第四百二十一話「フラグを立てるな!」
一先ず別邸に入って少し休む。別邸から薔薇師団の動きなども見ていたけど特に問題はなさそうだ。表面的にはな……。
俺も心が汚れてしまったので無邪気に人を信じることが出来なくなってしまった。例え忠誠を誓うと言われようとも『はいそうですか』と信じられない。上辺では何とでも言えるものであり、相手を騙そうと思っている者ほど相手にとって耳障りの良いことばかりを言う。
フローレンに配置されて、ヴェルゼル川を渡ったらすぐフラシア王国に逃げられるからと逃げ出す者はまだ良い。脱走兵が出たからと部隊全体を罰しようとも思わないし、フラシア王国まで追いかけていって一族郎党皆殺しにしてやるというつもりもない。
それよりも問題なのは最初からそいつ自身がスパイをしようと思って入り込んでいる場合だ。スパイをしようと思っている者なら折角敵の中に入り込めたのにわざわざ逃げ出したりはしない。そういう奴ほど見つけるのも難しく厄介だ。
でもそういう奴は本人は脱走したり逃げ出したりしないとしても、本国や雇い主に連絡を取ったり、情報を流したりはするだろう。だからこそあえてここに配置した。すぐ近くだからと情報を向こうへ送ろうとした者がいた場合、それはうちの特殊部隊によって捕えられ、逆に色々な情報を引き出されることになる。
まだここへ連れて来たばかりだからすぐには怪しい動きはないようだけど、ここで暫く平穏な日々が流れたら油断して本国へ連絡してしまうだろう。まぁスパイがいればの話な。
何もないことは良いことだ。でも自分達の目に見えていない、気付いていないだけなのと、何も悪いことが起こっていないのはまったく別だ。むしろ気付いていない間に何かが進行していることほど悪いことはない。見える場所で何も起こっていないことを喜ぶのではなく、何も起こさせないように注意することが肝要だ。
「さて……、それでは少し視察に出掛けましょうか。皆さんはどうされますか?」
「行ってもいいならフローラについていくわ」
「僕はフローラの護衛だからね」
聞くまでもなく皆ついてくるというので皆で出掛けることにする。多少の軍事機密が含まれる所もあるけど、お嫁さん達に見られて困る所はない。例え誰であろうと完全に秘密にしているのは最先端の研究や武器や戦術研究などだ。普通の砦や軍事施設は軍人や家の関係者には公開されている。
これから向かうのは普通のフローレンやヴェルゼル川防衛のための関連施設であって、ただの軍事施設だから軍属やカーン家関係者には何の制限もない。
「それではまいりましょうか」
皆を連れてまず向かったのは上流方向だ。ヴェルゼル川の上流には取水場と浄水場がある。川自体に流されたらあまり意味はないけど、取水場、浄水場に毒でも投げ込まれたら大事になる。だからこれらの施設は絶対に防衛しなければならないし、大勢で監視し合って絶対に間違いがないようにしなければならない。
水もすぐに町へは流さず、魚などを入れている槽を通して毒がないかの確認などもされている。魚には即座に影響がなく、人間だけが死ぬ毒だったらどうするのかとか、そんなことを言い出せばキリがない。可能な限りの備えはしているけど、ありとあらゆるケースに対して万全というのは無理な話だ。
その中でも可能な限り、思いつく限りは対処している。五年後、十年後に影響が出るような少量の毒が徐々に蓄積するような話なら発見は難しいけど、それは現代だって同じことだろう。
取水場、浄水場の近くには砦も建っており、堅牢な壁に囲まれている。大砲を撃ち込まれたらあまり意味はないだろうけど、相手はまだ大砲は開発していないはずだし、川を越えて大砲を運んでくるのも難しい。川の向こう側から撃ってくるのならこちらの要塞砲の方が有利だろう。
少し前まではこの辺りはただの深い森だったのに、皆の頑張りのお陰であっという間にここまで整備することが出来た。これより上流に行けばカーザース領とフラシア王国の国境になる場所に出る。そちらは橋も架かってるし、国境は双方がお互いに監視している。俺達はこれ以上上流に出る必要はない。
一応上流方向への進軍や敵への攻撃は考慮にいれて対策しているけど、基本的に上流はカーザース家、下流はカーン家の対応となっている。要請があったり、敵の側面を突ける時に奇襲したりする用意はあるけど、そういうものは使う機会がないに越したことはない。
そんなわけで我が領の重要施設として一番上流にある取水場の視察を終えると今度は下流へと向かった。
フローレンを越えて下流へと進むと途中からフラシア王国領に入る。ここまではヴェルゼル川を境にして国境が引かれているけど、この下流から先はヴェルゼル川を越えてヘクセンナハトの麓までフラシア王国領だ。
本来なら……、この割譲された地は魔族の国への共同対処のための割譲だった。でもそれがただの虚構にすぎない証拠がある。それはヘクセンナハトにフラシア軍はほとんどいないこと。そしてヴェルゼル川下流を渡る術を何ら用意していないことが物語っている。
もしフラシア王国が約束通りに魔族の国への共同対処に力を貸しているのなら、最低でもこの近辺に強力な軍がいなければ意味がない。プロイス王国は国の中でも最高戦力と言っても過言ではないと思えるカーザース家を国境に配置していた。今は魔族の国に一番接してるのは領地を分割されたカーン家だけど、元々ここはカーザース家の領地だったからな。
それに比べてフラシア王国はヴェルゼル川下流、ヘクセンナハト近辺にまともな兵も置いていない。うちの西側を領有するフラシア貴族も特に何か戦争がうまいとか、多くの戦力を持っているとか、そういったことはまったくない。申し訳程度にヘクセンナハトの麓に『魔族監視所』とかいうのが建っているだけだ。
魔族監視所には左遷されてきた兵士が何人かいるだけで、たまに補給物資が届けられる以外には人や物の出入りもない。そもそも本気で魔族の国に対処するつもりなら、麓に常備軍を置かないとしてもヴェルゼル川を渡れる段取りくらいつけておくものだろう。
橋をかけるでも、大規模な渡し舟の船着場を作っておくでも何でもいい。もし対処するつもりなら大軍を送れるように備えるものだ。それなのにヴェルゼル川下流には何もない。うちのガレオン船がフローレンからヘルマン海に出られたことからわかる通り、フラシア王国は大きな橋も、船着場も、人員も、何も用意していない。
所詮最初から魔族の国に共同対処する気などサラサラなく、ただプロイス王国から西の領土を掠め取るためだけにでっち上げた名分というわけだ。
もしフラシア王国と戦争になれば、俺達の作戦としては魔族監視所の早期制圧と、ヴェルゼル川下流の東側の確保は最優先しなければならない。まぁそこまで心配しなくてもフラシア王国はヴェルゼル川下流の重要性を理解していないだろうけど、やっぱりうちとしては最低でもヴェルゼル川以東は即確保しなければならない場所だ。
万が一にも下流を放置して、フラシア軍が下流でヴェルゼル川を渡り、森を抜けてカーンブルクやキーンを攻撃されたら面倒なことになってしまう。敵の侵攻を食い止めるために川を利用して防ぐのは必須だ。そのための設備や即座に部隊展開出来る段取りは着々と進んでいる。
定期的な巡回や辺りの調査、鳴子や狼煙などの連絡手段、即時展開可能な即応部隊の養成、長大な流域を防御するための施設など、こちらが敵に気付き食い止めるための備えは出来てきている。そしてこちらは架橋船によっていつでもどこでも渡河作戦が実行可能だ。
敵は川のどこも渡ることが出来ず、こちらはいつでもどこでも好きな時に渡れる。相手が予想もしていない場所から渡河し、敵の後方へ回ったり、後方基地や輜重隊を叩くことも可能だろう。
ただ……、出来ればフラシア王国との開戦は早くとも運河が出来てからにしたい。
運河が完成すればディエルベ川から船を運んでこれる。デル海峡を越えて海を回ってくるよりも圧倒的に早く兵員も物資も輸送可能になる。
もちろんそれは攻められた場合に相手が運河を利用すればこちらが奥深くまで侵攻されることを意味する。でもだからって橋を用意しないとか、運河を造らないというのは消極的選択だ。
フラシア王国がヴェルゼル川下流に橋も船着場も用意していないのは、ヴェルゼル川下流に利用価値がないからというだけじゃない。もし橋や船着場があれば、それを利用するのは味方だけとは限らない。前線が破れれば魔族がそれらを利用して逆侵攻してくるかもしれない。それを思えば無闇に利便性を上げるのは危険だ。
フラシア王国の作戦は恐らく魔族が攻めてきたらプロイス王国に相手をさせ、ヴェルゼル川沿いに自軍を展開させて川を盾にして防衛に徹するつもりなんだろう。攻めて来た魔族としても、川を盾にされて面倒な相手と戦うよりも、地続きで戦いやすいプロイス王国と戦う方を優先する、というのが狙いだったに違いない。
残念ながら魔族の国、ヤマト皇国とカーン家、プロイス王国は条約を結んだからもうフラシア王国の思い通りになることはないけど……、それは勝てない相手に負けないようにするための消極的選択だ。
俺は勝つための最善を尽くす。そしてフラシア王国に負けるつもりはない。だから……、あと一年……、最低でもあと一年は開戦を先延ばしにしたい。
幸いフラシア王国は先のブリッシュ島での敗戦で軍備はガタガタだ。態勢を整えるまでまだ当分かかるだろう。こちらはその間のさらなる準備に励めばいい。次の戦争はフラシア王国王都まで進撃することになる。うちの苦手分野である内陸部での戦闘の準備も進めなければ……。
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フローレンやヴェルゼル川流域の視察は実に有意義だった。今回気付いたこともあったし、備えや訓練も色々としなければならない。薔薇師団の様子も見れたしフローレン視察は大成功だ。
フローレンで一泊してからカーンブルクを通り抜けてカーザーンへと戻ってきた。一ヶ月以上ぶりに帰った実家だから何か気まずい。また母に突っ込まれそうだ。それに前は父がいなかったからよかったけど、カーン侯国から父が戻っているから余計まずい。父は母と違ってなぁなぁで済ませてくれない可能性がある。
「フローラか。久しぶりだな」
「父上、ただいま戻りました」
うわぁっ!玄関口でいきなり父とばったり出会ってしまった!これは想定外!まさか父がこんな所にいるとは!
「これはフローラ殿」
「エミッヒ様、御機嫌よう」
父と一緒にエミッヒも居たらしい。父が出て来たのはエミッヒの見送りか?それとも二人でどこかに出掛けるのか?
「父上はどこかへお出掛けですか?」
「いや、ラインゲン卿を見送りに来ただけだ」
あぁ、やっぱり……。まだ朝早いというのに何でこんな時間にエミッヒがうちにいて、しかももう帰るのか知らないけど……。
「エミッヒ様は今どちらに……?」
「ロイス家で世話になっている。今朝もロイス家から来たのだ」
なるほど……。ロイス家ならここから歩いてもすぐだ。エミッヒの動向についてはいくらか聞いているけど滞在中あちこちの視察を精力的に行なっていたらしい。何かそんなに見るものがあるかな?という気がしないでもないけど、俺だっていつもあちこち視察しているし人のことは言えないか。
「そうですか。馬車をお使いになりますか?」
今俺達が降りたばかりの馬車が目の前にある。帰るというのならこれに乗っていけばいい。馬車の用意もしてあるんだろうけど、新しく回してくる手間を考えたらこれに乗っていけば早い。
「ご好意だけ受け取っておこう。このあとそのまま出掛けるのでね」
ああ、それなら仕方がないな。ロイス家に戻るだけなら良いけど、そのまま乗って行くのなら自分で用意した馬車の方が良いだろう。そういうことなので父と一緒にエミッヒを見送ってから俺も家に……。
「ところでフローラよ、一ヶ月もどこへ行っていた?」
「え~……、それは色々と……」
やっぱり突っ込まれた……。ブリッシュ島を征服して王をやってますなんて父に言えるはずもない。一体どうしたものか……。
「ふむ……。フローラのことだ。人から見れば相当無茶なことをしているのだろう。しかしそれは常人で考えた場合の話……。普通の人にとっては不可能に思えてもフローラにとっては簡単に出来てしまうことも多々あるのだろう。しかしあまり無茶はしないようにな」
「ぁ……、はい。ありがとうございます……」
父に……、ポンと頭に手を置かれてしまった。今までこんなことがあっただろうか?いつも父は何を考えているかわからず、とにかく人に厳しく、自分にはもっと厳しい人だった。今まで俺が褒められたことなんて数えるほどもないかもしれない。それなのに……。
はっ!?まさか死亡フラグ!?
いやいや……、それはないだろう……。母、妊娠……。父、突然変わる……。あかん……。死亡フラグにしか見えない……。
いや!俺が絶対そんなことにはさせない!父も母も生まれてくる弟妹も、全て俺が必ず守る!あっ……、別にゲオルク兄を忘れてるわけじゃないよ?家族も家人も配下の者も、全て守るのが俺の役目だ。
そんな決意を新たに、あっという間に滞在期間は過ぎ、学園の新年度のために王都へ向かわなければならない日がやってきたのだった。




