第三百十五話「人材育成!」
「ふん♪ふふ~ん♪」
サッと書類に目を通してサインしていく。魔族の国、ヤマト皇国に行っていた期間も短かったから仕事も溜まらなかったし、優秀な下僕……、駒……、手足……、え~……、あっ!優秀な部下が増えたお陰で少しは楽になった。
「随分ご機嫌ですね」
「そうですか?別に普通ですよ?」
執務室でカタリーナと二人っきりで書類を片付ける。今日の分はもうすぐ終わりだ。
「フロト殿!フロト殿!」
バンッ!と扉が開けられてカンベエが入ってくる。いくらこちらのマナーに疎いとしてもあり得ないことだ。自国で皇様に対してこんなことはするまい。つまりカンベエは俺を主とは認めておらず軽く見ているということだろう。でなければ主の執務室にノックもせず押し入るなんてするはずがない。
いくら魔族の国が襖でノックや入室の作法が違うとしても、こんな無遠慮に、言葉もかけずに主の部屋に入るわけがないだろう。こいつはわかっていてやっている。注意はしているけど直す気配はない。
「フロト殿!いくら何でも私に回す仕事が多すぎるだろう!せめて誰かつけてもらわねば手が回らん!」
「カンベエ……、まず女性の部屋にノックもなく入るなと何度言えば覚えるのですか?そして例え私を主と認めていなかろうとも、仮にも今は形だけでも仕えている主の部屋に、それも機密があったり密談もしているかもしれない場所に、挨拶も断りもなく押し入るとは何事ですか?貴方が向こうで評判が悪く評価されていなかったのはそういう所ですよ」
俺は自分の手を止めることなくカンベエに注意する。これも今まで何度も言ってきたことだ。それでも直っていないのだから今言ったからと直るとは思っていない。
もし……、カンベエに態度を改めさせようと思ったら……、俺を本当に、心の底から真の主であると認めさせるしかないだろう。でなければカンベエが俺に対して態度を改めることはない。
「過去については貴殿が知った風なことを言う筋合いはなかろう。それよりもこんなに仕事を回されては手が足りぬ!せめて配下をつけていただかねば仕事にならんぞ!」
バンッ!と机を叩き書類を叩きつけてくる。うちで雇うことになったカンベエにはまずこちらでの常識を学ばせた。教えたのはヘルムートだからきっちり教えたはずだ。それに恐らく今でもあれこれと教えられているだろう。
確かにカンベエは頭も良いし物覚えも悪い方じゃない。作法や慣例やマナーなんて教えればある程度はすぐに覚えただろう。でもこいつはさっきの通り守る気がない。馬鹿だと思われるのが嫌なのかきちんと記憶はしているけど、あえて従う気はないのだとアピールしてくる。
もちろん最低限守っている所もある。そういう点ではただの無礼者や無作法者とは違うんだけど、わかった上で、何故自分がこんな蛮族の国のルールを守らなければならないのか、と思っている部分に関しては守らない。わざとそうしないようにしてくる。
そんな奴に外交なんて任せられるはずもなく、そもそも魔族の国には外交を担当する者というのはいないらしい。うちに外交使節団が来てたじゃないかと思うかもしれないけど、あれは外交専門の部署があるわけではなく、何か用がある都度任命されるだけのようだ。
うちに来ていた外交使節団も連絡係としてこちらに残る者以外は一度引き上げることになって帰った。イスズも帰ったし、残っているのは本当に僅かな連絡係と武官が数名というところだ。残っている者の護衛もままならないだろう。
そんなわけでカンベエも別に専属の外交官だったわけではないようだ。魔族の国では役人は基本的に何でもしなければならない。役をつけられてその役の仕事をするのが中心ではあるけど、必ずしもそれしかしないというわけではない。また役もコロコロ変えられる可能性がある。生涯一つのことだけに専念するとは限らないようだ。
理由は統治体制にあると俺は睨んでいる。魔族の国も官僚が支配する国家体制ではなく、封建制だというわけだ。もちろん封建制でも官僚はいるけどそうじゃなくて……、各地の領主が、税も、経済も、農業も、戸籍も、領内のありとあらゆることを行なう。場合によっては裁判権すら持っているかもしれない。
プロイス王国で俺が領主として領内に絶大な権限を有する代わりに、領内のあらゆることもしなければならないのと同じことだ。
プロイス王国の内政官になったから一生内政の仕事をしていればいい、というわけではなく、領主として領内の内政を行なうのはもちろん、他の領主や王国と話し合う、つまり外交もしなければならない。どこかと戦争になれば戦もしなければならない。領内で事件が起これば裁判もしなければならない。
領主の下にはそれらを行なう官僚や統治体制は存在するだろうけど、領主自体は全てを行なわなければならない。それと同じことが魔族の国でも行なわれている。
カンベエは魔族の国の外交官としてうちに派遣されてきたけど、領地に帰れば領主の仕事が待っている。外交官を終えて役が代われば違う仕事もしなければならない。
そんなカンベエは魔族の国では外交関係の仕事が多かったようだけど、俺はカンベエは外交は向いてないんじゃないかと思う。もちろん魔族の国のような大国が、他の小国や従属国にでかい態度で臨むのならば向いているのかもしれない。でもそれでも相手の反発を招く恐れが高いだろう。
ましてや相手がまだ降っていないような状況で、カンベエのように一方的に偉そうな態度だと纏まる交渉も纏まらなくなってしまう。自国の力をちらつかせて相手を折れさせるなら良いけど、そうでなければ揉めてややこしくなるだけだ。
だから俺はまずカンベエには内政の仕事をやらせてみた。そんなに機密でもないような、情報を知られても困らないような仕事を優先的に回す。
例えば税の調査や調整、人口や戸籍の調査・確認、そういったどこでも大差はないであろう内政ならばカンベエに知られても良い。むしろそれくらいの情報は開示しないことにはカンベエにさせる仕事もない。それにカンベエだってこちらを見極める材料がないことになるだろう。
そう思って簡単で多少知られても良い仕事を任せているというのに……。
「カンベエ……、一つ教えておいてあげましょう。貴方が無理だというその仕事……、他の者ならば一人で一日で終わらせます。貴方がそれが出来ないというのならばそれは貴方の能力が足りないからです。誰か……、他の担当者に仕事を教えてもらいなさい」
俺に入ってきている報告ではカンベエも確かにそこそこ優秀ではあるけど、非常に効率が悪いらしい。それはうちの制度ややり方に慣れていないというのもあるだろう。だからまずは誰か先輩に仕事を教えてもらえばいい。でもカンベエにはそれは出来ない。人に頭を下げて仕事を教えてもらうなんて出来ないからいつまで経っても効率が上がらない。
「何故この私が……」
「それです。そういう所が愚かだというのです」
「なっ!?」
俺の言葉にカンベエは怒りを顕わにする。確かに優秀ではあるんだけど……、単純すぎるというか何というか……。
「カンベエ、貴方は確かにそれなりに優秀です。自分に自信を持つことは良いでしょう。ですが人との関係を軽視しすぎです。貴方が自分より仕事が出来ないと侮っている先輩達は貴方より仕事が出来ています。評価の見えない仕事では貴方の根拠のない自信は罷り通ったでしょう。ですがこのような成果の見える仕事でそれは通用しません」
「…………」
俺の言葉にカンベエは黙り込む。明らかに同じ仕事を処理させて、処理出来る枚数に違いがあるということはそれだけ処理能力が劣っているということだ。これは成果の見え難い外交などと違って明らかに結果に出ている。
「貴方は色々と言いたいことがあるでしょう。『自分はこれまでとはやり方や制度が違うから慣れていないだけだ』、『他の者はこればかり続けてきたのだから現時点で自分より手際が良くて当たり前だ』、そのような言い訳を考えておられるのでしょうね」
「…………」
「ですがそれは大間違いです。貴方の先輩達は……、そうですね、貴方の一つ前の新人はここに勤めるようになったのが十日ほどしか変わりません。ですが仕事の効率は雲泥の差です。貴方に渡した1,5倍の仕事量を一日でこなしています。もし貴方の言葉を借りるならば……、その新人の方が貴方より優秀ということになりますね?」
「違う!」
堪らずカンベエは声を上げた。でも俺は止めない。
「貴方の基本能力が高いことは認めましょう。ですが貴方は他人から何も学びません。自分は出来る、自分は正しい、人より優れる、そう思っているから貴方は自分より劣ると思う者達に教えを乞うことをしません。ですから貴方は能力も伸びないし実務も技術も身に付かないのです」
「黙れ!私はっ!」
完全に頭に血が昇っているカンベエは実に転がしやすい。
「貴方が自分より劣ると思っている者達にも、先人達の教えにも、これまで積み重ねられてきた歴史と経験があるのです。それを軽視し、人を侮り、自らを高めようとしない貴方こそが真の愚か者です」
「――ッ!」
カンベエは何かを言いかけて、力なく肩を落とした。自分でもわかっているのだろう。いや、わかっていたはずだ。ただ……、彼は怖かっただけだ。もし……、自分が努力して、それでも大した能力を身につけられなければ……、それは言い訳のしようもなくなってしまう。
本当は……、やれば出来る。ただやり方を知らないだけだ。そうやって自分に言い訳して、逃げ道を用意して、人と交わりやり方や経験を教わることを避けてきた。それは自分は他の者達がしているやり方を知らないから仕方ないのだと、そう言い訳するために……。
「カンベエ……、貴方を私の補佐に任命します。これから私の仕事を手伝いなさい」
「…………」
これは賭けだ。俺は機密ばかり触っている。本来俺と担当者しか知りえないようなことにたくさん触れている。その俺の補佐にするのなら、本当なら絶対に信頼出来る者にしか任せられない。
それを……、恐らく魔族の国、ヤマト皇国のためにうちにスパイをしにきているカンベエにさせるのは途轍もないリスクだ。
カンベエは……、俺に忠誠を誓ってなどいない。それは見た通りであり、それなのに何故俺に仕えているかと言えば……、条約で不利な条件を飲み、多くの技術をうちに流出させることになるヤマト皇国のためだろう。
うちの内情を探るためか。代わりに何かうちから技術を盗もうと思っているのか。何にしろ結局の所カンベエはヤマト皇国のために俺に仕えている。そんな者に機密しか触っていないような俺の傍に置くのがどれほど危険かは考えるまでもない。
それでも……、俺はカンベエを手元に置こう。そして……、仕事を叩き込む。その上でカンベエがヤマト皇国に戻るというのなら止むを得ない。うちだって条約の条件で優遇してもらったんだ。カンベエにうちの情報を持ち帰らせて、仕事が出来るように育ててやるくらいはちょっとした恩返しだろう。
出来れば……、カンベエには仕事を覚えてうちに残ってもらいたいけど……、俺の口から祖国を裏切れとは言えない。
あとは……、俺がカンベエに主に足る人物だと思ってもらえるように頑張るしかないだろう。そのためにも俺は自分を律して、カンベエに仕事を叩き込む。ただそれだけだ。
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カーン騎士爵領で過ごした長期休暇も終わりが近づいて来る。今日のパーティーが終われば明日はキーンから船に乗ってステッティンへ向かうことになる。
「領地に招いていただきありがとう、カーン卿」
「ラインゲン侯爵様、我が領地は楽しんでいただけましたか?」
明日ここを離れる俺達を送り出すためのパーティーにラインゲン侯爵家の面々も参加している。まぁクリスタを含めてラインゲン家も皆王都に帰るからな。一緒に戻ってきた者の中でロイス子爵家は残り、代わりに増えるのがムサシとカンベエだ。
カンベエはあれから俺の秘書のような仕事をさせている。最近は前までのような偉そうな態度や人を見下した態度も鳴りを潜め真面目に勉強している。ムサシは俺の護衛としてだいたい近くにいる感じだろうか。
「ラインゲン侯爵様、それではまた後ほど」
あちこちで挨拶される俺はラインゲン家の者達から離れて挨拶回りを続ける。
「お疲れ様ですフローラ様。随分落ち着いておられますが条約については大丈夫なのですか?」
「え?ええ、大丈夫ですよ」
一通り挨拶が済むとカタリーナが飲み物を持ってきてくれた。カタリーナはいつも俺の傍にいるから俺が条約で悩んでいたことも知っている。何も解決策を実行していないのに大丈夫かと心配しているんだろう。でも問題ない。何もする必要はないからな。
「プロイス王国貴族は確かに独自の外交権は有しておりません。もし勝手に他国と外交すれば罰せられるでしょう。ですが……、プロイス王国の主権や法が通用するのはプロイス王国内のみです」
「……まさか」
俺の言葉に少し考え込んだカタリーナは俺の考えを察したらしい。ニヤリと頬が吊り上がった俺は超屁理屈をひねり出した。
「『プロイス王国貴族として』は確かに勝手に外交できません。カーン騎士爵領主としても、カーン男爵領主としても、カーン騎士団国としても、全てプロイス王国内に含まれています」
「…………」
この先の言葉を理解しているカタリーナがじっとりした目で見てくる。その気持ちもわからなくはない。ただの屁理屈だ。でもこれで押し通す。
「ですが私はプロイス王国の域外であるゴスラント島の領主でもあります。プロイス王国の主権の届かないゴスラント島がどのような条約を結ぼうともプロイス王国にとやかく言われる筋合いはありません」
そう!イギリス王はフランス領内においてはフランス王の家臣であり、広大な領地を有していた。しかしイギリスとフランスという国と国の付き合いでは対等だ。フランス国内においてのみ主従関係がある。イギリスに帰ればイギリス王であることに変わりはなく、イギリスの内政にフランス王の指示を受ける謂れはない。
俺もそれと同じこと。プロイス王国領内ではプロイス王の家臣であったとしても、プロイス王国領外のゴスラント島においては俺が一番だ。誰に指示も命令もされる謂れはない。どのような政策を採ろうと、外交関係を結ぼうと指示される謂れはない。
まぁ……、あまり気に入らないことをしていれば戦争を吹っ掛けられる可能性はあるけどな……。
だから俺はゴスラント島として魔族の国と平和条約を結んだのだ!こう言い張れば誰も文句は言えない。いや、言わせない!




