第四百十三話「実家に帰る!」
「そうですか。うまくいきましたか……」
「はっ」
カーンブルクにある本邸の執務室でヘルムートからの報告を受ける。うまくいけばこうなることは話し合っていたから驚きも不満もない。ただ……、無邪気にそのまま信じるほど甘くもない。
「これからの方が肝心です。これからの監視と観察は任せましたよ」
「はい。お任せください。それでは失礼いたします」
報告を終えたヘルムートは執務室を出て行った。クリスタの兄、エミッヒが仲間になりそうなら本当のことを話すというのは予定通りだ。
将来的にはロッペ侯爵家にもヴァルテック侯爵家にも話すことになるだろう。でもあの両家にはまだ本当のことは話していない。もし話すとしたら一度我が領に招待して、ここを見てもらってからになる。でなければ安易に余計なことは話せない。
エミッヒは実際にうちの領地を見たし、ヘルムートとクリスタの結婚を認めるというのならば裏切る可能性も低いだろう。だからこそ色々とうちの秘密についても、ヘルムートとクリスタが話しても大丈夫だと判断したら話して良いと言っておいた。二人が大丈夫だと思ったのなら俺にも文句はない。
たださっきも言った通り、だからって全て無条件に信じるほど俺も甘くなくなった。今までも散々甘い対応をして痛い目を見たこともあるし、迂闊にこちらの手の内を流出させるわけにもいかない。
まぁ軍事機密とか、色々と知られたら困ることは教えていないから、エミッヒに教えた程度の情報なんて流出してもどうということはないけど……。
町の視察ならバイエン派閥の者だって来ようと思えば来れるし何も隠していない。エミッヒに漏らした秘密といえば、俺がフロト・フォン・カーンであることと、ロッペ・ヴァルテック両家がカーン派閥を形成しようとしているということくらいだ。そこへラインゲン家も入れと言ってるんだからその程度は教えないわけにはいかない。
あと気になるのはラインゲン家の領地だな。エミッヒが気にしていた通り、ラインゲン家の領地はバイエン派閥の勢力圏の中に完全に入り込んでいる。そもそもバイエン領と隣接してるしな……。
もしラインゲン家がバイエン派閥を抜けてカーン派閥に鞍替えしたならば……、バイエン派閥から相当な嫌がらせを受けるだろう。重い関税をかけられたり、周囲を封鎖されたり……。そしてもしバイエン派閥と実際に武力衝突になればいの一番に攻撃を受けることになる。エミッヒの懸念もわからないでもない。
開戦する前から先に援軍を送っておく……、というのは簡単だけど、例え援軍を送っておいても包囲されてしまえば孤立してしまう。いくら援軍を送っても遠方で孤立無援で包囲されてはどうしようもない。ラインゲン家を盾にして見捨てようとは思わないけど、実際に良い対処法もないのが現実だ。
「まぁ……、それはまだ後ですね……」
ラインゲン家を味方に引き入れることは前から考えていた。それでもこの配置はどうしようかと思っていたけど解決策は未だにない。それが今考えて急に出てくるはずもないだろう。これについてはすぐにどうにか出来る問題じゃない。
とりあえずの対処法としては、ラインゲン家はまだ暫くは表向きバイエン派閥のフリをしておいてもらうしかないだろう。スパイをしてこいとは言わないけど、何も馬鹿正直に『今日からバイエン派閥を抜けてカーン派閥に入りますんで』なんて宣言することはない。
いつか状況的にそれを明らかにしなければならない時が来るだろうけど、わざわざ今から乗り換えますんで、なんて言う必要はないだろう。それで暫く時間を稼いでいる間に何とか解決方法を考えるしかない。
エミッヒの方はクリスタとヘルムートに任せるとして、俺はようやく領地に戻ってきたんだからしなければならないことが色々とある。カーンブルクに戻って来てまだ間もないけど、とりあえず明日は一度カーザーンへ行こう。
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客人であるエミッヒのことはクリスタとヘルムートに任せて放っておこうかと思ったけど、俺がカーザーンへ向かうと聞いたのかエミッヒも同行したいと言い出した。どうせもうある程度は話しているから隠すこともない。カーザーンの方も行きたいというのなら良いだろう。
ただ俺はいつまでもエミッヒに構っている暇はない。あちこち移動だらけになるし、そもそも国からも出ることになる。それについてはエミッヒに、いや、クリスタにですら秘密にしているんだから知られるわけにはいかない。
とりあえずカーザーンへ行きたいというので同行することにして向かった。カーンブルクからならすぐそこだから到着はあっという間だ。
「ここがカーザーン……。規模も申し分ないが清潔で貧民街がないな」
エミッヒがポツリと漏らした。思ったことが口に出やすい性格なのだろう。俺が同じ馬車に乗っているというのに町を眺めながらブツブツと言う癖は直した方が良いと思う。相手を不愉快にしかねないとかそんなことよりも、つい無意識に致命的な秘密をうっかり漏らしてしまうなんてことになりかねない。こういう所がある者は要注意だ。
「こちらがカーザース家の屋敷です」
「なるほど……。普通の辺境伯の屋敷という感じだな……」
「お兄様!そうやってつい口に出してしまう癖は直された方がよろしいですよ!」
とうとうクリスタが怒り出した。それは当然だ。別にうちのことについてとやかく言われるのはどうでもいいけど、こうやって考え事に没頭している間に、バイエン派閥でうちの秘密についてうっかりしゃべってしまいました、なんてことになったら本当に笑えない。
エミッヒも来ることになったから先触れは出してあった。カーザース邸前では俺達を待っている者が見える。
「おかえりなさいませフローラ様。ようこそおいでくださいましたエミッヒ・フォン・ラインゲン様」
俺達が馬車を降りると出迎えを受ける。父と母もエミッヒを迎えたけど特に変わった様子はなかった。母のお腹もまだ気にしなければわからないレベルだ。
確か……、妊娠しても四、五ヶ月くらいまではまだそんなにわからない感じなんだっけ?五ヶ月くらいになってくればちょっとぽっこりしてるくらいになるらしいけど、それだって妊娠していると知らなければちょっと太ってるのかな、くらいで済みそうだもんな。
完全に妊婦だとわかるくらいお腹が膨らんでくるのはもっと先、六ヶ月、七ヶ月をすぎてからだろう。いや、詳しくは知らないけどね?何かそんな感じだった気がする。
「それではエミッヒ様は……」
「私がお相手をしよう」
父がエミッヒを連れて行った。ロッペ家やヴァルテック家、ラインゲン家と結んで派閥を作ることについては父にも話している。それに今の状況もある程度は話していると父にも教えている。恐らく父は父なりにうまくエミッヒと話してくれるだろう。カーザース家は派閥を持たなかったけど、父が貴族の付き合いや話し合いが出来ないということではない。
「それではお母様、少しお話いたしましょう」
「ええ、そうね。行きましょう」
俺は母と二人っきりで話をしようと場所を変えた。クリスタはもちろん、お嫁さん達にも遠慮してもらう。母が妊娠していることはあまりあちこちに言いふらすべきじゃない。もしフラシア王国がそれを知って、母が万全でない今がチャンスだ!なんて行動してきたら面倒臭い。
母と二人で母の部屋に入る。ここに来るのは随分久しぶりのような気がする。子供の時以来だろうか。子供の時も母は不在の時が多かったし、たまに帰って来た時にここで一緒に居たことがあるくらいだ。
「お母様、最近のお体のお加減はいかがですか?」
「そうねぇ……。訓練が出来なくて運動不足かしら?」
そんなことを聞いてるわけじゃないんだが……。まぁそれだけ元気で順調ということだろう。さっきも言った通りまだ見た目ではっきりお腹が出ていて妊婦だとわかるというほどではない。まだ妊娠、二~三ヶ月というところなんだろう。
「あまり無茶はしないでください」
「もう!フローラちゃんまでそんなことを言うのね!皆心配しすぎよぉ。ちょっとくらい運動した方が良いのよ?」
母のちょっとは洒落にならない。母にとっては大した事がないと思っていても、見ている周囲がそれを止めるのは当然だろう。実際に大丈夫なのかどうかは俺には判断出来ないけど、母が無茶をしているように見えて周囲が止めるという場面は容易に想像出来る。
「確かに多少の運動はした方が良いのかもしれませんが、お母様はお歳もお歳ですので、前までの妊娠、出産と同じとは考えずに慎重に行動してください」
「まぁ!お母様をお婆ちゃん扱いするのね……」
実際孫がいてもおかしくない年齢だ。地球でも高齢出産の年齢なのに、医療の発達していないこちらで果たして本当に大丈夫なのかと心配にならないわけがない。どれほど気をつけても気をつけすぎるということはない。
「今はもうお母様はお母様お一人の体ではないのです。お腹にいる子のためにも大人しくしておいてください。それともお母様はお腹の子を不幸にしたいのですか?」
「そんなわけないでしょう!そう言われると何も言えないわね……」
しょぼんとした母が諦めたらしい。これまでも散々父や家人達が手を焼いたようだ。今日俺がカーザース邸にやってきたのは、そんな母をどうにかして欲しいという父からの手紙のためでもある。もちろん両親や、お腹の子に会いたいという気持ちもあったけどね。
色々と医療関係についても準備を進めているけど、地域によっては医療行為自体がまるで禁忌かのような扱いを受けている所すらある。民間療法や教会で悪魔祓いなんていうのが罷り通っている世界だ。どうにもこの世界の宗教団体は医療を認めず、病の治療は教会が行なっていたりする。
それでもちゃんとした治療がされているのなら良いけど、病気の原因は悪魔のせいだ、なんていって悪魔祓いと称して、病人から悪魔を追い出すためといいながら水の中に放り込んだり、体力が衰えているのに無茶をさせたりして大勢死なせているらしい。
医療に本格的にメスを入れようと思ったら……、確実に教会関係と衝突することになる。
うちの領内だけでも医療についてはどうにかしたいけど、それでもどこにでもチクリ屋はいるもので、あまり派手にやりすぎると恐らく俺は破門されるだろう。そもそも俺は別に教会に所属してないんだから破門もクソもないんだけど……、この世界では宗教団体の権威はかなり強い。
王侯貴族も教会から色々とお墨付きを貰うことで権威を保っているのであり、その教会から破門されるということは相当に厳しい立場に立たされることになる。俺はそんな宗教信じてないからシラネ、では済まない。
そのうち……、俺は教会と対立することになるだろうな……。別に俺が宗教を信じていないから、とか、排除してやろう!とか考えてるわけじゃない。こちらから何かしなくとも、俺がしようとしていることが教会の耳に入るだけで、向こうから勝手に俺に絡んでくるだろう。それくらいは簡単に読める。
「とにかくお母様はご自身のお体を大切にして、栄養のあるものを食べてゆっくりしてください」
「そんなことをしていたら太ってしまうわ……」
まぁ……、多少太るのは仕方がないと思って諦めてもらうしかない。昔と違って現代医学では妊娠したからといって太りすぎたり、出産の後も太ったりしない方が良いと言われている、らしい?あまり詳しくないけど……。どちらにしろやりすぎはよくないということだろう。
妊娠したからと食べ過ぎて太りすぎても良くないし、自分のスタイルだけ気にしすぎて無理に痩せようとしても良くない。人間何事もほどほどで気をつけるべきだろう。
「今、色々と医療についても準備や体制の確立を行なっておりますので、あまり妙な風習や言い伝えばかり信じたり、信用のならない治療や助言もあまり真に受けないでくださいね」
「大丈夫よ。これまでもう三人も育てているのよ?お母様だって初産じゃないんだから」
それはそうなんだけど……、この世界の医療があまりに発達していないから心配になる。それも若い頃ならともかく母のような高齢出産ならなおさらだ。
ただ俺に出来ることはなく……、こうして心配して口出しすることくらいしか出来ないのがもどかしい。こんなことならもっと医療についても調べておけばよかった。
怪我の治療を何とか回復魔法で!ということくらいしか考えてなかったからなぁ……。間に合わない可能性もあるけど、母が出産の時期になるまでに少しでも医療体制と回復魔法をどうにかしなければ……。




