第四百二十二話「クリスタは可愛い!」
王都に向かう日の朝、キーンの港から船に乗り込む。今回も一隻だけの航海だけど、ヘルマン海と違ってハルク海はほぼ完全にうちの制海権下だ。それに味方の船がしょっちゅうどこかを通るから、船団を組まないとしても周囲には大体どこかの船がいる場合が多い。
万が一座礁したり沈没することがあっても、すぐに誰かが気付いて救助してくれるだろう。敵に襲われる心配もないし、海図や海底調査も進んでいるから座礁する可能性もかなり下がっている。
「クリスタ、長期休暇中はどうでしたか?」
「はい。とても楽しく過ごさせていただきました。エミッヒお兄様も完全に覚悟を決められたようです」
俺の問いかけにクリスタが答える。しかも俺がはっきりとは言わず、やや言葉を濁したことまできっぱりと言い切った。もちろん俺がどうだったかと聞きたかったのはエミッヒの対応についてだ。それを察してちゃんと答えてくれるんだからクリスタも大したものだろう。
「それでは……」
「ええ。ロッペ家、ヴァルテック家と足並みを揃えてラインゲン家もカーン家派閥を形成しようと決められたようです」
「そうですか」
それは一応朗報だ。基本的には敵を減らして味方を増やす。それはどんなことにおいても基本だろう。地球にある某国のように全周囲に喧嘩を売っていたら、勝てる勝負も負けてしまう。個人の決闘じゃないんだから、誰かと誰かが揉めれば周囲も影響してくるわけで、その時に周り中敵しかいなければ自分が袋叩きにされてしまう。
別の某国のように敵の敵は味方とかいって、自分で将来の敵を育てまくって、またその敵を倒すために敵の敵は味方としてさらに将来の敵を育てて、延々と敵の敵を育てて争い続ける馬鹿な国もあったけど……。
敵の敵も所詮自分にとっては敵でしかなく、お互いを潰し合わせて漁夫の利を狙うならともかく、敵の敵は味方とかいうわけのわからない考えで敵の敵を育てて、結局最終的には自分の敵として育てた相手が立ち向かってくるというのは馬鹿すぎる。
とにかく周囲全てに喧嘩を売るというのも、とにかくその時、その瞬間だけ自分の味方が増えるように、将来的に絶対に敵になるとわかっている敵の敵まで育てるのも、どちらも愚かでしかない。
もちろん世の中はそんなに単純じゃないとか、全て自分の思い通りに動くわけじゃないというのはわかっている。でもそれをどうにかしようと努力するのが王や領主の仕事であって、最終的に力ずくでどうにか解決したんだから良いじゃないかという話にはならない。
まぁ……、ロッペ家、ヴァルテック家、ラインゲン家もまだ俺達はお互いに信頼関係はないに等しい。ジーモンやクリスタとは個人的に親しいけど、だからってそれぞれの実家と親しく出来て信用出来るとは限らない。しかもヴァルテック家に関しては色々とやらかしてるし……。
そういうのはお互いにこれから信用出来るかどうか確かめ合っていくしかないだろう。その結果あまり合わないと思えばそれまでの関係で終わるだけだ。まずはある程度お互いを知るところから始めなければいつまで経っても仲良くはなれない。
「良い関係が築けると良いのですけどね」
「そうですね」
クリスタと一緒に離れていく港を眺めながら将来のことを思う。ただ問題はやっぱり所領の配置だろう。ロッペ家、ヴァルテック家はともかくラインゲン家は位置が悪すぎる。あるいはあの位置だからこそバイエン派閥に入るより他に選択肢はなかったと言えるかもしれない。
一番わかりやすい解決策は転封、所領の配置転換だろう。王様にでも言ってラインゲン家の配置を変えてもらえば、バイエン家の領地に隣接しているという問題は解決出来る。でもそれをラインゲン家が望み、受け入れるか?と言えば別の問題だ。
例えば……、俺が地位が上がったからとカーン騎士爵領を取り上げられて、同等以上の土地だからと別の場所に領地を与えられると言われて黙って納得するだろうか?俺は絶対に納得しない。カーン騎士爵領は俺が手塩にかけて育てた領地だ。広さも人口も経済規模も十倍の領地をやるからと言われても手放して離れるつもりはない。
もしそんなことを王様に強要されたならば、俺はプロイス王国を割ってでも逆らう。勝てるかどうかや、誰がついてくるかなんて関係ない。俺の領地が奪われるのならば死ぬ気で逆らうだけだ。奪うのではなく配置転換するだけじゃないか、なんて言われても納得なんて出来ない。
もし最悪国を割って抗い、それでも負けてしまいそうなら……、俺はたぶんカーン騎士爵領の重要施設やインフラを全て爆破して完全に破壊してしまうだろう。俺の後にこの地に入る領主に奪われるくらいなら全て破壊してやる。
もちろん領民ごと!なんてことはしないぞ。領民は逃がした上で、町もインフラも、何もかも破壊してなかったことにしてやる。領主は領地に対してそれくらい思い入れがあるんじゃないだろうか。いや……、騎士爵領は俺が生まれて初めて賜った領地で、手塩にかけてここまで育てたから特別なのかもしれないけど……。
少なくとも俺はそれくらい自分の領地に思い入れがある。ラインゲン家も同じである可能性は高いだろう。真面目に頑張っている領主ほど自分の領地に思い入れがあると思う。ただの税収があがってくる金のなる木としか思っていない領主なら、よりたくさん税収がある領地に変えてくれるなら喜ぶだろう。
ラインゲン家が、エミッヒがどちらかはわからないけど、少なくとも俺の都合で転封させよう!とは思えない。
でもそうするとバイエン領と接してるラインゲン家の領地はかなりまずい配置なわけで……、八方塞だな。いくつか策は考えているけど、あまりお勧め出来ないようなものばかりだ。もっと良い解決策が出来るまではラインゲン家にはこれまで通りバイエン派閥のフリをしておいてもらうしかない。
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キーンからステッティンに到着した俺達はいつも通り馬車で王都へ向かう。エミッヒも帰りは船酔いが少しはマシになったらしい。たった二回しか乗ってないけどちょっとは慣れたんだろうか?人のことだし俺がどうにか出来ることでもないからどうでもいいといえばどうでもいいんだけど……。
ともかく今回も予定通り無事に王都に辿り着くことが出来た。長期休暇はまだあと何日か残ってるけど、今回は王都でしなければならないことが色々とある。その準備のために時間をたくさん使わなければならない。
「エミッヒ様、クリスタ、長旅お疲れ様でした。それではまた」
ラインゲン家の屋敷でエミッヒとクリスタを降ろす。ステッティンからうちの馬車に乗ってきたんだから家まで送り届けなければならない。
「フローラ殿、今回は色々と世話になった。今回は私も色々と知ることが出来て大変勉強になった。それから……、これからはラインゲン家もカーン家と手を携えていきたいと思う。よろしく頼む」
「はい。まずはお互いにお互いのことを知っていきましょう。信頼は一日ではなりません」
今回のことで少なくともエミッヒはカーン家との関係を色々と模索していこうと考えるようになったはずだ。カールもクリスタもエミッヒもこちらに友好的となれば、ラインゲン家が味方になってくれる可能性はかなり高くなる。問題はこちらがその信頼にどうやって応えていくかだろう。領地の場所の問題とかな……。
「今回もとっても楽しかったわ。ありがとうフローラ」
「おや?楽しかったのは私のお陰ではなくヘルムートと一緒にいられたからではありませんか?」
クリスタが可愛い笑顔でそんなことを言うから少し意地悪をしたくなってしまった。俺にそう言われてからかわれたクリスタが一瞬で真っ赤になる。
「なっ!?もう!フローラはいつからそのような意地悪になったのですか!」
「あははっ!ごめんなさい」
顔を赤くして照れているクリスタが可愛い。本当にヘルムートにはもったいないお嫁さんだ。
「それではエミッヒ様、クリスタ、御機嫌よう」
「御機嫌ようフローラ」
二人と別れてラインゲン家をあとにする。することは色々とあるけど……、カーザース邸に帰ったら今日はもう休もう。仕事はまた明日からだ……。
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さて……、昨日はすぐ休むことにしたけど王都でしなければならないことはたくさんある。一番最初に迫っているのは新年度の始業式だけどそんなものはどうということもない。いつも始業式や終業式は適当に何とかしている。特別なことがあるわけでもないしもう慣れたものだ。
それよりも今回は大変な行事がいくつも待ち構えている。まず始業式が終わったらフロト・フォン・カーンの陞爵の式典が行なわれる。それまでにカンザ商会に行って注文しておいた正装の確認と最後の手直し。それから王城にも行って王様やディートリヒとの打ち合わせも必要だ。
もちろん王城に行けば陞爵の打ち合わせだけじゃなくて、色々と頼まれている仕事の報告とか、今後の国の方針についての打ち合わせもあるだろう。俺がただの子供だったらこんなことしなくていいのに……。っていうか重要な国家機密とか今後の国の方針とか、俺みたいな小娘に相談するんじゃないって話だよな。
そして陞爵の式典が終わればシャルロッテンブルクの町開きの式典を行なわなければならない。これはこちらでも色々と段取りを進めなければならないし、王様やディートリヒとの打ち合わせも重要だろう。陞爵と違ってうちが式典を取り仕切り段取りしなければならないから手間が増える。
かといって何でもうちの好き勝手に出来るわけでもなく、王様やディートリヒと打ち合わせして、ある程度は指示された通りにしなければならないだろう。式典とか儀式とかそういうものは面倒臭くてかなわない。でも無視も出来ないし……。
「とりあえずカンザ商会に行ってからシャルロッテンブルクの建設現場に向かいますか」
「あっ、今日私は建設現場はやめておくわ。カンザ商会には行きたいから別の馬車で行きましょ」
「私は仕事が溜まっておりますのでカンザ商会もやめておきますわ」
「じゃあ私も家に帰って顔を見せてこようかな」
「う~ん……、そういうことなら僕も家に帰ろうかな」
「あら……」
何か皆バラバラになってしまった。別に俺達だっていつもずっと一緒ってわけじゃないけど、来ても仕方ないのに、という時に限ってついてくるのに、来てもいいよって時は来ないもんだな。まぁ別にいいけど。
ミコトが何故建設現場に行きたくないのかはわからないけど他の理由はそれなりに妥当だ。アレクサンドラが忙しいのは確かだろうし、ルイーザやクラウディアは王都に家族がいるんだから、折角帰って来た時くらいはそちらに顔を出すのは当然だろう。
「それではカタリーナと二人で行きましょうか」
「はい」
「ちょっと!私もカンザ商会には行くからね!二人っきりじゃないんだから!」
ミコトが妙な所を気にしているから宥めつつ出掛ける準備をする。途中で別行動になるからミコトは別の馬車に乗り込む。皆の行動を監視するつもりはないけど、もちろんそれぞれ護衛はちゃんとついているから何の心配もない。それに護衛達も俺にいちいちお嫁さん達の行動や移動先までは報告しないからな。聞けば答えるけど……。
いくらお嫁さん達だからってちゃんとプライベートやプライバシーはあるわけで、何でも俺が管理したり把握したりするというのもおかしな話だろう。
カンザ商会の王都一号店に入ると石鹸の実演が行なわれていた。前に皆石鹸の使い方がよくわかってないんじゃないかと思って取り入れてみたけど評判は上々のようだ。
「へぇ!こうすると泡立ちが良いのねぇ」
「私は手で擦ってたわ」
「私も」
皆水に濡らして手で擦っていたようだ。それでも悪くはないけど、やっぱり俺としては何というか……、こう……、アワアワで洗いたい。絶対そうしなければならないということはないけど、そういうのもあるよと教えるくらいは良いだろう。
それにこうしてボディタオルのようなものを使って泡立てて洗うのが一般的になれば……、ボディタオルも一緒に売れるようになる!実際カンザ商会でもボディタオルを作り売り出しているけど、報告書によればこの実演を始めてからボディタオルの売り上げもかなり伸びたようだ。
最近はこれといってすごい新作や新商品もなかったから、ボディタオルが新しく売れるようになったというのは売り上げに貢献出来ている。タオルの儲けなんて微々たるものでも、新しい物が売れるというのは大きなチャンスだ。
表の店を見て、ミコトは商品を見て行くからと別れて俺達だけ奥へと入って行く。今日辺りに俺達が来ると思って待っていたのか、奥へ入るとフーゴが正装を用意して待っていた。
「ようこそおいでくださいました。それでは最後の調整を行ないましょう」
「ええ、頼みますね」
すぐに正装の試着が行なわれて、一部の寸法などが直される。まぁ直すのはまた後だろうけど、とりあえずまち針で決めていく。
「こんなものでしょうか」
「はい。よろしいかと存じます」
一応正装の直しも決まった。カンザ商会での用事も終わったし、次はシャルロッテンブルクの建設現場にでも向かおうか。




