第四百三話「もうすぐ完成!」
短い船旅もあっという間に終わってステッティンに到着した。俺達はここで降りるけど両親と、カーザース家臣団の最後の一団はこのままこの船でキーンまで向かうことになる。
「お母様……、本当に大丈夫ですか?」
「だっ、大丈夫よぉ……」
まったく大丈夫そうに見えない。
今までの船旅で一度も船酔いしたことがない母が今回は随分船酔いが酷いらしい。もしかして船酔いじゃなくてつわりなんじゃないかという気もしないでもないけど、医者でも何でもない俺には詳しいことはわからない。
妊娠していることによる体調やホルモンバランスの変化で、今回たまたま船酔いしてしまったのかもしれないし、俺が思った通り船酔いではなくつわりなのかもしれない。あるいは妊娠による影響とつわりと両方が効いて今のようになっている可能性もある。
原因はわからないけど、今まで一緒に色々な所へ旅に出ていた母のこんな姿は初めて見た。本当は今までも船酔いとは言わないまでも、体調不良とか病気で苦しい時もあったんじゃないだろうか。俺はいつしか母を完全無敵の超人のように思っていたけど、母だって体調不良にも病気にもなる。それを改めて思い出した気がする。
「あとで別の船を用意しますのでステッティンで少し休まれた方が良いのでは?」
「どうだマリア?フローラはこう言っているが……」
「大丈夫よぉ……。このままキーンまで戻りましょう。でもキーンでは少し休ませてもらうかもしれないわ。家臣団は予定通り船で戻ってもらって、私だけキーンにあるフローラちゃんのお屋敷で休ませてもらいましょうか」
「わかりました。それではそのように伝えておきましょう。カーザーンへは陸路でゆっくりお戻りください」
引き上げるカーザース家臣団はそれなりの人数がいる。彼らを送り届けるのなら船による一括輸送の方が手間がない。陸路をカーザーンまで戻ってもらってもいいけど、全員分の乗り物は用意するのが手間だからな。
カーザース家臣団は予定通りキーンで船を乗り換えてカーザーンに戻ってもらうとして、母は本人が言うようにキーンの別邸で休んでもらおう。数人なら後で馬車で移動してもそれほど手間じゃない。
まぁ……、ディエルベ川を上る川船なら揺れもそんなにないだろうし、船酔いもそんなにしないとは思うけど……。母は妊婦さんだし体調を考慮して、緊急時もすぐに対応しやすい陸路の方が良いだろう。うちの馬車なら相当悪路をぶっ飛ばさない限りは揺れも酷くないはずだし。
「それでは父上、お母様、お気をつけて」
「フローラもしっかり励みなさい」
「はい」
父と母に見送られて港に降りる。船はこれからまだ積み下ろしとかもあるからすぐには出港しない。だけどずっとここで待っているのも時間の無駄なので、船が出る前に俺達はステッティンの町を出た。
カーザース家臣団と一緒だったら船でオデル川を上るはずだったけど、王都に向かうのが俺達だけになったから馬車でぶっ飛ばしていく。こういう俺達がよく使う街道も改修してしまいたい衝動に駆られる。
何で俺達が他人の領地の街道を資金と労力を使って直してやらなければならないのかと思うけど、今の領主達に任せていたらいつまで経ってもまともな道路にならない。こんな所に回す職人や技術者も、資金も、労働力も、いくらカーン家とはいえそこまで余裕はないんだけど……、やっぱり悪路が続くのは耐え難い。
王家との取引でうちの土木や建築技術を教えた職人達がいるはずなんだから、せめて王都へ向かう大動脈くらいはきちんと整備してもらいたい所だ。
うちの馬車ですらガタガタ揺れる街道を我慢して走っているとようやく王都が見えてきたのだった。
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王都に着いたのは良いけど今日はもう何もしている暇はない。カーザース邸で休みながらこれからのことを考える。と、その前にふと一つ気になることを思い出した。
俺っていつも王都にいる時はカーザース邸に滞在しているけど、それってカーン家の当主としてはおかしいよな。学園に通うフローラ・シャルロッテ・フォン・カーザースとしてはここから学園に通っても何も問題はない。だけどこちらに滞在している時に俺はフロト・フォン・カーンとして滞在していることもある。
別の独立した貴族家の当主が、王都に自らの邸宅も持たず、いくら実の両親の家とはいえ他の貴族の邸宅に間借りしている。これは少々問題があるんじゃないだろうか。
お互いに別の家として相手に秘密にしていることもあるだろう。いくら親子で協力関係にある隣同士の領主とはいえ、機密なり知られてはいけないことなり色々とあるはずだ。そういう問題が発生し得るのに、ずっとカーザース邸に間借りしているというのもどうかと思う。
それは別に両親を信用していないとか、両親が俺を信用していないという問題じゃない。独立した貴族家同士ならば当たり前のことが、今までなぁなぁで済まされていたということだ。
まぁ……、今更王都でカーン家の邸宅を建てようとか手に入れようというのはかなり面倒臭い。王都の貴族街はもう一杯で今更新しい空きなんて中々出ないだろうからな。かといって王城など王都の中心から遠い新興住宅地に家を持っても、不便な上に笑い者にされるだけだ。
貴族は貴族街に邸宅を持っていることがステータスであり、いくら郊外に広大で立派な屋敷を構えてもそれは嘲笑の的にしかならない。普通なら小さくともとにかく貴族街に何とかして家を持つのが通例だ。
カーン家は、いや、カーン男爵領は王都近郊に邸宅どころか町を建設している。王都や王城での用がある場合は不便になるけど、シャルロッテンブルクが完成したら拠点は向こうに移すべきだろう。
今回は余裕を持って王都に戻ってこれたから、まずは王都で色々と済ませて……、学園の期末試験を受けて……、シャルロッテンブルクの建設現場視察と……、王城への挨拶も必要か……。あとは……。
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…………ん?
「あれ?」
ここはどこだっけ……。しっくりくる机……、これは俺の執務机だな。ここは……、王都のカーザース邸にある俺の執務室か。そういえば昨晩は執務室で色々と考えているうちに……、途中から記憶がなくなっている。どうやらそのまま眠ってしまったらしい。
体を起こすとパサリとカーディガンが落ちた。どうやら俺の背中にかけてくれていたらしい。ソファの方を見たらカタリーナが転がっていた。俺がずっと執務室から出てこないから様子を見に来て、寝ていたからカーディガンをかけてくれたんだろう。そのまま本人もソファで待っているうちに眠ってしまったに違いない。
いつもの日課の時間を少し過ぎている。そんなに疲れているつもりはなかったけど思ったよりも疲れていたんだろうか。今日は絶対にこうしなければならない、という予定はない。学園の試験とかだったらこちらの都合で予定変更出来ないけど、シャルロッテンブルク建設の視察くらいなら別にこちらの都合でどうとでもなる。
とはいえ別に変更しなければならない理由もないわけで、朝の日課が少し遅れただけだ。起きて準備をするといつもの日課に向かった。カタリーナはソファで寝て疲れが取れていないだろうと思ってまだ寝かせておいてあげたのに、後で『どうして言ってくれなかったのか』と怒られてしまった。
朝食を済ませてからまた色々と考える。まず父も母もいないから朝の訓練が物足りない。ムサシやジャンジカ達も交えて相手をしてもらっているけど、ハンデをあげて数人がかりで相手をしてもらっても物足りない。
一人で工夫して訓練していてもあまり成長している感じがしないし……、もしかしてそろそろ才能の限界なのだろうか?今まで我武者羅に両親に言われるがままに鍛えてきたけど、ここが俺の限界なのか?
…………まぁ、これはまた別の時に考えよう。いくら考えても答えなんて出るはずもなく、ウジウジ悩むばかりで意味がない。父か母か、誰か相談出来る相手に聞くしかないだろう。
とりあえず今日の予定としてシャルロッテンブルクの建設現場視察に向かおう。学園の試験はまだ先だし、王城に行くにもまだ準備も出来てないし、登城の約束だけ取り付けておけばいいだろう。
色々と仕事を人に回してしまったら……、何か今度は急に暇になってしまったような錯覚に陥る。実際別に暇ではない。相変わらず書類仕事は毎日山積みだし、俺はその日のうちに終わらせているけど、他の者達は徐々に積み上がっていたりして、たまに処理を手伝ってあげたりしている。
だけどそうじゃなくて……、何というか……、今までのように、一分一秒も惜しくて、とにかく常に動き回って、仕事をして、何かを考え続けていたことに比べて、今はあまりに穏やかな時間が流れている。
今日はこの工区の工事を終わらせなくちゃ!今日はここの視察と、あそこの視察と、向こうの視察に行かなくちゃ!新しい建設計画を立案して計画を立ち上げなくちゃ!建物のデザインは!新しい技術開発は!魔法研究は!
今まで……、ずっとそんな生活だった。それが急にポッカリとなくなったような……。もちろん今でもしているんだけど、町の建設計画は他の者が立ち上げた計画を確認して承認するだけ。工事も職人達が行なう。視察も出向いた先をついでに見て回る程度。研究所などはこちらにはないから顔を出して意見を言うことも出来ない。
何というか……、仕事が一杯で大変だった時は手が回らないと思って嘆いていたのに……、仕事がなくなるとこう……、寂しいというか、暇を持て余すというか……。
一言で言うなら『仕事がしたい!』
でも俺が下手に他の者達の仕事に関わろうとしたらむしろ追い出されてしまうし……。自分達のことを信用していないのか!って言われてしまう。何より、そんなことは当主のする仕事ではありません、と言われるのが一番堪える……。
今までの俺は言わば現場監督レベルだったんだろう。労働者達と共に現場で働くし、その場で対応していかなければならない。そんな役だ。でも今はもっと上、現場所長とか、何なら地域の総括レベルかもしれない。
下の者が行っている仕事の報告を受けて、確認し、承認したり、手直しさせたりする。
俺の立場がそういうものだというのはわかっている。わかっているけど何というか……、今までの生活とのギャップがありすぎて馴染まないというか何というか……。
「まぁ……、言っていても始まりませんか……。シャルロッテンブルクの視察に向かいましょう」
「はい」
カタリーナを伴ってシャルロッテンブルクの視察に向かう。ミコトやアレクサンドラは試験対策の勉強中だ。クラウディアは久しぶりに王都に戻ってきたから近衛師団に顔を出している。ルイーザは実家と農場への顔出しだ。
到着したシャルロッテンブルクではいつも通りの姿を隠した格好で視察していく。あと数ヶ月で町開きだから皆最後の追い込みで大忙しだった。
シャルロッテンブルクは一応それらしく出来てきている。でも本当にあと数ヶ月で町開きが出来るのかと思うような感じだ。
まぁ……、カーンブルク、キーン、フローレンと町開きや村開きをしてきたけど、どこだって町開きをした時はまだまだ未完成だった。領主の屋敷やその近辺だけ一応形になりました、という程度のものだ。
シャルロッテンブルクも宮殿や砦の完成は間に合わせるそうだけど、実際に町の方が全て出来るかと言えば出来るわけがない。最初の、最低限の町が出来れば後は領民達が増えるのに従って徐々に出来ていくものだ。だから何もおかしくはないんだけど……。
「これは本当に間に合うのか?」
ブリッシュ島でも使った声を変える魔法で誤魔化しながら、現場監督達を連れて視察していく。だけどあちこちまだまだ工事中で本当に出来るのか心配になってくる。
「町開き時点で開かれる区画の工事は予定よりも早く進んでおります。現在行なわれているこの辺りの工事は町開き後に完成予定の、後から追加された区画ですので問題はありません」
「ふむ……」
確かに当初計画ではこんな所に建築予定はなかった。徐々に町が出来てきているのを見て、王都の商人達もこちらに店舗を構えたいという申請が増えてきていた。この辺りはそういう後から追加になった区画ということか。
町開きの時にまだあちこち工事中だと式典の邪魔になりそうな気はするけど、実際どこでも町開き時点で全て完了しているということはない。とりあえず町の中心となる宮殿とその周辺や官庁街、崖の上の砦がある程度完成していれば体裁は繕えるか……。
「町開きまであと数ヶ月、最後の追い込みになると思うが頑張ってくれ」
「はっ!必ずやご満足いただける仕上がりにしてご覧に入れます」
大仰な態度で頭を下げる監督達に頷き返して残りの視察も終えると、シャルロッテンブルク建設現場を後にしたのだった。




