第三百六十話「条約調印!」
もう時間も遅かったので、屋敷に案内した使節団を休ませて晩餐会の準備に取り掛かる。その際に母に声をかけた。
「お母様、あまり使節団の方を怖がらせては……」
「あらぁ?ヤマト皇の子供だっていうから少しばかり見てあげただけよぉ。でもあれはまだまだねぇ。ヤマト皇の足元にも及ばないわ」
それには同意する。確かにヤマト皇は化物だった。不意打ちで遠距離から大魔法をぶち込めばダメージは与えられるかもしれないけど、まともに戦って勝てるイメージは湧かない。それに比べればスバルはいくらでも勝ち筋がある。腕力勝負すれば俺の方が弱いけど、腕力だけで勝てないのは前の戦いの通りだ。
「それではスバル様を確かめるために少しからかっただけだと?」
「そうね。もうしないわ。見所はあるかもしれないけど……、フローラちゃんの方が上よ」
まぁ……、実際一回戦って勝ってるからな。どれだけ力があっても当たらなければ意味はない。スバルでは俺を捉えられないからよほどの偶然でもない限りは攻撃を食らうことはないだろう。
「勘違いしてそうだから言うけど、何も今の実力でフローラちゃんが上っていうだけの意味じゃないのよ。才能も努力も、何もかもフローラちゃんの方が上なの。だからフローラちゃんの方が強くて当たり前よ」
「えっと……、ありがとうございます?」
何と言っていいのかわからない。現状で俺の方が上なのは確かだ。これは自惚れとか油断とかじゃなくて純然たる事実。戦いにおいて彼我の実力差を把握することは基本でありながら最も大事なことだ。相手が自分より強いか弱いか。そしてその実力差がどれくらいか。それを正確に測るのも実力のうちだ。
それで言えば現状ではスバルは俺にまったく敵わない。力という一芸においては俺を上回るけど、それ以外は下だ。そもそも根本的なスピードが圧倒的に違うから向こうの攻撃が当たることがない。そして俺は魔法も使えるから離れていても一方的に攻撃出来る。負ける要素がない。
ただ母がいうような才能の差とかは俺にはわからない。本当に俺にはそんな才能なんてものがあるんだろうか。俺は今まで毎日必死に特訓してきた。少しでも強くなるために……。
でも母には一切追いつけず、父の背中もまだ見えない。俺ももう十六だ。この歳で両親の背中も見えない程度の実力しかないということは、俺は両親には遠く及ばず、ましてや追いつくことなんて出来ないんじゃないだろうか。それは俺に才能がないからなのか。それとも俺の努力が足りないのか……。
母が言うように俺に才能があるのだとすれば、その才能を活かすだけの努力が足りないということになる。逆に母が親の欲目で俺に才能があると評価しているのだとすれば、これ以上頑張っても無駄なのかもしれない。
もちろんそうは言ってもこれからも頑張り続けるしかないんだけど……、うちの両親やヤマト皇のような本物の化物相手に戦えるようになるとは思えないなぁ……。
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準備が整ったので使節団を招いて晩餐会を開いた。こちらは俺と母と兄、あとはカンベエやミカロユスなどの事前交渉に当たった外交官達が末席に座っている。向こうはスバルを中心とした今回の使節団と、向こうも事前交渉に当たった外交官達が並んでいた。
晩餐会と言ってもそんな形式ばったものじゃない。ただうちの料理を食べてもらっておもてなしをしているという程度のものだ。だから礼儀作法とかを細かく言うつもりはない。つもりはないけど……、これはどうなんだ?
「か~~~っ!この酒は我が国の上等な酒と比べても遜色がない!」
完全に出来上がってるスバルは真っ赤な顔をしながら酒を一気に呷った。うちもある程度銘柄や等級というものがある。まだ完全にルールや基準が決まってるわけじゃないけど、いくつかある酒蔵がそれぞれ製法などを変えて工夫しており、樽によって銘柄を分けたりと何パターンか味や種類がある。
その中でも上撰や特撰とされるものを何種類か用意して、こういう場でお客様に出すものとして準備している。この上撰や特撰は酒蔵などが自分達で決めているものであって何らかの基準があるわけではない。また味や風味の種類も決まっているわけではなく、辛口だからどう、甘口だからこう、という違いもない。
母の好みに合うのはフルーティーな風味の残るものだけど、それだって淡麗か濃醇か、甘口か辛口か、とは別だし、こっちの酒蔵では佳撰にされているけど、あっちの酒蔵では特撰になっている、ということもあり得る。
酒は様々な種類や基準があって難しい。特に今生では俺は水代わりのワインやビールしか飲んでいない。生水の飲めない地域も多いこちらではワインやビールは日本で言えば水みたいに扱われることも多々ある。
ただ今生では酒をたくさん飲むということがまだないからよくわからない。少し味見したこともあるけど、前世とは舌も変わってしまっているのかいまいち違いがわからなかったりだ。やっぱりある程度は色々飲み比べて、味がわかるようにならないと比べようもない。
だから酒のことは他の人に任せているんだけど、スバルはうちで用意している色々な種類の酒を頼んでは飲み干し、これはうまい、あれもうまいと言っている。少なくともまずいとは一度も言われなかった。それはいいけどあまりに飲みすぎじゃないだろうか。その上ワインとかビールもちゃんぽんしてるし……、絶対悪酔いすると思うけど……。
「おれぁなぁ……、子供のころから……、血塗れマリアの逸話を聞かされて育ったんだ……。そりゃあもう恐ろしい……話ばかり……だったぞ。でもな……、その話は恐ろしいだけじゃねぇ……。血に塗れてなお美しく戦場を駆ける天使だって親父も言ってた……。おれぁそれを聞いて恐怖と同時に憧れも抱いてたんだよぉ」
「スバル様、少し飲みすぎではないですか?」
完全にぐでんぐでんに酔っ払ってるスバルをやんわり諌める。一応今回は向こうは皇太子で俺はプロイス王国の一貴族にすぎないからな。向こうの方が立場は上だ。
顔は真っ赤で、目は据わって、呂律の回らない口で何か余計なことを言っている。周りの使節団員達も止めようとしているけど止められないようだ。
「それがなぁ!今日ようやくその憧れの人に……、会えたんだよ!……舞い上がるなって方が……無理なはなしだろ!うぃ~……。血塗れマリア!思っていた通り!いや、思っていた以上に!美しい!旦那さんがうらやましい!」
駄目だこりゃ……。完全に酔っ払ってる。確かに母は今でも異常なほどに若々しく美しい。今の俺と並んで姉妹だと言っても信じられそうなくらいだ。
でも人の母親を見て欲情するのはやめてもらいたい。男としてその気持ちはわからなくはないけど、でもやっぱりやめてほしい。それから母も『ほらほら!聞いた?』みたいな顔をするのはやめてほしい。母が歳の割に若くて綺麗なのは認めるけど、もうちょっと年相応の落ち着きは持ってもらいたいものだ。
「ちくしょー!俺も血塗れマリアみたいな綺麗な嫁さんがほしい!……そうだ。そのむすめなら……。おいフロト……、おれたちけっこんしよう……。そうすれば……」
「…………ほう?私を母の代わりに娶りたいと……?母の代用として私に嫁げと……?」
ザワリと全身の毛が逆立つような感覚がする。色々と言いたいことがある。でもうまく言葉に出来ない。母の代わりに嫁げというのも腹が立つ。母をそんな風に見て、しかも俺がその娘だからとそんな風に言うのが許せない。うちを侮るというのなら相応の覚悟を持って言ってもらいたい。
だいたい俺はミコトと結婚するんだ。それはヤマト皇、カムイも認めている。その俺にミコトを捨ててお前と結婚しろと?兄でありながら何という言葉か。あまりふざけたことを言っていたら、いくら酒の席とはいえ笑って許せなくなるぞ?
俺が男と結婚したくないとかそんなことは二の次だ。それよりも他に色々な感情がごちゃ混ぜになって頭に血が昇る。
「――ッ!?す、すまない……。酔っ払いの戯言だと思って聞かなかったことにして欲しい……」
顔面蒼白になってガタガタ震え出したスバルが頭を下げた。
「フローラちゃんもう許してあげなさいな。ゲオルクがフローラちゃんの魔力にあてられて気絶してるわ」
「え?あっ……」
母に言われて兄の席を見てみれば、白目を向いて泡を吹いていた。何かビックンビックン変な痙攣を起こしてるしヤバイかもしれない。
「え~……、テヘッ☆」
頭にコツンと拳を置いて舌を出して誤魔化してみたけど、全然誤魔化せていなかった。
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翌日は午前中の遅めの時間から早速条約についての話し合いが行なわれた。早朝に自分の仕事は終わらせているから多少時間がかかっても問題ない。
「う~~~……」
俺の正面に座るスバルがさっきからあ~う~とうるさい。それに顔色も悪いしずっとしかめっ面だ。理由はわかってる。二日酔いだろう。あれだけ酒を飲んで、しかもあれこれちゃんぽんしてたらこうなるのは目に見えている。少なくとも前世の俺はそういう経験を何度かしたことがあった。
「二日酔いがひどいようでしたらまた後日にしますか?明日にでもなれば二日酔いも治まるでしょう」
「いや……、大丈夫だ……。これまでの内容は理解している……。変更や追加の要望がなければこのまま調印してもいい」
おいおい……。それは言っていいのか?まぁ確かに事前交渉はもう纏まってるし、あとは俺達責任者がサインすれば終わりと言えばその通りだけど、だからってまだサインもしてないのにそんな本当のことを言っては交渉で不利になると思うけど……。
「それでは一応最終確認をしましょうか」
スバルはサインするだけの役でいい。そのために他の使節団員や事前交渉した者達がいるんだ。一応事前交渉で纏まってるけど、念のために両者が揃っているこの場でもう一度確認する。
正式名称は『ヤマト皇国とプロイス王国における相互不可侵条約』。基本的には名前の通り、お互いに侵略しないこと。またどちらかの国が交戦状態になった場合に、その相手国を援助や支援しないことが含まれる。交戦相手を支援するということは間接的侵略であるということで禁止というわけだ。
そして付随協約として、今後の人的交流や技術交流などの交渉の継続が明文化されている。まだ具体的に内容が決まっているわけではないけど、これからも交渉を通じてお互いに交流していきましょうという程度のものだと思っておけばいい。
この不可侵条約は俺にとってマイナスに働く。ヤマト皇国とプロイス王国の不可侵条約は他の条約や同盟があっても有効ということになっている。つまり……、カーマール同盟と戦争になってもヤマト皇国は中立不干渉を貫く必要があり、それはカーン家とプロイス王国が戦争になっても同じだ。
カーン家だけがヤマト皇国と条約を結んでいた間は、カーン家の後ろ盾としてヤマト皇国がある形だったけど、この条約が結ばれてしまったら、万が一、カーン家とプロイス王国が戦争になってもヤマト皇国は中立不干渉でなければならない。
まぁ条約なんて平気で破る国も多々あるわけで、むしろ一度結ばれたからと大事に守ろうとするのは現代地球でも日本くらいのものだろうけど……。普通の国なら都合が悪くなれば脱退したり、変更を求めたり、それどころか一方的に破棄することすらある。破棄の通告もなく不意打ちだってお手の物だろう。
もちろん俺はプロイス王国に反乱を起こす気はない。少なくともこちらからは……。
でもカーン家が力をつけすぎたからとプロイス王国がうちを潰しにくれば戦うしかない。そういうことは避けたいから、出来るだけ避けられるようには頑張っているけど、そんな未来は来ないと楽観して何の手も打たないというのは領主として失格だ。
その安全保障の政策の一環としてあったヤマト皇国の後ろ盾が、この条約で効かなくなったことを意味する。
俺としては、カーン家としてはこの条約が結ばれない方が良い。でもプロイス王国臣民としてはこれは喜ばしいことだ。それに俺が反対して潰したらそれこそプロイス王国の敵と看做される恐れもある。
「内容はこれでよろしいでしょうか?」
「ああ、問題ない」
お互いに内容を確認して、二通分にそれぞれサインする。これをお互いに保管しておくというわけだ。
「それではこれで……」
「『ヤマト皇国とプロイス王国における相互不可侵条約』締結ですな」
サインも終わり、お互いそれぞれの分の調印文書を掲げる。使節団や外交官達から拍手が起こった。
これで正式に両国間で条約が結ばれた。喜ばしいことだ。長年の因縁に終止符を打ち、ハルク海の安全は確保した。昨日到着してたったこれだけで終わりで良いのかと思わなくもないけど、事前交渉で纏まっていたお陰だろう。実際大臣とかが調印に行く時もこうだろう。事前交渉でほぼ纏まっていて、最後は調印するだけだ。その場で揉めることの方が少ないだろう。
確かにプロイス王国としてはよかったんだけど……、カーン家としてはますます安全保障について考えなければならなくなった。それを思うと少しばかり憂鬱だ。




