第三百十七話「初めて見た人は皆ビビる!」
カール・フォン・ラインゲンは最後に二ヶ月間暮らした町を眺める。侯爵家たるラインゲン家どころか、派閥の長であるバイエン公爵家の屋敷すら圧倒する子爵家の跡取りでもない息子の屋敷から……。
いくら田舎で広い土地が余っていようともこの屋敷はあり得ない。ただ広いだけではない。建物、内装、設備、働いている家人、どれをとっても超一流。王族の住まう宮殿だと言われても信じるだろう。
娘婿が子爵家の、それも跡も継がない三男だったとしても、仕えている主が子爵家などという低位貴族であろうとも、最早娘を嫁がせることに何の迷いもない。未来がないどころか将来有望すぎて楽しみだ。
あまり言いたくはないが自らの息子達よりもよほど才能も将来性もある。その上仕えている主君、カーン子爵家もまたこれからさらに上り詰めることだろう。このまま沈み行くバイエン派閥の中堅でいるよりも、ヘルムートと一緒になった方が娘のためになる。
「この屋敷ともお別れね」
「そうだな……」
妻マリアンネの肩を抱き寄せその言葉に頷く。最初こそこれほどの屋敷に戸惑い、ゆっくり寛げなかったが、一度でもここに暮らしてしまったらもう他では暮らせないというほどに快適だった。王都に帰ってまた前の生活をしろと言われたらげんなりする。
「ですからラインゲン様も早くこちらで一緒に暮らしましょう?」
「クレメンティーネ……、無理を言うのはやめなさい。ラインゲン様も困っておられるだろう?」
ロイス子爵夫妻が近づきながら声をかけてくる。ロイス子爵邸は子爵家相応の屋敷だったが、あれはあれでこちらでの生活に疲れたら程よく感じる。ロイス邸とヘルムート邸を行ったり来たりすることでこの二ヶ月間快適に過ごすことが出来た。
本音を言えば……、もうこちらに引き下がりたい。家督は息子に継がせている。王都での生活にも未練はない。娘はまだ王都の学園に通うことになるが、自分達がいなくとも娘婿のヘルムートがうまく面倒を見てくれるだろう。だから自分達の方としてはそれでも何の問題もなかった。ただ一つ……、その一つの問題さえなければ……。
「こちらで暮らしたいのは山々ですが……、何しろ私はまだ裁判中の身……。その上どのような処罰を受けるかもまだわかりません。もしかしたらロイス卿と会うのもこれが最後になるやも……」
「大丈夫ですよ~。ラインゲン様は心配しすぎです」
あまりに楽観の過ぎるクレメンティーネの言葉にカールやハインリヒは呆れとも諦めともつかない表情をする。しかしクレメンティーネとマリアンネは違った。
「だってヘルムートがお仕えしているのはカーン様ですよ~?」
「そうですね……。カーン様ならばあるいは……」
お互いの妻同士はにこやかに笑いあっていた。それを見てカールとハインリヒはお互いに肩を竦めた。
普通に考えて……、カールの罪は相当に重い。一族郎党皆殺しとまではいかないだろうが、奪ったお金の返還、カールの投獄、お家お取り潰し、くらいの罰は十分にあり得る。
しかし妻達が言うように、カーン子爵が自らの腹心の妻の実家を見捨てるようなことをするとも思えない。無罪放免とはならないだろう。それにカールとて罪を償おうとは思っている。ただ……、もしかして……、あの御仁ならば何かこちらが驚くようなことをしてくれるのではないか。そんな期待をしてしまうのも事実だった。
「ふっ……。どうやら妻達の方がよくわかっているようだ」
「そうですね……」
カールとハインリヒは首を振ってから真っ直ぐ向かい合う。
「それでは……、王都で罪を償ったらまた訪れる。それまで待っていてくれハインリヒ」
「ああ、待っていよう!必ず戻ってこいカール」
二人は固い握手を交わし、気安く呼び合った。
この二ヶ月の滞在で、カールとハインリヒは友になったのだ。もちろんもうすぐすれば子供達が結婚して親戚になる。しかしただの親戚としてではなく、カールとハインリヒは身分も立場も超えて友になった。
フローラ、フロトの非常識に振り回され、驚かされ、良い目をみせられて……、二人はお互いに分かり合えたのだ。妻達はあっさりフローラ、フロトの非常識に順応した。しかし自分達はそう簡単にはいかなかった。今でこそこんな王族のような生活にも慣れたが、今でもフロトは非常識の塊だと思っている。
それをお互いに理解し合っている二人が友になるのは簡単だった。
最後に握手を交わした二人は別れ、ロイス子爵夫妻はカーザーンの自宅へ、ラインゲン侯爵夫妻は馬車に乗り込みステッティン行きの船に乗り込むべくキーンの町へと向かったのだった。
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キーンと呼ばれる港町にやってきたカンベエは絶句していた。
「でっ、でかい……」
船でプロイス王国の王都に向かうと言われてやってきた港町に並んでいる船は……、どれもヤマト皇国では見たこともないほどに巨大だった。それも一隻二隻の話ではない。港に多くの巨大船が並んでいる。
戦のことを考えればでかければ良いというものではない。でかいだけの船は船足も遅く良い的だ。火矢でも放てばまとめて燃え上がるだろう。そしてそれだけ大きいということは一隻沈めるだけでも効果が大きい。積んでいる兵糧や兵員をまとめて始末出来ると思えば大きな的が動いていたら恰好の餌食だ。
しかし馬鹿には出来ない。これだけの巨大船が何隻もあれば小船では衝突されただけで転覆、沈没しかねない。それに襲えたならば一気に積荷や船員を減らせるが、大量輸送という意味では絶大な効果を発揮する。
もしこれだけの巨大船を守る術があるのだとすれば、それを集中運用されては兵糧や兵站の整備が段違いになってしまう。相手の兵糧切れや兵站の侵攻限界が格段に伸びる。そうなれば自国奥深くまで簡単に攻め込まれてしまう。
プロイス王国は大陸国で海軍は大したことがないのではなかったのか……?
カンベエはここに居並ぶ多くの巨大船を前に頭が混乱していた。
「おや?君は昨晩のパーティーで会った……」
「む?これは、ラインゲン侯爵殿」
話しかけられて振り返ったカンベエは相手を見て名前を当てた。カンベエは物覚えは良い。とくに記憶力の悪い馬鹿だと思われるのが嫌で、なるべく一度で覚えようと努力しているのだ。動機は何であれ人の名前などを覚えておくのは相手にとっても好印象を与える。カールは自分の名前を覚えていたカンベエに感心した。
「カンベエ君、君も船に乗るのかね?」
「ええ。我が主が王都に向かうというのならその補佐たる私も同行するのは当然のこと……。ラインゲン侯爵殿も乗られるのかな?」
カンベエはまだ若い。年上で、少なくともここでは立場が上なカールに対しても偉そうなしゃべり方に聞こえるがそれは国の訛りもある。こちらと向こうでは話し方も違うのだから仕方がない。
「私達はカーン卿に領地に招かれた立場なのでね。カーン卿が戻るのに我々だけここでのんびりしているわけにもいくまい」
そう言って軽く笑う。実際にはフロトが戻るからというだけではなく、いつまでも裁判を放置してここに引き篭もっているわけにもいかないという事情もある。もし裁判から逃げたなどと言いがかりをつけられては匿っているとしてカーン家にも迷惑をかけかねない。
カンベエがそんな事情を知っているかどうかはわからないが、カールはそう言って肩を竦めて見せた。
「それにしても……、このような船は私の国では見たことがないが、こちらでは普通なのですかな?」
カンベエは名前からして異国人であることはカールにもわかっている。ただ髪は色を誤魔化すためにカツラを被っていた。ミコト、カンベエ、ムサシの三人は普段はカツラを被って髪色を見られないようにしている。
カンベエもヤマト皇国の者だと名乗ることはしないし、フロトにも禁止されているからカールにヤマト皇国の者だとは言わない。ただ異国人であることはすぐにバレるのでそこを利用して情報を聞き出す。
「いやいや。私の領地は内陸なので海には疎いのだがね。それでもこんな船は見たことがないよ。これはカーン卿しか持っていない特別なものだ」
「そうでしたか」
カンベエは少しだけほっとした。もしこんな船が当たり前のように数多く使われているのだとしたら、とんでもない海軍力ということになる。
最早カンベエはフロトに忠誠を誓う忠実なる僕ではあるが、それでもやはりヤマト皇国のことを全て捨て去り忘れ去ったわけではない。ヤマト皇国のカーマール同盟と同じ勢力圏に存在する勢力の情勢を確認するのは当然だ。
万が一にもこの巨大船が敵になれば、数が揃っていれば大変な脅威になるだろう。両勢力が争わないように手を打つのが両国の間に立つカンベエの役割ではあるが、それでも……、絶対に争いが起こらないとは言い切れない。
「ラインゲン侯爵様」
「おお!カーン卿」
そこへフロトがやってくる。積み込みも終わりあとは出港するだけだ。フロトがラインゲン家の者と話しているのを聞きながら後ろについて行く。今のカンベエは己の立場を弁えているので、主やその客人の会話に割って入るようなことはしない。
船に乗り込み、やがて船が岸を離れる。整備された巨大な港を出て沖へとやってくると帆を目一杯に広げた。
「おおっ!しっ、信じられん!この巨体で何という船足の速さだ!?」
「確かに……。これは驚くべき船だな」
ムサシののんびりした言葉にカンベエは若干イラッとした。本当にわかっているのか?と思ってしまう。これだけの船足ではヤマト皇国の船でも相当小型快速の船でないと追いつけない。そしてそんな船では攻撃力不足でこの船に有効な被害を与えられるとは思えなかった。
この船に被害を与え得る船は足が遅すぎてついていけない。追いつける船では攻撃力が足りない。つまり……、打つ手がないのだ。こんな船が艦隊を組んで襲ってこようものなら海ではまったく太刀打ち出来ないことになってしまう。
幸いにもこの船は数が少ないらしいので大規模な艦隊行動などは取れないだろうが、それでもこれが数隻いるだけでも戦局に影響しかねない。こんな船が我が物顔でハルク海を跋扈しているのかと思うと、つくづくカーン家と敵対しなくてよかったとすら思える。
もし当初カンベエが思っていたようにカーン家と敵対していれば……、キーンの港にいたこの船の同型艦数隻がいるだけでカーマール同盟の船は多大な被害を受けていただろう。根本的な国力ではヤマト皇国やカーマール同盟が上回っているとしても、海上輸送に頼るカーマール同盟が、逆に海上封鎖されて苦しめられるなどという事態になりかねない。
もちろんカンベエはもうすでにカーン家に、フロト・フォン・カーンに絶対の忠誠を誓ってはいるが……、それでもヤマト皇国とカーン家が争うような事態にはなってほしくない。そうなれば自分はカーン家の将として同胞達を手にかけなければならなくなる……。
そんな驚きばかりの船の旅もあっという間に終わり、一日もかからずに目的地のステッティンという港に辿り着いた。
「これが……、プロイス王国の標準的な港なのか?」
ステッティンの港を見たカンベエは随分と拍子抜けしてしまった。キーンの港を見た時はヤマト皇国の港を遥かに凌駕していると驚いたものだ。あれがこちらの港なのかと恐れ戦いた。しかし……、ステッティンの港は何というか……、極普通だ。思っていた通りの普通の港で拍子抜けしたような安心したような妙な気持ちに包まれる。
「ああ、そうか。カンベエ君は私の逆を体験しているのだったな」
「はぁ……」
何だか随分親しげに話しかけてくるようになったラインゲン侯爵がそんなことを言う。いまいち飲み込めずカンベエは生返事をした。
「私は先にこちらの港を見てね。これでも凄いと思ったものだ。それなのに連れて行かれた先がキーンの港だ。わかるかね?」
「…………あ~。そうですな……。心中お察し申す……」
ようやくラインゲン侯爵の言わんとしていることを察して頷く。ラインゲン侯爵は内陸の領地で海に疎いと言っていた。この港は普通ではあるが、確かに慣れない者がみればこれでも十分だろう。それなのに、ここで驚いていた所で連れて行かれたのがキーンの港であれば……。その驚きは察して余りある。
「今日中に王都まで向かうそうだ。さぁ、それでは行こう」
ステッティンの港に降り立った一行はすぐさま特殊形状の揺れない馬車に乗り陸路を駆け抜けた。大きな河川沿いに走っているし船も往来している。船でももっと進めただろうとは思うが何故すぐに馬車に乗り換えたのか。疑問に思ったカンベエはフロトに問う。
「ああ……、それは馬車の方が融通が利いて速いからですよ。この馬車の登場前までならば船で川を行く方がよかったでしょうけれど、今では船だと大量輸送には向いても移動速度や小回りでは馬車の方が優れています」
元々は船の方が有利だったようだが、川幅に制限のある川では大型船は通りにくい上に速度制限や通航制限がかかってしまう。自由に飛ばして進めるわけではなく何かと手間がかかる。
それに比べてこの信じられないほど飛ばしているのにほとんど揺れない馬車ならば、馬の換えさえいれば小回りも利き移動も速い。
その日のうちに辿り着いた一行は目的地である王都へと入っていったのだった。




