第三十九話「服を乾かす!」
あ……ありのまま今起こったことを話すぜ。いきなりわけのわからない者達に絡まれて飲み物をぶっかけられた。それなのにリーダー格の少女にぶっ叩かれたのは飲み物をかけた少女の方だった。何を言っているかわからないと思うが俺も何をされたかわからなかった……。頭がどうにかなりそうだった……。
うん……。いや、ごめんなさい。自分でもちょっと何言ってるかわかんないです。
俺はこのアレクサンドラという少女に絡まれたと思ったけどもしかしてこの少女は親切心で俺に注意しようと思ってやってきたのではあるまいか?
見た目はつり目で性格もきつそうだししゃべり方や動作の一つ一つがいちいち偉そうに感じる。だけどこれまでのことを振り返るとアレクサンドラは俺が会場を間違えたと思って向こうの会場へ行けと言いに来てくれたのかもしれない。
ただしそれを決めるのはまだ早計だ。例えばいじめなんかで本当はリーダーの指示でやっているのにそのいじめの指示をしているリーダーがターゲットにわざと優しくして他の手下達にいじめさせるという手法も存在する。
それは万が一いじめが問題になった時にリーダーが自分はいじめていないというためだったり、あるいはいじめて追い詰めたターゲットを騙して信頼を得て何かに利用しようとしたり様々な理由による。
ならばこのアレクサンドラがわざとマッチポンプで取り巻き達に俺をいじめさせて俺を庇った可能性もある。でも本当にアレクサンドラにはそんなつもりはなく周囲の取り巻き達が勝手に俺をいじめるためにやってきたと判断してやったかもしれない。
何にしろまだ今さっき少し言葉を交わした程度でアレクサンドラの本心などわかるはずもない。ここはもう少し様子を見た方が良いだろう。
「お気遣いありがとうございます、アレクサンドラ様。ですが私はこちらへの招待状を頂いておりますのでこの会場で間違いございません」
そう言って俺は父から貰った招待状を……、出したいけど持ってない……。そりゃそうだ。パーティーの最中にバッグも持っていないのに招待状だけ持ち歩いているわけがない。残念ながら招待状は控え室にいるイザベラが管理している。
「そんな嘘が通ると思ってるの!たかが騎士爵家如きにこのパーティーの招待状が届くはずはないでしょ!」
そうですね~。届いてはいませんね~。だって父から手渡しでしたもんね~。
「そんなことは後にしなさい!それよりもまずは控え室へ行って拭きましょう。着替えは私の予備のドレスを……」
アレクサンドラが俺の手を引きながら会場から出て行こうとする。まぁ拭くのは良いだろう。ドレスは借りるつもりはない。というかカーザース家の力を借りちゃ駄目なんだからアレクサンドラのリンガーブルク家の力も借りちゃ駄目だろう。
「一人で大丈夫です。それでは一度控え室に下がらせていただきますね。御機嫌よう」
俺が頭を下げるとアレクサンドラの取り巻き達は露骨に嫌そうな顔をしていた。騎士爵というだけで相当嫌われたようだ。アレクサンドラの考えていることはよくわからない。顔はブスッとしているようで睨まれているような気もする。
ただ一つ言えることはアレクサンドラは滅茶苦茶縦ロールが似合いそうということだけだ。
あのきつそうな顔つきに目つき、そしていかにもお嬢様というあの言葉遣いと所作の全てがまるで縦ロールお嬢様のイメージそのままのようだ。
実際にはアレクサンドラはオレンジのようにも見える普通の紅毛碧眼だけど何故か俺の中のイメージではすでにアレクサンドラは『お~っほっほっほっ!』とか言いながら偉そうに振る舞う傲慢縦ロールお嬢様になっている。
まぁ中世ヨーロッパというのは実は非常に地味な時代だ。その日一日を生きるのも大変な時代で、食糧も乏しければ戦争も頻発し疫病も流行る。現代人がヨーロッパと聞いてド派手なドレスや髪型を想像したり夜な夜なパーティーを開いたりしていると思っているのは近世以降、何なら近代レベルの話であって中世はまさに暗黒時代とも呼べるような暗い時代だった。
この国も貴族の食糧事情ですら貧しいのを見てわかる通り決して裕福で贅沢な時代ではない。食糧事情が厳しいのと同じで派手な服もなければ奇抜な髪型も存在しない。社交界だって今日は子供達の社交界デビューの日で特別であって普段からしょっちゅうこんな派手なパーティーが催されているわけじゃない。
でも縦ロールいいなぁ……。アレクサンドラに縦ロールさせてみたい。まだアレクサンドラの性格はわかっていないけど見た目だけなら縦ロールお嬢様がこれ以上ないくらい似合うはずだ。
「ふふっ」
控え室に向かう間俺はアレクサンドラに縦ロールのドリル頭をセットする想像をしながら歩いていったのだった。
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ここは俺達ご令嬢が集まる控え室じゃなくてお嬢様方に同行してきた召し使い達が控える控え室だ。そこへそっと入り込む。
「イザベラ、少し向こうで手伝ってもらえませんか?」
「お嬢様っ!これは一体……」
俺の惨状を見てイザベラは目を白黒させていた。きっと今までイザベラが長い間メイドをしてきて頭からぶどうジュースを被ってべとべとなご令嬢の面倒など見たこともないだろう。だけど残念ながら今の主である俺はこういう奴です。
「少しぶどうジュースを被ってしまいまして……。向こうの個室で拭くので少し手伝ってください」
「はっ……、かしこまりました」
何とか持ち直したらしいイザベラを伴って召し使いの控え室を出て廊下を歩く。勝手知ったる他人の家ならぬ我が家というやつだ。ここはカーザース辺境伯の屋敷じゃないけど屋敷からそんなに離れていないカーザース家の施設だ。俺だって過去に何度もここに来たことがあり部屋の配置くらいは覚えている。
カーザーンにはカーザース家の所有する施設や建物がいくつも存在する。ここは屋敷から一番近い大きな施設で何かと家の行事などでも利用することがあるから度々訪れている。この廊下を曲がった先に個室が並んでいるからそこでジュースを拭こう。
「ここで良いでしょう。ここに入りますよ」
「はい」
イザベラを伴って個室に入ると扉の方をイザベラに見張ってもらうことにした。拭くとはいってもジュースでベタベタしているのにただ布巾で拭いてもあまり意味はないだろう。そこで俺は一つ考えがあった。
「水よ……」
魔法を使ってドレスを洗う。ついでにジュースを被った頭も流しておこう。頭の方はただ水で流すだけでいいけどドレスはそうはいかないだろう。ということで一工夫。生み出した水の魔法を超音波振動みたいなイメージで物凄く細かく振動させてみる。
「お?」
まるで染み抜きのようにジュースの染みが消えていく。これならすぐに染みは消えそうだ。問題は濡れたドレスや俺の頭だな。
「う~ん……、風よ……」
洗い終わったら今度は風で乾かしてみる。だけどただ送風するだけじゃ何か中々乾かない。そうだ!温風にしてみたらどうだろうか。
「火よ……」
ドレスにいきなり温風を吹きつけたら繊維が傷むかもしれないからまずは頭に温風をかけてみる。良い感じな気がするけど何か違う。というか火の玉が浮かんでいる周りの空気を送ってきているのが何か変な感じだ。
俺が想像するのはこういうのじゃなくてもっとこう……。なぁ?現代人ならわかるだろう?
「う~ん……、う~ん……。あっ!そうだ!熱よ……」
中々良いアイデアが浮かばなかったけど良い案が浮かんだ。火で温めなくても温風なら良いんだ。ならば周囲の熱だけを集めて送る風に熱を込める。これなら火種がなくても温風を送れるはずだ。
「うん、良い感じ」
あまり温度が高すぎてもドレスを傷める可能性があるからほど良い温風を送れる熱操作?のような魔法の方が都合が良い。というか熱魔法みたいな魔法は聞いたこともないけど今出来たな。術式は火魔法の応用で周囲の熱を集める魔法に組んでみたけどうまくいってよかった。
これが出来るなら俺の現代知識を応用すれば地球の科学で解明されていたようなことなら魔法で再現出来るんじゃ?そもそも超音波振動だってそうだよな。こんな魔法はこの世界には今まで存在すらしなかった。俺が今作ったんだ。
もしかしてこれってすごいことなんじゃ……。俺ってもしかして……。
な~んてな!俺程度の者が考え付くようなことなんて今まで誰かが実行していただろう。大して有用じゃなかったから廃れたとか研究もされてないとかそんな所だろう。
まぁ服は綺麗に乾いたからよしとしよう。頭もさっぱりしたしこれで大丈夫なはずだ。
「フロー……、いえ、フロトお嬢様……、前々から思っておりましたがあまり人前で魔法は使われない方がよろしいかと思います」
「え?えぇ、そうですか?わかりました……」
何かイザベラに呆れられて駄目出しをされてしまった。やっぱりこんなへんてこな魔法なんて人前で見せるのも恥ずかしいような未熟なもののようだ。今までもなるべく魔法は使わないようにしていたけどこれからも気をつけよう。
「さぁ、綺麗になりましたし戻りましょう。ありがとうイザベラ」
「いえ……」
イザベラを伴って個室から出ると廊下の向こうにアレクサンドラがいた。こんな所でどうしたんだろうか?
「ちょっと貴女!いくら緊急時だったとはいえカーザース辺境伯様の施設で勝手に出歩いては駄目でしょう!」
「はぁ?そうですか?」
何で?ここは俺の家の一部みたいなもんだし、そもそもこの個室は何かあった時にゲスト達が利用出来るように用意されている部屋だ。俺が使おうがアレクサンドラが使おうが何も問題ない部屋だけど?
そりゃもちろんこの建物の中にだって中には立ち入り禁止場所も存在する。別に金目の物が置いてるとか何か秘密の部屋があるというわけじゃない。ただの物置だったり厨房だったりそういう所はゲストは無闇に入らないように立ち入り禁止になっている。
でもそれだって俺は別に立ち入り禁止じゃない。屋敷の書斎も父には後で立ち入りする場合は父やマリウスに言って同行してもらうようにとは言われたけど立ち入り禁止とは言われていない。ここもそうだ。どの部屋に入るなとか行ってはいけないとは言われていない。まぁ揚げ足取りだけどな。
「『そうですか?』ではないでしょう!いいですか?そもそもこの建物は昔カーザース辺境伯家が第三次北伐戦争の時に……」
何か語り出した……。どうやらアレクサンドラは家の自慢というか歴史自慢が激しいらしい。今もカーザース家のことを言っているようで実はその時リンガーブルク家がどうだとか、祖先の功績がどうだとか自分の家の自慢ばかり並べている。
まぁ悪気はないんだと思う。だけど聞かされる方は御免蒙りたい。やっぱりアレクサンドラは悪い娘じゃないんじゃないだろうか。
この見た目と言動のせいで誤解されがちだと思うけど根は良い娘だと思う。こんな所までやってきたのも恐らく俺を心配して見に来てくれたんだろう。
「聞いてますの?いいですか?その時我がリンガーブルク家は……」
「はぁ……」
まだ続くんですか?さっきからずっと家自慢ばかり聞かされているんですが?
「って、あっ!貴女!よく見たらドレスの染みがなくなっていますわね。一体どうやって?」
「あ~……、え~っと……、メイド長のイザベラが染み抜きしてくれました」
急に俺に話しを振られたイザベラはギョッとした顔をしていた。どうやら想定外だったらしい。経験豊富で冷静沈着なイザベラがこんなに露骨に顔に出すなんて珍しいこともあるもんだ。
「あれは絶対染みになると思いましたのに……。一体どのような方法を使われたのかしら?」
「それは……」
アレクサンドラのターゲットが俺からイザベラに移った。イザベラは若干恨めしそうな顔で俺を見ているけど俺は知らない。きっと年の功で何か染み抜きの良い方法を知っているに違いない。
「こんな所で何をしている?」
その時曲がり角から出て来た父が俺達を見つけて声をかけてきた。そりゃここは会場からはかなり奥まった場所にあって今日は急病人などの緊急事態じゃない限りはこっちの個室は使わないことになっている。俺達が居れば何をしているのかと気になるのもやむを得ないだろう。
「こっ、これはアルベルト様!私はアレクサンドラ・フォン・リンガーブルクと申します」
ん?アレクサンドラは父と話すのはこれが初めてなのかな?カーザース家一番の家臣だというなら父とも会ったことくらいあるのかと思ったけどどうやらこの感じからするとないようだ。
「今日は奥の部屋を使う予定は聞いていないが?カーン卿?」
「申し訳ありません。少し緊急事態がありまして……、個室を使いました。事後報告になったことはお詫びいたします。カーザース卿」
ここではあくまで俺と父はカーザース辺境伯とカーン騎士爵だ。間違っても俺はカーザース家の娘であると主張してはいけない。
「ふむ……、そうか……。緊急事態ならばやむを得ないが何かあれば先に連絡をいただきたいものですな」
「申し訳ありません。以後気をつけます」
父にチクリと嫌味を言われてしまった。まぁこれは怒っているというよりは何かあれば先に連絡してこいという意味だろう。でもあの染み抜きは父の前で見せるわけにはいかないから今回は事後報告になったけど都合がよかったと思うべきか。
「カーザース辺境伯様とこんなに気安く……?それにカーン卿?卿とは爵位を持つ方のことですわよね……?」
説明台詞をありがとう。その通りです。日本では高位の官職にある人を卿、大臣以上を公といい、あわせて公卿という。それに対して西洋では位の高さに関わらず爵位や勲章爵を持つ者を卿と呼ぶ。
「私が近衛師団の騎士、フロト・フォン・カーンです。よろしくアレクサンドラ嬢」
今度は俺は騎士の礼でアレクサンドラに自己紹介する。さっきは途中で色々と邪魔が入ったけどこれでようやく自己紹介出来た。
「……騎士。騎士爵のご令嬢ではなく貴女が騎士様?」
呆然と呟いているアレクサンドラは恐らく驚いているんだろうけど相変わらず何かこちらが睨まれているように見える顔をしていたのだった。




