第三百九十四話「短期留学!」
新体制の話し合いが終わってから、一部の人にだけ残ってもらった。それは俺の元家庭教師達の一部だ。これからのことについてこの優秀な家庭教師達にも一肌脱いでもらいたい。
「え~……、皆さんに残ってもらったのは他でもありません。皆さんのお弟子さんなどの中からブリッシュ・エール王国で新しく開く予定の学校で、教員をしてもらえる人物はおられませんか?」
これから俺はブリッシュ・エール王国でも学校を開こうと思っている。国民全員を義務教育で……、というほど余裕も人員も設備も予算もない。今はまだ優秀な者だけを選りすぐった限られた者だけが通えるレベルの学校だ。
カーン騎士爵領やカーン騎士団国ではすでに学校が開かれている。そこから優秀な生徒が育ち、当家のためにその才能を発揮してくれることを期待している。
学校で勉強させて育て、さらに卒業してから実務経験を積ませて……、となるとすぐに効果が出るものじゃない。何年も何十年も先を見据えてのことだ。すぐに効果が得られないから無駄な投資だ、というものではなく、こういう中長期的な視野もなければすぐに発展は頭打ちになってしまうだろう。
「私は本来引退した身……。今更内務大臣よりもどこかで後進でも育てながらのんびり暮らしたいものですがな」
「ジークムントにはまだもう少し働いてもらわなければ困ります。教師に専念するのであれば後任を育てておいていってもらわねば困りますよ」
俺に内政と歴史を教えてくれていた元官僚のジークムントはカーン家の内務大臣になってもらった。本人はプロイス王国の官僚も引退したあとだというのに年寄りをどれだけこき使うのかと言っていたけど、他に任せられる人材がいない以上は仕方がない。
ジークムントもこれまでたくさんの生徒を育ててくれているけど、未だにジークムントを超える人材は出ていない。それなりに優秀な官僚は増えているけどあくまで小粒ばかりだ。
「私も直接現地に行って指導しても良いのですが」
「う~~~ん……。オリーヴィアが輩出してくれる家人やメイド達はとても優秀なので……。ですがブリッシュ・エール王国でそういう者達を増やしてもらうのも確かに必要……、う~~~ん……」
これはとても悩ましい。俺の礼儀作法の先生だったオリーヴィアは俺が卒業?してからは当家に仕える家人やメイド達の教育にあたってくれている。オリーヴィアに教えられた者達はとても質が高く、当家にとってもなくてはならない家人やメイド達が大勢いる。
ブリッシュ・エール王国に出してしまうのが惜しいと言えばその通りなんだけど、ブリッシュ・エール王国も俺の国なわけで、ブリッシュ・エール王室に仕える家人やメイド達の質が低ければそれはそれで看過出来ない。
そもそもどちらも俺の支配下なんだから向こうへやったから放り出したとか、惜しいという考えも間違いだ。オリーヴィアに向こうで優れた家人やメイド達を育ててもらって、ブリッシュ・エール王家で働いてもらうのは悪くない。
「私も立場上直接出向くのは駄目だと言われるのでしょうかね?」
「レオンもですか……」
軍略と兵法を教えてくれていたレオンも今ではカーン家兵学校で後進を育てつつ、軍事顧問もしてもらっている。所謂軍師のようなものだからカーン家から出られたら困ると言えば困るけど……。
「私は直接出向いてやろう。こちらの指導者はもうミコトとルイーザがいるであろう?」
「クリストフ……」
俺の魔法の家庭教師だったクリストフはもう完全に自分が出て行く気になっている。確かに魔法使いの教育をしてもらっているけどこちらにはミコトやルイーザがいる。二人が魔法部隊を育てているからクリストフと三人体制でやるよりも、配置を分けた方が効率的であることは間違いない。
ちなみに剣術指南だったエーリヒと、護衛と追加の訓練相手になっていたドミニクはここにはいない。二人とも兵学校で後進の指導をすると共に、エーリヒは軍の剣術指南をしているし、ドミニクはまだ継続して俺の護衛任務もしている。二人をブリッシュ・エール王国に派遣するのなら現地で剣術に秀でた人をスカウトした方が何かと良いだろう。
「皆さんはそれほど私の下から離れたかったのですね……」
よよよっと泣き真似をしてみる。でも元家庭教師達には通じない。サラッと流されてしまった。
「ジークムント殿はもうお年ですし、もう暫くこちらで内務大臣をされてから、こちらの学校で教えられるのが良いのではないでしょうか?」
「私達は新たな地で後進を育てることでフローラ様のお役に立ちましょう」
「レオン……、オリーヴィア……」
確かに二人がカーン家から出て行くのは痛い。でも縁が切れるわけではなく、カーン家のためにブリッシュ・エール王国で直接後進の指導にあたってくれるというのなら何も損失ではない。これまで何年も、長い者は十年以上も一緒にいた家庭教師達がいなくなるのが寂しいという俺個人の感情の問題だ。
「では私とレオンとオリーヴィアはその新たな国に出向くとしよう」
「クリストフはもう決定のような物言いですね……」
俺は良いとも言っていないのにクリストフはもう自分は許可が出ているみたいなつもりで話している。こういう所はいつまで経っても変わらない。そう言えば……、家庭教師達で一番付き合いが古いのもクリストフだったな……。
変わり者のオッサンだけど……、無口でやや傲慢で人を見下した態度ではあったけど、不思議と憎めない奴だった。俺が普通の子供だったら反発とかもあったと思うけど、前世の記憶もあった俺は実は案外クリストフも嫌いじゃなかった。
長い人生、出会いがあれば別れもある。これまでずっと拡大を続けてきた俺やカーン家は、出会いは多くあったけど別れはあまりなかった。でもこれからは別れも増えてくるだろう。
それに、家庭教師だった皆とは別れといっても今までのようにずっと一緒にはいられなくなるだけの話だ。今生の別れというわけでもない。むしろブリッシュ・エール王国に出向してもらうということは、俺がブリッシュ・エール王国にいる間はいつでも会えるということでもある。今までより少し会い辛くなるだけだ。永遠に会えなくなるわけじゃない。
「それでは……、レオン、オリーヴィア、クリストフ……、ブリッシュ・エール王国で学校を開き、そこで立派な後進を育てることを命じます」
「「ははっ!」」
「お任せください」
三人は大仰に頭を下げた。確かに俺が雇い主ではあるけど、実際にはこの面子とは主従ではない。それでもここにいる皆はまるで俺を主君か王かというように扱ってくれていた。だから最後までそれを貫き通そう。
「これだけいなくなると寂しくなりますなぁ……。レオンがおらんようになれば誰と話せば良いのやら」
「まだ今すぐ発つわけではありませんよ。ブリッシュ・エール王国の学校開設の準備もまだまだこれからですし、それに二度と会えなくなるわけではありません」
ジークムントとレオンは年齢が離れている割には随分仲が良かった。二人でお茶を飲みながら内政や軍政について話し合っている場面も良く見たものだ。ためになりそうな話の時は俺も混ぜてもらったことも何度もある。それが見られなくなるのは少し寂しいけど……。
「これからまだまだ忙しくなりますよ」
「そうですな」
十年来の家庭教師達との別れ……。少し寂しい気持ちもあるけど、いつまでもこんな優秀な教師達を俺が独り占めしているわけにもいかないよな。
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新体制の発足や準備が着々と進んでいるけど実は俺としてはあまり楽になっていない。それは当然だ。今まで明確な役職や権限が決められず、ふんわりとした役割分担や権限だったものをはっきりさせただけにすぎない。その過程で権限をより強く大きく与えて仕事の分担量を増やしたとはいえ、今までと労働力は増えていない。
多少は俺の負担を減らしたとはいっても、働き手が格段に増えたわけではないんだから仕事が捌ける量が急激に増えるはずもない。
新体制の発足は今後のために明確な役職や権限を決めただけだ。そして権限を強化したといっても、そこには今まで曖昧になっていた権限をはっきり決めることで制限もつけたと言える。
今までなら権限の及ぶ範囲が決められていなかったから、実際には越権行為であろうとふんわりと見逃されていたことも、役職と権限がはっきりしたことで、誰がどこまで出来て、何をしてはいけないか、ということがはっきり示された。
それは良いけど結局俺の仕事がパンクしそうだということの根本的解決にはなっていないわけで……、優秀な働き手を増やさないことには何も解決しない。
「それで……、私に直接カーン騎士団国で開設した学校へ行って生徒達を見て来いと?」
「見て来いなどとは申しておらぬではありませんか……」
カンベエが困った顔をしている。新体制が進んでいるのは良いけど結局有能な働き手が足りない。そこでカンベエは今年度から始まっているカーン騎士団国の学校を視察してはどうかと言ってきた。
昔なら学校の生徒達の成績も全て見ている暇もあっただろうけど、今では仕事が忙しすぎてそんなことまで見ていられない。でもカンベエが言うには優秀な成績の者が何名かいて、そういう者はもう飛び級で卒業させて実務につかせてはどうかという。
確かに新しい働き手や優秀な者が欲しいけど、いくら学校で優秀な成績を修めていると言っても、まだカリキュラムも終えていない中途半端な段階で、いきなり実務につかせてもかえって中途半端な人材になってしまうんじゃないだろうか。それならもう一年辛抱すれば最上級生達は卒業してくる。きちんと習い終わった後で来てもらった方がよさそうな気もする。
まぁだからこそカンベエは自分の目で見てきたらどうかと言っているんだろうけど、折角王都の学園に通う必要がなくなって時間が確保出来るようになったというのに、学生に扮して潜入して観察するというのは時間の無駄のような気がしてしまう。
「人手を増やして仕事を楽にするために、多大な時間を割いて余計に仕事を増やしていては本末転倒ではありませんか?」
「それが間違いなのです。フローラ殿は仕事のしすぎです。どこの領主や君主がこれほど仕事をこなすというのですか。そして配下の者達もフローラ殿に頼りすぎなのです。ですから学校へ潜入して視察するという名目でフローラ殿には少し仕事を控えていただき、他の者達の仕事を増やすのです」
う~ん……。まぁカンベエの言っていることもわかるけど……。それでカーン家や領地や国の運営がうまくいかなくなったら意味がないんじゃ……。
「今回視察したからといって必ず誰かを引き抜いてこなければならないということはありません。生徒達を直接見てきて、来年でも再来年でも卒業する者達に目星をつけておくだけでも良いのです」
「なるほど……」
まぁ確かに……、直接優秀そうな奴を見てつばをつけておくのは悪くない。もし学校の教員や卒業後の面接官達だけに任せていたら優秀な人材を逃したり、変な所に配置してしまう可能性もある。
カーン家内ではないと思いたいけど、カーン騎士団国はカーン家の支配も完全に行き渡っているとは言い難い。賄賂を貰って金持ち貴族の息子を優遇したり、自分が気に入らないからと優秀な生徒を低い評価にしたりしないとも限らない。
「それで本音は?」
「奥方様がたがフローラ殿と一緒に学校に通って学生気分を味わいたいと……」
それが理由か……。まぁ俺もお嫁さん達と一緒に学校にでも通って学生を味わいたいというのは同意する。今までは仕事が忙しすぎてそんなことをしている暇もなかった。でも折角新体制になりつつあるから、役職についた皆にもこれから仕事を割り振って頑張ってもらう良い機会かもしれない。
それに王都の学園ではミコトやアレクサンドラは同じ学生だったけど、他の皆は学園に入れず同じ学生生活は送れなかった。短期留学とかの名目でこちらの学校に入れば少しは全員で同じ学生生活を送れるかもしれない。
「それでは……、私達を王都の学園からの短期留学ということにして、少しこちらの学校に潜入してみますか」
「はい。それがよろしいかと存じます」
こうして俺は何故かカーン騎士団国でも一ヶ月ほど留学生として学校に通うことになったのだった。もちろんその間も俺の仕事がなくなるわけじゃない。きちんと仕事をしながら学業と両立するという少し前のスタイルに戻ることになる。仕事量は前までの比じゃないんだけど……。




