第三百九話「カーン領!」
翌朝、日の出と共に起き出してきたカンベエは、この屋敷の者達がすでに起きて仕事をしていることに驚いた。庶民に重税を課し贅の限りを尽くしているこちらの貴族達は、朝もゆっくり起きてのうのうとしていると聞いていた。しかし実際にはあの金髪の女ですらすでに起きている。
それに比べて使節団の方こそがまだ寝ぼけている有様だ。これから徐々に起きてきて準備を始めるのだろう。
もちろんこのカーン家やカーン領という者達の方が自分達を迎えている側だ。当然持て成すためにも先に起きて準備し働くのは当然ではある。もしかしたら今日は使節団が来ているから特別なだけで、普段はもっと遅くまで寝ているのかもしれない。
そう思いたくはあるが……、そうは見えない。もし今日だけが特別ならばもっと慌てたり、混乱があったり、おおわらわになっているはずだ。それがどうだ。この屋敷は実に落ち着いている。まるでいつも通りにしているだけと言わんばかりの落ち着き振りだ。
もちろんそれはそれでおかしい。これほどの規模の使節団を急遽受け入れたというのならば、何故これほど落ち着いて対応出来ているというのか。最初からここにこれだけの規模を受け入れる準備でもしていなければ説明がつかない。
まさかとは思うが……、朝早起きなのも、仕事ぶりも普段通りでありながら、使節団の受け入れは本当に急なことだった……、などということはあるまい。ここの家人達や文官・武官が優れているから、急遽これだけの使節団を受け入れても混乱もなくうまくまとまっているなど……、そんなことがあるはずがない……。
自国ですらそんなことは不可能だろう。客人に対しては見せないだろうが、急にそのような対応をしろと言えば裏では大混乱が起こるはずだ。それがここではあまりになさすぎる。
いくら取り繕っても本当は慌てていればそれが端々に見える。それなのにここの者達にはそれがない。まるで当初からの予定通りだったかのように落ち着いている。
少し揺さぶってみるか……。
カンベエはそう考えて近くの女中に声をかけた。
「そこの女中」
「はい?」
カンベエに急に声をかけられた女中はキョトンとした顔でそちらを見る。そして相手を確認して頭を下げた。
「はい。いかがされましたか?」
「うむ……。少し朝の散歩に出たいのだが良いか?」
「私では判断いたしかねます。フロト様に確認してまいります。少しお待ちください」
他の女中が一人カンベエに付き、一人は金髪の女に確認に行くと離れていった。暫くしてから護衛付きで町に出ても良いと言われてカンベエは朝のフローレンに散策に出たのだった。
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朝の町を歩いてみる。護衛という名の監視がついていることから何やら見られては都合の悪いことがあるのだろうと判断する。
「町の者達に声をかけても良いのか?」
「はっ……、それは構いませんが……、町の者達はただの一般庶民です。外交官殿に何か失礼な言動があるかもしれませんが……、それをお許しいただけるのであれば構いません。カンベエ殿が外交官であると知らぬ者達の無作法が許せないようであればお控えください」
兵士はきっぱり言い切った。普通外交官や使節団に対してここまで言えるだろうか。普通なら外交官に無作法を働いた領民がいれば領民の方を罰するのが普通だろう。
それなのにこの兵士は領民に失礼な言動があっても使節団の団長であるカンベエにそれを許せという。それが許せないのなら話しかけるなまで言うのだからカンベエは驚いた。
「領民達にとっても朝は忙しい時間です。そのような時間に、相手が外交官や使節団とも知らぬ庶民が外交官殿に失礼な態度を取る可能性は高いでしょう。前もってそのように伝えてあったならばともかく、昨日からこちらに外交官殿が来られていることを彼らは知りません」
「……わかった。それでは多少の無礼があっても目を瞑ろう」
兵士の言うことは正しい。例えば今日ここに使節団がやってきて通ると知らせていたならば、その往来を邪魔したりすれば罪にも問えよう。しかしそんな予定などなく突然やってきて、それすら知らされていなければ、普通の庶民は普通の対応をしてしまう。それはわからなくはない。そしてそれは民達の罪ではないだろう。
カンベエは民達の生の声を聞いてみたいと思っている。だから多少無礼、無作法があろうとも目を瞑ることを約束して近くの男に話しかけてみた。
「少し話をしてもよいかな?」
「へ?ええ……、そりゃ構いませんが……」
男はチラリとカンベエの服装を見て、後ろに兵士が立っているのを見て少し畏まった。異国の服を着て、カーン家の兵士がついているのだから、相手はそれなりの人物であろうことくらいは想像がつく。
「この町は随分綺麗なようだが……、暮らしぶりはどうだね?」
「はぁ……、カーン騎士爵領自体がまだ開拓されて数年ですからねぇ……。ましてやこのフローレンに関していえば、開拓開始からでも一年、二年、村開きからだともっと短いですから……、出来立てのこの町はそれは綺麗だと思いますよ」
男の言葉にカンベエは片眉をピクリと上げる。領全体の開拓ですら数年、ここにいたっては一年、二年のような出来てただという。
やはりこの町は宣伝村か。
カンベエはそう判断した。
ここは外部から来る者に対していかにも良い生活をしているかのように見せるために作られた虚構の町だ。でなければあり得ない……。この男が今捻っている蛇口から当たり前のように水が出ているなどあり得ない。
この設備が一体どういう技術で出来ているのかはわからない。しかしこんな先進的なものが普通の民家に当たり前のようについていていいはずがない。
「出来立てで綺麗なのは良いが生活はどうだ?開拓したばかりでは苦しい生活ではないのかね?」
「いや~、それは領主様のお陰で良い暮らしが出来ておりますよ。移住する前よりずっと生活が楽になりました」
「ほう……。具体的には?」
「へぇ……、それは……」
領民の男の言葉を聞いてカンベエは絶句する。開拓時の生活基盤や食料、資金などは全て領主持ち。領主が建てた仮設住宅というものに住み、税は最長数年は免除され、領主主導によって開拓された農地などで農業が出来る。
あり得ない。あまりに現実離れした優遇政策が語られる。しかし妙に説得力があるのも確かだ。たまたま見つけたそこらの農夫という風体の男が、これほどスラスラとそんなことを語れる。あまりに不自然でおかしい。
この町が宣伝村で、ここに住む者たち全員がそういう教育を受けて、そういう受け答えをするようにされているのか。でなければそれらは全て本当のことなのか……。
その後も何人かに声をかけてみたがどこへ行っても聞こえてくる評判は同じようなものだった。護衛の兵士も特にカンベエの行動を止めない。
ここが予想通りに宣伝村ならば良い。全ての辻褄が合う。しかしもし……、本当に……、民達が言うことが本当なのだとすれば……、そんな思い切ったことが出来る領主がいるとすれば……。あまりに合理的に人心を掌握し、領民達に忠誠を誓わせる悪魔の手法だ。
一見そんな優遇策をしていれば持ち出しばかりで財政が傾くように思える。しかしそれほど優遇されるならばと移住者が殺到し町はあっという間に栄えるだろう。そうなれば最初にかかった費用などあっという間に元が取れる。
初期に投資出来る資金や莫大な労働力を確保さえ出来るのであれば……、これは恐ろしいまでに計算され尽くした悪魔のような策だ。
そしてそうして優遇されている領民達は領主に対して狂信的なまでに絶対の忠誠を誓うだろう。そんな領民達が兵士として戦えば死をも厭わない精強な軍が出来上がる。
重税を搾り取って贅の限りを尽くすどころではない。民達に良い生活を与え、その結果人や物が集まり、領は栄え、民の忠誠を集め、その民達が領のために命を懸けて戦う。そしてますます領は肥大化していく。
まさに悪魔のような策!このようなことを考え出すなど一体どんな頭脳をしているというのか。カンベエですら考えたこともなかった。後で教えられて『なるほど』と納得するのが精一杯だ。
恐ろしい……。ここは危険だ。蛮族の小国などと侮っている間に自国との立場が逆転しかねない。
プロイス王国やカーン領への認識を改めたカンベエは気を引き締めて屋敷へと戻ったのだった。
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屋敷で朝食を摂ってから、今日は馬車で移動すると言われて乗り込む。目的地はこのカーン領の領都カーンブルクという町らしい。馬車に乗り切れないということで馬に乗れる者や兵士達は馬に騎乗しての移動となった。外交官達は変わった形の馬車に乗せられて移動を開始する。
「変わった形の馬車だな」
「そうだなぁ……。俺はデル王国に行ったことがあるがデル王国の馬車とはまったく違う。地域によって発達の仕方も違うんだろう」
得意気にそんな話をしている他の使節団の面々をカンベエは白けた目で見ていた。
「ふんっ……。何もわかっておらん。その程度の見識しかないのか」
「なっ!」
カンベエの聞こえよがしの呟きに他の外交官達は鼻白む。立場上カンベエの方が上なので表立って反発はしないが内心面白くないと思っているのは間違いない。
カンベエは確かに優秀で天才肌ではあるが、それゆえか人を見下すことが多い。また自信過剰ではっきりズケズケと言いたいことを言うので煙たがられることも多い。仕事は優秀だから見逃されている部分もあるが、それだけ敵対者も多かった。
ここでも他の外交官達はまた人を見下して馬鹿にしているだけだと受け取ったがそうではなかった。カンベエがそう言ったのにはきちんと理由がある。
確かにカンベエは自信過剰で人を見下したかのような部分はあるが、それにはそれなりの理由があってのことだ。ただ普通なら理由があっても人と無闇に衝突しないために配慮するところを、カンベエはそういった配慮をしないために傲慢な自信家と思われている。
今驚くべきことは馬車の形状が変わっているとかそんなことではない。拓かれて数年しか経っていないというこのカーン領が、森の中にこれほど巨大な街道を通していることが驚くべきことなのだ。
片側だけでも馬車が二台ほどは通れそうな巨大な街道が、何もない森の中を突っ切っている。それもその果て、つまり目的地は先ほど出発したフローレンという小さな町だ。大きな町の間を通っている主要街道というのならともかく、あんな小さな町までしか続いていない街道にこれほど巨大なものを整備している。
片側二車線、両側四車線の巨大すぎる街道が、もし……、軍の侵攻に使われたならば……、行軍も軍事物資輸送も圧倒的な速度と量を可能とするだろう。
数万の大軍でも行軍可能であり、その軍を支える物資輸送にも十分に耐え得る。もし……、この国と戦争になったならば……、過去にあった戦争の比ではないほどの兵と物資が運ばれてくることになる。この広すぎる街道は……、将来の戦争を見越して拓かれた軍用道路だ。
さらに……、この馬車と街道の路面……。あまりに異常すぎる。馬車はあり得ないほどの速度で爆走しているというのにほとんど揺れていない。それは馬車の性能と街道の路面の整備状況の両方がなくては為しえない。
こんな田舎に敷かれている街道が何故これほど徹底的に整備されているのか。それは行軍や物資輸送において路面状況が輸送速度に大きく影響するからだ。今馬車が爆走しているように、路面が綺麗で揺れず、馬車の性能が良く揺れなければ素早く輸送することが出来る。それは大軍の移動や補給物資輸送において大きな意味がある。
敵国に乗り込み、相手の情勢を確認してくる外交官ともあろう者達が、『変わった形の馬車だ』などと暢気なことを言っている場合ではない。
均一に均された街道を敷設する技術力。そして特殊形状の揺れない馬車を作る技術力。さらにこんな田舎にまで徹底的に整備されている軍用道路。ここの領主は化物だ。紛れもなく化物だ。でなければ神か悪魔か。これだけのことを考え、そして実行している。
考えるだけならカンベエでも出来るだろう。そういう夢想をするだけなら出来なくはない。しかしこれほど大規模に、実際にそれを実行するなど狂気の沙汰だ。万が一にも失敗したら国が傾くどころではないだろう。そんな大博打を、実際に、行なう……。そして成功させる。
そんな資金力、技術力、判断力、決断力、実行力を兼ね備えた存在……。人はそれを化物と呼ぶのだ。
これからの交渉を誤ってはいけない。あてにならない他の外交官など目にも入らず、カンベエはこれからの交渉について頭を悩ませていたのだった。




