こっ……」
「あはっ……、あははっ……」
連れてこられた先で馬車を降りて見た光景は……、いつの間に造られたのか、ハーヴェル川に造られた巨大な港だった。川港であるはずなのに、貴族達の常識を覆すほどに巨大な港が作り上げられている。そこに停泊しているのは大小様々な、見たこともない最新鋭の船たちだった。
「こっ、この船も全てカーン侯爵家の持ち物かな?」
まさかそんなわけないだろう?という意味で一人の貴族が問いかけた。周囲の貴族達全員が聞き耳を立てる。
「もちろん全て当家の船です。この先にある湖に他の船も係留しております。ご覧になられますかな?」
「――ッ!――ッ!」
問いかけた貴族は……、何と言っていいかわからず結局何も言えなかった。ただ頬をヒクヒクさせるので精一杯だ。港に浮かべられている船は信じられないような大型船もある。ハーヴェル川沿いの領主達は知っている。ハーヴェル川に架かる橋の付け替えが王国から命令されているのだ。その理由が今ようやくわかった。
いくら費用を王国が出すといっても勝手に領内の橋を付け替えられるなど気に入らないと反発していた。しかし橋の付け替えはこの巨大船を通すためだったのだ。そして恐らくその費用は王国ではなくカーン侯爵家が出す。もうわけがわからない。
「これは夢か?」
「そうだな……。早く目を覚まさなければ……。何という悪夢を見てしまったのだ……」
疲れた顔で、何人かの貴族達が現実逃避を開始する。いや、とっくの前にもう現実逃避していたのかもしれない。
「おい!この食器!」
「透明なガラス?」
「これはヘクセン白磁か!?」
「この料理うまいぞ!」
使われている食器、給仕達の能力の高さ、出されている料理の味、何もかも常識はずれだ。しかも見たこともない料理の数々が並べられている。美食の限り、というほどではないとしても、それなりに良い食事をしている高位貴族達ですらその料理の味に驚きを隠せない。
「こんな料理聞いたこともない……」
「これはどんな味なのだ」
「おい!それは私が取ろうとしていたのだぞ!横取りするな!」
カーン侯爵家に逆らうことはやめよう。大半の貴族は今日の町開きでそのことを心に刻んだ。そう思えば気が楽になる。もともと長いものには巻かれる者が多いのが貴族だ。
これだけの町をあっという間に作り上げ、信じられないような軍事力を持ち、王家の信頼も厚く王女殿下と婚約している。それだけの相手にわざわざ突っかかって潰されたがる者はそうはいない。
そしてそれはカーン侯爵家だけの話ではない。これだけの力を持つカーン侯爵家が将来的には王女殿下を娶り、恐らく公爵に陞爵される。将来カーン公爵家が王家を支えるとなればカーン家を従え支持を受ける王家の力も盤石となるだろう。
今までは他の貴族家や大派閥と手を組めば例え王家や王国が相手といえど戦えると思っていた。しかし王家にクレーフ公爵家、グライフ公爵家、カーン家などが味方することになれば……、もう他の貴族達の手には負えない。
プロイス王家は絶大な権力を掌握し、プロイス王国は今後一つに纏まっていくだろう。その時に自分達の身の振りを考えなければならない。そのことを今日の町開きで理解した一部の貴族達は、さっそく行動を開始することにしたのだった。




