第三百十四話「抜け道!」
「う~ん……、うぅ~~~ん……」
俺の唸り声だけが響く。別に寝ていていびきや寝言を言ってたり、お通じが悪くて困っているわけじゃない。魔族の国と条約を締結してしまってからはや数日。カーン騎士爵領にいられるのもあと一週間ほどとなっている。
色々と前例とかを調べたけど、いや、調べたのは官僚達だけど、やっぱり地方領主が勝手に外交交渉をして条約を調印して許された例はない。しようとして罰せられた前例はあるから、前例に倣う官僚式のやり方だと俺も同程度の罰を受けることになる可能性が極めて高い。
前例通り、内容を考慮せずただ与えられた罰だけで言えば、最低でもお家お取り潰し、悪ければ一族郎党皆殺し、というところだ。
国境の領主が、戦争の続いていた隣国と勝手に和平に向けて交渉していたのが発覚した件では、当主と和平交渉を主導した者達は全員斬首。お家お取り潰しで、その領地には次の領主がたてられ国境での争いは続いた。
このケースでは長年続いた戦争に疲弊していたこともあり、和平を模索しようとしたりするのも止むを得ないということで当事者の処刑とお家お取り潰しで許されている。
他国と結託してプロイス王国に他国の軍を招きいれ国家転覆を目論んだとされる件では、一族郎党皆殺しになっている。こちらのケースは国家反逆罪なので当然そうなるだろう。
俺の場合は別に魔族の国を招き入れて国家転覆を目論んでいるわけじゃないけど……、ただ前の例のように長年続いていた戦争に疲弊していて止むを得ず平和条約を結ぼうとしていたという事情にはない。
それどころか俺が勝手に魔族の国と平和条約を結んでしまったなどと広まれば、国境の領主が他国と結託して敵軍を招き入れ国家転覆を狙っている、なんていう話にされかねない。
実質的にはナッサム公爵家やバイエン公爵家だってオース公国と外交して、結託して、プロイス王国にとって害となるようなことを繰り返しているじゃないかと思うけど……、あの辺りは昔から根回しもして、権限も与えられて、公然の秘密としてオース公国と外交している。
プロイス王国が正面からオース公国と外交しているのは確かだけど、それだけじゃ効果的とはいえないから例外的に、表向きは外交交渉ではないという体でナッサムやバイエンがオース公国との折衝にあたっている。
俺が長年の宿敵である魔族の国と勝手に平和条約を結んだと知れたら、俺を蹴落としたい者達はすぐさま国家反逆罪だと騒ぎ立てるだろう。このままでは非常にまずい。
俺だってまさかこんなにトントン拍子に進むとは思ってなかったんだよ……。
そもそも最初はただミコトが簡単に言うから、そんな簡単に魔族の国の観光に行けるなら行ってみようかな、という程度の認識でしかなかった。
それが向こうで皇様に会うことになり、こちらに外交使節団まで派遣されることになった。その外交使節だってただの視察訪問とか相互訪問の一環くらいにしか思っていなかった。
普通国家間、まぁ俺は国家の代表じゃないんだけど、ともかく勢力間での条約交渉が、まさか一回の外交使節の派遣と数日の交渉と検討だけで締結されるとは思わないだろう?少なくとも数ヶ月間、場合によっては何年もかけて交渉が行われてようやく結ばれるのが条約ってもんだ。それをどこの誰がたった数日で決定されるなんて思う?
外交交渉の始まりへの道筋をつけつつ、適当にこちらの要望を伝えて、あとはプロイス王国に魔族の国との渡りをつければ良いと思っていたはずなのに……、あまりにトントン拍子で進むからつい条約に署名してしまった。
確かに俺も馬鹿だったけど……、まさかこんなにあっさり進むとは思わないだろう……。これが……、孔明の罠か。
何とかしなければまずい。条約の発効延期や、ましてや取り消しや中止は出来ない。そんなことになったら俺は国際社会、外交上の信用を失う。そもそも相手もいることであって、こちらが『やっぱりなしで!』とか言った所で相手が条約をたてに履行を求めれば応じるしかない。
かといってこのままカーン家だけが魔族の国と平和条約を結んだとあっては、どんなに軽い罪でも俺は処刑され、良くてお家お取り潰し、悪ければ一族郎党皆殺しとなる。
まさに八方塞!自業自得とはいえ進むも地獄、退くも地獄。
「フローラ様、カンベエ殿が面会を希望されておりますがいかがいたしますか?」
「ああ、はい。わかりました。会いましょう」
カタリーナがやってきて声をかけられたので応じる。それにしても面会か……。会談や交渉というのならわからなくはないけど、カンベエが面会とは……。
カンベエは俺のことが嫌いじゃないかなと思う。少なくともかなり敵視されているだろう。そんな相手が外交使節団としてじゃなくて、ただ俺に会って話がしたいとは一体何の用だというのか。
カンベエを待たせているという応接室に来た俺は遠慮なく部屋に入る。
「お待たせしました。私と面会を希望されているとのことでしたが一体どのようなご用件でしょうか?」
「単刀直入に話させていただく。私はヤマト皇国の外交官として先の条約には反対であった」
俺が座るとカンベエはすぐに語り出した。せっかちな性格のようだ。無駄が嫌いということだろうけど、こういうタイプはこちらでは嫌がられるだろうな。戦時のような緊急の伝令でもない限り、普通はお茶でも飲んで少し話しをしてから本題に入るものだ。こんな座った瞬間にいきなり本題を切り出すのは慣例や作法的に喜ばれない。
それと気になる言葉があった。『ヤマト皇国』?カンベエがそこの外交官であること。そしてミコトの父、魔族の国の王が皇様と呼ばれているんだから、ヤマト皇国とは魔族の国のことだろう。でも俺は今までヤマト皇国という呼び名も知らなかった。それにヤマトとはまた……。
まぁそれはいい。それは今は置いておく。それより重要なのはカンベエの話だ。
カンベエが条約に反対なのは交渉の時からわかっていた。俺が条件を言った時カンベエは物凄い形相をしていた。しかも交渉相手である俺を滅茶苦茶睨んでいたんだから賛成だったはずがない。もしカンベエにもっと権限があったならば、あの場でふざけるなと叫んで椅子を蹴って帰っていたことだろう。
それは交渉の時からわかっていたけど……、それを今わざわざ俺に言いに来る理由は何だ?
「他の外交使節団員はこの条約はヤマト皇国の外交的勝利だと浮かれていた。私は完全なる敗北だと団員達を説得したが聞き入れられず、国に送った使節団の公式な書類にはそのように記され、早急に条約を結ぶべしという文言まで添えられることになった」
なるほど……。確かに周囲はやけに大人しいなとは思っていたけど、技術流出がどれほどのことか認識していなかったのか。
「そこで私は皇様に使節団の公式な報告とは別に意見具申の書状を送った。『この条件はあまりに我が国に不利であり条約を結ぶべきではない。それでももし条約を結ばれるのならば』……」
そこでカンベエが黙る。その先の言葉は何となく想像がついた。カンベエの目を見ればその覚悟がわかる。
「『私は職を辞して国を去る』と伝えたのだ」
やっぱり……。そんなことだろうなとは思った。ただ何故それを今になって俺に言う?一体何が狙いだ?
「皇様はこれは条約の条件に納得したわけでも重大性が理解出来ていないわけでもない。ただ娘と義娘のために行なう支援だと直々に手紙をくださった」
俺が渡された皇様からの手紙と同じようなものをカンベエにも出していたということか。そして……、それを聞いてもカンベエは納得しなかった……、ということだな……。
「皇様の言われることもわかる。確かにカーン家にこちらの天降りの間を守らせれば我が国にとっても利益となるのだろう。カーン家が勢力を拡げればそれだけ我が国のこちらでの影響力も拡がるのだろう。しかし!それでも私は納得がいかないのだ!」
バンッ!と机を叩いたカンベエは腰を浮かせた。中腰になった分だけ俺にカンベエの顔が近づく。
「果たしてこの国に!カーン家に!貴殿に!それだけの価値があるのか!?」
俺に聞かれてもわからない。それを決めるのは俺自身ではなく、俺を見ている周囲がそれぞれ判断することだ。皇様がそう思ったのなら皇様にとってはそうだろうし、カンベエがそう思わないのならカンベエにとってはそうなのだろう。
「人の評価を決めるのは自分自身ではありません。貴方の評価が貴方自身が思うものと周囲のもので違うように、私の評価もまた私自身が決めるのではないのです」
「――ッ!?」
カンベエの表情が変わる。わかるよ……。お前は自分はもっと出来る。自分はもっと評価されるべきだ。自分はもっと優れた者だ。と思ってるんだろう?でも周囲の評価は自分で自分につけている評価よりも低い。だから余計周囲に不満がある。
カンベエが自信家なことはわかっている。そして本人でもそう思うだけの才能もあるだろう。ただ少し自己評価が高い上に周囲に気遣いをしない。だから周囲からは疎まれて人間関係がうまくいかない。
人間関係がうまくいかないから仕事も邪魔されて中々成果を挙げられないし、周囲からの評価も低いままになってしまう。だからますます周囲を蔑み、自分はもっと評価されるべきだと考えが硬くなる。
それは何もカンベエだけの話じゃない。前世でもそういうことは多々あった。俺だってカンベエの気持ちも、周囲の評価も、どちらもわかる。
確かにカンベエの能力は高い。純粋に能力値だけで言えばもっと評価されて然るべきだろう。でも周囲に気遣いをしないために周りも協力してくれず、また成功しても妨害されたり低く評価されてしまう。そしてますます意固地になる。やがて傲慢だの自信家だのと言われるだろう。
「私はヤマト皇国を辞した!これから私はカーン家に仕えて、果たしてカーン家に!貴殿に!それだけの価値があるのか見定める!」
「あ~……、はいはい……」
つまり強引な自分の売り込みというわけですね。それにまだ心まで祖国を捨ててこちらに鞍替えするというわけでもないんだろう?お前の考えていることはわかってるよ。
でも……、それもわかった上で……、俺は……。
「いいでしょう。それでは試用期間ということで試しに雇ってあげましょう」
「なっ!私がここで働いてやると言っているのだ!」
俺が試すのはこちらだと言ってやるとカンベエはプリプリと怒り出した。まぁ怒ってるフリだろうけどな。本当は試用でも何でも雇ってもらえることになって一番ほっとしているのは本人だろう。何しろ入り込めないことには裏の目的も果たせないだろうしな。
「少しくらいは貴方のおイタにも目を瞑ってあげますが、あまりやりすぎないように気をつけてくださいね」
「なっ!?何のことだ!?」
顔に出やすいやっちゃな……。確かに能力的には優秀だけど、交渉の席でも俺を睨んでたし、あまり交渉事には向いてないんじゃないか?内政の方が向いているかもしれない。それとも軍師的な?
まぁいい。カンベエの使い所はいくらでもある。今うちは、いや、うちは常に優秀な人材不足に悩んでいる。一人でも優秀な者が増えるのならばあてがう仕事はいくらでもあるというものだ。
「ヘルムート、カンベエに色々と教えてあげてください」
「はっ。かしこまりました」
後ろに控えていたヘルムートにカンベエのことを任せる。まずは簡単にうちでのやり方を覚えてもらおう。
ヘルムートに連れて行かれたカンベエを見送ってから俺は応接室のソファに身を預ける。さっきまでのように姿勢良く座っていた姿から、背もたれにどっかり背中を預けただらけた姿勢に変わった。ここにはカタリーナしかいないからこんな格好でも問題はない。そもそもちょっと背もたれに体を預けているだけだ。そんなに酷く崩してはいない。
カンベエが国を出てうちに入ると言い出したのは驚いたけどそれはいい。カンベエの裏の目的もわかっている。ある程度注意しておく必要はあるけど、使える奴であることはわかっているから、こちらも使える限りは使わせてもらおう。
それより魔族の国、ヤマト皇国?との条約をどうするか……。もういっそ俺もカンベエみたいに国を出るか?ってそんなわけにはいかないよな。領地を持ってどこかに出て行けるのならともかく……。あ……?領地……、出る……?
「あっ!」
「――ッ!?」
俺がいきなり声を上げてソファから飛び上がるとカタリーナがビクッ!としてた。顔は相変わらず澄ましているけど今確実にビクッ!となったぞ。何か可愛いな。目を瞑って知らん顔してるのが余計に可愛い。
って、そうじゃない。そうだ。そうだよ!プロイス王国を納得させつつ魔族の国、ヤマト皇国と条約を発効させる方法があった!これで来週は堂々と王都に行けそうだ。




