第三十四話「王族ってこんな簡単に会えるんだっけ?」
ヴィクトーリアと一緒に王都に向かった俺は実はもうすでに王都目前に来ている。日本人の感覚からすると長い気もするけどこの世界の時間の流れからすれば王都から戻ってまだそれほど経っていなかったというのに再び王都に行くと父に言ってもあっさり許可が下りたのには驚いた。
この世界では遠方へ出かけるというのは年単位の時間を要するのも当たり前の命を賭けた一大プロジェクトになる。移動ルートから移動手段、護衛、宿泊先、ありとあらゆることを考慮して長い時間をかけて移動する。王都とカーザーンほど離れていればそうおいそれと行けるようなものではない。
それなのに俺がヴィクトーリアの商会と一緒に王都に行きたいと言ったら父はすぐに許可した。俺が一人で出かけるとか言ったら屋敷のすぐ前ですら中々許可してくれないというのにこの違いは一体何なのか。俺は父に信用されていないのだろうか。
それはともかく許可を貰ってすぐに準備を始めた俺達はこの世界ではあり得ないほどすぐにまた王都へとやってきたというわけだ。ルートヴィヒが一年ぶりにカーザーンに来ただけでも脅威の早さだったというのに俺はそれ以下、数ヶ月で戻ってきたわけだからこの世界でそれがいかに異常かがわかるだろう。
ヴィクトーリアの用意してくれた馬車に乗り荷馬車に商品を積んでやってきた。そこで思ったことだけどもしかしてヴィクトーリアの商会はとんでもなく大きな商会なんじゃないだろうか?
王族の移動には各所に設置された駅家の馬を乗り換えて高速移動することは説明した通りだ。その王族の移動に引けを取らないほど高速で移動してきた。それも荷馬車も連れてだ。
ヴィクトーリアの商会は王都からカーザーンの道中にある町や村に馬を飼っている。つまり王家の駅家と同じシステムを敷いているわけだ。しかも荷馬車や商隊の馬の交換が可能なほどに多くの馬を、だ。それがどれほどのことかわかるだろうか。
馬というのは生き物で世話もしなければならないし餌も食う。世話をする人間の人件費もかかれば餌代も馬鹿にならない。それをあちこちに何頭も何十頭も飼って維持しているというのは相当なお金がかかっているはずだ。そのお金を出せるだけの商会ということは相当大きな商会じゃないかと俺が考えるのも頷けるだろう。
何よりそれだけの馬や人を各町に配置しても儲けが出るほど大規模な商売を行なっているということだ。利益があるから維持していられるのであって王家のように毎年税金が入ってくるからそのお金で維持出来るというわけじゃない。
これだけのお金をかけて駅家システムを独自に構築、維持しても利益があるだけの商会……。ヘルムートもイザベラも何も教えてくれないけどとんでもない相手なんじゃないのか?
まぁそれはもういい。ヴィクトーリアの商会がやばい商会だったとしても今更なかったことには出来ない。ここまで来てしまった以上はもう少なくとも今回の商談までは付き合わなければならないだろう。
それでヴィクトーリアに用意してもらった荷馬車に載せてきた商品だけど実は甜菜糖だけじゃない。この世界に致命的に足りていなくて豊かな食生活にはかかせない物が色々とあるだろう。それらを俺は順次農場や牧場を拡大しながら追加している。
今回持ってきた商品にするつもりの物は甜菜糖に加えて、セイヨウアブラナから搾ったサラダ油もどき、ゴマから搾ったごま油、そして牧場の牛乳から作った乳製品の数々だ。
この世界の油は基本的にオリーブオイルが主流になっている。本当にオリーブオイルなのか別の何かなのかは知らないけど食用油といって出てくるのは味も風味も地球のオリーブオイルに良く似た油だ。
本当は出来れば卵も欲しかった所だけど残念ながら日持ちしそうにないので移動の最初の頃に俺達が食べる分以外は持ってこなかった。俺の目的のためには王都で現地調達するしかない。ついでにカーザーンの養鶏場の知識と経験を活かして王都でも養鶏場を作りたい。
ともかくこれらを持って俺はルートヴィヒに会いに行く。王様にいきなり会わせろと言ってもそう簡単に会えるはずもない。前回の公式な叙爵式ですら決まるまでに何日もかかったのにほとんど無縁の俺がいきなりやってきて会ってくれと言ってもそもそも取り合ってくれるかどうかも怪しいだろう。
そんなわけで俺は婚約者の立場を利用してまずはルートヴィヒに会おうと思っている。ルートヴィヒはちょっとドMの困った子だから俺が言えば多少の無理でも聞いてくれるんじゃないだろうか。あまり餌を与えたり借りを作るのは避けたいけどそうも言ってられない。
王都で、そして王族と会えば近衛師団の……、クラウディアと会えるんじゃないかという期待とあんな別れをしたのにたったこんな期間で再び顔を合わせてどんな顔をすれば良いのかわからない不安のまま俺達は王都へ入ったのだった。
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王都に到着した俺達はその日のうちにルートヴィヒへの面会希望を出した。いくらルートヴィヒが十歳や十一歳の子供だとは言っても曲がりなりにも王族だ。今日会いたいと言ってはいそうですかと今日面会出来るはずもない。
そんなわけで面会希望だけ出して俺達は王都にあるヴィクトーリアの屋敷に泊めてもらうことになって屋敷へ向かった。
何故王都にカーザース辺境伯家の屋敷があるのにそちらに行かないのか。それはそこに住んでいる兄が問題だからだ。
前回父と一緒に王都の屋敷で住んでいた頃、兄とは一度たりとも顔を合わせたことがなかった。理由は簡単だ。兄が俺達が滞在している間一切家に帰ってこなかったからだ。
上の兄は間違いなく父を避けている。俺が一緒だったからじゃないだろう。普通に考えれば父と会いたくなかったからだと思われる。俺は生まれてから上の兄とはほとんど接点がないんだから俺が避けられる理由はない。
父が上の兄と不仲だという話は聞いたことがないけど思春期の兄が王都の屋敷で悠々自適だと思ったら父と俺がやってきて家から出て行ったのかもしれない。お金はそれなりにあるだろうし友人や家臣もいるだろうから数ヶ月くらいなら家以外でも住む場所には困らないはずだ。
そんなわけでそんな兄がいる屋敷に再び俺がやってきたらトラブルになる未来しか視えない。というわけで俺は宿をとるつもりだったけどヴィクトーリアの強い勧めでヴィクトーリアの屋敷でお世話になることになった。
今回の滞在は往復の日程も含めて一ヶ月前後を見込んでいる。つまり片道十日前後、往復で二十日前後、王都に滞在出来る日数は十日ほどということになる。
今日はもう夕方だしヘルムートとイザベラにはルートヴィヒとの面会の時に必要な物の段取りをしてもらって俺はヴィクトーリアに屋敷を案内してもらいながら夕食を済ませたら適当に寝ようかと思っていたのに思わぬ事態が発生した。
「フローラ!」
「へっ?ルートヴィヒ殿下?」
ヴィクトーリアと屋敷を歩いているといきなり扉がバンッ!と開かれて十一歳ほどの美形の少年が俺目掛けて駆け寄ってきたかと思うとそのままハグされた。
おい……。男のくせに男に抱きつくんじゃねぇ……。気持ち悪い……。まぁ地球でも外国では同性でもハグくらいはする文化もあるしおかしくはないのかもしれないけど俺はそういうのは慣れないしノーサンキューだ。
「どうしてこちらへ?」
何とかルートヴィヒを引っぺがしながら問いかけるとキラキラの目をしたルートヴィヒが俺を真っ直ぐに見据えながらわけのわからないことを言い出した。
「フローラが僕に会いに来たと聞いてすぐにやってきたのだ!たった数ヶ月離れていただけで我慢出来ずに再び僕に会いに王都までやってきてくれるとは!フローラの愛は確かに受け取ったぞ!」
いやいや……。何を言ってるんですか?俺はそんなつもりはまったくありませんよ?
「ルートヴィヒ殿下は何か誤解されているようですが用件は後日お伺いした時にお話いたします。準備もありますので後日またということで面会の予定をお知らせください」
「何をそんな硬いことを言っているんだ?僕とフローラの仲だろう?面会希望など必要ないぞ!いつでも僕の部屋へ直接訪ねてくるといい!」
う~んこの……。人の話を聞いてくれない……。もうどうでもいいか……。
「殿下、女性には色々と準備というものがあるのですよ。その辺りのことも察して差し上げるのが良い男ではないでしょうか?」
「おっ、おおっ!そうかそうか!そうだな!僕としたことがフローラに会えると思って少し取り乱してしまったようだ。許せよフローラ」
ヴィクトーリアが何か変なフォローをしたお陰でますますややこしいことになった気がする。しかもヴィクトーリアは俺に向かってパチンとウィンクまでしている。どうやら誤解した方向へうまくフォローしてくれたようだ。ありがた迷惑とはこのことだけど文句も言えない。
この後なんとか舞い上がっているルートヴィヒを宥めて帰すのに結構な時間がかかってしまった。ヴィクトーリアの屋敷の調度品や美術品を見る時間はなくなりその日は夕食を済ませて体を拭いて明日の準備をすると寝るだけになってしまったのだった。
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昨日ルートヴィヒが今日の面会の約束をしていったので予定通りに訪ねる。準備の方はヘルムートとイザベラがきちんとしてくれていたので今日のための準備は万端だ。
王城に入り衛兵に今日の面会を告げるとすぐにどこかへ案内された。俺は王城の中はほとんど知らないのでどこをどう歩いているのかもさっぱりだ。
前回は父と入り口を入ってすぐの脇にある別室で待機し、後日式典のあった広間まで行ったのと近衛師団の練兵場へ通う道しか入ったことはない。
案内役が扉をノックして中に声をかけて俺達が来たことを告げると中に通された。そこは何というか所謂リビングのような部屋だ。もちろん地球の、日本のリビングと聞いて連想するようなものとはまったく違う。カーザース家の屋敷にもあるけどこの時代のこの世界の王侯貴族なりのリビングというやつだ。
そこに居たのは……、誰?
二人は知っている。一人は今日会う約束をしていたルートヴィヒ。その隣に座るのはヴィルヘルム。そう、何故かこの国の王様が座っている。
そしてその親子とは別にもう一組の親子のような二人が座っている。お父さんっぽい方は見覚えがある。俺の叙爵の式典で最前列に立っていた人だからよく目立っていたので覚えている。あんな場で最前列に居たんだからかなり高位の貴族か大臣だろう。その隣には俺やルートヴィヒと同世代くらいの生意気そうな男の子が座っていた。
俺は今日ルートヴィヒと会う約束をしていただけだ。それなのに何故かわけのわからない人たちが四人で俺を待っていた。同行しているヴィクトーリアに動揺している様子はない。もしかしてヴィクトーリアはこうなることを知っていたんじゃないかと穿った見方までしてしまいそうだ。
「よく来てくれたなフローラ!さぁこっちに座ってくれ!」
混乱した頭のまま俺は何とかいつもオリーヴィアに仕込まれていた通りに挨拶した。王様が居たから最上級の礼で挨拶したけどこれで合ってたはずだよな?急な出来事で頭が真っ白になっていたけど何万回と繰り返してきた動作は俺を裏切ることなく何とか取り繕えたはずだ。
「そう硬くなることはない。今日は公式の場ではないのだ。今日の余は王ではなく許婚の父だと思って接してくれればよい」
王様ぁ~……、むしろ婚約者の父として接しろとか言われてもそっちの方が難しいんですけど?まったく実感もなければ婚約破棄まで考えているというのにその父と接すると言われてもちょっとどうしていいかわからない。それならまだしもいつも習ってきたオリーヴィアのマナー通りの方が楽というものだ。
「それからこの者はディートリヒ・フォン・クレーフ公爵とその息子ルトガーだ」
「こうして直接お話するのは初めてだね。ディートリヒです。よろしくフローラ姫」
おい……、嫌味か……。公爵と言えば一番格下でもカーザース辺境伯家よりも上だろう。そんな相手に姫とか呼ばれても嫌味にしか聞こえない。
「ほう、お前がルートヴィヒ殿下の許婚か。ふむ……、お前じゃルートヴィヒ殿下には見合わない。殿下との婚約は白紙にしろ。ただそれではお前の家が困るだろうから代わりに俺がお前を貰ってやろう。悪くない話だろう?」
………………はい?このルトガーとかいう馬鹿たれは何を言っているんだ?俺は耳が悪くなったんだろうか?それとも頭がおかしくなったのか?言葉がうまく理解出来なくなったぞ?
「おいルトガー!僕の許婚を盗ろうとするんじゃない!」
「いえいえ、このような田舎娘では殿下のお相手は務まりません。ですから俺が貰ってやりますよ」
え~っと……、『きゃ~!私ったら王子様と公爵家の嫡男に奪われあっているわ~!』とか言えばいいんでしょうか?
俺は今日大事な商談にやってきたはずなのに何故かわけもわからず大物貴族と王様が同席する場でマセガキ二人にからかわれるという恥辱を受けなければならないのだろうか?




