第四十二話「アレクサンドラがやってきた!」
アレクサンドラに手紙を書いた俺はドキドキしながらイザベラに手紙を預けた。貴族のお出かけとは簡単なものではない。今日言ってじゃあ明日というような日本で考えるような友達のようにはいかないのだ。
俺も普段から家庭教師達に色々と習っているから何とか貴族らしい言い回しを駆使してアレクサンドラへの手紙を書き切った。かなり疲れる……。日本の手紙やメールのように『じゃあ何日で!』みたいに一言で済めば良いのに……。
ともかくこれで俺は今生で初めてお友達を家に招いて遊ぶことになった。今からドキドキする。向こうに都合が良ければ数日のうちにはまた返事が届くだろう。まだ暫く先だけど今から色々用意しなくちゃ!
=======
アレクサンドラと遊ぶのも大事だけど今はそれどころじゃなかった。北の森の開拓も進めなくてはならない。
江戸では干拓地や埋立地が多くあったから井戸が掘れない地域がたくさんあった。それらの地域に上水を運ぶために地面に上水用の水路を埋めて井戸のような場所に水を運び貯める上水井戸というものがたくさんあった。
この森も森の中なんだから掘れば水が出てくると思うところだけどどうやら土壌が悪いのか濁って臭い水しか出ないらしい。俺は現物を見ていないから何とも言えないけど、濁りは井戸はどこでも最初は掘った時に出る水は濁っているものだと思うから水が張ってから静かにしておけば濁りは沈殿すると思う。
ただ問題はその水の臭いと味のようだ。ここらの森を掘って出てくる水は何か変な臭いと味がしてとても飲めたものではないらしい。俺は専門家じゃないから詳しいことはわからないけど腐葉土などが堆積していてきちんと濾過されていないから水に色々と変なものが混ざっているのかもしれない。
ともかく少なくとも森の中では井戸を掘っても使えないようだ。その結果この森は開拓されることなく、あの小川までしかカーザーンも拡張されず止まっている。テンサイは水捌けの良い土地の方が育つそうだしカーザーンもあまり水がよく出る場所ではないようで町の西側を流れる川から取水して町に供給しているというわけだ。
そこで俺は同じ西の川から開拓地に水を運ぼうと思ったわけだけど距離が結構あるために江戸の上水システムを真似することにした。ただ違いは江戸では木管のようなものを埋めていたようだけど俺はコンクリートや煉瓦を使おうと思っている。木材はいずれ腐るだろうし他に使いたい用途もあるから木材ばかり使っていられない。
基本的にこの辺りは緩やかとはいえ北西から南東に向かって勾配がついているから進むほど深くなっていくというほどではないけど勾配に関してはやっぱり考えなければならない。水は高い所から低い所へ流れていくんだから地下に水路を埋めようと思ったら下流ほど地面の奥深くになると考えるのは自然なことだろう。
だけどそれだと長くなればどんどん先に行くほど深くなってしまうので作るのも後のメンテナンスも大変だ。そこでただ勾配のある水路をずっと真っ直ぐ作るのではなく途中途中に水を貯める貯水部分を作る。これが何の役に立つかと言えば水の嵩上げだ。
仮に地面の十センチの所に水路を埋め始めたとしよう。百メートル進んだ時点で一メートルの深さまで下がる勾配になっている。じゃあ同じ勾配なら一キロメートル先ではで九メートル下まで埋めるというのは大変だ。だから百メートル地点で貯水部分を作ったとしよう。その貯水部分で水の嵩が地面から十センチになるまで水を貯める。するとそこから先はまた百メートル進む間に一メートルの深さまで沈む勾配をつければ良い。
これは例であって極端に言っているけどイメージでいえばそういう感じだ。これを繰り返せば深さをどんどん深くしていかなくとも遠くまで水を運べる。こうして運んだ地下の水路から井戸のように掘った穴に水を流し込む。井戸のようだけど底まで全て覆ってしまうのがこの上水井戸のポイントだ。底が抜けていたら普通の井戸と同じになってしまうし水が染み込んで逃げたり、湧き出て混ざったりするからな。
こうして運んだ地下の上水を現地を見て大まかな区画割を考えた開拓地点にいくつか井戸を作って流し込む。メイン通り沿いに井戸があると邪魔だろうからメインの大通り沿いに建物を建てるとしてその裏にあたる位置に井戸を並べよう。
上水と同時に下水も通しておく。先に計画的に下水処理を考えておけば後々の環境問題を軽減出来るだろう。下水も同じように貯水部分を作って嵩上げすることで深く掘らずとも遠くまで流せる仕組みを作る。それから下水にはもう一つ重要なことがある。
ただ水を貯めて嵩上げして流すだけじゃなくてそこを浄化槽のようにして汚泥などを沈殿させて汲み取ることで下水の詰まりを防いだり流す排水を少しでも綺麗にする取り組みだ。
だから貯水というよりはそのまま浄化槽と考えた方が良いだろう。そこは汲み取り出来るように地上から掃除に入れる仕組みを作っておかなければならない。
ヴィクトーリアや各種職人の棟梁達を交えて連日それらの計画について話し合った。最初は意味を理解してもらえないことも多々あったけど俺の言っていることが理解出来ると賛成してくれる者も増えて開拓は順調に進み出したのだった。
=======
今日はとうとうアレクサンドラが遊びにやってくる日だ。今はイザベラが森の外、農場の方まで出迎えに出ている。俺はドキドキしながらアレクサンドラの到着を待っていた。
「失礼いたします。アレクサンドラ様がお着きになりました」
外からイザベラがノックして声をかけてきた。俺がヘルムートに頷くとヘルムートが扉を開けて迎え入れた。
「ようこそおいでくださいました、アレクサンドラ様」
「私の方こそお招きありがとうございますフロト様」
う~ん……、硬い。とても友達が遊びに来たという雰囲気じゃない。心なしかアレクサンドラの表情も引き攣っているように見える。やっぱり貴族のご令嬢を森の中に誘ったのはまずかったかな……。
俺は世襲権のない騎士爵、対してアレクサンドラは陪臣とはいえリンガーブルク伯爵家のご令嬢。アレクサンドラが成人していたり結婚していれば向こうの方が身分は上になるけど今は叙爵されている俺とただの貴族の娘でしかないアレクサンドラでは俺の方が上ということになる。
ただここで現時点で自分が上だからと偉そうにすれば将来相手が大人になった時に色々困ったことになるだろう。だから身分の低い者は例え現時点で未成年や未叙爵の者が相手でも偉そうには出来ない。そうなると身分制度上は本来身分が保証されている者も下手に出て、結果相手を余計に付け上がらせるということになる。
そうは言っても将来は確実に相手の方が上になるのがわかっていて必要以上に偉そうにして恨みを買えばどんな仕返しをされるかわからないから自然とそうなるのもわからなくはない。この辺りは難しい問題だろう。
それはともかく俺は今はアレクサンドラとは友達として接したいと思っている。どちらが身分が上だとかそんなことを気にせず気の置けない友達になりたいと思っているのは俺だけだろうか?そんなことを言えばアレクサンドラは怒るだろうか?
「アレクサンドラ様、私はアレクサンドラ様と友人になりたいと思っております」
「わっ、私もそう思っています!」
俺の言葉にアレクサンドラはすぐに反応した。どうやら向こうもそう思ってはくれているようだ。まぁそう思ってもいない相手の家にわざわざ遊びに来るようなことはしないだろう。
この時期は普通皆忙しいはずだ。社交界デビューを果たした子供達は今の時期あちこちの家をお互いに訪ねている。もちろん表向きは社交場で知り合った同世代達と親しくなるための交流としてだ。
だけど実態としてはそれだけじゃない。そういう理由や相手もいるだろうけど裏の目的として相手の家を調べたり情報収集というわけだ。その相手の家はどのような家か。家人達のレベルは?持て成しは?出される物は?
相手は金があるか?物を持っているか?権力があるか?この先その相手と付き合って大丈夫か?
そういうことをお互いに探り合う時期というわけだ。
社交場で連絡先を交換し相手を訪ねて相手の人となりを調べ今後の付き合いを考える。中には身分差に関わらず心からの友になる場合も絶対にないとは言い切れない。だけど大半は今後の付き合いと立ち回りを考えるためにそうして相手を調べるために訪れるのだ。
アレクサンドラはどうだろうか?少なくともわざわざ俺を調べるためにやってきたとは思えない。陪臣の伯爵家から見ればいかに直臣であろうとも世襲権もない騎士爵家などわざわざ調べるまでもない相手だ。ならばアレクサンドラの目的は本当に俺と友達になろうと思ってきてくれたんじゃないだろうか?
「それでは私のことはフロトとお呼びください。さっ、立ち話も何です。こちらにおかけください」
「わっ、わかったわ!それならフロト!フロトもそのような話し方はやめて!私のこともアレクサンドラと呼んでちょうだい」
俺がアレクサンドラを先導して席を勧めようとすると真っ赤な顔をしてそんなことを言い出した。何だか可愛い。やっぱりアレクサンドラは見た目はこんないかにも傲慢ご令嬢という感じだけど心は優しいに違いない。
「ええ、わかったわアレクサンドラ。それでは座ってお話しましょう?」
俺がそう言って手を差し出すと赤い顔で俯いたままアレクサンドラは俺の手を取ってくれたのだった。
=======
どうしてこう楽しい時間はすぐに過ぎてしまうのだろうか。もう陽が落ちようとしている。まだ日没までは時間があるけどこんな森の中で日没を過ぎると危険が増す。それに伯爵家のご令嬢をいつまでも家に留めておくわけにもいかない。きっとあまり遅いとご両親も心配されるだろう。
アレクサンドラとの会話は楽しいものだった。見た目で誤解されやすいであろうアレクサンドラだけど話してみるととても良い娘だということはよくわかった。やっぱり見た目で判断せずにこうしてきちんと話し合うべきだな。
「アレクサンドラ、陽が落ちるとこの辺りは危険になるわ。外まで送るわね」
「フロト……、とても楽しい時間だったわ。今日はどうもありがとう。どうしてこう楽しい時間はすぐに過ぎてしまうのかしら……。」
アレクサンドラとはかなり打ち解けたけどやっぱり貴族のご令嬢だから日本の時の友達のようにはいかない。まぁまだ私的に話すようになって一日というのもある。これからもっとアレクサンドラと親しくなれたら良いな。
「それでは御機嫌ようアレクサンドラ」
「ええ、御機嫌ようフロト」
森の外まで見送った俺が挨拶するとアレクサンドラもご令嬢らしい優雅な姿で礼を返してくれた。そこで待っていた馬車に乗って帰っていくのを見えなくなるまで見送った。
ただ少し気になったことがある。俺達が別れの挨拶をしていた時、アレクサンドラの御者が物凄い形相で俺を睨んでいた気がする。多分気のせいじゃないだろう。
騎士爵ごときが伯爵家のご令嬢と敬称もつけず親しく話すなということだろうか。それともやっぱり森の中にアレクサンドラを入れさせたことで身の危険があったかもしれないと思われたのだろうか。
最近は森の中に作業員達が出入りしているからモンスターも獣もほとんど出ない。また俺を含めてカーザース家も危険なモンスターや獣の狩りをしているから今俺の掘っ立て小屋が建っている場所にはまず滅多に獣ですら来ないだろう。
だけどそれは俺の言い分であってアレクサンドラの身の回りを任されている者達からすれば自分の仕える主がこんな森の中に入っていくと聞かされたら普通は反対するものだろう。
……あれ?でも俺って別に森に入るって言っても誰も、それこそ父ですら反対はしなかったな?護衛にエーリヒとドミニクがいるとは言ってもヘルムートを加えても四人しかいない状態で森に入ったわけだし……。
う~ん……。まぁいいか。俺のことはおいておこう。それよりもアレクサンドラだ。アレクサンドラとはまた会う約束を交わした。だけどあの御者の雰囲気からすると両親に今日のことが報告されるだろう。もちろん御者は掘っ立て小屋での俺達の会話までは聞いてないけど今の感じからすると今後俺との付き合いを考え直すように両親にも言われそうな気はする。
俺もここ以外にどこか家を用意した方が良いだろうか……。今は俺の所に訪ねてくるのなんてアレクサンドラくらいだけど今後もっと増える可能性はある。この辺りの社交界では俺に声をかけてくる者ももう早々いないだろうけど今後色々と関わりを持つ人は増える可能性が高い。
これもまたクルーク商会頼みかな……。何か俺はカーザース家の力を頼るなと言われてからヴィクトーリアばかり頼っている気がする。あまり良くないな……。ヴィクトーリアは優しく俺の相談に何でも乗ってくれるけどあまり甘えてばかりは良くない。
家だけじゃなくて今後のことも色々考えなければ……。
折角アレクサンドラが遊びに来てくれて楽しい時間を過ごせたはずなのに余計なことを考えてまた悩んでしまっている。今日は、今日くらいはアレクサンドラと遊んだことを素直に喜ぼう。ウジウジ考えるのはまた明日からだ。




