第四百十四話「工業化!」
母との話し合いが終わって戻ってみれば、父とエミッヒもそれなりに実りのある話し合いが行なえたようだった。詳しい内容は後で聞くとして、二人の雰囲気からしてうまくいったようだということはわかる。
屋敷でエミッヒとクリスタを持て成し、翌日俺はすぐに移動を開始した。残りの滞在期間中のエミッヒの相手はクリスタや父に任せている。母は妊娠しているからあまり顔を合わせない方が良い。万が一にも体調が万全ではないことを悟られて、まぁ何かされるとは思わないけど、何かあったらいけないからな。
別にエミッヒが母に危害を加えようとするとかそんなことは心配していないけど、あまり人前に出てどうこうする状態でもないだろう。まったく顔を合わせないのも不自然だけど、妊婦さんがずっと客人の相手をするというのもおかしな話だ。
エミッヒはまだあちこち視察したいそうで、今日はカーザーンの視察を申し出ていた。カーザース領の視察については俺がとやかく言うことじゃないので父に任せている。それが終わったらカーンブルクの視察もしたいという申し込みもあった。本当にあちこち全部見て回りたいようだ。
俺の今日の予定はキーンへ向かってアインスの研究所へ行くことになっている。他の研究所とか、栽培の実験や検証を行なっている場所にも視察に行きたいけど残念ながら今回は時間がない。元々二ヶ月の長期休暇中しか時間がないのに、王都やこちらでもあれこれ用事があって日を食ってしまった。残り日数が厳しい。
明日にはブリッシュ・エール王国に行って一ヶ月滞在する予定だ。その後に再びこちらに戻ってきて、一週間か二週間近く滞在したらまた王都に戻らなければならない。予定をぎちぎちに詰めていないからまだ後の方の予定は流動的だけど、ブリッシュ・エールから戻ってから長くとも二週間ほどしかいられないだろう。
そんなわけで明日からブリッシュ・エール王国へ行けるように今日中にアインスの研究所には行っておかなければならない。今回はアレが出来ているらしいから楽しみだ。思ったよりも早く出来たけど元々短くするだけだからそんなに難しくもなかったんだろう。
馬車に揺られてキーンから離れた、隠れた場所にある秘密の研究所に到着した。本当にここは何だか悪の秘密結社の研究所のようで格好良い。こういうのに憧れてたから俺も大満足だ。
「フローラ、何をニヤニヤしているの?」
「うっ……、べっ、別にニヤニヤなどしておりませんが?」
ルイーザの突っ込みにすまし顔で誤魔化してみる。でもお嫁さん達はジットリと俺の方を見ているだけだった。お嫁さん達相手に誤魔化しは利かないらしい。
「え~……、ともかく皆さんはいつもの待機場所で待っていてください」
「ちぇっ……」
「仕方ないね」
本当に残念そうな顔をしているミコトにクラウディアがポンポンと肩を叩いた。何でそんなに残念そうなのか意味がわからない。
とりあえずいつも通り到着した研究所でお嫁さん達には待合室で待機してもらって、俺だけアインスの研究室に向かった。色々と出来ているという報告は受けている。今日はそれを確認しに来た。とても楽しみだ。
「アインス、報告を……」
「はい。あ~ん」
「あ~……、あっ……」
俺が扉を開けると、若くて綺麗なお姉さんがアインスにあーんをしていた。俺が扉を開けたことに気づいたアインスがこちらを見ていた。俺は黙って扉を閉じる。
「…………すー、はー」
少しだけ深呼吸をする。俺は何も見ていない。何もなかった。いいね?まさか俺が人にちゃんとノックしろと言っておきながら、自分がノックもせず扉を開けるなんて無作法をするはずがないじゃないか。
というわけで、今度は落ち着いて扉をノックする。
「どうぞぉ」
ノックの音に反応して若い女性の声が返ってきた。開けて良いと許可を貰ったので扉を開ける。
「はい。あ~ん」
「あ~ん」
おかしい。目の錯覚か?何故か今俺の目の前でアインスがアンネリーゼにあーんしてもらっている幻が見える。俺はちゃんと扉をノックした。そして中から開けて良いという返事があった。だから俺は扉を開けた。それなのに何故まだ俺の目の前でこんな光景が繰り広げられているのか?
「ごめんなさいねぇフローラ様。まだお食事中なのよぉ。このまま失礼しますねぇ」
「あ~ん」
…………何でこんな時間に飯を食ってるんだよ?何飯だ?別に何時に何を食っても自由かもしれないけど、今日俺が来ることをわかっていながら何故俺が来るタイミングでそんなことをしている?わざと見せ付けているのか?何のために?俺は別にアインスなんて狙ってないぞ?
「……はぁ。それではそのままでも良いので報告を聞きましょうか」
この夫婦に付き合っていたらこちらが疲れるだけだ。ムキになっても仕方がないのでもう受け流して聞きたいことだけ聞いていく。
「まず……、もぐもぐ、こちらが……、むぐむぐ、注文の……、んぐっ!ぷはぁ……。馬上短銃、カービンです」
「そのままでいいとは言いましたが口の中に食べ物を入れたまましゃべろうとするのはやめなさい……」
ジジイが口の中に物を入れてモゴモゴしながらしゃべっているのを見るのはさすがに辛い。前世が庶民育ちだから他人のマナーについて厳しいことを言うつもりはないけど、それでもさすがに限度というものがあるだろう。まるで嫌がらせのようだ。
「これが……」
とりあえずアインスが出してきた銃を受け取る。短銃と言っているけど本当の短銃ほど小さくはない。拳銃などと呼ばれる短銃と違って、今アインスが渡してきたのは馬上銃、カービンだ。それを名目上馬上短銃と呼んでいるにすぎない。
構造に関しては現在量産を進めているドライゼ銃が流用されている。極端に言えばドライゼ銃の銃身を詰めて短くしただけ、と言えなくもない。ただ当然ながら銃身をぶった切っただけでカービンは出来ない。ただ銃身を切っただけでは威力が下がったり、集弾率が悪くなって使い物にならなくなる可能性もある。
戦場で使う以上は相手の鎧を貫いて本体にダメージを与えられる程度の威力は必要だし、揺れる馬上で狙ってもきちんとある程度命中精度が出るものでなければならない。単純に銃身をカットするだけではそのどちらも悪くなる。どうにかそれを補う方法が必要というわけだ。
「命中精度に関してはもとの銃とほとんど変わりありません。さすがに威力や射程は下がっておりますが、それも戦場で人間を相手にする限りでは十分な殺傷能力は確保しております」
「なるほど……」
アインスの説明を聞きながら構えてみる。紙製薬莢の後装式だから前装式のように火薬を詰めて、弾を詰めて、棒で突くという手順が必要ない。馬上でそんなことをしていたら火薬や弾や棒や銃を落としてしまうだろう。それに比べてボルトアクション式のこの銃なら馬上でも弾込めが出来る。
「あとは紐をつけてどのように落下防止するのが良いかですね」
他の銃も紐で肩からかけられるようになっているけど、馬上で使うカービンはただ持ち歩き用に肩にかけられたら良いというわけにはいかない。馬上で運用している時に誤って落とさないように落下防止の紐が必要だ。それをどこにどういう風にかけるのが良いか。それも考える必要がある。
「銃剣はどうでしょうか?」
「馬上で取り回す際に先に刃物がついていては馬や騎手自身を傷つけかねません。どうしても取り付けられると言われるのでしたら長さや付け方、刃物の形に注意が必要かと存じます」
う~ん……。アインスは銃剣否定派か。俺は銃身の先にナイフのような物を着脱可能な銃剣を想像しているけど、その効果についてはまだ未知数だ。
別に銃剣突撃しろとは言わないけど、接近された際に自衛手段として銃剣は重要だと思う。ただこちらの銃では銃剣で戦ったら銃身が曲がったり、最悪折れる可能性もあるかもしれない。基礎工業力が不十分なこの世界では銃剣で戦うのは本当に最後の最後の手段という所だろうか。
それにカービンだと馬上で使うわけで、長いライフルに銃剣を付けて槍の代わりにするのならともかく、短いカービンに短いナイフを付けても使いにくいかもしれない。そういう機構があって、取り付けられるナイフを支給しておくのは良いけど、下手に銃剣突撃とかされるくらいなら最初からない方が良いかもしれない。
「それほど複雑でなく、強度が十分確保出来るのであれば着脱式の銃剣機構を検討しましょう」
現代の軍隊でも銃剣は未だに装備している。どうせナイフを持っているのなら取りつけ可能な機構があって、何かと便利の良いように使えるようにしておくのは悪くないはずだ。問題は強度や取りつけ機構の構造だろう。それがクリア出来なければ暫くはお預けだな。
「出来ているのはカービンだけではないですよね?」
「はい。こちらです」
研究室の隅の方に布を被せて置かれていたものがその姿を現す。前の試作品から少しだけ形が変わっているけど……。
「ライットシステムを採用した施条砲ですね」
これはすでに完成品であり量産も開始されている。後装式はまだ構造や強度的に実現出来ない。今のうちの限界はここまでだろう。
「あとは蒸気機関も完成していると……」
「はい。どうぞ表へ」
アインスに言われて表に出る。そこにあったのはまさに昔の大掛かりな蒸気機関だった。正転、逆転も切り替えられる本格的なものだ。
「現在はこれで動力を取り出すためにはこの蒸気機関を設置する専用の建物が一つ必要になりますな」
「それは止むを得ませんね」
大きな建物一つを使ってようやくまともに使える蒸気機関が置けるという所だ。それでも格段の進歩だろう。これがあれば色々と機械化、自動化出来る。
「現在フローラ様がおっしゃられた通り、これを船に積み込むことを念頭に小型化を進めております」
「ええ。早く出来るのが楽しみですね」
そう!蒸気機関といえば蒸気船!蒸気機関車!と言いたい所だけど流石にまだ蒸気機関車は気が早い。そこまで小型化、大出力化は出来ていない。多分今の工業力で重い蒸気機関車を走らせようとしたら圧力で爆発してしまうだろう。それか重すぎてパワーが足りずに動かないかだ。
それに比べたら船はまだ大型でも積載量に余裕がある。あまりにでかすぎる機関を搭載したら他の物が積めなくなってしまうけど、蒸気機関車よりは実現可能な時期は早いだろう。
「この蒸気機関の工業への利用。そして船に乗せて走らせる。さらには陸の上まで走らせようなどと……、やはりフローラ様は神であらせられる!」
「いや……、違いますけど……」
またアインスの病気が始まったから適当にスルーしておく。それよりも色々と考えなければならない。
「銃と大砲の量産……、製鉄も金属加工ももっと盛んにしなければ……。金属薬莢はまだ実現の目処は立ちませんか?」
「はい……。申し訳ありません。工業的に難題が多く……、理論上は可能ですが数が揃えられません」
「それはまぁ……、止むを得ませんね……」
兵器というのは必要な時に必要なだけ確保出来なければ意味がない。職人技で少数生産出来ても戦争では使い物にならない。多少品質が劣ろうが、性能が劣ろうが、常に数を確保出来る物こそが兵器足り得るものだ。一つ一つ職人が手作りして、月産百発しかないんじゃ金属薬莢を作っても使い物にならない。
「やはり……、そろそろ他の地域でも工場を……、工業化を進めなければなりませんね……」
技術の独占と秘匿は絶対だ。でもそれを気にしすぎていては工業力が育たない。カーン騎士爵領だけで全てを賄うには工場が少なすぎる。カーン騎士団国、いや、カーン侯国とブリッシュ・エール王国にも工場を建てなければならない。
あとは……、造船所も必要だろう。農場も拓いて、工場も建て、殖産興業、富国強兵に励む必要がある。
もうすでに工場や造船所の段取りは進めている。まだ肝心の中身は取りかかっていないけど用地確保や建物のガワは作り始めている。後は俺が踏ん切りをつけて号令を発しさえすれば各地に工場や造船所が作られることになる。
「そろそろ……、次の段階へ進める時なのかもしれませんね」
もちろん労働者達は信頼出来る者しか入れられない。まずはカーン騎士爵領で働いてくれていた者達の一部を分ける形になるだろう。熟練工も必要だろうし、何より今までの信頼と実績があるからな。
他の地域は俺が征服する前から住んでいた者達の国だ。カーン騎士爵領のように入植時から俺が面接して篩いにかけ、その中でもさらに信用出来る者だけを雇ったこちらとは条件が違う。徐々に現地の信用出来る者を雇っていき、仕事を学ばせて育てなければならない。でも最初から全て任せるのは無理だ。
「所領各地で……、工業化を進めましょう」
「はっ!」
覚悟を決めた俺は歴史の大転換点になるであろう命令を下すことにしたのだった。




