第三百四十八話「陰の戦い!」
フラシア王国ノルン公、ギヨーム・ノルンは勝利の美酒に酔っていた。
「ハロルドが立て篭もる城もあと幾日かで落ちる。そうなれば私がウェセック王だ!はははっ!はははははっ!」
すでにウェセック王国のほぼ全土を掌中に収めたギヨームは、自分の勝利を疑っていなかった。最後に立て篭もる中東部地域ももう包囲は完了している。最新の報告ではすでに何度も城に総攻撃を仕掛けており、陥落は時間の問題だと聞いていた。
ハロルドとその一族さえ皆殺しにすればもはやウェセック王国の継承権を主張する者はいなくなる。自分がウェセック王に即位さえすれば、まだ反抗的な地域もやがて大人しくなるだろう。
忌々しいことにアンヘル・サクゼン人達は自分を王だとは認めていない者がまだ多数いる。それでもアンヘル・サクゼン人の希望であるハロルドさえ討ち取れば終わりだ。
北のアルバランド地方や西のウィルズ地方など大した敵ではない。ウェセックが片付けば後は如何様にも処理が可能だ。今はハロルドとその一族さえ取り逃がすことなく始末すればいい。
自分がウェセック王に就きさえすれば……、フラシア王国のノルン公国に加えてウェセック王国まで掌中に収めれば……、いずれは自分の一族がフラシア王国すら支配出来るかもしれない。自分の代ではまだ無理だろうが、ブリッシュ島とノルン公国を支配していけば不可能ではない。
今も自分の手元にはフラシア王国から連れて来た一万の兵に、ブリッシュ島で従えた貴族や騎士達など三千人、一万三千にも及ぶ大軍がいる。今すぐフラシア王国に取って返し、奇襲で先制攻撃すれば王都くらいは落とせるかもしれない。
もちろんフラシア王国が態勢を整えて反撃されたら敗れる可能性も高い。最初に一万三千の兵でどれだけ敵を潰し、味方に引き入れることが出来るかで勝敗が決まるだろう。
そんな賭けに出るくらいならば今は大人しくブリッシュ島を手に入れ、ノルン公国とブリッシュ島の両方の支配を強めていく方が良い。それが出来ればいつかはフラシア王家の力を上回りフラシア王国を手に入れることも出来るだろう。
そのためにも今は出来るだけ力を温存しながらウェセック王国を手に入れ、やがてアルバランドやウィルズ、さらに西のエールランド島まで手に入れてやろう。そんな自分の輝かしい未来を夢想しながらワインを呷る。
「ほっ、報告します!」
「何だ。騒々しい」
今の状況に完全に酔っていたギヨームは騒がしく駆け込んで来た伝令に顔を顰める。
「ハロルド一派を包囲していた部隊が……」
「うむ」
しかしその言葉を聞いてついにきたかと鷹揚に頷く。めでたい知らせが届いたのだ。部下達が慌てるのも止むを得ない。その言葉を待ちながら少し姿勢を正す。
「包囲していた我が軍は壊滅いたしました!」
「そうか。ついにハロルドも……、……ん?」
絶対に思っていた言葉が聞かされると思っていたギヨームは一瞬伝令の言葉の意味がわからなかった。暫くの沈黙の後に再び伝令が口を開く。
「ハロルド討伐に向かっていた我が軍は壊滅いたしました!」
「なっ、なにぃっ!そんな馬鹿な!」
ようやく言葉の意味を悟ったギヨームは驚きのあまり椅子から転げ落ちた。ワインを頭からかぶって濡れるがそんなことを気にしている余裕もない。
「馬鹿をいうな!六千だぞ!ハロルド討伐に送り出したのは六千もの大軍だ!それが全滅したというのか!?」
「あ……、いえ……、一部は後方砦へ逃げ戻ったそうです」
「そっ、そうであろう……。驚かすな……」
椅子から転げ落ちたギヨームは立ち上がって椅子に座りなおすと木のコップにワインを注ぎなおした。六千の軍と言えば小国の総兵力にも匹敵しかねない大軍だ。フラシア王国でもいきなり六千の兵に攻められれば大混乱に陥るだろう。国が落ちることはなくとも、そんな数で奇襲されれば大損害を蒙る。
ましてや最早味方もいないハロルド達が、城一つに立て篭もっているだけの小勢力が、ほんの数日前の報告では陥落寸前と報告してきていたのに、たった数日のうちに六千が壊滅することなどあり得ない。
「約千は戻ってきたそうです」
「ぶふぅっ!」
ギヨームは口に含んでいたワインを噴き出しながら再び椅子から転げ落ちた。
「ごっ、五千もの兵がたった数日で殺されたというのか!?」
「いえ……、一部の兵はどさくさに紛れて逃亡したようです」
「そっ、そうであろう……。驚かすな……」
ひっくり返って再びコップから顔にワインを浴びたギヨームは、椅子に座りなおしながらコップにワインを注ぐ。
送り出した六千のうち二千は現地兵だ。もともとまだギヨームに忠誠も誓っていないウェセック王国の貴族や騎士や傭兵達は、状況が悪いと思えばさっさと逃げ出すだろう。
六千のうち二千が逃げ出し、千は逃げ帰ってきた。三千がやられたことになるが、例えば共にハロルドを攻めていたアルバランド王国が、奇襲で攻撃を仕掛けてきたりということがあればそれくらいの被害もあり得るかもしれない。
「数日ではなく一刻ももたずに壊滅させられたとのことです」
「――ッ!ブハッ!ゲホッ!ゴホッ!」
飲みかけていたワインで咽たギヨームは三度椅子から転げ落ちてのた打ち回った。いい加減頭にきたギヨームは伝令を怒鳴りつける。
「もっときちんと説明せよ!」
「はっ……」
きちんと説明しているのになぁと思いながらも伝令は理不尽な主君の命令に従ったのだった。
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ノルン軍は緊急会議を開いていた。先ほどの報告を受けて笑っていられるわけがない。
ハロルド討伐に向かっていた六千の兵はつい先日まで順調に進軍していた。沿岸の城にハロルド達を追い詰めた部隊はアルバランド王国とも協力してその城を攻めていた。あと少しでハロルドを討伐出来ると報告してきていたのはつい先日のことだ。
しかしその後突然状況が一変する。逃げ戻った者達の報告によればあと少しでハロルドを討ち取れるという所で東の海上から突如巨大な船が大量に現れたという。その船からとんでもない量の魔法攻撃を受けて部隊はあっという間に壊滅。這々の体で逃げ帰ってきたのは僅かに千の兵だけだったという。
残りの五千全てが死んだとは思えないが、それでも相当な被害を受けたのだろう。また六千のうち二千は現地兵だ。それらの兵はその隙に脱走したに違いない。
六千の部隊のうち千しか戻らなかったとすれば、ギヨーム達ノルン軍は五千の兵を失ったことになる。戻った千を合わせても残りは七千のフラシア王国兵と千の現地兵、合計八千しか残っていない。八千でも小国を潰せるほどの大軍ではあるが、それでも六千の兵をあっという間に破ったというのが本当なら油断は出来ない。
「状況がわからん!まずは斥候を出せ!逃げ帰った者達の報告だけでは要領を得ない。こんな報告では本国に救援は頼めん!」
ギヨームはすでに本国に援軍を頼むつもりだった。しかし援軍を頼むのなら相応に説明しなければならない。突然わけのわからない軍が現れて五千の兵を失ったので援軍をください、などと言って誰が送ってくれるというのか。
敵の所属、規模、目的、戦力、どうやって自軍を破ったかなどの詳細な情報がなければ説得など出来るはずもない。本国への追加支援と援軍の要請の準備をしながら、ギヨームはまず情報を集めるように指示を出したのだった。
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深い森の中、ノルン軍の斥候は慎重に歩を進めていた。今までいくつもの斥候部隊が森に入っては消えている。誰一人戻ってくる者はおらず、一体森で何が起こっているのかもわからない。それを調べてくるのが斥候の仕事だ。
「気味悪ぃな……」
「もう数百人は送り出したんじゃないのか?なんで誰一人戻ってこないんだ?」
腕の良い斥候など最早出し尽くした。今斥候に出ているのはただの歩兵だ。まるで情報も集まらず、送り出した者誰一人戻ってこない。専属の斥候など最早全員出し尽くし、後は普通の兵が恐る恐る森の中を進んでいるだけだった。
「…………」
「…………おい?」
返事がないことを不審に思った兵士が振り返ってみれば……。
「うっ、うわぁっ!?」
縄をかけられ木に吊るされている先ほどまでしゃべりながら歩いていた同僚の姿だった。先を歩いていた兵士も驚きの声を上げたが、しかしそれ以上声を発することは出来なかった。ゴトリと耳元で音がして、顔に冷たい地面が触れる。首が動かせないから目だけで見上げてみれば、首のない兵士の体がグラリと倒れるところだった。兵士の意識はそこで途絶えたのだった。
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ドンッ!と机を叩く音が鳴り響いた。
「どうなっている!何故誰も戻ってこない!」
先遣部隊の隊長は苛立ちを募らせていた。かれこれ数百人以上は森に放ったはずなのに、誰一人戻ってくる者がいない。ハロルド達が立て篭もる城付近の情報を持ち帰ってこいと言っただけだ。城に侵入しろとは言っていない。先の戦闘で何故負けたのか。介入してきたのはどこの軍か。それだけでも調べなければ……。
何故何百人も放っているのに成果がなく、それなのに同じことを繰り返し次々斥候を放つのか。それは主君であるノルン公の命令だからだ。
ノルン公は南西の拠点にいた。そこから周囲の部隊にも命令を出して集まりながらこの前線砦に向かってきている。伝令を受けた各地の部隊は続々とこの砦に集結中だ。そして砦の部隊には本隊が到着するまでに情報を集めておけという命令が下っている。だから砦の部隊は急いで情報を集めようと斥候を放った。
しかし誰も戻ってこない。止むを得ず後から合流して来ている部隊に斥候を出させた。それも戻ってこない。部隊が来ては次々その部隊の斥候を出させたが一向に誰も戻ってくる気配がないのだ。そしてとうとう専門の斥候がいなくなった。
他に代わりがいないのなら仕方がない。専門の斥候でなくとも人数を増やして送り出せば、何かしらの情報くらいは持って帰ってくるだろう。とにかくノルン公の命令を遂行しなければ自分達が罰せられてしまう。だから次から次に、五月雨式に、斥候の逐次投入を行っている。それなのに何故か誰も戻ってこない。
何日くらいでノルン公がここに来るかわからない。それにノルン公が来る前にこちらから情報を送らなければならないだろう。ノルン公がこちらに向かっているからと伝令を出して情報を送らなければ、それはそれで罰せられるはずだ。とにかくノルン公が来るまでに、いや、一刻も早く情報を手に入れなければ……。
その必要性に駆られて先遣部隊はとにかく次々に斥候部隊を送り出していたのだった。
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静かな森の中で、ジャンジカは木に背中を預けて息を吐いた。
「この仕事は中々骨が折れますな。アルマン隊長殿」
「この種の仕事は初めてと聞きましたが、ジャンジカ殿も初めてでそこまで出来れば素晴らしいですよ」
まるで疲れた様子も見せないアルマンはニッコリと爽やかな笑顔でジャンジカに微笑みかけた。しかしジャンジカとその部隊は汚れ、疲れているのに、アルマンの部隊はまるで疲れた様子もなかった。
ずっとこの深い森の中で、次々にやってくるフラシア兵を血祭りに上げているというのに、返り血で汚れることもない。
「血の匂いはすぐに気付かれます。それに魔物や獣が寄ってくることもあるので、返り血を浴びたり剣を濡れたままにしておくのはよくないのですよ」
「なるほど……」
アルマンの言葉にジャンジカは素直に頷く。この部隊は異常だ。いや、この部隊だけではない。フローラ殿配下の部隊はどこも異常すぎる。
剣の腕、力、素早さ、体力、そういったものではジャンジカの方が上回っているだろう。実際、訓練で手合わせしてもジャンジカに敵う者はほぼいない。しかし……、部隊同士で合同訓練などを行なったら何一つ勝てる要素がない。
士気、連携、作戦、部隊単位での戦いではジャンジカは一度たりとも勝ったことがない。ジャンジカの個人技だけでそれなりに善戦することは出来ても、模擬戦で目標を達成しようと思ったら勝てないのだ。
実戦となればジャンジカを討ち取るのは難しい。ジャンジカと同等以上の英雄並の実力を備えた者をぶつけて戦わせるくらいしか方法がない。
しかし……、実戦となればジャンジカがいくら多少の敵兵をなぎ倒しても、自らが守らなければならなかった場所が落とされては意味がない。城や、砦や、王都……。防衛任務であったならば、ジャンジカ一人が暴れまわっても意味がないことを散々思い知らされた。
その上フローラの下にはジャンジカを上回る化物もチラホラいるのだ。中でもカーザース一家とだけはもう二度と戦いたくない。あの親娘は異常すぎる。それに比べたらこの森での戦闘など楽なものだ。
「さて……、そろそろ次のお客さんが来る頃です。お迎えの準備をしましょう」
「ああ!心得た!」
アルマン達に合わせてジャンジカの部隊も準備に取り掛かる。結局アルマンとジャンジカ達は、敵の本隊が到着するまでに千五百の敵を血祭りに上げ、誰一人生きて帰すことなく情報を守りきったのだった。




