第三百九十七話「シャルロッテ!」
翌日も、難解な算術を当てられたカタリーナは一瞬でスラスラと答え、軍略の問題を当てられたミコトは教師も気付いていなかったことまで答えた。知識の深さも、暗記力も、計算力も、身体能力も、何もかもが勝負にならない。
「あの留学生達すげぇよ!」
「そうだな……。認めるべきところは認めるべきだな」
生徒達も大多数は留学生達の能力を認めていた。確かに彼らには彼らなりの矜持や自尊心がある。しかし留学生達がある面においては自分達を上回っていることは認めざるを得ない。
そもそも自分達は中等科二年に編入されているが、カーン騎士団学校に通い始めてまだ一年も経っていないのだ。留学生達が王都の学園でどれくらい学んできたのか知らないが、自分達より長く勉学に励んでいる可能性は高い。
ただ相手を妬んだり認めないのではなく、相手を認めた上で自分がさらなる努力をして相手に追いつき、そして追い越せば良い。この学校はそういう校風であり、生徒達もそれを理解して努力している。
確かに今回留学生達の実力を見せ付けられて衝撃は受けたが、ならば自分達もこれからもっと努力して彼女達を上回れるように頑張れば良いと、前向きに捉えている生徒が大半だった。
「へんっ!俺はまだ認めねぇぞ!今まで当てられた科目や勝負した内容があいつらにとって得意な分野だっただけだろ!」
カーン騎士団学校では初等科、中等科において様々な分野や科目を広く浅く習う。その中で自分に向いているものを見つけてそれに一芸特化していってもきちんと評価されるし、広く浅く全てを網羅しても良い。
官僚になるのならば自らの専門的な職務だけではなく、それ以外のことも広く知っている必要がある。外交官だからといって他人と話すことだけがうまければ良いわけではなく、内政や軍政もある程度わからなければうまく交渉したり、相手の譲歩は引き出せない。
内政官だからと農業のことだけを知っていれば良いわけではなく、軍政や災害時のことも知っていなければ生産計画や備蓄計画も立てられはしない。
逆に研究者方向へ進む者ならば他の知識など必要最小限で良いだろう。日常生活にも困るほど世間知らずでは困るが、魔法の研究者が内政や軍政に詳しい必要はない。
カーン騎士団学校では最低限の基礎知識を広く浅く習うと同時に、自分は何が得意で、何に向いていて、これから何を目指し、どう勉強していくのかを示し習っていくことを重視している。だから一芸特化であろうとも認められるべきは認められるし、広く浅くでも認められるものは認められる。
「ハンス、まだそんなこと言ってるのかよ。例えあれがたまたま彼女達の得意なものだったとしても、その一つでも十分な実力を持っているなら認めるべきことは認めるべきだろう?」
「わかってるよ!でもそんなにすぐに認められるか!あの時だけたまたまだったかもしれないだろ!」
ハンスも理屈では理解している。しかし心が納得してくれない。自分でもどうにもならない。
「それに……、確かにあの五人は自分達の得意分野に関しては凄かったかもしれないけど、まだ何の実力も示してない奴がいるだろ」
「「「あぁ……」」」
皆ポリポリと頭や頬を掻きながら視線を逸らせる。たった数日ですでに学校中に知れ渡っている触れてはいけない人物……。顔まで隠れるほどのボサボサ頭で眼鏡というわけのわからない道具を顔に乗せている。眼鏡のガラス部分に少々色がついているのか、分厚すぎるのか、眼鏡の下がどのような顔なのかさっぱりわからない。
しかもおかしなのは風貌だけではなく、一体何が得意なのかさっぱりわからない。見た目だけで判断すれば到底運動が出来るようには見えず、かといって頭が冴えているようにも見えない。留学生達の中で唯一の弱点のようにも見えるが、その風貌があまりにアレなので誰も触れようとさえしないのが現実だ。
「よし!今日の体育で俺はあの眼鏡と勝負してやる!そこで化けの皮を剥がしてやるぜ!」
「やめとけ」
「やめといた方がいいよ」
「……あ?」
それまでまったく皆の会話に参加していなかったエドゥアルトとベルンハルトがハンスを止めた。全員驚いてそちらを見る。
「どういう意味だよ?」
「言葉通りだ」
エドゥアルトは教科書から視線を外すことなくハンスにそう答える。
「死にたくなかったら余計なことをしないことだね」
ベルンハルトの言葉にクラスメイト達がゴクリと唾を飲みこむ。授業中以外は寝ていてほとんどしゃべらないベルンハルトが、まったく普通の調子でそう言うのがあまりに恐ろしかった。
「はっ!何を言い出すかと思えば……、俺があの眼鏡女に殺されるって?そんなことあるわけないだろ!」
ハンスは自らの心の奥底に芽生えた恐怖心を誤魔化すかのようにそう息巻いてドカリと席に着いた。今日の体育の授業で絶対あの眼鏡女をぶっ飛ばしてやる。ハンスは今更引き下がれるかとさらに意固地になっていたのだった。
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今日の授業も平穏に流れ、留学生達は授業で当てられても簡単に答えていた。最初は前に当てられた科目がたまたま得意科目だったのかと思ったが、どんな科目でどんな問題を当てられても留学生達が答えに詰まることはない。全てスラスラと答えている。
「すごーい!クラウディアさんって何でも出来るんですね!」
「ふふっ、そんなことはないさ」
王子様的女子として女子生徒達の憧れの視線を一身に集めているクラウディアは、フッと前髪をかきあげながら女子生徒達の言葉に答えていた。
「クラウディアさんってやっぱり魔法が得意なんですか?」
「いや、あの時言った通りだよ。僕は騎士だから魔法も魔法理論もわからないよ。僕が得意なのは剣術だけさ」
「きゃー!それなのにあんなに難しい問題をスラスラ解いてしまうんですね!」
「すてきー!」
何故か女子生徒達にチヤホヤされているクラウディアは満更でもなさそうな顔をしていた。
「それじゃ他の留学生の皆さんは何が得意なんですか?」
「え?そうだなぁ……。ミコトとルイーザは魔法使いだよ。それからアレクサンドラは剣も魔法もてんで駄目で内政官向きだね。カタリーナはメイドさんだし」
「え~!そうなんだぁ!」
「じゃあむしろ留学生の皆さんが見せた実力って……、一番不得意に近いようなものでの実力?」
もしクラウディアの話が本当ならそういうことになる。一番不得意とまでは言わなくとも、決して得意ではない科目ですらカーン騎士団学校の生徒達を遥かに凌駕しているということだ。
「それじゃあの人は?」
「ああ、シャルロッテかい?彼女は……」
バァンッ!
と、その時机を叩く音が鳴り響いた。クラス中が静まり返り身を竦める。
「クラウディア、あまり余計なことを言うものではありませんよ」
「あっ、ああ……、カタリーナ、ごめん……。気をつけるよ……」
調子に乗ってベラベラと余計なことをしゃべっていたクラウディアに、カタリーナが注意したようだ。ようやくそのことがわかってまた生徒達がヒソヒソと話し始めた。しかしカタリーナが恐ろしくて、誰も先ほどまでのように大きな声で話せる者はいなかった。
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授業はさらに進み、ついに体育の時間になった。ハンスは覚悟を決めて手を上げて教師に話を切り出す。
「今日はシャルロッテと組手をさせてください!」
「う~ん……。いや……、それはさすがに……」
シャルロッテの様子を見て教師は目を瞑る。いくら何でもカーン騎士団学校の中で体育の成績が一番良いハンスと、見るからに鈍臭そうなシャルロッテを組み合わせるのはいかがなものか。
「いいですよ。それではやりましょう」
「「「えっ!?」」」
ボーッとした感じのシャルロッテがそう答えたのを聞いて一同が驚く。いくら何でもこんな娘とハンスでは勝負にならない。周囲が止めようとしたその時……。
「駄目だよシャルロッテ!大怪我をさせてしまう!」
「そうよ!やめときなさい!大怪我どころか殺しちゃうわ!」
「そこの野良犬が死んでもどうでもいいことですが、それでシャルロッテが悩む元になる可能性があるのならやめておくべきです」
「私ならうまく手加減出来ますわ!また私がお相手をしますのでシャルロッテはやめておいた方が良いですわ!」
「うんうん!」
「「「えぇ……」」」
カーン騎士団学校の者達がハンスを止めようとした理由と正反対の言葉を言いながら、留学生達が必死でシャルロッテを止めていた。それを騎士団学校の者達は呆然と見守ることしか出来ない。
「大丈夫ですよ。ちゃんと相手の実力もわかりました。うまく手加減して見せますから」
「それで失敗したらもう取り返しはつかないんだよ!?落ち着くんだシャルロッテ!」
「死んだり大怪我させたら終わりなのよ!」
皆が必死でシャルロッテを止めているのを聞いてハンスはブルブルと震えていた。当然それは恐怖からではない。自分が馬鹿にされていると思って怒りに震えているのだ。
「ふざけるな!俺がこんな眼鏡女に負けると思ってるのか!このっ!」
ハンスは近くにあった訓練用に刃を潰している剣をシャルロッテの方に放り投げた。いくら刃を潰しているといっても鉄製の棒だ。当たれば痛いではすまない。
「ほいっ!ほら!みてください!ちゃんと手加減して止められましたよ!」
「「「えっ……?」」」
しかし……、ハンスが投げた剣はシャルロッテの右手の親指と人差し指に挟まれて受け止められていた。指で挟んでピタッと止まるとはどんな受け止め方だというのか。仮に二本の指で挟めたとしても、剣はそのまま回転してグルンと回るはずだ。それがピタリと止まっている。
「どこが手加減出来ているのですか?摘んだ場所を良く見てください」
カタリーナの言葉で、シャルロッテが摘んで受け止めた剣を離してみると……、摘んでいた場所が完全に歪んでいた。指二本で摘んで鉄の剣をひしゃげて潰したのだ。
「いや……、これは……、その……、だっ、大丈夫ですよ。これくらい、ねぇ?人間が相手だったらもっとうまく出来ますよ」
「「「…………」」」
いや、人間だったらどえらいことになってるだろ……、という声にならない突っ込みの視線が集中していた。
「ハンス……、悪いことは言わない。やめておきなさい」
「…………はい」
そしてハンスの心も折れた。もしあんな力で摘まれたら大怪我どころでは済まない。ハンスだって向こう見ずでもただの馬鹿でもない。こんな所で大怪我を負って、これからの未来や人生を棒に振るのが愚かなことであるという分別くらいはつく。
そんな体育の授業が終わった後、ハンスはエドゥアルトとベルンハルトに話しかけた。
「お前ら……、あの女がやばいって知ってたのかよ?」
エドゥアルトとベルンハルトだけはやる前からやめておけと言っていた。もしかしてこの二人は何か知っていたのかと思って問い質す。
「実力は知らなかった。でもよく見ればわかるだろ」
「あ?何を?」
エドゥアルトの言葉にハンスは意味がわからないと首を傾げる。
「少なくともここにいる人は全員一度は会ってるはずだからね」
「……は?」
ベルンハルトの言葉も意味がわからない。この二人が何を言っているのか……。ただこの二人が何か知ってそうだということはわかった。
「もっとわかりやすく言えよ!」
「勝手に余計なことを言ったらこちらもどうなるかわからないからな」
「自分で考えてよ」
「あっ!ちょっ!」
二人はそれ以上語るつもりはないとばかりにさっさと着替えて更衣室を出て行った。残されたハンスには何が何だか意味がわからない。
「ハンス、もう来てたのか」
「相変わらずエドゥアルトとベルンハルトは着替えて戻るのが早いな」
後から他の生徒達がゾロゾロと遅れて更衣室へとやってきた。いつもエドゥアルトとベルンハルトは一番に戻ってきてすぐに着替えて出て行く。今日はハンスは二人に話を聞こうと思って急いでやってきただけだ。
「結局シャルロッテの実力はわからず仕舞いか。お前らはどう思う?」
「不意打ちで飛んできてる剣を指で摘んで受け止めて、しかも剣が歪むんだぜ?人間じゃねぇよ」
「そうだな……。真似出来る者がいるとは思えないな」
「でも座学だったらどうだ?」
「あるいは魔法とか?」
「あとどうにかなる可能性があるとすれば魔法の実技くらいかな」
他の者達は気軽にそんな話をしている。しかしハンスはその話に混ざる気にはなれなかった。あの留学生達は得体が知れない。今頃になってその事に気付き始めたハンスは自分の体を抱くように小さく震えていたのだった。




