第四百四話「客人!」
「フローラ殿にお客人です」
「え?」
執務室で書類仕事を片付けているとやってきたカンベエがそんなことを言った。俺に客?一体誰だ?王都の知り合い……?王族が来るのなら事前に連絡があるはずだし……。まぁ会えばわかるか。どうせ最近は色々な仕事を取り上げられてしまって時間に余裕がある。少しくらい手を止めてもどうということはない。
「応接室ですか?」
「いえ、カタリーナ殿がフローラ殿の私室へ案内しております」
私室?普通の客や商売関係、仕事関係の相手ならば俺の私室になど通すわけがない。私室といっても寝室じゃなくて、リビングとかそういう部屋だけど、そんな所に通すなんて最近はマルガレーテとエレオノーレくらいだった気がするけど……。あの二人だったら絶対事前に手紙が来るはずだしなぁ……。
考えていても埒が明かないのでとりあえず私室に向かう。私室に入ってみればそこには……。
「フローラ!お久しぶり!」
「クリスタ!」
部屋の中でカタリーナと話をしているクリスタの姿があった。そういえばクリスタに連絡するのをすっかり忘れていた。どうせ学園の試験の時に登校すれば会うと思っていたのもある。最初は笑顔で挨拶してくれたクリスタも、俺に近づいてきて頬を膨らませ始めた。
「もう!王都に戻っていたのならどうして連絡してくれなかったのかしら?」
「えっと……、ごめんなさい……」
さすがに正直に忘れていましたとは言えない。どうせ学園で会うんだからいいじゃん、なんて言おうものなら本気で怒らせてしまう。こういう時は謝って拝み倒すのが一番だ。
「フローラが忙しいのはわかっているわ……。でも少しくらい私にも心配させてちょうだい。だって、私達お友達でしょう?」
ぐっときてしまった。さすがクリスタ……。良い子すぎる。やっぱりヘルムートにクリスタはもったいないんじゃないだろうか?今からでも俺が掻っ攫ってしまおうかとすら思ってしまう。五人もお嫁さんがいる俺よりもクリスタ一人を愛してくれるヘルムートと結婚した方がクリスタにとっては幸せだろうけど……。
「ごめんなさいクリスタ」
「お茶を淹れましょう。お座りください」
カタリーナがそう言った。いつものメイドさんとしてはそんな物言いはしない。今はクリスタの義妹としてプライベートで接しているということだろう。カタリーナがうまく間を取り持ってくれたので俺とクリスタも席に着く。淹れてくれたお茶の香りを楽しんでから味を確かめる。
「やっぱりカタリーナが淹れてくれるお茶は最高ね」
「ありがとうございます、お義姉様」
「おっ、おねえさま……」
カタリーナの言葉に衝撃を受ける。いや、あってるよ?正しいよ?でも……、何というか凄いショックだ。カタリーナは俺のことをお姉様なんて呼んでくれない。それなのにクリスタがお義姉様だなんて……。
いや、さっきも言った通り正しいよ?実際兄の嫁なんだから義理の姉だ。まったくもって正しい。だけど何故か俺はそのことに凄いショックを受けている。クリスタに嫉妬してしまう。
「カっ、カタリーナ、少し試しに私のことも『お姉様』と呼んでみてもらえませんか?」
「え?はぁ?それは構いませんが……」
俺の変な注文にカタリーナが変な顔をしている。そりゃそうなるだろう。俺も自分で何を言っているのかわからない。でも、どうしてもカタリーナにそう呼んでもらいたい。
「フローラお姉様」
「はぅっ!」
ビクンと反応してしまった。体が硬直したように伸び上がってしまう。いい!凄くいい!何か知らないけどこう……、いや、やっぱりうまく説明出来ないけど、とにかく凄くいい!
「カタリーナ……、これから二人っきりの時はずっとそう呼ぶというのはどうでしょうか?」
「私としてはフローラ様とお呼びする方が好きなのですが……、フローラ様がそのようにおっしゃられるのならば否やはありません」
う~ん……。違うんだよなぁ……。そういうことじゃないんだよなぁ……。もっとこうさぁ……、自然とさぁ……。そう……、例えば俺がルイーザに向かって『ルイーザお姉様』とか、クラウディアに向かって『クラウディアお姉様』と言うような……、そういう自然な感じが良いんだよ。命令して言わせてるとかそういうのは何か違う。
「ふふっ!フローラの所はいつも仲が良さそうで羨ましいですね」
いやいや、クリスタの所ほどじゃありませんが?いつもヘルムートとイチャイチャ、イチャイチャ、仲が良いとかそんなレベルじゃないくらいお二人さんはイチャイチャしてますよね?
「クリスタとヘルムートには敵いませんよ」
「え~?そうかもしれませんが……、フローラの方も中々ですよ」
そこは否定しないのかよ!?クリスタとヘルムートの方がイチャイチャしてるだろと言ったら、顔を赤くしてクネクネしながら当たり前のように肯定しおったぞ!?別にいいけどさぁ……。
「それで……、今日はどうしたのですか?」
「あら?お友達を訪ねてくるのはいけないことでしたか?」
俺がクリスタに用件を尋ねると肩を竦めてそんなことを言った。今はおどけているけだけだけど、実際クリスタがアポもなくやってくるということは何かあると考える方が自然だ。
「王都に来ているからと約束も取り付けずに訪ねていくようなお友達の家に行くと言う方が都合が良いので……」
クリスタは急に真面目な表情になってそう言った。やっぱり何かあるということか。
それはそうだろうな。クリスタだって何の約束も連絡もなくいきなり訪ねてくるような者じゃない。普通に用があるのなら手紙を出してくるなり、使いの者を寄越すなり、最悪の場合はヘルムートを通じて俺に連絡してくればいい。何も言わずにいきなり来るというのはさすがにおかしなことだ。
「最近……、バイエン派閥がまた何かと動いているようなのです」
「あぁ……」
確かにその話は俺も聞いている。バイエン派閥だけじゃなくて、ナッサム・ジーゲン派閥も最近活発に何かしているらしいけど、うちの諜報部でもまだ正確なことは掴んでいない。
元々うちとは敵対的な相手だし、以前にも色々と問題があったから警戒はしているけど、仮にも相手は王国に認められた公爵家の派閥だ。何か怪しいからと強引な調査は出来ない。万が一こちらが不法行為を行なって調査しているとバレたらこちらが非難を受けて攻撃されてしまう。あくまでこちらに落ち度がない形で進める必要がある。
そうなると相手の屋敷に忍び込むとか、そういう強引な手段は取れないわけで、何か派閥の貴族達と頻繁に会合を行なっているということはわかっても、何を企んでいるかまでは中々掴めない。
実際派閥や友好的な貴族同士で会合やパーティーを開くことなんてザラにある話で、バイエンもナッサムも色々な失策もあったからそれを挽回するために、あちこちの貴族とお近づきになって立て直そうとしている最中だ、と言われれば納得するしかない。
何か違法なことをしようとしている決定的な証拠でも掴めれば良いけど、向こうだって馬鹿じゃないんだからそんな簡単に尻尾を出すはずもない。可能な限り調査と監視は行なっているけど、現時点ではうちから手出しをすることは不可能だ。
「そして身内の恥を晒すようで何なのですが……、兄はバイエン派閥に取り込まれてしまっています。父は私とヘルムート様の関係を頼ってカーザース家に援助と支援を頼むようにと説得しているのですが、兄は聞く耳を持たず……、最近では父と兄の仲は完全に冷え切ってしまっています」
「あ~……、それは何というか……」
クリスタの気持ちはよくわかる。うちにもフリードリヒとかいう頭の痛い兄がいたしな……。いや、まだ生きてると思うけどね?島流しだし生きてるとは思うけど詳しいことは知らない。もしかしたら島流しと言いながら裏でこっそり始末されている可能性もあるけど、それは俺には関係ないことだしな。
クリスタの両親、カールとマリアンネはもうバイエン派閥はコリゴリだろう。派閥に属していても下の方の扱いを受けて、汚いよごれ仕事ばかりさせられて、いざ事が露呈したら責任だけ押し付けられる。
どうも例の詐欺事件の調査結果を見ている限りでは、ラインゲン侯爵家にはあまりうま味はなかったようだ。ただ大変な仕事をさせられて、直接的な犯罪行為の責任は押し付けられて、上がりはほとんどバイエン公爵家に取り上げられる。これでは罪を着せられているだけでメリットはほとんどない。
バイエン公爵家はそれで事件が明るみに出たら、全ての責任をそういう実行犯の家に押し付けるつもりだったんだろう。自分の所は公爵家だからそう簡単には潰されないと考えていたはずだ。トカゲの尻尾切りで派閥の者を何人か切り捨てれば逃れられると思っていたらしい。
でも詐欺事件で王様は徹底的に調査のメスを入れて事件を解明してしまった。結果バイエン公爵家の甘い考えは打ち砕かれ、実行犯の家は罪に対して刑が軽くなり、逆に知らぬ存ぜぬで逃げ切れると思っていたバイエン公爵家の罪は一層重くなった。
ラインゲン侯爵家としては罪も軽くしてもらえたし、うま味もないのに犯罪行為だけさせられていたバイエン派閥から距離を置く良い機会でもあったはずだ。実際カールはそう考えて距離を置こうとしたに違いない。
そのためにうちを利用するというのなら利用してもらえばいい。うちだってバイエン派閥が弱ることや、自分に近い者達が派閥を作ってくれることは利益になる。カーン家、カーザース家を頼ってバイエン派閥と縁切りしたいというのなら、うちとしては援助や支援をすることは吝かではない。
でも……、馬鹿息子はそれがわからなかったんだろう。いや、クリスタの兄とは直接の面識はないんだけどね?ただその兄が考えていそうなことは手に取るようにわかる。
子供の頃から、いや、生まれた時から両親が所属していた派閥だ。生まれた時から接していれば自然とそれを受け入れ、そこに属しているのが当たり前になる。例えバイエン派閥が傾いていようとも、いや、傾いているからこそ自分が支えてどうにかしなければ!くらいに考えてしまうのが人というものだ。
バイエン公爵家に犯罪行為をするように強要され、罪を擦り付けられて利益はほとんど奪われていても、それでも主家に尽くそうとする。幼少の頃からずっとその派閥で育ち、回りも同じように育った者達ばかりで囲まれていれば、そういう風に育ってしまっても止むを得ない。
宗教でも、忠誠でも、何でもそうやって子供の時から当たり前に接していれば、そして周りがそういう者ばかりで囲まれていれば、本人もそうなってしまう。
利益だけ奪われ、罪を擦り付けられてもそれは主家のために忠誠を尽くすのは当たり前だと考える。
主家が傾いている今派閥を離れるなど恩知らずだ。主家が苦しい時こそ主家に尽くさなければならないと考える。
その兄だけが悪いわけではないんだろう。そういう風に育ててしまったカールとマリアンネにも問題がなかったとは言えない。そういう風に仕向ける周囲にも問題があるだろう。
ただ……、このままバイエン派閥に尽くしていってもラインゲン侯爵家に未来はない。それに何より恐らくカーン家と、俺と敵対関係になる可能性が高い。バイエン公爵家は俺に対して相当恨みがあるだろう。このまま黙って引き下がるとは思えない。
もしバイエン公爵家が俺に復讐しようとすれば、当然次は俺は容赦しない。前だって王様が止めなければバイエン公爵家を潰すところまでやってもよかったくらいだと思っている。公爵家や大派閥が潰れたら貴族間のパワーバランスが崩れて国内が不安定になるから、王様や宰相がそれを望まずダメージを与えるだけに留めた。
でも次にまた俺に何かしてくれば今度は容赦しない。王様が止めようとしても俺が潰す。その時にラインゲン侯爵家が向こうについても容赦するつもりはない。
「次は、容赦するつもりはありませんよ」
そういう気持ちを込めてクリスタを真っ直ぐ見詰める。別に睨み付けているわけじゃない。ただ例えヘルムートの嫁の実家であろうとも、二度も敵対するのなら許すことは出来ない。その意思だけははっきり示しておかないと、ヘルムートの伝手を頼って変な期待をされても困る。
「はい。それはわかっています。私や両親ではもう兄は止められないかもしれません。その時の覚悟は出来ています」
クリスタも真っ直ぐ俺を見詰め返してきた。その瞳に宿る意思を確認した。最悪の場合は兄が敵になっても、クリスタはヘルムートの妻としての責務を全うするという強い意思が宿っていた。
出来ればヘルムートとの縁を利用して、ラインゲン侯爵家にはバイエン派閥から離れてもらいたい。でも隠居させられたカールの代わりに当主になったその兄とやらが、どうしてもバイエン派閥に固執するのなら……、残念だけど相応に対処するしかないだろう。




