第三百五十二話「決戦!……決戦?……蹂躙?」
「ええい!どうなっておるのだ!」
ギヨームの怒鳴り声に答える者はいない。ギヨームの軍は最早進退窮まっていた。ギヨームが到着してから情報収集をするように言っても、未だに何の情報も集まっていない。それどころか被害が増すばかりでまともに戻ってきた者もいないということまで最近ようやく知った。
そして後方でも何かあったのか、補給も伝令すらも届かなくなった。ほぼ全軍をここに集めたとは言っても、後方にも支援部隊や輜重隊はいるし、輸送や伝令を担う者達が行き来している……、はずだ。しかし現実には送り出した者が戻ってくることはない。後方からの伝令も物資の輸送も一切届かない。
一体どうなっているのかと調査隊を出せば調査隊まで戻ってこなくなる始末だ。今ではもう誰も恐れをなして砦を出る者すらいなくなってしまった。
当然そうなれば物資不足がすぐに深刻化してくる。多少の備蓄があり、今や六千人ほどにまで減ってしまっているとは言っても、一切補給もなく何ヶ月も篭っていられるほどの備蓄があるはずがない。戦時中の臨時の砦でしかなかったここには備蓄といっても多少しかないのだ。
兵の士気は最低まで下がり、物資不足のために腹まで空いている。援軍が到着するどころか伝令すら届かず、後方や本国が何をしているのかもわからない。これがせめてあと何日辛抱すれば食料や援軍が届くとわかれば良いが、一切何の連絡もないためにいつまで我慢していれば良いのかもわからず不満が溜まっていた。
「どうして……、何故こんなことになった!?あと……、あと少しで私がウェセック王になるはずだったというのに!一体何故こんなことになったというんだ!」
ギヨームは机を叩く。ハロルドを追い詰め、あと少しで殺せるはずだった。ハロルドさえ殺せばウェセック王国はギヨームの物になるはずだったのに……、もう少しで手が届くはずだったのに……。
それが……、ノルン公爵とウェセック王を兼ねる最大の領主になるはずだった自分が……、何故こんなことになっているというのか。
食料がない。援軍が来ない。あれほど居た兵はこんなに減り、今や最大時の半分以下でしかない。一体何故こんなことになってしまったのか。何を間違えたというのか。
どうすればよかったというのだ?
その自問に答えなど出ない。そしてそれを答えてくれる者もいない。ただ……、この事態を全て客観的に見たならば……、ギヨームに原因はない。ギヨームがどうしようとも、どんな手を打とうとも策を練ろうとも全て同じ結末に辿り着いただろう。
ギヨームの唯一の間違い……。それはブリッシュ島に侵攻しウェセック王国を攻め、自らウェセック王になろうと野心をむき出しにしたことだ。ノルン公爵の地位だけで満足し、フラシア王国に引き篭もっていればこんな目に遭うことはなかった。少なくともフラシア王国が『今回の敵とぶつかるまでは』平穏無事に過ごせたことだろう。
しかし全てはもう遅い。最早手遅れ……。取れる道はただ一つだった。
「閣下……、最早我が軍の食料は底を尽き、士気は低下しております。これ以上この砦に篭っていても先はありません。このまま飢えて死ぬよりは……、ハロルド一派の城を攻めるより他に取れる手段はないかと存じます」
「…………全軍に出陣準備をさせろ」
「はっ……」
ギヨームもわかっていた。このままここに留まっていても飢えて死ぬだけだ。取れる手段は二つ。全軍をもってハロルド一派の城を攻めるか、砦を捨てて全軍で退却するかだ。
普通なら……、冷静ならここで後退を選んだかもしれない。しかしもうそんな選択をする者はこの砦にはいなかった。何故ならば後退しても安全とは思えなかったからだ。
もし伝令が通っていて後方の様子がわかっていたのならば、一度退いて態勢を立て直して再度戦えば良いという判断も出来たかもしれない。しかし伝令すら遮断されている今、後方もすでにやられているのではないかという不安が拭えなかった。
後方が安全で、本国から援軍が来るのなら……。そんな淡い期待はもう持てない。ならば退いた上で結局敵と出会うくらいなら、目の前の敵に攻撃を行い城を奪う方がまだ士気が保てるだろう。退却しようとした上に失敗して敵に襲われたならば完全に壊走してしまう。それなら前に出て、敵の食料を奪いに行く方が良い。
ギヨームとその配下の将軍、参謀達は覚悟を決めた。前進してハロルドの城を奪い食料を得る。それ以外に進むべき道はない。
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あれほど森を恐れていた兵士達も血走った目に荒い息で堂々と森を進んでいた。ここの所支給される食料も少なくなり常に腹が空いている。常に腹が空いた状態では次第に正常な判断が出来なくなってくる。そして気が荒くなり、大きくもなる。
これだけの人数で行軍していればいつものように森に食われて行方不明になるということもないだろう。これまでの経験上、ある程度大きな集団で行動していれば襲われずに無事に戻ってくることは確認されている。
それならば六千もの大軍で侵攻すれば森に食われることもなく、この先にいるであろう貧弱な敵集団と遭遇出来るはずだ。
ハロルド一派が大した勢力でないことは知れ渡っている。先の戦闘でももう陥落寸前まで追い詰めていた。それは生き残り達からも知らされているのだ。
人は自分の信じたい情報だけを信じる。自分が頼りたいことだけを頼る。だからギヨーム軍は『もう少しでハロルドの城を落とせるところまで追い詰めていた』という部分だけを信じて頼りにしていた。その寸前で『謎の勢力に襲われて六千もの軍が壊滅した』という情報を聞いていてもそのことを深く考えない。
そこには、どの道この攻撃で敵の城を落とせなければ食料が尽きて死ぬだけだ、などという心理も働いていた。退却して後方にあるかもしれない食料を手に入れるとか、本国まで逃げ帰る、という冷静なら考えそうなことを考えない。
先頭のネズミが池や川に向かって突っ込んでいくと、続くネズミ達も皆自ら水に飛び込んでいくように、ギヨーム軍は死へ向かって行進を続けていた。
「見ろ!敵の城だ!」
「ふーっ!ふーっ!なんだ!貧相な城じゃないか!」
「ははっ!」
森を抜けた先に見えた目標の城を見て兵士達の士気が上がった。いや、冷静な判断力もなくなっている者達が異様な熱気に包まれているだけとも言える。
確かにフラシア王国の立派な城に比べて貧相に見えなくはない。しかしこの城が特別貧相なわけではなく、これでもブリッシュ島では標準的な大きさと機能を備えた十分な城だ。今まで自分達もそういう城と戦ってきたのだから、その危険性も十分理解しているはずだった。
それでも最早正常でも冷静でもなくなっている者達には、目の前の貧相な城を落としさえすれば食料が手に入るということしか頭になかった。
城の前には広い平野があり布陣するには丁度いい。そして噂の海に浮かぶ巨大船というのは一切見当たらなかった。フラシア王国でも保有していない超巨大な船が二十何隻もいると聞かされていたのに、東に見える海を見てもそのようなものは一隻たりともいなかった。
「船なんていないぞ?」
「まさか……、前の部隊は自分達の失敗を隠すために嘘でもついたんじゃないのか?」
兵士達の間に楽観が広がる。そうだ。そんな敵など最初からいなかったに違いない。城攻めに失敗した部隊が自分達の失敗を居もしない敵の援軍のせいにして言い訳したに違いない。そういう意見があっという間に広がっていく。
それは何も兵だけではなかった。ギヨームも、その周りに侍る将軍も参謀も、全員がその意見に傾いていく。
「よし!平野に布陣しろ!敵はいるな?」
「はっ!城にハロルド軍がいることは確認しております!」
斥候は出せていないが、そのまま進軍し、敵が見える場所まで来てみれば、城壁の上をウロウロしているハロルド軍が確認出来た。敵が見えさえすれば何も恐れることはない。ハロルド達が敵ではないことはすでに証明済みだ。ならばいつも通りに蹴散らせばいい。
あっという間に平野に布陣したギヨーム軍は慣習通りに先触れを出し降伏勧告を行なう。予想通り降伏勧告を拒否したハロルド一派に最後の戦を仕掛ける。
「よぉーし!全軍進めぇ~~~!」
ギヨームの指揮で全軍が動き始める。ここまでくればもう勝ちは決まったも同然だ。六千もの大軍で、あの程度の城が落とせないはずがない。徐々に動き始める部隊をギヨームは満足気に眺めていた。
「何も恐れることなどなかったではないか。見よ我が軍を。これのどこに負ける要素がるというのだ」
本隊を残して攻撃部隊が隊列をなして進んでいく。その姿は圧倒的でこの戦の勝利を確信させるものだった。ほんの一瞬前までは……。
ドンッ!
という腹に響く低音。そして……。
ドパーンッ!
と地が爆ぜる音と地響きが伝わる。
「なっ、何事だ!?」
聞いたこともない音。感じたことのない振動。今回初めてこれを受けた者達は何事かと動揺を隠せなかった。そして……、前回の生き残り達はその音を聞いて恐慌状態となり一気に部隊は大混乱に陥った。
ドンッ!ドンッ!ドンッ!
音は立て続けに起こり、あちこちで土煙が上がり兵が舞い散る。ようやく音の発生源を見つけた。
「あっ、あそこです!」
参謀が指差す先を見てみれば、東の海岸近くから煙が上がっている。自軍は今攻城部隊と本陣が完全に分かれてしまっていた。丁度その間を分断するような位置から煙が上がっている。
「これは罠か!?」
攻城部隊と本陣が分かれるまで待ってから、その間を完全に分断するように魔法攻撃を放ってきているのだ。ただちにそう判断したギヨーム軍の上層部は対策を練る。
「これほどの魔力投射だ。そう長くは続かない!敵がさらなる行動に出る前に潰してしまえ!あの程度の魔法攻撃なら全軍がやられることはない!海岸の敵に突撃しろ!騎兵をまわせ!」
すぐに敵の策を見抜き行動に移る。ギヨーム軍が分断されるまで動いてこなかったということは、敵はそれほど大勢力ではないはずだ。敵の数が多いのならばこんな隠れるような方法で奇襲をしてくるはずがない。身を隠して魔法攻撃による奇襲で分断と混乱を狙う。こんな姑息な手を使うということはそうしなければ敵に勝ち目がないことを意味する。
その認識がすぐに広がり、騎兵隊がすぐさま海岸に向かって突撃を開始した。その後に歩兵も続いている。これだけの数で攻めれば敵に到達する前に全滅するなどということはあり得ない。誰もがそう思った。
パンッ!パンッ!パパパパパパッ!
「ぐぁっ!」
「ぎゃっ!」
しかし高く乾いた音が鳴り響いたかと思うと先を走っていた騎兵達が次々に血を流して倒れた。何が起こっているのかわからない。しかし突撃の命令は止まらない。前が倒れようとも後ろから次々に突撃を繰り返す。
「もうすぐ……、もうすぐ敵だ!」
先頭を走っていた騎兵がとうとう敵の煙が上がっている場所まで近づき……。
「うおっ!」
その姿を消した。後ろから追っていた者達には何が起こったのかわからない。忽然と姿を消した。そしてその理由がわかった時はもう遅かった。
「うわっ!」
「ぐあ!」
後続達も続々と……、落ちる。落ちて気付いた。やや上りになっている先に空堀があったのだ。こちらから攻める者にはその存在が見えない。上りを越えたすぐ先にある空堀に騎兵達が次々と落ちる。
「堀があるぞ!気をつけろ!」
落馬して骨折した者達もまだ死んでいるわけではない。中には運悪く下敷きになって死んだ者もいるが、声を張り上げて後方に状況を伝える。
「よし!状況はわかった!敵の姑息な手を越えるぞ!飛べ!」
罠も種がわかればどうということはない。上りを越えて、空堀を飛び越える。
「ぐぇっ!」
「ぎゃぁっ!」
「そっ……、そんな……」
しかし……、空堀を越えて飛べばその先には馬防柵が飛び出していた。丸太を尖らせ組んだ柵に思い切り飛び込めばどうなるか……。空堀を越えて飛んだ者達は全て自ら串刺しになりにいったのだ。
そして……。
パパパパパパッ!パパパパパンッ!
「「「「「ぎゃぁ!」」」」」
その遥か先からまた乾いた高い音が鳴り響く。音が鳴るたびに多くの兵が倒れのた打ち回る。大きな音がする方と違い兵が吹き飛び即死することはないが、むしろその阿鼻叫喚の地獄絵図が恐怖を掻き立てる。倒れ、痛みに呻く友軍を見て、後続部隊は躊躇い恐れ慄く。
しかし止まることは死を意味する。ドンッ!ドンッ!と低い音が鳴り響くと兵士が吹き飛び、パンッ!パンッ!と乾いた音が鳴ると誰かが倒れる。何が起こっているのか理解出来ない。どこへ行けばいいのかわからない。最早安全な場所などどこにもなく、進んでも地獄、退いても地獄。ギヨーム軍本陣は大混乱に陥っていた。
そして……、城に向かっていた攻城部隊は……、城の影からぬぅっと姿を現したモノに驚き立ち止まった。
「なっ、なんだあれは!?」
「巨大な船……。前の部隊の言っていたことは本当だったのか!?」
城の影から次々に姿を現すのはフラシア王国の船など遥かに凌駕する超巨大船。それが十隻以上も並んでいた。攻城部隊もまた進退窮まる。前は敵の城、側面は超巨大船、後方は海岸側から攻撃され悲惨な光景が展開されている。
超巨大船からドンッ!という低い音が鳴り響いた時、攻城部隊もまた地獄を見ることになったのだった。




