第四話「習ってる魔法って何か変?」
遅くなりました!
クリストフが家庭教師になると決まってから三日が過ぎた。連絡では今日から家庭教師を始めることになっている。何でも教材や教育内容を整えるために時間がかかったそうで決して遊んでいたわけではないらしい。ともかくようやく魔法の勉強が出来るとあって俺の気合は十分だ。
「まずは魔力操作からだ。やってみろ」
「…………」
家に訪ねて来たクリストフの第一声を聞いて俺は固まる。……うん。ちょっと待ってほしい。俺はその魔力操作の仕方がわからないから勉強したかったはずだ。それなのに何の説明もなくいきなり魔力操作しろと言われても出来るはずがない。
「どうした?早くやれ」
「くりすとふせんせい……、そのまりょくそうしゃ……、そうさのしかたがわからないのでせんせいにならいたかったのですが?」
俺の言葉を聞いてクリストフは少し顎に手をやってから俺をじっと見ていた。その目はただ俺を見詰めているだけじゃなくて何か……、うまく言葉では言い表せないけど何かが普通と違う。言葉で言えばただ注意深くじっと見ているという言葉でしか表現出来ないけどそれだけじゃない何かがある。
……もしかしてあれは魔法か魔力を利用して俺の何かを見ているのか?
「わからなくとも良い。まずは思った通りにやってみろ」
「……はい」
そう言われたらやってみるしかない。書斎で読んだ魔法基礎に書いてあったことを実践しようとしてみる。それから気まぐれに今さっきクリストフが目に何か集中していたのを真似してイメージしてみる。魔法基礎を読んだだけでは出来なかったのだ。物は試しという言葉もある。
こう……、徐々に体の中にある血液のように循環している力が掌に集まってくるようなイメージで……、流れは淀まず留まらず流れ続けたまま右手の掌の上に集まるものだけが大きくなるように……。
「出来ているではないか」
「……え?」
俺が目を開けて集中を解いて掌を見てみると何やらモヤモヤしたものを感じた。別に視覚的に何かが見えるわけじゃない。ただ掌に柔らかくて温かい物が乗っているような感じがする。もちろんそれは希薄で手応えも重みも感じないけど確かにそこに何か異質な物があると思えるだけの存在感があった。
「何故出来ないなどと嘘を言った?」
いきなり嘘扱いか……。確かに出来ないと言ったのにすぐに出来ていればそう思われても仕方ないのかもしれない。
「うそではありません。ほんとうにさきほどまではできませんでした。さきほどのくりすとふせんせいのめになにかふしぎなちからのようなものがあつめられていたきがしたのでそれをまねしてみただけです」
「先ほど私が魔法を使ったことを見抜き、それを感じ取り、それを真似して、初めて成功させたというのだな?」
何かそんな言い方をされたら物凄く嘘っぽいな。でもその通りなんだから仕方がない。
「そうです」
「そうか。ならば次は……」
クリストフは特に気にした様子もなくそう流した。俺の言ったことを嘘と決め付けたのか、信じたのかさっぱりわからない。ただそのことをこれ以上とやかく言うつもりはないようで次々と課題を出されてやっていくことになった。
でもおかしいな……。確か俺は専門用語や魔法理論がわからないから教えてくれる家庭教師をつけてもらえることになったんじゃなかったのか?
それなのに今日クリストフが教えてくれたのは実際に魔力を操作して魔法を使おうとすることばかりだった。座学も理論も何も教えてくれていない。これじゃまるで体で覚えろと言われているようなものだ。
……もしかして前回の実力テストで俺の頭がそれほど良くないと判断されたのかもしれない。空白の無回答も結構あったし。うろ覚えで間違ってるだろうなと思う問題もあった。二枚目の問題用紙の実力テストの方はざっと自己採点で八十点そこそこ取れてたら良いほうだろう。
父が連れて来ただけあってクリストフはそこそこ高名な魔法使いらしい。俺は詳しくは知らないけどメイドや執事達の噂話や持て成す際の注意点などでそのような話が聞こえてきていた。
そのクリストフからすればたかが三歳児に家庭教師をするのも本当は嫌なのだろう。それが初日の発言だと思う。父に対しても俺が教えるに値しなければ家庭教師は引き受けないと公言していたようなので間違いない。
一応実力テストでそこそこの点数を取ったから家庭教師は引き受けてくれるつもりになったのかもしれないけど頭はそんなに良くないから体で覚えさせようと思った可能性が高い。
そう考えれば教材や教育内容で三日も準備がかかったというのも頷ける。元々家庭教師として教えるつもりだった内容や方法では俺が理解出来ないと思って急遽新しいものを用意したのだろう。
「それでは今日最後だ。私の真似をしてみろ。……火よ、その姿を現せ」
クリストフの指先に小さな灯火が灯った。ライターほどの小さな火だ。確か俺が調べた魔法の本に書いてあった詠唱はもっと長いものだった気がするけどクリストフはあれだけの詠唱で火を起こした。真似をしろと言われたらするしかない。
「ひよ……、あっ……」
俺が『火よ』の部分まで言った時点で指先に火が灯った。今日一日のトレーニングで魔力を必要な分だけ必要な場所に動かし集めるということには大体慣れたと思う。あとは火の魔法の魔法術式を思い浮かべて発動に必要な魔力を流し込むだけだ。だけど詠唱の途中で魔法術式が発動してしまったらしい。
ただし途中で発動した俺の火は吹けば消えそうな儚いものだ。今日一日散々魔力操作をしたせいか疲れもかなり溜まっている。この疲れは肉体的な疲労だけじゃなくて魔法を使ったことによる魔力枯渇状態だと思う。調べた限りでは今の俺の症状と良く似ていたはずだ。
「今日はこれまでだ。この本を貸しておく。明日までに予習しておけ」
「へ……?」
俺が立って魔法の灯火を灯しているとドンッ!と向こうの机に置かれたのは事典みたいに分厚い本だった。いやいや!これを明日までに?マジで?大学の時にレポートをギリギリでやろうとした時の資料の方がまだしも少なかったくらいだ。あの時でも数日で仕上げるのにギリギリだったのにこれを明日までに予習しろと?
俺があまりの分厚い本に呆然としている間にもクリストフは帰ろうとしていた。この人は本当に周囲などお構いなしに我が道を行く人だ。
「あっ……、ありがとうございました、くりすとふせんせい」
俺が慌てて挨拶をすると扉の前でチラリと少しだけ俺の方を振り向いたクリストフは言葉を返すこともなく出て行った。挨拶はきちんとしましょうと習わなかったのだろうか?
まぁそんなことを言っている場合じゃない。俺はこの事典のような分厚い本を今日中に読まなければならないという宿題を出されてしまった。他の全ての時間を惜しんででも全力で取り組んでみたけど結局半分ほど読んだか読まないかの頃には眠気が勝っていつの間にか眠っていたのだった。
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翌日もクリストフはやってくる。初日である昨日に来月まで予定を空けておけと言われたので恐らく少なくとも来月までは休み無しなのだろう。確かに魔法の勉強は俺が望んだことではあるけどあまりにハードすぎないだろうか?これでも俺は一応今生ではまだ三歳児でしかないはずなのだが……。
「予習はしてきたか?」
やっぱり来ました、その質問……。もちろん終わっていない。こんな量の本を一晩で全て読んで理解するなど俺の脳じゃ出来ない。正直に答えよう。
「その……、とちゅうまでしかできていません」
「どこまでやった?」
「ここです」
詳しく聞かれたので俺は本を広げて昨日読んでいた部分まで指し示した。ただ文字を読むだけならばもっと早く進んだだろう。だけど書いてある内容を理解して覚えようと思えばどうしても時間がかかってしまう。そもそもこの本に書かれていることは魔法基礎よりも難解だ。
魔法基礎ですら理解するのに苦労していたから家庭教師に習いたかったというのにそれよりもさらに難解な本を一人で読んで理解しろと言われても無理がある。
「そうか」
そう言って特に怒るでもなくクリストフは座って紙を取り出していた。俺も座ろうとしたら怒られた。
「お前は座る必要はない。昨日と同じ魔力操作の手順を繰り返しておけ」
「はい……」
怒られたかどうかいまいちわからない言い方だけど俺としては怒られたと思ったので素直に従っておく。昨日やった通り瞬時に魔力を集める。魔法術式を思い浮かべる。その術式に魔力を流す。何度も何度も魔力を操作したり魔法を使ったりしていると段々疲れてくる。魔力枯渇状態になると気を失うらしい。
魔力操作二日目でしかない俺はそこまでいったことはないけど今日は昨日よりスムーズに魔力操作も魔法発動も出来ている気がする。それに魔力が枯渇して気絶するという様子もない。昨日ならもうへとへとになっていたような気がするほど繰り返したのにまだ大丈夫だ。
「もう良い。次は席に着いてこの問題を解け」
紙に何かを書いていたクリストフは初日に俺を見ていたのと同じ魔力を集めた、あるいは何らかの魔法を使った目で俺を見ていたけど途中で俺を呼んで座らせた。そこには俺が魔力操作をしている間に作ったらしい問題用紙が用意されていた。内容は俺が昨日までに読んだ事典のような本の内容だ。
つまり俺の予習が本当にきちんとされているか、理解して覚えているか、確認のための小テストというところだろう。脳も若いからか昨日覚えたことはかなりきちんと覚えていた。これなら小テストはそこそこ良い点数が取れているはずだ。
小テストが終わると再び魔力操作をさせられる。その間にクリストフは俺の解答用紙を確認していた。答え合わせの間に魔力操作をさせて次の問題を作る。そして魔力が少なくなると休憩がてら小テストと間違えた問題の復習という流れのようだ。
こうして俺は日々魔力操作、魔法発動、本の予習復習、というクリストフ流の学習を受けた。
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家庭教師のクリストフに魔法を習うようになって半年が経った。どうやら母には俺が魔法を習っていることは伝えられていたようでそれならば他にも習わせるべきだと家庭教師の種類が増えた。
最初は一人の家庭教師が魔法以外の全般を教えてくれる予定だったけどその家庭教師は早々にやめた。理由は俺に教えることがないからだそうだ。
例えば小学生は一人の先生にほとんど全ての主要科目を習う。それは小学生が習う程度の勉強ならば一人の大人で教えられる程度だからだ。
中学高校と学年が進むにつれて内容も難しく専門的になるために一人の教師で全ての教科は受け持てないので教科ごとに専門の教師がいる。
俺の場合もこれで最初の家庭教師は子供に広く浅く教えるつもりでやってきたようだけど俺に対して教えられることがなかったために自ら仕事を辞めて出て行った。
その後俺についた家庭教師は魔法のクリストフに、国の歴史と内政のジークムント、軍略と兵法のレオン、礼儀作法・マナーのオリーヴィアの四人になっている。
他の三人もジークムントは老人。レオンもおっさん。オリーヴィアは女性だけどめちゃくちゃ厳しい老婆で若い女性の家庭教師とキャッキャウフフする夢は叶いそうにない。
ともかく三人の紹介はまた今度にするとして今日の家庭教師であるクリストフの魔法授業について考えたい。
魔法を習いだしてから俺は最近妙な違和感を覚えている。まず魔法使いの素養は生まれ持ったものであり魔力量も生まれてから決まっているとされている。だけど魔力を使いすぎても回復するんだ。
それは当たり前じゃないかと思うか?そうじゃないだろう?もし本当に最初から『持って生まれた魔力量が決まっている』のなら使い切ったら終わりじゃないのか?どうして回復出来るんだ?そして回復出来るということは増やしたりも出来るんじゃないのか?
魔力とは何で、どうして体内にあって、何故魔法を使うことが出来て、どうやって回復しているのか。それがわかれば魔力を人為的に増やせるんじゃないのか?
一切回復せず使い切って終わりというのなら生まれ持って体内に持っている分が決まっているというのは納得出来る。少なくとも回復出来るということは魔力とはどうやって回復しているのかだけでもわかれば今とはまったく違う解釈が出来るんじゃないかと思っている。
それに魔法の発動というのも魔法基礎と普通の魔法の唱え方に随分違いがある。魔法基礎や俺がクリストフに読まさせられている本は論理的で数学や一部には物理や化学も含まれている魔法理論とでも言うべきものだ。
なのにいざ魔法を教えるとなると神に祈りを捧げてだとか、火の精霊に魔力を捧げて力を貸してもらうだとか抽象的でイメージ的なものばかり教えている。
もちろんクリストフは俺にそんな方法では魔法は教えていないけど俺には見せていないテキストにそんなものがあったのを盗み見たことがあるお陰で判明したことだ。クリストフはそういう教育方法が世の中にあることを知った上で俺には違う方法で教育している。それが良いか悪いかは俺にはわからないけど俺が違和感に気付いたのもこれのお陰だ。
魔法は論理的に組み上げられた数学とプログラミングのような術式に魔力を流して発動している。それなのに長ったらしい詠唱だの火の精霊へのどうこうだのというのは関係ない。詠唱が魔法術式を展開するのに役に立っていたらしいことは認める。つまり完全に魔法術式を覚えていない者が擬似的に魔法術式を展開して発動するために長い詠唱で術式を組み上げていくというわけだ。
詠唱も、魔法術式の効率性も、魔力が増えないという思い込みも、この世界に生まれ育った者はそういうものだと教えられたらそう信じ込んでしまうのだろう。星が丸くて足元の星の方こそが動いているのだと言われても天動説を生まれた時から信じている者達には理解されなかったように、この世界に生まれて当たり前として育った者は不思議にも思わないに違いない。
だけど俺は違う。俺は地球の知識を持っている。だからこそおかしいと思った。これは……、もしかして研究してうまくいけばとんでもない発見になるんじゃ?
と思ってた時期が俺にもありました。
でも多分クリストフはわざと俺にその辺りのことを教えてないっぽい?俺が自分で気付くのを待っているのか?それともあえてミスリードで間違った教育を施しているのか?
何にしろクリストフの腹がわからない以上は無闇に余計なことは言わない方が良いだろう。俺は俺だけでこの考えを調べて研究して身に付ける。クリストフの授業は俺の助けにはなっているけど習っている魔法理論はどうにも不自然だ。ともかく俺は誰にも相談出来ずに一人で魔法の研究をすることにしたのだった。