第三十二話「財政危機!」
「おっ、お金がないっ!?」
「申し訳ありません……」
俺の叫びにヘルムートが頭を下げる。
「どっ、どっ、どっ、どういうことですか?」
どどどど童貞ちゃうわ!じゃなくて……。落ち着け。ヒッヒッフー、ヒッヒッフー……。
「こちらを……」
神妙な顔つきでヘルムートが質の悪い紙を俺の前に差し出してくる。俺は今俺用の執務室もどきのような部屋でヘルムートとイザベラと話しをしていた。事の発端は父から知らされた社交界デビューについての話だ。
俺の社交界デビューではカーザース辺境伯家の娘としてではなくカーン騎士爵家としてデビューせよとヴィルヘルム国王から指示があったらしい。騎士爵の年金なんて微々たるものだから俺の事業の収入も使って良いと父に言われてどれくらいの予算があるのかとヘルムートに報告してもらうことになった。
この部屋は俺が事業をするようになってから父が屋敷内に用意してくれた部屋だ。事務用に机や応接用にテーブルとソファが置かれている。普段事業はヘルムートとイザベラに任せっきりだから俺がこの部屋に来ることはあまりないけどいくらか資料や書類も置かれている。
早速やってきたヘルムートに余っている予算から俺の社交界費用にどれくらい出せそうか確認した所返って来た答えが『お金がない』ということだったわけだ。
それが何故かと言えばヘルムートから渡された書類に記されている。普通なら十歳ほどの子供に事業の詳細が書かれた書類なんて出さないだろうけどヘルムートは俺に隠さず報告してくれるようだ。
「何ということでしょう……」
書類に目を通した俺は愕然とした。甜菜糖の売り上げ金額が異常に少ない。理由は簡単だ。売っている量が少ないからだ。生産量に比べて販売量が圧倒的に少ない。
「ヘルムート……、この生産量に比べて少ない販売量ですが……、残りの甜菜糖はどうなっているのですか?」
「在庫として積み上がっております……」
なるほど……。そりゃそうだろう……。
甜菜糖の売上金は主に農場と牧場の維持運営費に使われている。維持運営費には従業員の給金も含まれているのは言うまでもない。残りはほとんど父への返済だ。家畜達への飼料や新しく購入する分、従業員への給金、父への借金の返済。そこそこの額ではあるけど砂糖の値段と生産量からすれば余裕でお金が有り余っている状態になっているはずだった。
だけど現実にはお金がほとんどない。赤字にはならない程度に売っているようだけど儲けがあるほどでもないようだ。何故こんなことになっているのかは簡単な話だった。
この国では商会が仕入れから小売までやっているけど商会は皆商人ギルドに加入している。商人ギルドに加入していない者は表立って商売出来ない仕組みだ。もちろん非合法の裏の商人くらいはいるだろうけど見つかれば相応の報いを受けることになるだろう。
そんなわけでこの国の商売は実質的に商人ギルドが取り仕切っていると言っても過言ではないわけだけど、俺が興した事業はどこのギルドにも加入していない。職人なら職人で職業別ギルドがある。商人ギルドはそういった他のギルドが生産して管理している商品を仕入れている。だから俺の事業のようにどこにも加入していない仕入先からなんて商品を仕入れない。
もちろん全てがそうなわけじゃない。中には勝手に闇取引している商会もある。だからヘルムート達は商人ギルドを通さずに各商会に直接卸すことで販売して現金を得ていたようだ。
ただしそれは大々的には出来ない。あまりに多くの砂糖が流通していれば商人ギルドもおかしいと気付く。あるいは今の量でも気付いているのかもしれない。ただ少量だからお目溢しで見逃されているだけの可能性もあるだろう。
各ギルドも徹底的にギルド以外のものを締め出しているわけではなく実際には多少はお目溢しもある。そのお陰で俺達が作っている甜菜糖も商人ギルドを通さず多少は売れているというわけだ。
でもそれは少量だから許される話であって大々的に俺達が作っている甜菜糖を売り捌けば大問題に発展する。どうして今までそんなことに考えが及ばなかったのか……。俺もラノベ脳で少し考えが浅はかになっていたのだろう。小説の主人公達は勝手に商品を作っても何の背景もなく自由に売り捌いていたからな……。
現実ではそんなことをすれば現在利益を得ている者達から猛反発を受けて大問題になる。かと言って俺が父に言ってカーザース辺境伯家として商人ギルドに加入して甜菜糖を売り捌くというのも現実的ではない。
貴族が勝手に商売を始めれば既得権益者である商人ギルドが損をする可能性が高い。だから商人ギルドはいくら相手が貴族であっても勝手に権益を侵されるのを良しとしない。貴族と商人がうまくやっていくコツは相手の権益を侵さないことだ。
貴族も商売等をしてお金儲けしたいであろうが貴族が独自にそれをしては商人ギルドに反発を食らう。だから御用商人などに資金を提供して出資し、色々な所で便宜を図ってやって商会に利益を出してやる代わりにお金を受け取るんだ。
俺が今甜菜糖を大量に市場に流せば砂糖の生産業者達は大打撃を受けるだろうし砂糖を売っている商会も痛手を負う。ヘルムートは何とか必要な資金だけは回収出来るようにギリギリの量を売ってくれていた。やっぱりヘルムートは優秀だ。
ただこのままじゃ俺のお金が増えない。いずれ父への返済が済めば今返済に充てている分が余剰金として残るだろうけどこのペースの販売量だとそれは当分先になる。しかも砂糖は腐らないだろうけど保存が難しい。現代のようにビニール袋があるわけでもなしあまりに大量の在庫を抱えても保存しておく手段がない。
「これは……、困ったことになりましたね……」
「フローラお嬢様?まだ書類をお見せしただけで何も説明しておりませんが……、もしや全ておわかりになられたのでしょうか?」
俺が書類を見ながら唸っているとヘルムートがキョトンとした顔でそんなことを聞いてきた。折角のハンサムさんがそんな顔をしちゃ駄目ですよ?まぁそういう顔もまた女心をくすぐったりするのかもしれないけど俺は女心は持ち合わせていないので理解出来ない。
「今のまま商人ギルドと表立って敵対せずに販売量を増やすのは難しいということでしょう?今の販売量でもかなり危険な量に達しているはずです。このままではいずれ商人ギルドや生産ギルドと揉めることになるでしょうね」
「それはその通りなのですが……」
ですが……、何?何か気になるんだけど?
でも待っててもヘルムートはそれ以上何も言わないのでもう忘れることにする。そんなことより喫緊の課題をどうにかしなければならない。
「父に言ってカーザース辺境伯家として事業を大々的に公表するのも難しいですね……。ここは一つ、カーン騎士爵家として砂糖の卸しをしましょうか?」
「フローラお嬢様、それではお嬢様の身が危険になるのでは?」
俺達が今までギルドに加入していなかったのはギルドに加入したら色々な義務も負わなければならないし、砂糖を大量生産していれば俺達がどこでどうやって生産しているのか嗅ぎまわる奴が出てくると思ったからだ。甜菜糖なんてそのうち簡単に真似されてしまうだろうけどそれまでにこちらも多少は資金を回収しておきたい。だからすぐに真似されるのは少々困る。
そんなわけで表立ってギルドに加入しないようにしてきたわけだけどそれじゃ売り上げが伸びない。このままじゃ借金を返済し終わる前に甜菜糖のことがバレてしまうだろう。それならいっそここらで大々的に売ってしまうというのも一つの手だ。こちらはすでに在庫もそれなりにある。一日の長もあるから他が真似しようと思っても設備投資等ですぐには追いつけないだろう。
信長のような改革なんて出来ない。そもそも楽市楽座はいきなり全てを廃止したわけじゃない上に利益を得る者達を味方につけたから何とかなっただけのことだ。
かなり大雑把に言えば座とはこの世界のギルドと同じようなものだと思えば良い。この場合は独占的に商売していた者達だと解釈しておけば大体話が通じるだろう。
信長の改革で関所の廃止と楽市楽座というものがあった。関所を廃止することで流通を良くして楽市楽座で座に加わっていない者達も自由に商売が出来るようにしたと習ったことだろう。ただしいきなり座を全て廃止にしたわけでもなければ特権を奪ったわけでもない。特定の日だけ座に属していない者達も自由に商売して良い日を作っただけだ。
それにそうすることによって利益を得る者達が信長を支持したからそのような改革が可能だった。というよりはそれも考えて信長が利益配分をしたというべきだろう。座の所属者達だって全ての特権を奪われたわけではないし関所が廃止されれば座の者達にも恩恵があった。飴と鞭を与えることで言う事を聞かせたのであって全ての特権をいきなり奪っていれば猛反発を受けて失敗したことだろう。
もし俺が今自分の農場で作った甜菜糖を大量に市場に流せば利益を得るのは俺だけで砂糖の生産業者は軒並み困る。俺が改革しようと思っても味方になってくれるのは精々安く砂糖が買えるようになる一般庶民くらいだろう。だけど庶民が味方になっても各種ギルドが揃ってソッポを向けばカーザース辺境伯家にも相当なダメージがくることになる。
「フローラお嬢様、それでは私の知り合いの商会に独占的に砂糖を卸すというのはどうでしょうか?」
「イザベラ?」
それまで黙っていたイザベラの意見を聞いて一瞬善からぬことを企んでいるのかと勘ぐってしまった。でも詳しく聞いてみてその話をしに出向いてみてもいいかと思うようになったのだった。
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イザベラの話を聞いた俺はカーザース辺境伯家の紋章がついていない質素な馬車に乗ってカーザーンの町中を走っていた。服装は叙爵の時に仕立てた騎士爵用の正装で男装している。長い髪は後ろで束ねているだけだから長髪であることはすぐにバレるだろうけど別に男の振りをしているわけでもないので良い。
知り合いの商会に独占的に甜菜糖を卸すなどと聞いたら一瞬悪い取引かと想像してしまうけどそうじゃなかった。俺が表立って甜菜糖を売り捌くのではなくイザベラの知り合いの商会が俺から買っていることを伏せて甜菜糖をどこかから仕入れて流通させているという形にしてくれるというのだ。
そんなことをすればその商会が何かと困ったことになる。他の商会や商人ギルドからはそんな大量の砂糖をどこから仕入れているんだと追及されるだろうし砂糖の生産業者からは格安で大量の砂糖を売っているせいで生活に困ると恨まれることだろう。そんなリスクを承知で裏での仕入れに応じてその商会に何の利益があるのか。
もちろん大量の砂糖を高値で売れれば商会の売上金は莫大なものになるだろう。でもそれに見合わないだけの恨みも買うし最悪商売の邪魔をされることもある。殺されたり商売が出来なくされては多少儲けた所で意味がない。だから皆ギルドに加入してそこそこの利益をお互いに配分しあっている。
「こちらです」
「ここが……」
ヘルムートが御者をしてイザベラに昇降台を用意してもらって馬車を降りた先にあったのは結構大きな建物だった。ただし立地的にはあまり良いとは言えない。貴族街や職人街、商店街からは離れたあまり治安の良くない地域だ。
イザベラが先に用件を告げに行くとそれほど待たされずに建物内へと通された。暫く応接室で待っていると嫌味ではない程度に高級そうな格好をしたそこそこ高齢のご夫人が部屋に入って来た。
「ようこそおいでくださいました。わたくしは当商会の会頭を務めておりますヴィクトーリアと申します」
「私はフロト・フォン・カーンです。よろしく」
甜菜糖の製造販売はあくまでカーン騎士爵家が行なっているということになる。だから俺はカーザースではなくカーンで名乗って手を差し出した。
「ええ、よく存じております。先日の叙爵式の話も窺っておりますわ。フローラ様」
……まぁそうだろうな。このヴィクトーリアの商会は王都に本店を持つかなり大きな商会だそうだ。商人というのは耳聡いものだから俺の叙爵についても色々と知っているのだろう。それにヴィクトーリアはイザベラの姉だそうだ。イザベラから俺のことについて色々聞いているだろうから何かと知っていても不思議じゃない。
「以前よりイザベラに商売のことについて相談は受けていたのです。ただ当商会としましても何の後ろ盾もなく危険な橋は渡れません。ですからこうしてフローラ様、いえ、フロト様にお越しいただいたのです」
イザベラはカーザース辺境伯家に仕えることが出来るだけの家の育ちだ。当然その姉も良い育ちなわけで、イザベラはメイドとしてカーザース家に出仕しヴィクトーリアは大手商会の会頭と結婚したらしい。
その旦那はもう他界しており今商会を取り仕切っているのは女会頭であるヴィクトーリアだそうだ。女だてらに大手商会の会頭などするのはこの世界では辛いことだっただろう。それでも旦那の時よりも商会を盛り立てているというのだから相当やり手なのだと思う。
イザベラは以前から甜菜糖の卸し先がなくて困っていたのでヴィクトーリアに相談していたらしい。ただ今ヴィクトーリアが言った通りはいそうですかとこの商会で引き取るというわけにもいかない。前述通りの問題が色々と出てくるわけでそれを防いでくれる後ろ盾がないとおいそれと引き受けるわけにはいかないというわけだ。
ヴィクトーリアも遊びで商会をしているわけじゃない。従業員の命も預かっている会頭の立場としては多少利益が見込めるからと危ない橋を渡るわけにはいかない。
じゃあ取引は出来ないのかと言えば、そこで出てくるのが俺というわけだ。カーン騎士爵家は王家の直臣。それもこの前に名前まで賜って叙爵された所だ。俺が後ろ盾になるということは王家の後ろ盾がある……、と見せかけることが出来る、ということらしい。
実際にたかが騎士爵家如きが後ろ盾になったからといってどれほど効果があるのかはわからない。ただ俺が王から直々に名前まで賜り叙爵された直後だというのは王都の商人ギルドでは割と有名だそうで、その話題の俺がついていれば暫くは馬鹿なことをする者達を避けておくことも出来るかもしれないとのことだった。
ただあくまで可能かもしれないというだけで危険なことに変わりはない。そこで俺がヴィクトーリアを説得出来るかどうかがこの商談の鍵というわけだ。ここで俺がヴィクトーリアを説得出来れば甜菜糖は全て引き取ってくれるという。失敗すればカーン騎士爵家は叙爵早々財政破綻の危機を迎える。
いきなり連れてこられて商談しろと言われても何も考えてもいないし何も浮かばないけどとにかく俺はこの場で何とかヴィクトーリアを説得しなければならない。




