第四百二十話「視察!視察!視察!」
あ~、ロウディンは暖かい……。いや、実際には結構寒いはずなんだけど、ついこの前までもっと北の寒い場所に居たから、それに比べれば暖かいくらいに感じてしまう。
ブリッシュ島に戻ってきたのは良いけど、予定ではあと一週間もしないうちに騎士爵領に戻らなければならない。というと語弊があるか。戻らなければならないということはないけど、戻る予定になっている。
実際まだ長期休暇はそこそこ残っているけど、騎士爵領でもまだたくさん仕事が残っている。ブリッシュ島にギリギリまでいても良いけど、それでは騎士爵領での仕事や視察が出来ない。今から騎士爵領に戻っても日数的に出来ることなんて知れてるけど、それでも騎士爵領を放置しておくのは悪手だ。
「失礼しますフロト殿。これが残りの滞在中にすべき仕事です」
「あぁ……、ご苦労様です」
入室してきたカンベエが机に置いた仕事を眺める。滞在中にすべき仕事と言ったけどこれだけすれば後は何もしなくて良いという意味じゃない。毎日各所から書類の山は送られてくるし、ここに置かれたのはすべき仕事などが記されているだけで、この書類を処理すれば終わりという話ではない。
簡単に言えばスケジュールや今後の仕事の流れなどが書いてあるだけのものもあり、実際の仕事量はこの数十倍はあるだろう。まぁそれでも一時期に比べれば俺の仕事は格段に減っているし、あちこちに視察に行けるくらいには楽になった。
そもそもブリッシュ・エール王国はゴトーが頑張ってくれている。元々の貴族や官僚をある程度取り込んで統治機構も元々のものをある程度引き継いでいるから、騎士爵領のように全て一から用意しなければならないということもなかった。
その分、俺の意に沿わない者が残っていたり、いつ裏切るかわからない者がいたり、所謂スパイのような者がいないとも限らない。カーン侯国もそうだけど元々の住民や統治機構がある程度あった場所というのは、引き継ぐのは簡単だけど全てを掌握してコントロールするのは難しい。
最初は苦労するけど最終的な統治のしやすさや、信頼度の高さを考えれば、騎士爵領のように最初から全て自分達の手で作り上げる方が良いだろう。でもすでに人が住んでいる所を征服したならばそうも言ってられない。
それに騎士爵領のような小さな町からスタートして時間をかけられるのならともかく、いきなり広大な領地と住民を得たり、与えられたりして、それをすぐにどうにかしなければならないというのならどうしてもこうならざるを得ない。
すでにこの形になってしまっているんだから今更グチグチいっても仕方がないか……。とりあえず俺は俺の出来ることをするしかない。神でもないんだから全てを見通すことは出来ない。俺に出来ることは最善を尽くすことだけだ。
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短い滞在期間を終えて、ブリッシュ・エール王国から騎士爵領へ戻る日がきた。まだまだしなければならないことは山積みだけど、俺が一人で出来ることにも限度がある。皆も頑張ってくれているし、任せられることは任せていこう。
「それではゴトー、後は任せたぞ」
「ははっ!お任せください!」
ブリッシュ・エール王国の重臣達を集めて俺が見送られる。そんなことをする暇があったら働けと言いたい所だけど、こういう風に出迎えたり見送ったりするのも立派な仕事らしい。
一見非効率、無駄に思えるようなことでも、例えば盛大な式典を行なうことで王や領主の権威を高めたり、士気や結束を高めたりと色々な効果がある。行事が無駄だからやめましょうというのではなく、目に見えないそういう効果もきちんと考える必要があるというわけだ。
俺はどちらかと言えば、わざわざ行事のために仕事の手を止めて、高い費用を払って盛大に行事をしても無駄だと思ってしまいがちだ。現代人はそういう人も多いんじゃないだろうか。
でも集団でそういうことを行なうというのは仲間意識を持たせたり、所属組織への忠誠心を高めたり、仕える主君の力を見せることに繋がる。昔ながらのそういう行いもまったく無駄や無意味ということはなく、非効率だからと切り捨てれば良いというものでもない。
ゴトー達に見送られた俺はロウディンを出発し、コルチズターで船を乗り換えて騎士爵領へと向かった。来る時は十三隻もの艦隊でやってきたけど、今回は貿易船一隻という少し寂しい船旅だ。
「船の都合もあるから仕方ないとはいえ、一隻だと何だか頼りない気もしてしまうね」
「それは……、まぁ……」
クラウディアの指摘に何か言おうかと思ったけど、特に何も言えることがなかった。その気持ちはよくわかる。いくらガレオン船とはいえいつもたくさんの船が制海権を確保している中で航行しているのと、一隻で外海を渡っているのではクラウディアの意見も頷ける。
ハルク海は最早カンザ同盟の海とも言えるほどに我が物顔で航行出来る。それに艦隊は組まなくてもあちこちをカンザ同盟やカーン家の船が通っている。完全に味方もいない所をポツンと走るというのはあまりない。
それに比べてこちらはヘルマン海という完全にうちの海とは言い難い場所を航行している。さらに今は周囲に味方の船もおらず、広い海にポツンと自分達の船がいるだけだ。
今は多少ダメージを与えているとはいえ、沿岸にはフラシア王国やホーラント王国などの敵性国家が健在であり、いつ誰から襲撃を受けるかもわからない。
ガレオン船の足に追いつき、艦載砲をすり抜けてくる敵なんてそうそういないだろうけど、それでもやっぱり広い海にポツンと一隻しかいない時に襲われたら……、と不安に思うのはわかる。沈没しても救助が来るまでどれくらいかかるかもわからないしね。
そんな不安とは裏腹に、現実は何の問題もなくあっさりデル海峡を通過した船はすぐにキーンへと到着した。無事に航海を終えたことにほっとする。残り二週間もないほどだけど、とりあえず騎士爵領の仕事をしなければ王都に行くことも出来ない。
本当、学園に通うのは足枷でしかないな……。あと領地が西の端と東の端って……、船で渡ればそう時間もかからないとはいえ王様の嫌がらせかと思ってしまう。出来れば次の三年生の前期期間はカーン侯国じゃなくてブリッシュ島の方へ行きたい。
授業期間は四ヶ月、うち一ヶ月は試験期間だから実質自由時間は三ヶ月だ。それに比べて長期休暇は二ヶ月しかない。今のパターンだとカーン侯国が三ヶ月、王都一ヶ月、騎士爵領とブリッシュ方面が二ヶ月、という割り振りになってしまう。
色々な問題や活動から考えたらブリッシュ島の方で三ヶ月を使いたい。とはいえカーン侯国も半年以上も空けるわけにはいかないし……、やっぱり学園が邪魔だなぁ……。あと一年だし……、辛抱するしかないか。
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キーンに到着した俺はまずアインスの研究所に行ってからまた色々な話をしたり、新しい注文をしておいた。さらにいつものようにすぐにカーンブルクに向かうのではなく、ヘクセンナハトにあるアンネリーゼの植物研究所と、エーレンの窯元にも寄って行く。
アンネリーゼの方とはたまに会う機会もあったけどエーレンと会うのは本当に久しぶりな気がする。ヘクセン白磁は今でもカンザ商会の重要な商品の一つだ。上に立つ者としてたまにはその苦労も労ってあげなければならない。
「エーレン、久しぶりですね」
「これはこれはカーン様、このような格好で申し訳ありません」
エーレン自身も作業着で汚れながら仕事を行なっている。今は皿を作ったり焼いたりしていたわけではないようだけど、最早研究者とかより職人と言った方が正しいだろう。
「いえ、こちらが急に来たのです。こちらこそ作業の邪魔をしてすみません。そちらが魔族の国からの?」
皆が手を止めて俺を出迎えようとするのでそれを制して見慣れない者達に視線を送る。ここの職員や職人は全て知っているはずだけど、何人か知らない人物が混ざっていた。恐らく魔族の国との技術交流や職人の派遣の一環で来ている者達だと思う。
「はい!カーン様がこのような機会を作ってくださったお陰でさらに良い物が作れそうです!」
子供のように無邪気にそう言うエーレンが眩しい。おっさんのはずだけどまるで子供のようだ。
「これは釉薬ですか?」
「魔族の国での釉薬と、カーン様から教わった釉薬を比較し、新しいものが出来ないかと考えております。それから模様などもお互いに取り入れてはどうかと……」
エーレンや魔族の国の職人達も混ざってまた白熱した議論が始まった。最初は俺に説明していただけなのに、そこから火が着いたようだ。俺が教えたといっても実際にはなんちゃって知識でいい加減なことを言っただけなのに……、そこから頑張ってヘクセン白磁を作り上げたのはエーレンの功績だ。
ここでの技術交流はお互いに技術を教え合い、混ざり合うことで双方に影響を与え、得る物がある。一方が一方から教わったり、奪うものではないのは良いことだ。
地球ではこちらが工場を建ててやり、技術や特許を教えてやり、共同で生産をしようとしていたら、教えられた方が勝手に自国で特許を取り、教えてもらった相手に対して特許料を払えだの、我が国の技術は優れているだのとほざくような国もあった。それを思えばこの交流はとても良いものだと思える。
ヘクセン白磁の秘密はエーレンが作り上げたようなものだし、魔族の国の職人に教えるかどうかはエーレンに任せていた。エーレンはそれを教えてお互いに高めあうことを選んだようだ。
そもそも魔族の国でヘクセン白磁がコピーされたとしても、こちらに大量に送ってくることは出来ない。船が辿り着いて交易出来るようになっても、同程度の質ならば輸送費がかかるだけ価格競争でこちらの方が勝る。輸出も出来ないけど、輸入されてライバルになることもない。
遠く離れて経済圏が異なるから商売敵となることもないし、今はお互いの技術を教えあって高めあった方が得る物が大きいんだろう。俺にはわからないけどエーレンがそう判断したのなら任せるだけだ。
「それでは……、より良い物が出来ることを期待していますよ」
「はい!お任せください!」
本当に無邪気にそう笑うエーレン達を残して、俺はヘクセンナハトを後にしてカーンブルクへと向かったのだった。
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カーンブルクに戻ってもずっと滞在しているわけにもいかない。翌日俺はすぐにフローレンに向かった。実はこっちにはエンゲルベルトと約千人の元フラシア王国軍投降兵達がいる。
ブリッシュ・エール王国から出発する前、彼らは正式にカーン家の直属部隊に編入された。騎士として忠誠の誓いを立てている。そんなものがどこまで役に立ち、信じられるのかはわからないけど、エンゲルベルトが言うにはこれで全ての者が逃げ出さずに俺に忠誠を誓ったらしいけど……。
そんな彼らの配置場所はあえてフローレンにしてある。川一つを隔てて向こう岸に渡ればフラシア王国だ。国に帰りたいと思っている者がいたら実に脱走しやすい場所だろう。だからあえてフローレンに配置した。
今回俺がフローレンにやってきたのはもちろんフローレンの視察のためでもある。フラシア王国との緊張が高まっている今、フローレンの防衛は非常に重要と言わざるを得ない。そのフローレンの状況を自分の目で確認したいというのも当然ある。
それから配置された彼らがどんな反応をするのか。逃げ出さないか。それを見ようと思ってのことだ。人を試すようなことをして性格が悪いと思われるかもしれない。でもいざ戦争になった時に裏切られたり、後ろから撃たれるようなことを考えれば、兵士達の忠誠心や忍耐力を確かめ、強くすることは当然のことだろう。
「エンゲルベルト、皆の様子はどうですか?」
「これはカーザー王様、ご覧の通り誰一人脱走しようという者もおりません」
フローレンに着いてすぐにエンゲルベルトを見かけたから声をかけてみた。抜き打ちで来たから俺が来ることは伝えていない。
「エンゲルベルト、こちらでは私のことは女性の装いの時はフローラ、男性の装いの時はフロトと呼んでください。カーザー王と呼ぶことは禁止です」
「ああ、そうでした。申し訳ありません」
まぁ今までずっと向こうでカーザー王と呼んで来たんだ。急にそんなことを言われても慣れないだろう。一回間違えたからと罪に問うつもりはないけど、致命的な場面でうっかり一回間違えただけで大事になってしまう。気をつけてもらわなければならないことに変わりはない。
「貴方はもう薔薇師団の師団長なのですからね」
「はっ!」
俺の言葉にエンゲルベルトは跪いて頭を下げた。いつまでも元フラシア王国軍とか投降兵とか呼んでいるわけにもいかない。そこで彼らのことは俺に忠誠を誓い、カーン家に編入された時点で『薔薇師団』という名前が授けられた。まぁ授けたのは俺なんだけど……。
何で『薔薇師団』なのか。どういう意味なのか。彼らは男同士で愛し合うから『薔薇師団』なのか?それは俺にはわからない。俺はその名前がいいと言われたからそう名付けると宣言しただけだ。俺が薔薇師団と決めたわけじゃない。
ともかくフローレンと薔薇師団の視察のためにやってきた俺は、まずはフローレンの別邸に入ることにしたのだった。




