第三十八話「社交界デビュー!」
「ふぅっ……。これで終わりっと」
俺は確認した書類にサインして印を押した。最近俺は事業の方の書類も処理するようにしている。ヘルムートとイザベラがあまりに優秀すぎて何も言って来ないから任せっきりにしていたけどこれらは本来ならば俺がしなければならなかった仕事だ。今更ではあるけどこれからは少しずつ事業にも関わっていこうと思っている。
一通り決済の書類を処理し終えた俺は今度は報告書を読み始めた。こちらは別に急ぎの用ではなかったり俺がとやかく言う必要のないものばかりだ。事務的な報告や急ぎではない要望などに目を通していく。
「えっ!ルイーザが……」
その報告書の中にルイーザの名前を見つけて固まる。それは王都で新しく拓く牧場と養鶏場に関する報告書だ。俺は前回の王都訪問時に王様に王都近郊で牧場と養鶏場を拓かせてくれと頼んだ。もちろんその場でオーケーを貰ったので場所や人員や初期費用についてはヘルムートやイザベラに調査して段取りをつけるように指示しておいた。
その王都で新しく拓く牧場と養鶏場で働く者は基本的に現地で雇うことにはなっているけど全員まったく初心者からスタートというわけにはいかない。そこでこちらの人員の一部を指導者として向こうへ転勤してもらえないか希望者を募ることになった。
王都は遠すぎてこちらの目も行き届かないし信用出来てこちらで仕事にも慣れている者を何人か向こうへ転勤してもらう希望者の中にルイーザの名前がある。
何でルイーザが?
ルイーザは農場で働いていて牧場や養鶏場では働いていなかった。転勤者の経験や経歴の欄にもそう書いてあるから間違いない。俺と会わなくなってから牧場に移ったというわけでもないようだ。
もちろん最初に適性がどこかわからないから全体を経験してもらっているはずだけどその結果ルイーザが農場配置になっていたのなら適性は農場だったんだろう。それなのに何故農場は拓かず牧場と養鶏場を拓くだけのはずの王都にルイーザが転勤するのだろうか。
備考欄には勤務態度に問題はなく養鶏場の研修を受けて仕事の習得には問題はないと書いてある。どうやら転勤するためにわざわざ養鶏場の研修を受けたようだ。
そんなにカーザーンに居たくないのかな……。ルイーザが王都に行ってしまえばおいそれとは会えないだろう。それにルイーザは家族ごと王都へ引っ越すと書かれている。家族ごと引っ越してしまえばもうこちらに戻ってくる理由もない。
少し胸がズキリとする。だけど赤の他人である俺がとやかく言えることじゃない。ルイーザの家にはルイーザの家の事情があるだろうしどうして王都転勤を希望したのかはここには書かれていない。別に転勤者に理由を聞けとは指示していなかったし込み入ったことに踏み込むべきではないと思って希望理由は不問にしている。
気にはなるけどどうしようもない。椅子から立って窓際へ移動した俺は外を眺めながらあの活発だった少女のことを思い浮かべていたのだった。
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そろそろ社交界デビューの日が差し迫ってきている。注文していたドレスはすでに仕上がっているから今日は家で試着してみることにした。
仕立て屋では何度も試着しているけどそれは完成前の手直しで試着していたのがほとんどで完成品は一度しか着ていないし着付けは向こうの店員がしてくれていた。家で試着するのは当日にメイドさんが着付け方法がわからず予想以上に時間がかかったりしてはいけないからだ。今のうちに着付けしておいてドレスの着方や着替えにかかる時間をある程度把握しておく方が当日スムーズにいける。
まぁ着替えの手伝いのメイドさんってイザベラだけですけどね……。今イザベラはカーザース辺境伯家のメイドを首になっている。というと変な言い方なので訂正しよう。イザベラはカーン騎士爵家のメイドとして俺が雇うことになった。
社交界デビュー云々の話の時に父に言われた通り今度の社交界デビューで俺は自力でカーン騎士爵家としてデビューしなければならない。カーザース家の力は借りられないからお付きの者も馬車も全て自前で調達する必要がある。
ヘルムートはカーザース辺境伯家に仕えるロイス家のご子息なわけで、ロイス家の跡継ぎは別にいるらしいけど勝手にカーン家に仕えるということは出来ないようだ。いずれカーザース家から離れてカーン家に仕えてくれるとしても手順というものがある。そういう手順を無視して勝手なことをすると貴族社会では生きていけない。
それに比べてイザベラはもう年だし元々カーザース家の仕事から引退するつもりだった。家の方も他の者が管理しているようでいわばご隠居さんが趣味で出仕していただけのような感じらしい。そこでイザベラだけはすぐに手続き出来るということでカーザース家のメイドを引退してカーン家のメイド長としてカーン家のメイド達の指導をしてもらうことになった。
もちろんそれは名目で実際にはカーン家にはイザベラしかいない。ただ建前上引き抜いたとか主家を移ったと言われないために隠居したベテランに新興家であるカーン家の新しいメイド達に指導してもらうために招いた、という形にしているだけだ。そんなものは建前だというのは公然の秘密だけどこういう手順を踏まないと色々と面倒なのが貴族社会というものらしい。
「申し訳ありませんフローラお嬢様……、これはどのようにすればよろしいのでしょうか?」
「え?あぁ……、これはこっちで結んで留めておくためのものです」
姿見の前でイザベラに着付けしてもらっていると少し困っていたイザベラが着付け方法について聞いてきた。普通のドレスなら何十着と見てきたイザベラも俺がデザインしたこの世界には二つとないこのドレスは少々着付け方法がわからなかったようだ。
「まぁまぁまぁ!フローラちゃん!素敵なドレスね!」
「お母様」
ドレスの試着がほぼ終わりそうな頃に母が部屋に入って来た。日本人の俺の感覚からするとこの家の家族は何だか変な感じがするけど一番わからないのはこの母かもしれない。俺が生まれてもうすぐ十年にもなるのに母はまるで変わったように見えない。
例えば毎日見ていると少しずつの変化に気付かず何年も前から変わってないような気がする。でも昔の写真や映像と比べてみればやっぱり老けているというのは普通にあり得ることだろう。確かにそういうものはあると思うけど母はそれとはまったく違う。
まず母は俺が幼い頃は比較的一緒に居たけど俺がある程度歳を取ってからは急にフラッとどこかへ行って急にフラッと帰ってくるなんてことが増えた。今日も今までいなかったはずなのにどこへ行っていたのか急に帰って来た。だから途中からは毎日見ているというほど見ていない。
見た目が老けていないように感じるのが俺の主観だけということもないだろう。実際他の同年代くらいと思われる相手と比べても母は異常に若く見える。上の兄フリードリヒが俺より七つ年上だから十七歳くらいだろう。若く見えると言われていた日本人と比べても母は十七歳の子持ちとは思えない若さだ。
見た目はまぁアンチエイジングで努力して若さを保っているにしても普段の生活がよくわからないというのも不思議だ。母は何日も家を空けていたかと思うと今のように急に帰ってくる。誰も何も言わない。不貞を働いているということもないだろう。ああ見えて父と母は未だにラブラブだ。そのうち俺の弟か妹が出来るんじゃないかと今でも思っている。
じゃあ何故急に何日もいなくなるのか。どうして誰も何も言わないのか。どこで何をしているのかさっぱりわからない。
「あらぁ?どうしたのフローラちゃん?お母様のことばかり見詰めて?寂しくなっちゃった?」
「うっ!しょんなことはありましぇんよ……」
ニヤニヤと俺に近づいてきた母はその立派すぎる胸に俺を抱き締めた。顔が埋まって息苦しい。アルベルトめ!いつもこんな素晴らしいものを触っているのか!うらやまけしからん!
「そう?あっ!そうだわ!今日はこれからずっと一緒にいましょう!ね?それがいいわ!」
「あぅ……」
俺には俺なりに色々と予定があったはずだけど母にこう言われては逆らえない。何だかんだ言っても結局俺は母が好きなんだな……。こうしてこの日は全て予定が変更になり母と一緒にドレスを試着したり語り合ったりご飯を一緒に食べたりして過ごしたのだった。
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今日は憧れの社交界デビューの日だ。俺はこの日を夢見て暮らしてきた。貴族の娘に生まれたと知った時からずっと憧れてきた舞台だ。
男のくせに社交界デビューで綺麗なドレスを着るのが憧れだったとか気持ち悪いと思うか?でも俺はずっとこういう場に憧れていた。俺が女の子ならああするのに、こうするのに、とずっと考え続けてきた場に本当に出られるんだ。うれしくないはずがない。
「準備はよろしいですか?お嬢様」
「はい、お願いします」
御者の確認に応える。俺は何の紋章も付いていない質素な馬車に乗り込んだ。馬車も御者もカーザース家のものじゃない。クルーク商会に頼んで用意してもらった所謂レンタルだ。お金の出所はもちろんカーン騎士爵家の事業の収入から出している。カーザース家には何の負担もしてもらっていない。
ヘルムートはカーザース家の者だから今日は連れていけない。レンタルの馬車に乗ってイザベラと二人で今日のパーティー会場へと向かう。期待と不安で胸がドキドキする。俺は今日憧れの社交界にデビューする。それもこの世界ではまったく認知されていない新しいデザインのドレスを着て……。
皆はこのドレスを受け入れてくれるだろうか。可愛いご令嬢、美しい淑女と親しくなれるだろうか。そして願わくば女の子達と楽しくキャッキャウフフ出来ますように……。そのことを願いながら馬車に揺られていたのだった。
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見る者を圧倒する豪華なパーティー会場に次々と立派な馬車が到着する。ここはカーザース辺境伯家が主催するパーティー会場だ。今日のパーティーの主役達は今年十歳になる子供達で今日はそんな子供達の社交界デビューという晴れの舞台だった。
この季節になるとプロイス王国各地で社交界デビューのためのパーティーが開かれている。ここはカーザーンやその近辺に住む貴族家の中でも比較的上流階級ばかりが集められるカーザース家主催のパーティーであり相当に格式が高い。
こちらに比べて格式の低いパーティーは別に用意されており家格の低い者達はそちらに参加している。名目上は家格の低い者達の合同パーティーということになっているが実際にはどちらもカーザース家の別邸にてカーザース家の寄付という名の下に出されている予算で行なわれているパーティーである。
「見て見て!あちらは例の伯爵家の……」
「あちらはあの子爵家の……」
会場前で次々降りてくる者達を眺めながら噂話に花を咲かせている者達は早くも鍔迫り合いを始めている。社交界とは何もただおしゃべりをする場ではない。情報を仕入れたり他家と親しくなったり、そしてライバルを蹴落とす場にもなり得る。
もちろん全てが険悪なものとは限らず、場合によっては同じ派閥の者同士による和気藹々とした社交場もあるだろう。しかし十歳のデビューというのは今後の各家の付き合いや上下関係が決まる重要な場でもある。この場で下が決まってしまったものは今後相当頑張らない限り上には上がれない。
そんな中この場には相応しくないやけに質素な馬車が到着した。御者の身なりも普通でとても格式が高いこの場にやってこられるような家とは思えなかった。そんな馬車に話していた者達も全員が注目して降りてくる者を待つ。一体どんな人物が降りてくるのか皆興味津々なのだ。
「お嬢様、どうぞ」
「ありがとう」
御者が昇降台を用意し随分年寄りのメイドが降りた後に続いて降りて来た者に男達からは『ほぅっ』と溜息が漏れた。馬車も異質ならば降りて来た少女の出で立ちも異常の一言に尽きる。
この場に参加している少女達は皆今プロイス王国で流行りである足首まであるフープスカートのドレスに髪を頭の上で巻いた髪型ばかりだった。
それに比べて今降りて来た少女は真っ赤な膝下丈ほどのタイトなスカートのドレスだ。ただしタイトスカートながら襞が斜めに三つついており端には大きなリボンがついている。とても斬新なスタイルだ。そして髪型は何の手も加えられていない。長い金髪をストレートに降ろしている。今流行りのスタイルとは決定的に違う。
美しい顔立ちにどこかの王族かと思うほどに気品に溢れた所作の一つ一つに男達は揃ってその少女に下心を抱いた。そして女達は揃って嫉妬の炎を燃やしたのだ。
あまりの出来事に受付もその少女のことを確認することもなく会場内へと通してしまった。主催者であるカーザース辺境伯家の挨拶がありパーティーが始まる。男の子達は挙ってある女の子を捜していたがその前にその少女は女の子達に囲まれていた。
「貴女……、随分質素な馬車で来ていたわね?どこの家の方かしら?」
ややつり目の性格がきつそうな少女はゾロゾロと手下のような少女達を引き連れてその女の子の前に立っていた。
「え?私ですか?私はカーン騎士爵家のフロト……」
「まぁ!騎士爵家ですって?それもカーン家?聞いたこともありませんわね!いいですか?ここは家格の高い方達の集う格式の高いパーティー会場なのです。騎士爵家が来る場所ではありません。貴女会場を間違えられたのではありませんか?」
騎士爵家と名乗った女の子フロトがしゃべる前につり目の少女は蔑んだ目でしっしっと手を振る真似をした。フロトに声をかけようとしていた男達も立ち止まる。相手が騎士爵家というのならば例えどれほど美しかろうともこの場で声をかけるような相手ではない。愛人として囲うのならば美人ならば出自は問わないだろうがこの社交場において騎士爵家などと親しくしていれば自分の家まで軽んじられてしまう。
「私はリンガーブルク伯爵家の長女アレクサンドラ・フォン・リンガーブルクです。リンガーブルク伯爵家は最も古くからカーザース辺境伯家に仕え、最も家格が高く、最も功績の多い、カーザース辺境伯家内においてカーザース辺境伯家に次ぐ二番目の名家です」
「騎士爵家なんてお呼びじゃないのよ!さっさと消えなさい!」
アレクサンドラがベラベラと家の自慢を語り続けている間に取り巻きの一人が持っていたグラスの飲み物をフロトの頭からかける。周囲で様子を窺っていた男達からも一斉にドッと笑いが起こった。
「ちょっと貴女!何をしているの!」
しかし、パシンと渇いた音を立ててアレクサンドラに頬を叩かれていたのは飲み物をかけた取り巻きの方だった。
「まぁ、折角のドレスが台無しになってしまったわね。私の予備のドレスを貸して差し上げるから急いで着替えて向こうの会場へ向かいなさい。今ならまだ急げば間に合うわ」
「……え?」
「「「…………え?」」」
「「「「「………………え?」」」」」
かけられたフロト本人はコテンと小首を傾げてアレクサンドラを見た。騎士爵家の者を笑い者にして追い出すつもりだった取り巻き達はポカンとして声を漏らすのが精一杯だった。そして周囲で見ていた者達は何が何やらわからずただ呆然としていたのだった。




