第三百七十話「敗因は?」
ウィンチズターの貴族も、兵士も、市民も、誰も真剣に考えてなどいなかった。この城郭都市はかつて数万の大軍に包囲されても落ちなかった難攻不落の要塞だ。先のギヨームやフラシア王国軍とでも篭城して戦えば負けなかったと自負している。
それなのにエセック王国などという遥か昔に滅亡した国を名乗るわけのわからない勢力に、少し包囲されたからといってそう簡単に落とされるわけがないと軽くみていた。
王城の会議室に集まっているロバート一派は窓から外を眺めつつ暢気にこれからの対応を話し合う。一刻後に攻撃を開始すると言われているが、むしろ堅牢な城に篭る自分達に対して、寡兵であるエセック王国とやらが攻撃してくれる方がありがたい。城壁を盾にして敵を疲弊させ、弱った所で逆に打って出てやる。そんなことを話し合っていた。
城壁の下で待機している予備兵力もそうだ。精々自分達の出番など弓を射るか、投石か、大した役割など回ってこないと思っていた。市民達もウィンチズターが灰燼に帰すなどとは思っておらず、そもそも自分達は関係ないと高を括っている。ギヨームに支配されていた時も何もなかったのだから今回も関係ないと思っているのだ。
しかしギヨームは仮にもウェセック王は自分だと主張し、ウェセック王国を支配するためにやってきた。当然ウェセック王国の国民であるウィンチズターの市民達を無闇に攻撃するはずがない。だが……、今度の敵はエセック王国だと、そして国家間の宣戦布告であると宣言している。それを同列に考え、侮っていたのはウィンチズターが長い間攻められることがなかったからかもしれない。
ウィンチズターのほとんどの者が今回の事態をそうして甘く見ている中で、城壁の上で敵が仕掛けてくるのを今か今かと待ち受けている兵士達だけが、これはもしかしてまずいのではないかと気付き始めていた。
「なぁ……、敵が用意しているあれは何だと思う?」
「さぁな……。どうせ碌な物じゃねぇだろ……」
城壁の上から敵の動向を窺っていた兵士達はヒソヒソと話し合う。エセック王国と名乗った敵は、何やら大きな黒い筒のようなものを並べている。それが何なのかわからないが自分達にとって碌でもないものであろうことは想像がつく。
それに一部の兵は妙な杖を持って並んでいる。あちらも一体何をするつもりかさっぱりわからないが、わからないながらも一つ言えることは、一番に攻撃されることになる自分達にとって碌な物ではないだろうということだ。
「でっ、でけぇ……」
「何てでかさだ……」
そして港側を守る兵士達はどんどん近づいてきている敵艦隊の姿に恐れ戦いていた。十隻近くもいる超巨大船が悠然と自分達の方に近づいて来るのだ。それはまるでウィンチズターの海上戦力や、地対艦攻撃など意味もなく相手にもならないと言われているかのようだった。
「あんな距離で横を向いたぞ?」
「接岸して上陸してくるんじゃないのか?」
この時代の船は火矢や投石機、バリスタで攻撃してくることはあっても、最終的には接舷しての白兵戦、接岸しての上陸が主な戦法となっていた。接岸するまでにまだ距離のあるこの時点で船の腹を見せていることが理解出来ない。
ウィンチズターは海に面しているために海からの攻撃にも備えるように出来ている。海に面するように城壁は築かれていないが、港の少し先にはきちんと海からの侵入を食い止めるように城壁が作られていた。兵士達はその城壁に陣取っている。
今回ウェセック王国側は完全に防衛に徹する作戦なので、港での上陸阻止は行なわず、城壁に下がって上陸してきた敵を迎え撃つ予定だった。それなのにまだ岸から先の地点で敵の船は横を向いてしまった。何が狙いかさっぱりわからない。
「おい……。あの敵艦の舷側の窓から出てる筒は何だ?」
「俺にわかるわけねぇだろ……」
まだこれほど距離があるというのに……、敵は横を向いて腹を見せた。その腹からは何やら黒い筒のような物が突き出している。何をするつもりなのかはわからないが、とにかく不安だけが兵士達の間に募っていったのだった。
~~~~~~~
最前線の兵士達だけが極限の圧力を感じ、他の者達はのんびりと構えていた時、再びまるで耳元で囁かれているかのような、例の声が聞こえてきた。
『一刻経ちましたが我が軍に不意打ちをした者達は差し出されませんでした。ハロルド王に協力していた我が軍を後ろから不意打ちし、死傷させた罪はその命をもって購っていただきましょう。先の不意打ちをウェセック王国による我がエセック王国への宣戦布告であったと確認しました。エセック王国全軍、攻撃開始!』
「はっ!何が攻撃開始だ。精々出来ることと言えばどうせ遠くから包囲することくらいだろう!」
ロバート一派の貴族の一人がそう言った瞬間……。
ドンッ!
という今まで聞いたこともない音と
ドゴーーンッ!
という何かが崩れる音が響き渡った。
「何事だ!?」
あまりの音に慌てて窓の外を確認する。すると……。
ドンッ!ドンッ!ドンッ!
と、あちこちから同じような音が響き、ガラガラと石やレンガが崩れていく音が鳴り響いた。他の貴族達も慌てて窓に駆け寄る。そこで見た光景は……。
「しっ、信じられん……」
「何だこれは!?」
陸の東、西、北のどれも、そして海の南も、全ての方角から煙が上がっている。
「馬鹿な……。馬鹿な!こんな馬鹿な!」
数万の大軍に包囲されても落ちることがなかったウィンチズターの城壁は、先ほどの攻撃開始の宣言からものの数分もしないうちにあちこちが崩れ落ちていた。完全に全てが崩れているわけではないが、最早城壁としては何の意味もなさない。あちこち隙間だらけで、敵の侵入を防ぐことなど出来なくなっていたのだった。
~~~~~~~
城壁の上で敵軍を見ていたウェセック王国兵が最後に見た光景は、目の前が見えなくなるほどに迫った丸い何かだった。
ドンッ、ドンッ、と腹に響く音が鳴るたびに城壁が吹き飛び、その上に居た兵士達が崩れた城壁に飲まれて消えていく。さらに城壁の後ろに控えていた兵士達も城壁を突き抜けてきた何かに潰されたり、崩れた石に巻き込まれたり、あっという間に防衛体制は瓦解していた。
「城壁から離れびょ」
指示を出そうとしていた隊長の頭が吹き飛ぶ。
「たっ、たすけ……」
つい先ほどまで冗談を言い合っていた仲間が、崩れた城壁に挟まれ手を伸ばしてくる。
「うわぁぁ!助けてくれぇ!」
勇猛果敢で数多くの功績を挙げた歴戦の兵士が、情けなく悲鳴を上げて逃げ惑う。
何が起こっているのかわからない。理解出来ない。ただあの音が聞こえると何かが崩れ、誰かが吹き飛ぶ。成す術などない。これは戦争ではない。虐殺、蹂躙、一方的な暴力の嵐だ。
「へっ、兵隊さん!助けてくれ!」
城壁を超えて到達したナニカはその先にある民家まで破壊していく。石やレンガが崩れ、その下敷きとなった住人が逃げ惑う兵士に助けを請う。
「お前に構ってる暇なんてあるか!」
「そっ、そんな!頼む!助けてくれ!何故……、どうして俺がこんな目に!」
偶然隙間があったのか、致命的な箇所が挟まれなかったのか、下敷きになっていた男は割と元気だった。しかしその元気さが余計に恨めしかった。この絶望がはっきりと感じられるのだから……。
敵の攻撃は容赦がない。城壁を破壊し、城壁がなくなるとその先の民家まで破壊してくる。その民家がなくなればさらに先の民家まで……。外周部から徐々に瓦礫の山にされているウィンチズターの町は、王城から見下ろしていれば、まさに一瞬で崩れていく砂上の楼閣に見えたことだろう。
攻撃開始という合図から僅か三十分足らずで、ウィンチズターは全ての城壁を失い、城壁付近は全て瓦礫の山となっていた。そこで不意に攻撃が止む。そして再びあの声が聞こえ始めた。
『我がエセック王国の力は十分に理解出来たことでしょう。次が最後の警告です。半刻以内に、我が国の兵士に不意打ちをした者とその一派を差し出さなければ、今の攻撃と同じものがウィンチズター全域に及ぶことになります』
「「「「「――ッ!?」」」」」
町にいる市民も、兵士も、誰もがその言葉に青褪めた。もし助かる方法があるのならどんなことでもする。もう二度と今のような目に遭いたくない。誰もがそう口にし始めたのだった。
~~~~~~~
王城の会議室の貴族達は静まり返っていた。何も言えない。何も言いようがない。ほんの僅かな時間の攻撃によって……、難攻不落の大要塞であったウィンチズターが丸裸になってしまったも同然だ。王城の城壁や防備は残っているが、今と同じ攻撃をされたらあっという間に崩れ去るだろう。
「いや、いやいや!敵が今、急に手を止めたのは魔力切れでしょう!本当はもう全魔力を使い果たしたに違いない!だから手を止めたのだ!あんなものははったりだ!」
「そっ、そうです!そもそも敵の攻撃は射程が短いとみえる。あれならばこの王城に攻撃してくるまでに町を進んでこなければならない!城壁はなくなっても兵士はいます!この城が落ちるはずがない!」
『どうやら……、時間を与えてやったことを、こちらの攻撃が切れたからだ、王城などを最初から狙わないのは狙わないのではなく狙えないのだ、と言う者がいるようですが……』
ドンッ!
と海の方からもう一発音が聞こえたかと思うと……。
ドガッシャーーーーンッ!!!
「「「うおぉっ!?」」」
物凄い音と共に王城が揺れてロバート一派は青褪めた。海から放たれた一発は王城まで届き、どこかを破壊したのだ。どこが壊されたとかそんなことはどうでもいい。間違いなく届いたのだ。
つまり最初から王城を破壊するつもりだったならば、外壁など攻撃せず王城を攻撃出来た。出来るのにしなかったのだ。
「どうせもう城壁はない!あの攻撃を再開される前に兵士に打って出らせろ!何人死んでも構わん!これ以上敵にあの攻撃をさせるな!」
『攻撃を待っている半刻の間に、もしウェセック王国が攻撃を仕掛けてきたならば、即座に我々は攻撃を再開します。ウィンチズターより逃げ出そうとする者がいれば即座に攻撃を再開します。よく考えなさい。何故こんなことになったのか。誰が悪いのか。どうすれば良いのか。残された時間はあと半刻です。それを過ぎれば次は容赦しません。よく考えなさい』
その声が消えると同時に……、王都ウィンチズター中から怨嗟の声が響き渡った。そうだ。これほどの力を持つ相手に、同盟を結んでいたというのに、不意打ちを行い、怒りを買い、今も逃げ隠れしている。その者達を引き摺り出せ!そんな声が王城にまで響いてきているかのようだった。
「まっ、まずい!このままでは……」
勘の良い者の何人かはすぐにこの部屋から逃げ出そうとした。しかし……。
「そこまでだ!この反逆者どもめ!」
会議室に兵士がなだれ込んできた。それは元々王に属していた兵達だ。所謂近衛兵や親衛隊にあたる。会議室になだれ込んできた兵士達はロバート一派を全員捕らえた。そしてすぐさま次の行動に移る。
「エセック王国に反逆者どもを捕まえたと知らせろ!我々は降伏する!犯人も引き渡す!条件は全て飲むと伝えろ!」
一見勇ましいように聞こえるその隊長の顔と声は……、恐怖に彩られていた。先ほどの攻撃を見て、最早完全に恐怖に飲まれている。
先ほどの攻撃は戦争などではない。一方的な虐殺だ。騎士の誇りも名誉ある戦いも戦死もない。ただ全ての者が等しく挽肉にされる一方的な虐殺。戦場で戦い、力及ばず敗れて死ぬのなら本望。そう思って己を鍛えてきた屈強な騎士達が、今や見る影もなく敵に怯えて恐怖に喚いている。
今回の行動も義憤でも王への忠誠でもなく、ただあのように死にたくないから、敵が恐ろしいから、ただそのためだけにロバート一派を捕まえに来たのだ。もし王への忠誠が高ければ、そもそももっと前に行動を起こしているだろう。今更動いていることが何よりの証だった。
「ふっ……、ふふふっ……」
「反逆者ロバート・レスター!何がおかしい!」
縄で縛られていたロバート一派の貴族達の中で、ロバート本人だけはこの状況で笑っていた。誰もがあまりに不気味で何とも言えない。何故このような状況で笑っていられるというのか。ロバートは気でも触れたのかと誰もが思った。
「これが笑わずにいられるか?私の計画は完璧だった。全て順調だった。私は全てを手に入れるはずだった。それなのに……、最後の最後でこの様だ。私の計画は完璧だった。ただ一つ失敗だったのは……、敵が人ならざる化物だったということだ」
そう言って笑うロバートに、ロバート一派の貴族も、捕らえに来た兵士達も、誰もついていけなかった。




