第三百八十六話「その時裏側では?」
マルガレーテがフローラにルートヴィヒとの夜の生活について相談に来た日、エレオノーレを連れて下がったミコト達は別室でエレオノーレと遊ぼうとしていた。
「さぁエレオノーレ、遊びましょ!」
他国の姫とはいえ同じ王女という立場で、年上なので序列の高いミコトはエレオノーレに対しても普段通りに話しかける。もちろんエレオノーレが相手の口調に対して怒ることはない。
「何をして遊びましょうか?エレオノーレ様」
アレクサンドラは普段エレオノーレに接してくる者と同じように丁寧に接してくる。良くも悪くもエレオノーレにとっては慣れた態度だ。
カタリーナは少し離れた所で待機し、クラウディアとルイーザも遠巻きに見ている。クラウディアとルイーザはエレオノーレに興味津々ではあるが、相手はこの国の王女様であるため気安く声をかけるのが難しい。本来なら直接口を聞くことも憚られる身分差だ。
もっと幼い頃ならどさくさに紛れて話しかけたり遊んだりしたが、そろそろ分別もついてきていそうな年齢なので、前までのように身分の低い自分達が気安くするわけにはいかない。
「まぁ~~~!エレオノーレ様いらっしゃい」
そしてそこへマリアがやってくる。その顔はニコニコと満面の笑顔だ。エレオノーレが来ていると聞いて慌ててやってきた。マリアも、フローラのお嫁さん達も、全員実はエレオノーレが大好きだ。
お嫁さん達にとってはエレオノーレがいずれ自分達と同じ立場になることはわかっている。別に今のうちから順位や序列を叩き込んでやろうとかそんなつもりはない。フローラのお嫁さん達は全員仲が良く、一夫多妻が当たり前の社会で生きてきたためにそのことについても反対はない。
少し年の離れた妹分がいつか自分達と同じ輪の中に入ってくるかと思うと、アネキ風を吹かせてみたり、可愛がったりしたいというのは当然だろう。
「さぁエレオノーレ様、マリアお母様が来ましたよ~!」
「マリアおかーさま!」
「「「「「――っ!?」」」」」
マリアとエレオノーレのやり取りを見て五人の顔が驚愕に染まる。マリアお母様……。何と甘美な響きだろうか。それにすぐに反応したのはミコトだった。
「エレオノーレ!私はミコトお姉様よ!」
「ミコトおねーさま?」
「――ッ!――ッ!」
コテンと小首を傾げながら自分の言葉を繰り返すエレオノーレに、ミコトの体に何やら稲妻が駆け抜けるような感覚が走った。
「さぁ、エレオノーレ様、マリアお母様のところへいらっしゃい」
「マリアおかーさま!」
「あっ!?」
しかしエレオノーレがミコトに興味があったのも僅かな時間だった。マリアに呼ばれたらニッコリ笑ってトコトコとそちらへ行ってしまった。足元まで来たエレオノーレをマリアが抱き上げる。エレオノーレはキャッキャと喜ぶだけで完全にマリアに懐いていた。
「ぐぬぬっ!」
あっさりエレオノーレを奪われたミコトは歯軋りをするが、子供を何人も育て、経験豊富な母性の塊であるマリアに太刀打ち出来るはずもない。
「マリアおかーさま」
「あらあら、エレオノーレ様は甘えん坊さんねぇ」
抱き上げられたエレオノーレはマリアにヒシッ!と抱きつく。マリアはエレオノーレが大好きなフローラにも似ている。その上経験豊富な大人の女性で自ら子供まで育て上げているのだ。子供の扱いやあやし方など熟知しておりお茶の子さいさいである。
「こうしているとフローラちゃんの幼い頃を思い出すわねぇ」
「えっ!?フロトにもこんな時期があったの!?」
エレオノーレを抱きながらそんな言葉を漏らしたマリアにミコトは食いついた。他のお嫁さん達もそれには興味津々だ。
「そうねぇ……。フローラちゃんは昔からませた子で、一度もこうして甘えてくれることはなかったわぁ」
「「「「「…………」」」」」
お嫁さん達はずっこける。それで何故エレオノーレの態度を見てフローラを思い出したというのか。言っていることが滅茶苦茶だ。
「もしかしたら私が家にあまりいなかったことも原因かもしれないわね……」
「……え?」
急に、ふと、マリアは陰のある顔をした。いつもニコニコしているマリアらしくなくて全員が面食らう。
「上の兄二人の時は十分構ってあげられたんだけど……、フローラちゃんの時はあちこちを転戦していたから……、もしかしたらそれでフローラちゃんは昔から親に甘えることも出来なくなってしまったのかもしれないわね……」
「「「「「…………」」」」」
重い沈黙が訪れる。フローラはしっかりしている。幼少の頃からずっと、子供らしくないほどにしっかりしていた。それは母親と触れ合える時間も少なく、父は男親としてしか娘に接することが出来なかったからではないか。母に甘えたい盛りの頃に母はおらず、父に歳の離れた兄達と同じようにしごかれたら……、それは嫌でも自立してしまうだろう。
「マリアおかーさまも、ミコトおねーさまも、皆、皆であそぼ?」
エレオノーレはただ話が退屈だっただけかもしれない。まだ幼いエレオノーレにとってはそんな重い話は理解出来ないだろう。しかし、それはまるでこの重い空気と沈黙を破るために放たれた言葉のようで、マリアもフローラのお嫁さん達もフッと頬が緩んだ。
「それじゃエレオノーレ!まずはこれで遊びましょ!」
そう言ってミコトが取り出したのは……。
「なぁにこれぇ?」
ミコトが取り出したのは中身がジャラジャラと鳴る布の袋、いや、玉だった。
「これはお手玉よ!フロトに作ってもらったの!」
「どうやってあそぶのー?」
不思議そうに布の玉を見ているエレオノーレの前でミコトがお手玉を放り投げた。
「それはね……。こうするのよ!」
ミコトは次々とお手玉を空中に投げる。そして!弧を描いたお手玉はミコトの逆の手に収まることはなく、ボトボトと全て床に落ちた。
「「「「「…………」」」」」
「これは私の国の玩具よ!」
しかしミコトはババーンッ!と何事もなかったかのように一つお手玉を拾ってエレオノーレに示しながらそう言い切った。落としたことはなかったことにしたのか。それとも落としたが気にしていないのか。それはミコトにしかわからない。
「こう?」
エレオノーレもミコトの真似をして一つ放り投げる。そしてポトンと床に落とした。
「あ~……。エレオノーレ姫様、お手玉はそうやって遊ぶものではありませんよ。一つ僕がお手本を見せてご覧に入れましょう」
そう言うとお手玉を拾い上げたクラウディアはポンポンポンと手際よくお手玉を放り投げては捕まえ、持ち手へ受け渡すとまた放り投げるのを繰り返した。いくつものお手玉がポンポンと空を舞う。
「わぁっ!すごーい!エレオノーレもやるー!」
運動神経が良いクラウディアが次々お手玉を放り投げるのを見てエレオノーレも真似し始めた。しかしそう簡単にはいかずポトポトと落とすばかりだった。
「一度にたくさんするのは難しいのでまずは一つずつ練習しましょう。こうやって……」
たくさんのお手玉を一度にやろうとするエレオノーレを止めて、クラウディアが一個でのお手玉を教える。エレオノーレは物覚えが良いのか一つでのお手玉はすぐに覚えた。しかし二個に増やすと途端に難しくなるのか、中々うまくいかない。
「むーっ!」
最初は夢中で練習していたエレオノーレも何度も失敗しているうちにむくれてきていた。そこへすかさずアレクサンドラが近づいてくる。
「エレオノーレ様、良く見ていてくださいね」
「…………」
ちょっとふくれっ面のエレオノーレがアレクサンドラの手元を見ていると……、両手の指の間に糸が通されていた。そして指をスルスルと動かしていくと……。
「はい。はしごですわ!」
「うわぁ!すごーい!」
スルスルと糸が形を変え、色々な形になっていく。出来上がった物がそれに見えるかどうかは多少こじつけもあるとしても、ただ両手で輪っか状の糸が形を変えていくのが面白い。あやとりは知識と経験、つまり記憶力と手先の器用さが肝心だ。体力や運動神経はないが勉強熱心なアレクサンドラには向いている。
「どうやるのー?」
「こうやって、ここに指を通して、こちらの指を離して……、はい、ほうき」
「できたー!」
アレクサンドラに指を動かしてもらいながらやると簡単に出来る。しかしいざ一人でやろうとするとうまくいかない。何度も失敗しているうちにまた次第に顔がむくれてくる。時々アレクサンドラが教えるが、あまり教えようとすると余計に怒って嫌がってしまうのである程度は黙って見ているしかない。
「むーーっ!!」
「エッ、エレオノーレ様、次は私とおはじきをしましょう!」
段々むくれてきているエレオノーレに、今度はルイーザが円くて平たい小さなガラスの粒をバラバラと取り出してみせた。
「これはぁ?」
「これはおはじきと言うんですよ。二人で遊ぶ時はこうしておはじきを重ならないように広げて……、指で弾くおはじきと、狙うおはじきの間を指で切ります。他のおはじきに触れたら失敗です。出来たら片方を指で弾いて……、狙ったおはじきだけに当たったら成功。もう一度その間を指で切ったらおはじきを取ります」
説明しながらルイーザがお手本を見せる。細かいルールの違いなどは地方によってローカルルールがあるだろうが、ここでは特に細かいルールは気にせず遊んでいる。あくまで子供の遊びの一環だ。
しかしエレオノーレにとっては違う。透明なガラスのおはじきに、見失わないようにわざと一部に色が混ぜ込まれている。そのおはじきがキラキラと綺麗でエレオノーレにはまるで宝石のように感じられた。
「それではエレオノーレ様から始めてください」
「ん~~~っ。えいっ!」
ピチッと弾くがおはじきがうまく飛ばない。シュルシュルっと違う方向に少し動いただけだった。
「むーーーっ!!!」
「え~っと……、そっ、それじゃまずは練習しましょう!ね?一つだけおはじきを置いて、これに当てる練習です。さぁどうぞ」
ややこしいルールや回りのおはじきは一度片付ける。一個だけに集中して指で弾いた。
「むーーーーーっ!!!!」
しかしちゃんと飛ばない。今度は強すぎて明後日の方角に飛んでいってしまった。不器用な子供がするには慣れないうちは難しい……、のかもしれない。ルイーザ達ほどの年齢になればむしろ簡単すぎて先攻した方がほぼ勝つだろうが、初めておはじきをする幼いエレオノーレにはこれでも難しいのだろう。
宥めつつしばらく繰り返しているとようやくおはじきが当たった。威力が強すぎるから他におはじきを置いていたらきっと他のおはじきにも当たってしまっているだろうが、一個を狙って当てること自体は出来た。
「あたったー!」
「はい。おめでとうございます」
その後も皆で色々な遊びをしていく。前にやったものでもまた人を増やしてやったりすると気持ちが変わるのか、エレオノーレはあっちをして遊び、こっちをして遊び、すぐに興味をコロコロ変えながら遊んでいた。
「私が遊んであげていたのに……」
どの遊びもミコトの国の遊びの玩具をフローラが作ってくれたものだ。しかしミコトは幼い頃からそんな遊びなどしたことがなくどれもうまくない。皆はそれぞれ得意な遊びでエレオノーレと遊んでいるがミコトはどれをやってもうまく出来ないのだ。
「カタリーナはエレオノーレと遊ばなくて良いの?」
「私の知る遊びはエレオノーレ様にはまだ早いので……」
二人で皆が遊んでいるのを眺めながらそんな話をする。エレオノーレにはまだ早い遊びとは一体何なのか気になったミコトは具体的に聞いてみた。
「エレオノーレにはまだ早い遊びって何よ。それにカタリーナは一番幼少の頃からフロトと一緒だったんでしょ?子供の頃のフロトは何をして遊んでいたの?」
ミコトがフローラと出会った時はすでにそれなりの年齢だった。それに二人とも森の中で勉強や修行をしていたのであって遊ぶというような感覚ではない。それよりも昔からフローラのことを知っているカタリーナは、フローラと一体どのようにして遊んでいたのか。
「私がフローラ様とお会いした頃にフローラ様がされていた遊びといえば、本を読まれたり体を動かしたりされていました」
「ふーん?どんな本?どんな運動をしていたのかしら?」
思ったより普通だなと思いながら聞いてみると……。
「歴史の本を読まれたり、魔法書を解読されたりです。あとは鉄製の剣を振り回しておられました」
「…………それって遊びっていうの?それは勉強とか訓練とか修行とか言うんじゃない?」
眉一つ動かさずそう答えるカタリーナにミコトは呆れる。しかしカタリーナはさらに平然と答えた。
「勉強は家庭教師達からみっちりと、訓練はお父上様より受けておられました。それとは別にフローラ様が個人的趣味で勉強や訓練とは関係なくされていたのです」
それを遊びと言っていいのかどうか……。ミコトが同じ歳の頃はどうだっただろう。城の中で後継者争いに巻き込まれ不自由な生活をしていたとはいえ、さすがに幼い頃までそんなにヘビーな環境ではなかったように思う。フローラは一体どんな幼少期を送っていたというのか。
「じゃあカタリーナはどうしていたのよ?」
「私はフローラ様の下から離れてメイドとして訓練に励みましたので遊んでいる暇などありませんでした。私の遊びと言えばナイフ投げや暗器を使うことです」
「あ、そう……」
この主従はどうなっているのか。ミコトとイスズでももう少しは平穏な生活を送っていたというのに、フローラとカタリーナの幼少期は殺伐としすぎている。普段からフローラのこと以外では氷のように冷たい表情をほとんど動かさないカタリーナに、これからは少しだけ優しくしてあげようかなと思ったミコトなのだった。




