第三百十三話「やっちまった!」
魔族の国からカーン騎士爵領に戻ってから数日、朝、執務室で日課の書類仕事をしている俺の下を訪ねてくる者がいた。
「どうぞ」
カタリーナにノックされたから書類と格闘しながら招き入れたけど、どうやらカタリーナだけではなかったらしい。
「フローラ様、ムサシ殿がどうしてもお話したいことがあるとおっしゃられております」
「わかりました。もうそこまでお通ししているのでしょう?入ってもらってください」
仕事の手を止めてムサシを執務室に招き入れる。俺は基本的に客人と執務室で会うことはない。ヴィクトーリアのような取引の相手ならば執務室で話すし、親しい相手なら執務室に招く。部下達だってここに訪ねてくることはままある。でも客人と会うのに執務室は利用しない。
何故ならば執務室は色々と機密情報も詰まっているからだ。簡単に機密は見られないようになっているけど、それでもどんなことで何を見られるかわからない。だから不用意に他人には見せられないというわけだ。
それがわかっていながらカタリーナがムサシをここに通したということは、それなりに何か事情があるということだろう。
「失礼致す!」
カタリーナに促されてムサシが部屋に入って……、こないな。扉の外側で頭を下げて部屋に入ってこない。執務机から立ち上がってソファの方に移動していた俺はムサシに座るように促す。
「どうぞ。入ってかけてください」
俺がそう言ったのにムサシは部屋に入ってこない。それどころかその場に膝をついた。いや、これは土下座のポーズだ。両手両足をついて頭を下げている。
「フロト様!どうか、どうか私をフロト様のお傍で仕えさせていただきたい!貴女様こそが我が生涯で唯一無二の真の主であると心に決めました!どうか!」
「ちょっ!と、とりあえず頭を上げてください。そんな所で扉を開けっぱなしにされては困ります。まずは入ってそちらに座ってください」
いきなりのことで慌てる。全然意味がわからない。一瞬魔族の国が送り込んできたスパイか?なんてことも考えてしまった。でなければあまりに唐突過ぎる。
宝石を渡したから俺の傍にいたら金になると思って……、ということはないだろう。ここ数日様子を見ていたけどムサシは金で転がるような男じゃない。町の様子や住民達の生活を温かい目で見ていた。金に目が眩むような者でもないし、簡単に国や主を裏切るようなタイプにも思えない。
まずは部屋に招き入れて向かいのソファに座らせる。いくら何でも人通りもある廊下に土下座をさせたままというわけにはいかないだろう。
「え~……、それで……、何故突然そのような?」
まずは相手の話を聞いてみる。ムサシが魔族の国でどういう立ち位置の者なのかよくわからない。一介の兵士なのだとしたら主君も割と簡単に替えるのかもしれないけど、ムサシは恐らくそんな末端の一人ではないだろう。
正式なことは何もわからないけど外交使節団の護衛に選ばれるくらいだし、魔族の国で城に勤めていて第二皇女であるミコトの外出の護衛にも選ばれるくらいだから、少なくとも相当皇様の信頼が厚いのは間違いない。
「突然でも何でもありません。そもそも使節団の護衛を引き受けてこちらに来たのはフロト様を見極めるためでした!我が国に居た頃の振る舞い、そしてこちらでの行ない。それらを見た上での判断で御座います」
ムサシは色々と話し始めた。何でも俺が向こうで護衛してもらった時のことや、その後に俺達の買い物で自腹を切ってくれたから渡した宝石のことなどで色々と思ったらしい。
ムサシは魔族の国の城に勤めているといっても元々皇様に忠誠を誓って家臣になっていたわけではないようだ。皇様の勧誘も断って自らの仕えるべき主を探していたらしい。そして俺がその候補にあがり、それを確かめるためにわざわざこちらについて来たようだ。
自分の目で見て、確かめて、そして俺を主と定めたらしい。だから俺に仕えたいと嘆願しにきたようだ。
正直に言えばムサシが仕えてくれるというのならいくらでも招きたい。優秀な人材はいくらいても足りないことはあっても余ることはない。ただ……。
「ムサシさんは魔族の国に残してこられたご家族などがおられるのではないですか?そのようなことを一人で決められて良いのですか?」
魔族の国や皇様に遠慮するつもりはない。本人が望むのならば本人の希望に沿うのが一番だろう。そもそも皇様だって本人の意向を無視して無理やり自分に仕えさせた所で、いつ裏切られたり寝首を掻かれるかもわからない。そんな相手を信用して仕事など任せられるはずもないだろう。
ただ……、ムサシにだって家族もいるだろう。年齢から考えたら嫁や子供がいてもおかしくはない。嫁や子供がいなくとも両親は絶対にいるはずであり、もしかしたら兄弟だっているかもしれない。国許にそんな家族を残したまま、本人がいきなり勝手にそんなことを決めて飛び出すというのは良くないだろう。
「フロト様のお心遣い痛み入ります。しかし心配御無用!我が身はすでに天涯孤独。一人どこへ行こうとも誰も気にする者はおりません」
それが本当かどうかはわからないけど……、本人がそういうのならその点に関しては俺がとやかく言うことではないだろう。
「本当に良いのですか?もう二度と祖国には戻れないかもしれませんよ?」
俺が勝手に引き抜いたとあっては魔族の国には二度と戻れないかもしれない。俺が皇様に怒られるくらいはどうってことないけど、それで今後ムサシは二度と祖国に帰れないなんてことになったら色々困るだろう。
「皇様にはすでに国を出る旨は伝えてあります。どちらにしろフロト様が受け入れてくださるまで私はここで修行を積むのみです!」
「えぇ……」
もう退路を絶っていたのか……。だったら……、断れないよな……。そこまでの覚悟を見せられて……、断ることは出来ない。
「わかりました……。それでは……、これからもよろしくお願いしますね、ムサシ」
「――ッ!はっ!この身を賭して、必ずやフロト様のお役に立ってご覧にいれます!」
一度ソファに座っていたムサシは再び地面に跪き頭を下げた。こうして俺は何故か優秀な者を一人、棚から牡丹餅で手に入れたのだった。
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ムサシが俺の配下になってから一日空けて、今度は再び魔族の国の使節団との話し合いの場が設けられることになった。面子は前の話し合いの時と変わらない。向こうはカンベエを団長とした数名。こちらも俺を中心に担当者達が数名。会議室で向かい合って座る。
「回りくどいのは好まないので率直に申し上げよう。皇様は先の国交、条約に関して全て合意して認められると申された。これがそのその書類と署名だ。内容を確認の上、貴殿がこれでよければこちらに署名をいただきたい。調印が終わればこの条約が締結される」
カンベエはいきなりそう言って書類をこちらに渡してきた。達筆すぎて読むのが少々難しいけど何とか読める。書類は二通あり、両方に署名して印を押して、それから二通に割り印をすれば条約締結らしい。何とも手回しの良いことだ。
ただ疑問なのはこんなにあっさりうちの条件を飲んで良いのか?ということに尽きる。もしかして何かこちらの落とし穴があって……、なんてことを考えてしまう。でなければあまりにこちらに条件が良すぎる。
俺はかなり調子に乗って随分無茶な条件を突きつけた。交渉の最初にいきなり譲歩するのは現代日本の外交も出来ない無能な害務省くらいしかあり得ない。普通は最初に吹っ掛けて交渉の過程で譲歩したかのように見せて落とし所を探るものだ。最初から譲歩するのは交渉でも何でもない。
そう思ってちょっとやりすぎなくらいに色々と要求したんだけど……、交渉の席でカンベエが物凄い形相をしていたから絶対断られるか、交渉継続となると思っていた。それなのにもう全ての条件を飲んで調印なんてあまりに不自然だろう。
俺は適当に貴金属とか宝石とかで魔族の国の技術支援や職人の派遣をしてくれと頼んだ。普通ならあり得ない。いくら特許や知的財産権に疎いとしても、戦争には直結しない技術だったとしても、そう簡単に他国に自国の技術を輸出するのは危険だ。
それに農業や加工食品の職人はともかく、土木、建築などの職人はある意味戦争にも直結する。向こうの建物や土塁、石垣の構造が分かればそれに対する有効な攻め方、守り方が分かってしまう。焼き物や木工の職人のような技術流出も大変だし、何より俺は刀鍛冶などの金属加工の職人も頼んだ。
うちで刀を量産するかどうかはともかく、向こうにとっては刀鍛冶はまさに軍事技術に関するものだろう。それすら交渉もなくあっさり了承するというのはどうにも腑に落ちない。やっぱり何か裏があるということか?
「…………これは、我が皇から貴殿に宛てたものだ」
俺が書類を隅々まで確認しながら逡巡しているとカンベエが何やら手紙を差し出してきた。どうやら皇様から俺へ個人的に送ってきた手紙らしい。一度気持ちを落ち着けようと思って手紙を受け取って目を通す。
「………………わかりました」
手紙を読んだ俺は書類に署名して印を捺した。これで条約は調印され両国、ではないな。こちらはプロイス王国ではなくカーン家のみだけど、は条約に批准することになる。それぞれお互いに一通ずつ調印した書状を保管する。
あまりにこちらに有利すぎる条件で俺は訝しんだけどどうやら杞憂だったらしい。皇様の手紙の内容を要約すると、ざっとこんな感じだ。
まず魔族の国は俺とミコトの仲を認める。つまり俺は皇様の義娘になるわけで、これは親から俺達への支援という意味からのことらしい。
そしてカーン家が栄えてこちらで勢力を握るということは、ミコトが俺に嫁いで魔族の国とカーン家が縁戚になるのだから魔族の国にとっても都合が良い。こちらの防衛などをカーン家に任せることが出来る。
皇様個人の判断や娘であるミコトを甘やかしているだけではなく、ちゃんと国家として今後のことを考えて、カーン家がそれなりに栄えることが魔族の国のためになるからしていることだという。
そう手紙で言われたからと素直に信じて疑わないというわけじゃない。色々と考えることもある。それでも条約に抜けや落とし穴は見つからなかった。俺が望んだ条件が全て了承されて、特に損や罠がないのならばこちらが断る理由はない。
「そちらでもご確認ください」
「…………確かに」
俺の署名と押印も確認したカンベエが条約締結を確認した。これでカーン家と魔族の国は正式に国交を結ぶことに……、って、あっ!
おい……、おいおい……。俺よ……。馬鹿なのか?やっちまったんじゃないのか?
俺勝手に他国と外交結んじゃったんじゃね?プロイス王国の許可も得ずに……。
俺はプロイス王国の貴族だ。そしてプロイス王国では領主に外交権はない。プロイス王国では領主の権限はかなり強いけど、外交権だけは禁止されている。勝手に他国と外交を結ぶことは許されない。
いや……、違反というかギリギリというか誤魔化しというか……、そういうことをしている奴らはいるよ?ナッサム公爵家とかバイエン公爵家とかは勝手にオース公国と外交しているようなもんだ。そしてそんなことが許されたら大変なことになる。
ナッサムやバイエンが勝手にオース公国と外交交渉して、もし敵に寝返ってプロイス王国に攻撃してくるなんてことになったら大事だろう。だからこそ領主貴族が勝手に外交出来ないように禁止されている。カーザース家だって勝手にフラシア王国と交渉なんてしない。
それを俺はやっちまったんじゃん……。これは言い訳のしようもない。完璧に……、俺は勝手に他国と外交交渉をして国交を結んでしまった。ばっちり条約締結までしている。
やべぇ!これはプロイス王国にバレるわけにはいかない。いや……、それともいっそ魔族の国と和平を結んだとして大々的に宣伝するか?長年争っていた悩みの種だった魔族の国と和平を結べたと言えば大成果なんじゃ?
いやいや……、それにしたって王様や宰相の許可を受けた上で裏で交渉していたのならともかく、俺が勝手に先走って条約を結んできたなんて、条約自体は追認されたとしても俺の罪は許されないだろう。そんな前例を作ってしまったらあちこちの領主がやりたい放題になってしまう。
俺は魔族の国に行ってちょっと浮かれてしまっていたようだ。今頃になってこんな重大なことに気付くとは……。
まさか……、皇様があっさりこの条件を飲んだのも、俺がこうしてうっかり条約に調印するためじゃないだろうな?他のことばかり考えて俺が他国と外交しちゃいけないことを忘れていた。
ここの所ホーラント王国戦や、ゴスラント島や自由都市関係、ポルスキー王国戦争と他国や他領と関わることが多くてすっかり忘れてしまっていた。それらでも外部と色々と交渉していたからついついそれと同じようにしてしまったとは……。
戦争を吹っ掛けられたり、王様の命令で出撃していて戦時に現地で交渉するのと、こうして平時に他国と外交をするのでは根本的に話が違う。
もう調印を済ませた以上、今更魔族の国にちょっと待ってくれとは言えない。これはまずいことになった……。




